松本健太(Vo/Ba)、西田光真(Gu/Cho)、藤原弘樹(Dr/Cho)からなる3ピースバンド、WANIMA。現在、ライヴハウスで注目度急上昇中のバンドであり、勢いそのままに1stミニアルバム『Can Not Behaved!!』がPIZZA OF DEATH RECORDSよりリリースされる。メロディックパンクなんだけど、数多くいる有名バンドからの影響を感じさせない、純粋培養されたセンス。スピーディーで破壊力のあるサウンドと、日本語詞の面白みを増幅させるメロディ。これらが渾然一体となった、オリジナリティの賜物が詰まった内容だ。そんな作品のリリースを記念してインタビューを敢行。みんな熊本県出身の九州男児で、気骨とユーモアに溢れるエピソードをいろいろと語ってくれた。それでは3回に亘っておくるインタビューのスタート!
-- さて、今回、めでたく1stミニアルバム『Can Not Behaved!!』がリリースされるということで、WANIMAについていろいろと探ってみたいと思います。まずはみなさんの出会いから教えてください。
松本健太(以下、M)僕と光真は保育園からの付き合いで。小中高とずっと一緒で、家も歩いて30秒くらいの距離で。もうかれこれ23年くらいの付き合いです。
-- 幼馴染なんですね。藤原くんとは?
M 東京で出会いました。
藤原弘樹(以下、F)全員熊本出身なんですけど、地元は離れています。
M 藤くんは熊本市内で、僕らは天草というところで。
-- みなさんが音楽を好きになったきっかけは?
M 天草は熊本市内から2時間半くらいかかる場所なので、全然情報が入ってくるようなところではなかったんです。当時、僕はレゲエやヒップホップを聴いていたんですけど、光真はハイスタンダード(以下、ハイスタ)とかを聴いていた。
-- 当時はレゲエやヒップホップのほうが興味あったんですね。
M はい。大好きだったんです。光真からハイスタを教えてもらって、なにその速いの?みたいな感じになって。それで聴くようになった。
-- 光真くんはレゲエやヒップホップは?
西田光真(以下、N)聴いてなかったですね。
M 藤くんが住んでいた熊本市内はレゲエやヒップホップが強かったよね?
F ちょこちょこは聴いていたね。ちょうど周りにバンド文化がなくなっている時期で。みんなDJで、パーティーやるから来てよみたいな。パーティーって何?って (笑)。バンドをやっているのは学校の中でも自分くらいしかいなかったんです。一つ上の代だとバンドをやっている人がたくさんいたんですけどね。
M 特にいじめられていた、とかはなく?
F なかったよ(笑)。その時は周りにバンドシーンがあまりなかった。
-- 藤原くんがバンドを始めたきっかけは?
F 同級生とコピーバンドを組んだのがきっかけです。個人的にメロディックパンクを聴いていて。でも周りはみんなJ-POPが好きで。だからずっと一人であたためていたんですよ。
-- 秘めたる思いを醸成したと。
F でも一番仲良かった友達と帰っているときに、そいつが鼻歌で歌ったのがハイスタだったんです。あれ?ハイスタでしょう?って。そいつがギターをやっていたので、バンドを一緒にやろうよと。中1のときの出来事です。
-- 健太くんがレゲエを好きになったきっかけは?
M そんなに速いのがなかったので。俺は姉がいて、周りがヒップホップ、レゲエを聴いていたので。その影響もあったと思います。
-- 光真くんは?
N 僕は先輩がバンドをやっていて。そのバンドがハイスタやモンゴル800が好きで、その影響ですかね。かっこいいなって。
-- 健太くんと光真くんは2人でどのような活動をしていたんですか?
M 最初は学校の文化祭に出るためにコピーバンドを始めたんです。文化祭でヒップホップやレゲエをやっても分からないやろうし、地元でバンドが流行っていた時期でもあったので。
-- 当時、特に好きだったアーティストは?
F 一番最初はX JAPANですね。それから兄貴の部屋から聴こえてきたハイスタ、スネイルランプとかを聴き始めて。そこからハワイアンシックスやBBQ CHICKENSとかを好きになって。そういったバンドとかをカバーしていましたね。
M 俺は海外の名前も分からないようなルーツレゲエとか聴いていました。ヒップホップだったら熊本出身の餓鬼レンジャーとか聴いていて、言葉遊びが面白いなと。最初はそっち系に進むのかなと思っていたけど、バンドになっちゃいましたね(笑)。
-- なぜかヒップホップグループは結成しなかったと。
M そうなんです。小さい町過ぎて共感してくれる人がいなくて(笑)。