--Kenさんのプロデュースはどうでした? コラムを読んでいると、スパルタだったのかな、と思いましたけど……。
ヤマケン: いや、言われていることとかを文字にしたらすっごくスパルタに見えますけど、Kenさんの言い方はとてつもなく上手いので、嫌な感じは一切しませんでしたよ。俺なんかが言ったら速攻でバンドが辞めちゃうと思うんですけど、説得力が違うんで。
--新曲も、かなりの数を作ったそうですね。
ヤマケン: それは当たり前だと思っていました。
--それくらいやるのは、Kenさんにプロデュースしてもらうなら当たり前だと。
ヤマケン: そうですね。日本のトップじゃないですか。そういう覚悟はハンパじゃなかったですね。
--とにかく食らいついていったと。
ヤマケン: そうですね。制作に一年半くらい掛けたんですけど……。
--長いですね!
ヤマケン: 生まれてから初めてくらい、物事を真面目にやりましたね。
--ずっと我武者羅にやってきたって言っていましたけど、時間を掛けて練り上げる作業っていうのも、初めてだったんじゃないですか?
ヤマケン: やってはいたんですけど、それよりもさらにやりだしました。
--でも、なかなかレコーディングという本題に辿り着かないなあ、とは思いませんでした?
ヤマケン: まあ、モチベーションを保つのは大変でしたね。レコーディングの日が決まれば、そこに向かってやるだけじゃないですか。でも、なかなか決まらなかったんで。いつやるんだろうっていう。Kenさんも忙しいので。
--見えない日に向かって曲を作るって、不安に駆られそうな気もするけれど。
ヤマケン: うーん、そうですね……。
トノ: ヤマケンの、曲を持ってくるスピードは早かったですね。
ヤマケン: 干されると思っていたので(苦笑)。日本のトップを引っ張り出して来て、中途半端なことをやったら、もう二度とバンドなんて出来ねえぞと。
--確かにねえ。曲作りって普段から早いんですか?
ヤマケン: いや、遅いです。
--しかも量産だけじゃなく、あのKenさんを納得させるキラーチューンを生み出さなきゃいけないわけで……修行ですね。
ヤマケン: ……そうっすね。狂ってましたね。
--没になった曲は、どれくらいあるんですか?
ヤマケン: ああ、いっぱいありますよ。それでアルバムが作れるくらい。ボツベストみたいな(笑)。
--でもKenさんは、DRADNATSを信じてたからこそ、もっと良いものが出来るはず、もっと良いものが出来るはずって作らせ続けたと思うんですよね。何か言われた言葉で印象的だったものって、ありますか?
ヤマケン: んー……俺が一番印象に残ってるのは、アコギの曲(『My Very First Love』)が入ってるんですけど、今までの俺らだったら、多分作らなかったんですよ。スタジオが終わった時に、「Mr.BIGの『TO BE WITH YOU』みたいな曲を書いてきて」って言われたんです。まじか!?って。だいぶ名曲じゃないですか。
--そ、そんなやり取りが!
ヤマケン: 世界中のどれだけの人があの曲を知ってるんだよって思いながら、わかりました!って。やってみたら通ったので、良かったなって。
--アコースティックの曲がなかったのって、やりたくなかったんですか? それとも発想がなかったんですか?
ヤマケン: 発想がなかったですね。
--この曲に限らず、自分たちで気付かなかった魅力を引き出してもらうようなプロデュースだったんでしょうね。
ヤマケン: それはあります。
--ダメ出しは細かく言われたんですか?
ヤマケン: ダメっていう言われ方はなかったですね。「この曲微妙」みたいな。「Aメロはいいけど、それに対してこのサビは、必要性がわからない」とか、そういう言い方はありましたけどね。
--その意見を参考に曲作りをしたりしたんですか?
ヤマケン: それはなかったですね。一回考えると止まると思ったんで、ひたすら作っていました。数打ちゃ当たるじゃないですけど。俺が煮詰まっちゃったら、バンドで出来ないじゃないですか。
--なるほどね。あとはミーティングにもKenさんが参加していたそうで。アルバムの話だけではなく、バンドのスタンスについても話したりしていたんですか?
ヤマケン: 寧ろ主にスタンスについてですかね。夢ある話を。
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