PROLOGUE「MEANINGのバックグラウンド」

——髪の色、抜いてるし、前は赤だったけど今はショッキングピンクと入れてる色違うし。なんか意味あんの?

HAYATO(vo,g)「全然意味ないです(笑)。一通り試したうえで、単純に1番長持ちするっていうだけでこの色に落ち着いたっていう」

INOMAN(ds)「僕は前は赤だったんですけど、それだと似ちゃうんで。次になにかって考えたとき青ぐらいしかなかった」

——自分も若かりし頃、ずっとブリーチしてていろんな色入れて遊んでたクチなんで(笑)。

HAYATO「なんでやったんだろ…20歳くらいでやりだしたとき、カジュアリティーズとかのストリート・パンクロックにハマってて。あのへんけっこう髪の色とかスゴいじゃないですか。ちょうどその頃アメリカに住んでて。あっちだと手に入りやすいじゃないですか、ヘアカラーとか。で、やり始めたらなんか止まんなくなり、それ以来ずっとやってる(笑)」

——アメリカにどのくらい住んでたの?

HAYATO「合計で9年ぐらい。小学校んときニューヨーク郊外に5、6年いて、1度帰ってきて、また高校3年間はあっちで、ミシガン州郊外に。両方とも親の仕事の関係です」

——今回初めて話を聞くので、まずは基本的なことから。影響を受けたバンドは?

KAWAGUCHI(art,g)「1番最初はミッシェル・ガン・エレファント、ブランキー・ジェット・シティとか。それをきっかけにいろいろ聴くようになり、友達と初めてライヴハウスにニュースクール系ハードコアバンドや、ハードコアバンドを観にいき、それでどっぷりハマって。しかもライヴハウス通いをしてた幼馴染みがメタル博士で(笑)。毎日のようにCDを買い漁ってくるんです。ジャケ買いとかガンガンしてて。週1回彼の家にいき、前回借りたCD3枚を返し、また借りるってことをずっとしてました(笑)。初めて借りたのが、エヴァーラストのCDと、コンヴァージの『JANE DOE』でした」

——いきなりディープなところに(笑)。

KAWAGUCHI「俺、2枚ともめちゃめちゃハマっちゃって。スッゴいって。コンヴァージに至っては殺し屋だと思いましたもん(笑)。そのぐらい、絶対この人たちとはまともに話せないと。まぁそれでいろいろハマって。海外のメタルバンドとかもたくさん聴いたし。だけど結局そのなかで1番ハマったのは、メロスピ(メロディック・スピードメタル)。やっぱ北欧系が1番ツボでしたね。ギターソロが好きなんで、単純に」

HAYATO「4つ上の兄がいて、その影響でちっちゃい頃ブルーハーツを聴いてて。それでいろいろ聴くようになり、ライヴにもいくようになり、高校生になってからいわゆるHi-Standardとか日本のメロディック・パンクロック系を聴き出し、そのときちょうどアメリカにいたので、その流れでグリーン・デイやオフスプリングとかにハマり、それからどんどん深い方に入っていった。そのときが1番いろいろ聴いてた時期ですね。スカコア、ストリート・パンクロック、アイリッシュ・パンクロックまで。だからメタルとかは逆にMEANINGをやってからKAWAGUCHIくんとかに教えてもらった、みたいな感じです」

——じゃ根っ子は完全にパンクロックだと?

HAYATO「僕はもう、思いっ切りそっちです。あとは80’sハードコアパンク。メタルはいまだに全然詳しくないです(笑)」

YOKKUN(g)「ギターを持ったきっかけは、中学校んときにB’zのTAK MATSUMOTOが好きだったから。そこから洋楽好きになり、Mr.BIGとかガンズ・アンド・ローゼズとか。僕も高校生んときにメタル博士がいたんで(笑)」

KAWAGUCHI「ま、各地にいますよね(笑)」

YOKKUN「そのメタル博士のおかげで聴く音楽がどんどん激しくなって。メタル…デスメタル、ブラックメタルとかまで。結局メタルに落ち着いて。そのメタル博士はドラムが上手だったんで、高校生んときに文化祭でスリップノットをやろうって。マスクを自分たちで作ったはイイけど、オーディションみたいなのがあったんですね。実はそういう激しいのはNG。だからオーディションんときは全然違うヤツをやって出られることになった。で、本番じゃスリップノットやろうぜ!って(笑)。3曲、4曲ぐらいやり、まだあったんですけど、“カーテン閉めて!”ってなって(笑)。悪いとこばっか影響され、いろいろ物を壊し、ダンボールを引きち切ったりとか(笑)。演奏もちゃんとしてなかったもんなぁ。ハードコアとかパンクロックとかは全然通ってなくて。周りはHi-Standardを聴いてましたけど、自分はまったく(笑)。その後MEANINGに入り、みんなに教えてもらい、メタルからパンクロック、ハードコアを20歳過ぎぐらいに聴き始めました」

INOMAN「音楽に興味を持つきっかけになったのは、僕にも兄がいて、兄の影響でHi-Standardとか、あの時期AIR JAMに出てたSCAFULL KINGとか、そういうバンドたちからの影響が1番デカいですね。それこそいっぱいCDを聴き、いろいろ勉強して。だけどそれ、楽器を始めるきっかけじゃなかった。そのあと高校にいき友達とヒップホップをやってたんですけど、ブラックミュージックとかも好きで。大学受験がヤだったんで、音楽をやることにしますと親に言い(笑)、ドラムをちゃんと始めたんです。どうせやるなら、ちゃんとライヴハウスで働いた方が経験値は稼げるかなと。働き始めたライヴハウスでみんな同僚だったんです、ここ4人(YUICHI/b除く)が。MEANINGはもともと5人とも同僚だったんですけど、途中でベースが代わっちゃって」

——ライヴハウスで働いてた同僚同士?

YOKKUN「渋谷のDESEOで。って僕今でも働いてるんですけど」

HAYATO「まず、謝ることあるでしょ」

YOKKUN「あそこでGrindHouse night(DJクラブイベント)やってたじゃないですか。僕、そのときシフトで入ってて。GrindHouse nightの最後にプレゼント大会あったじゃないですか。仕事中だったんですけどめっちゃほしくて、普通にジャンケン大会に参加しちゃったんです」

HAYATO「しかも勝ったんでしょ?」

YOKKUN「勝っちゃった(笑)。そのときもらったのがフーバスタンクのサイン入りCD。フーバスタンク好きだったんで(笑)」

——関係者は没収だよ、普通(笑)。

HAYATO「ですよね(笑)」

全員:「(笑)」

YOKKUN「すいません(笑)」

——実はスゴく近いところにいたと(笑)。

YOKKUN「ここ4人は」

HAYATO「だから僕たちは勝手に身近に思ってたんです(笑)。ラジオ番組(GrindHousefm)も同じビルの4Fの収録スタジオ(STUDIO MAP)で録ってますよね?あのスタジオの真横がDESEOの事務所で、僕たちあの辺よくウロウロしてたので」

——身近どころか、近過ぎ(笑)。

INOMAN「で、話を戻すと(笑)、DESEOで働き始めたとき、まだ今やってるような音楽やバンドは知らなくて、上司がそういうのが好きだったんでCDを貸してくれて。ピッグ・デストロイヤーやナイルとかを(笑)。スゴいなあって聴いてて、気づいたら一緒にバンドをやってたって感じです」

——で、途中参加の…。

YUICHI(b)「ええ、僕は後から入ったんで…」

——なにしろみな同じ職場の同僚だし、MEANINGとしてしばし活動した後でのことだったからすでにバンド内の空気やメンバー間の関係値ってでき上がってたと思うのね。最初感じなかった?、携帯電話で言うところの“圏外”感みたいなのって。

全員「(笑)」

YUICHI「あ〜、なんかそう…」

HAYATO「いまだにねえ(笑)」

全員:「(笑)」

YUICHI「溶け込んでるような空気を出してましたけど、やっぱなんかおかしいなとは感じてました(笑)」

——音楽はどのへんから入ったの?

YUICHI「中学生んときはやっぱ南野陽子とかしか聴いてなくて。だけどそれは誰もがそうじゃないですかね」

全員「(笑)」

YUICHI「アレ、違います?だって小中学校ぐらいんときってなにも起きなければ、メタル博士とかいなければ、TVからしか情報が入ってこないでしょ。で、紅白歌合戦にX-JAPANが出ててそれを録画し何回も観たり、そこからLUNA SEAとかを聴くようになって。Yoshikiを崇拝してたんで、Yoshikiの2万字インタビューを読み、メタリカって言ってたからメタリカを聴いたとか、そういうつながりでどんどん洋楽も聴くようになっていった。モトリー・クルーとかもそのへんから出てきた」

——4人はもともとは同僚なわけだけど、音楽的背景はみなバラバラなんだね。

HAYATO「そう、バラバラ(笑)。たぶん共通して好きなのってない」

KAWAGUCHI「X-JAPANかLUNA SEAぐらい? それともNOFX?」

HAYATO「イヤ、NOFX通ってない人いるでしょ」

YOKKUN「ユウちゃん、NOFX好きじゃない?」

YUICHI「ベスト盤は持ってる」

全員「(笑)」

KAWAGUCHI「ま、いっか。確かにみんなが好きっていうバンドってないね」

HAYATO「うん、ひとつもないかも。バンドをやり始めてから互いに教え合い好きになったっていうバンドはあるけど」

——そうも音楽的背景が違うのにバンドを結成し、その後もちゃんと活動してるってけっこう稀なんじゃない?

HAYATO「結成のきっかけは、NO USE FOR A NAMEのパッチをつけてたかなんかだよね?」

KAWAGUCHI「そうそう」

HAYATO「それで仲よくなり、バンドやろうぜっていう話に。さっきも言ったとおり、前任のベースも職場にいたし、ドラムできるやつもいて…」

KAWAGUCHI「最初はホントに遊びというか、みんなでガチャガチャ音を合わせたかっただけなんで(笑)」

HAYATO「ホントにそういうレベル」

KAWAGUCHI「最初はコピーやったもんね」

HAYATO「DESEOやKINOTOやSTUDIO MAPが入ってる、あの岡崎ビルにはリハスタもありますから(笑)」

KAWAGUCHI「だから俺たちは基本あのビルで育ったんですよ(笑)」

INOMAN「ホントに岡崎ビルに入り浸ってましたから(笑)」

——で、前任ベースを含めた5人で2004年にMEANINGをスタートするわけだけど、バンド名の意味とは?

KAWAGUCHI「ずいぶん昔の話なんで明確には思い出せないんですけど(笑)。仕事終わりだったかな、みんなと一緒に渋谷駅に向かってるとき俺はけっこう燃えてたんで、このバンドをやりたい!やりたい!みたいになってた(笑)。だけどバンド名が決まってなかったし、それでもライヴは決まってたっていう状況で」

HAYATO「そう、コピーバンドで(笑)」

KAWAGUCHI「コピーバンドのままライヴが決まってたんで、じゃバンド名も決めなきゃってなって。で、なにがイイかって話してたもののなにも思いつかなくて。意味がある方がいいのかなって話してたとき、その“意味”って英語でなんていうのって。で、この名前になったんです。MEANING、イイじゃんって」

HAYATO「響きがイイねって。忘れもしない、歩道橋のところで。しかも仕事帰りに(笑)」

KAWAGUCHI「なんでその会話になったかはイマイチ覚えてないけど、その場所は」

HAYATO「よく覚えてる、歩道橋の上でだったのは確か(笑)」

KAWAGUCHI「駅までの、ものの徒歩5分で決まったんです(笑)」

HAYATO「そう」

——最近のポスト・ハードコアバンドとかスクリーモバンドとかって、やたらバンド名が長いじゃない。

HAYATO「ボクたちがMEANINGを始めたとき、ちょうどストーリー・オブ・ザ・イヤーとかが流行ってて。そういう長いバンド名はちょっとねぇみたいな意見は最初からあった」

KAWAGUCHI「バンド名が長いと、なんだっけ?みたいな感じになり、覚えられないし、覚えてももらえない(笑)」

HAYATO「特に“ファースト”とか“ストーリー”とかってていう言葉を使うバンドが多いよね(笑)」

KAWAGUCHI「だから、MEANINGのように簡単に思いついちゃうヤツの方がイイのかなって(笑)」

photo by Terumi Fukano

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