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MEANING 10th Anniversary-Special Interview Vol.03-

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--1stアルバム『BRAVE NEW WORLD』リリース後にツアーがあって。2011年3月5日のファイナルの新宿ACBには、BRAHMAN、LOSTAGE、THE CHERRY COKE$、F.I.Bが出演と豪華なラインナップでしたね。

HAYATO「そう、BRAHMANに一発目に出てもらって。でも俺、あのときのライブは全然達成感がなくて、すごく悔しかった記憶がある」

INOMAN「俺もそんな感じでした。ファイナルがむしろ一番よくなかった」

HAYATO「俺も。だからすごく悔しかった」

--それはどうしてだったと思います?

INOMAN「う~ん……。初めてのちゃんとしたツアーで疲れもあったのかもしれないし、錚々たるメンツのなかでやってその人たちと比べちゃうところもあったと思うし……なんかね、よくなかった。フワフワして終わってしまった感じがあったというか」

HAYATO「そうそう。浮足立ったまま、何も掴まず、その日が終わってしまったというか」

--じゃあ消化不良のままツアーが終わってしまった感じというか。

HAYATO「めちゃくちゃ消化不良。でもなんで消化不良だったのか理由がよく分からなくて。その前にあった名古屋、大阪のライブは全然消化不良という感じじゃなかったから」

INOMAN「個人的にはその経験を活かして2ndアルバム(『Shine Our Journey』)のツアーファイナルにはすごく気合いを入れた。絶対あんな風にはしたくないなと思って事前準備をして……それくらいイヤだった。すごく覚えてる」

--なるほど。そのファイナルの直後に東日本大震災があって……。MEANINGはいち早く行動を起こしましたよね。

HAYATO「ACBでのツアーファイナルが震災の一週間前で、そのときにTOSHI-LOWさんといろいろ話をしてて……。震災直後にTOSHI-LOWさんはすぐ動き出したじゃないですか。そういう人がいち早く動いているのを見て自分たちも何かしなきゃなと。一週間前のツアーファイナルにBRAHMANが出てなかったら、俺もMEANINGもスピーディに動けてなかったかもしれない。バンドに知名度がそこまでないから、何をしていいかも分からなかったし、どうしようどうしようって思いながら時間が過ぎていったと思う」

--うんうん。そして2012年4月に「東北ライブハウス大作戦」を支援するためのチャリティ・シングル『-THE UNBROKEN HEART-』を自主制作という形で発表。さらに初の映像作品(DVD)と10分を超える大作シングル(CD)のカップリング作品『- MEANING to be here… / To the Future -』をPIZZA OF DEATHからリリース。怒涛の期間というか……張り詰めていた印象だったんですけど、今振り返るといかがですか。

HAYATO「この時期忙しすぎて鬱みたいな感じになっちゃって。精神的に削られながら、何かをやってたというか。常に何かに追われていて、人と会いたくないし喋りたくないし家から出たくないし。家でずーっとMEANINGの映像をチェックし続けるのがイヤだった」

--バンドに対するネガティブな感情ではないんですよね?

HAYATO「じゃない。細かい作業がキツかった。そのうえで仕事が9時23時とかだったから。でも別にライブはいいんだよね。ライブはいつも通りたくさんあったし、5人でこうやって会うと全然大丈夫だった。でもそこに行くまでが大変で、電車に乗りたくなくて」

INOMAN「あの時期の日高さんのスケジュールはすごかった。ライブ終わって、チン(THINK AGAIN)と物資を届けるための車を借りに行って、物資を置く場所を確保して、さらにMEANINGの制作作業して……って感じで」

HAYATO「それで、自宅に帰るとDVDの作業があって……ああ仕事行かなきゃいけないと思うんだけど、もう動けなくて。当時KAWAGUCHIくんと職場が一緒だったから、KAWAGUCHIくんにだけ“今こういう状態で仕事に行ける状況じゃない”って話をしたらKAWAGUCHIくんが“俺にできることがあったらなんでも言って”と。その言葉で気持ちが楽になった。そのあとDVDの編集が片付いたら嘘みたいに落ち着いたんだけど」

--なら良かった。

HAYATO「うん、今は全然大丈夫」



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