当サイトは、ブラウザのJavaScript設定を有効にしてご覧ください。

Release Interview Vol.01 1/3 / WANIMA 1st Mini Album [Can Not Behaved!!] 2014.10.22 In Stores!! / WANIMA Official Web Site

-- 光真くんは?

N 僕はハイスタ、モンゴル800ですね。やっぱりかっこいいと思っていたので、バンドに憧れがありました。

-- 地元ではどのくらい活動を?

M 俺と光真は高1~高3までバンドをやっていました。6時半くらいの朝一のバスに乗って、熊本市内のライヴハウスにライヴをしに行っていました。わりと活発でしたね。

-- 高校のときからライヴハウスへ頻繁に出演していたのですか?

M そうですね。毎日練習していたので。

-- その頃にはオリジナル曲も?

M そうですね。コピーとオリジナルの差は結構でかくて。俺らはすぐにオリジナル曲をやっていました。

-- 当時のバンド名は?

M HANIMAです(笑)。

-- バンド名、そんなに変わってない(笑)。

M そうですね(笑)。熊本では知っている人もいると思いますよ、めっちゃライヴやっていたので。

-- 藤原くんは当時、どのような活動を?

F 活動は友達と休みの日に集まって練習するだけ、という。カセットに録って、それで終わりです(笑)。ライヴハウスに出ようとかはなかったですね。でも知り合いがライヴハウスの知り合いと仲良いということで、一回だけやらせてもらいました。

M 東京で出会ったので、熊本時代に俺らが繋がっていた音楽仲間と藤くんが繋がっていたり。熊本時代はまったく藤くんのことを知らなかった。

F 家の中で活動していましたからね (笑)。

-- まあ、どちらかというと宅録系ですからね(笑)。その一方、HANIWAは熊本で結構、有名なバンドだったんですか?

M まあ、わりとそうですね。小さなコンテストで熊本予選を勝ち抜いて、九州大会も優勝したので。

-- かなりの実力派だったんですね。

M 今思うと頑張っていましたね。

-- じゃあその頃には東京に出て、一旗揚げてやろうと。

M 僕はそう思っていました。でもみんな進路が重なっちゃって。当時のドラムが地元に残るだの、いろいろあって。光真も自衛隊に行っていたんですよ。

-- え?そうなんですか?

N 実はそうなんです(笑)。

M それで俺1人だけ東京に出て。光真が2年後に自衛隊を辞めて、追いかけてきてくれたんです。

-- その間の2年間は1人で活動を?

M 特に活動という活動もしていなかったです。光真とは付き合いも長かったので、その穴埋めができなくて。バンド活動できなかったんです。もうフラストレーションたまりまくって、公園の草木に向かって歌っていました。ベースをビンビンビンって、草木をお客さんに見立ててやっていました。

-- む~、かなりやばいエピソードです(笑)。そして光真くんは自衛隊に行っている間は楽器を弾いていなかったのですか?

N たまに実家に帰ったときに遊びがてら弾くくらいで。

M ミサイルを打っているほうが多かったんじゃない?

N いや、銃のほう(笑)。

-- 楽器より銃の扱いに慣れちゃったと(笑)。でも音楽の道は忘れられなかった?

N そうですね。高校の頃みたいに楽しいことをやりたいなと。それで健太も東京にいるし、俺も行ってみようかなと。

-- どっちから連絡をしたんですか?

M 俺が一方的に言いました。一緒にやろうよって。