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『横山健の別に危なくないコラム』

vol.84

「DRADNATS」

昨年12月、10数年振りに自分以外のバンドのアルバムのプロデューサーとして、レコーディングスタジオに入った。手掛けたバンドは、東京を拠点に活動する3ピースのメロディック・パンク・バンド「DRADNATS」。彼らの3rdアルバムを一緒に作った。3月にピザ・オブ・デス・レコーズからリリースされる。

オレがバンドをプロデュースをするのは、1996年のHusking Beeの1stアルバム「Grip」、2000年代初頭のHawaiian6の1stアルバム「Souls」及びミニアルバム「Across The Ending」以来。オレにとっても3バンド目のプロデュース作品になる。

DRADNATS…「ドラッドナッツ」と読むのだが、Ken BandやPizzaの音源をチェックしている人ならその名は必ず知っているはずだ。初めて名前を聞く方は、彼らの略歴として覚えておいて欲しい。

 

結成は2005年。3年後の2008年には1stアルバム「New UnseenTomorrow」をCR Japanからリリースした。オレが彼らと知り合ったのも2008年だ。ミナミちゃんのKen Band加入後の最初の「Going South ツアー」で対バンしている。それ以前に、ギター/ボーカルのキクオが、Ken Bandがいつも使ってる練習スタジオで働いていたので、少し面識があった。でもまぁペラペラおしゃべりするような仲でもなく、キクオがバンドをやっていることすら知らなかった。

出会った頃の彼らは「新進気鋭のメロディック・パンク・バンド」として、勢いに満ちあふれていた。実際、少し生意気でもあった。生意気というか、鼻っ柱が強いというか…特にべースのヤマケンがそうだった。まぁそれが良いのだが。「メロディック・パンク・バンド」と呼ばれるバンドの若手なんて、大体「良い子ちゃん」が多い。「別にお前、ロックがどうとか、気持ちがどうとか、なんにも持ってねぇだろ。なんとなく楽しいからやってるだけだろ。」っていうような連中が結構いる。しかし彼ら、特にヤマケンは良い意味で生意気だった(ちなみにそれは今も変わっていない)。

そんな姿勢を好きになったのかどうか定かではないが、オレは翌2009年に自分で企画した「The Best New-Comer Of The Year」という4ウェイ・スプリット・アルバムに彼らを誘った。そのアルバムで彼らの名前を知った方も少なくないはずだ。

これは、Ken Yokoyamaというベテランバンドと、当時ほぼ無名に近かった3つの若手メロディック・バンドで「今年の最優秀新人バンドを決めましょう」といったちょっとふざけたコンセプトで作られた。他にALMONDとSpecialThanksが参加した。

音源が集まってアルバムの曲順を決める時、個人的に一番カッコ良いと思ったのがDRADNATSだった。どのバンドも甲乙つけ難しだったのだが、音も曲調も一番ピッタリ来たのが彼らだった。なので1曲目にDRADNATSを置いた。

その3バンドはなるべくKen Bandのツアーやライブの声をかけて一緒にやる機会を作ったし、アルバムリリースの頃には、渋谷OEastで4バンドでリリース記念ライブもした。そのライブでのDRADNATSの堂々としたステージングが、これまた見事だった。会場の期待をしっかりと受け止め、曲や動き、表情としてフロアに投 げ返す様を見て…「こいつらに喰われちゃうんじゃねぇかな」とか不安に思ったほど素晴らしいライブだった。

そうなると「ピザから出してはどうか?」と当然のように頭をよぎる。しかし彼らにはCR Japanというレーベルが付いていたので、手出しは出来ずにいた。

4ウェイ・スプリット・アルバムをリリースしてしばらくすると、SpecialThanksとALMONDはメンバーチェンジに見舞われ、SpecialThanksは今でもマイペースに活動を続けているようだが、ALMONDはほぼ活動停止状態になってしまった。唯一DRADNATSだけが、不動のトライアングルでライブを重ねていった。

その後もKen Bandのツアーにもちょくちょく連れて行ったり、無理矢理飛び入りで新木場コーストのステージで演奏させたり、そんなことをしながらDRADNATSとの距離は近くなっていった。しかし…なんとなくあの4ウェイ・スプリットの頃の勢いを段々感じなくなっていった。

メロディック・パンクの存在感そのものの凋落なのか、実際にDRADNATSとして次の壁を越せずにいたのか…いろんなことが重なって、せっかく得た勢いをほぼ失う状態になっていった。

そんな中、彼らは震災のあった2011年に2ndアルバム「OVERTAKE」を、前作と同じくCR Japanからリリースした。たぶんそのセールスも1stを上回るものではなく…曲は良いのだが、DRADNATSの本当の能力をフルに発揮できたものではなかったように思う。重ねていうが、曲は良いのだ。でも本人達の「なにかが欠けてるとわかってる」感をオレは感じ取った。

まぁ長くなった上にオレの私情も入ってしまったが、これがDRADNATSの2011年までの歩みだ。

その後のある夏の夜、ヤマケンとまったり遊んだのだが、その時も泣き言とまではいかないけど、「ちょっと最近次にやるべきことが見えない」というような言葉を聞いた。しかしその後すかさず「まぁオレ達は絶対にやってやりますけどね」的な一言を付け加えるのが、実にヤマケンらしいのだが。CRとの付き合いも残っているだろうから、あまり余計なことは言えなかったが、単純に閉塞感にやられているバンドマンを目の前にして、どうにかしてやれないもんかなぁと思った。

そして、ヤマケンは2012年の秋になりかけた頃「時間を作って欲しい」と申し出てきて、オレはPizza Of Deathからのリリースを直訴された。

もちろん快諾したけど、彼らにとって3枚目の勝負作を普通に出してももったいないような気がした。なので「横山プロデュースであれば」と条件を出して、飲んでもらった。

 

「オレがプロデュースすれば話題も集まる」「売れる」、そんな考えでプロデュースを買って出たわけじゃない。彼らの楽曲の…特徴的なコード進行が、正にオレのツボなのだ。「ここをこうすればもっと良くなるはず」と、新曲を聴く前からすでにわかってたとでも言えばいいか…。どんなバンドとでも一緒にスタジオに入れるほど、オレは音楽的に優れていないし、自信もない。「DRADNATSならオレが手掛ければ絶対に良くなる」と思えたからだ。

2013年に入り、ヤマケンから新曲だといって16曲渡された。まずオレは「全曲聴いて5段階評価するけど、4か5しか要らない」といって11曲をボツにして、もっともっと新曲をハイペースで作るように言った。そして新曲ができるたびにメールで送らせて、ちょっとでもピンと来なかったらすぐにボツにした。 

それから2ヶ月に1回くらいのペースで真夜中のスタジオでの定期練習&ミーティングをするようになった。

場合によっちゃ一度オッケーを出した曲でもボツにし、「あれ、前回の時にはこの曲はオッケーって言ってませんでしたっけ…?」みたいなこともあった。

バンドアンサンブル全般にイヤッてほど口出しをした。

演奏面や曲の出来についてだけならまだしも、バンドの構造や精神性にまで、さらにはどうやって生きていきたいのかまで話をした。メンバーが理解に苦しむような話題でも躊躇せずに話し、「ここまで話聞いて、変わらなきゃウソだろ?」っていう感じで、毎回オレは朝の7時に帰っていった。

かなり容赦なかったと思う。

それに3人とも引かずに着いてきたのには、少し感心した。正真正銘の正念場とでもいうか、とにかく気合いが入ってた。

ヤマケンは「1曲作れ」と言うと必ず2曲作ってきた。キクオは「次回までに今日一緒に作ったフレーズを体に叩き込んでおけ」というと必ず身に付けてきた。ドラムのあっちゃんは…本当に必死でやってきた。「なんでここにこういう鳴りのシンバルがあると思う?」やら「そんなルーティーンで腕振ってちゃダメで、叩くなら鳴らさないと、その腕の振りにどういう理由があるわけ?」といった、ちょっと禅問答に近い(ドラマーなら当たり前の話なのだが)ようなことにも、今まで言われたことがないようなことも必死で考えて、やったこともないようなパターンのドラミングを要求されれば2ヶ月後には必死で身につけ…もしかしたら、そういうことを指摘されるとその人の今までを全否定してることになりかねないようなことにも、文字通り「必死」でくっついて来た。

3人ともオレのことを認めてくれているし、好きでいてくれるだろうから、必死で付いてきた来たんだろう。でも「なにもここまで言われなくても…」っていうことを言われても、彼らは「今の自分たちにはきっと必要なことなんだ」と自分たち自身に言い聞かせているようだった。今だから言えるが、それが見てて…感動的ですらあった。

2013年の秋頃には曲も出揃い、歌詞の話題になった。送られてきた歌詞の中の一つが少し観念的過ぎに感じたので、「メロディック・パンクはこういうことを歌わなきゃいけないっていう思い込みで書いてないか?」と諭した。「成功もしてない者に『君には不可能なことはないんだ』って歌われて、誰が『あーその通りだ』って思うの?」というと、キクオもヤマケンも悔しそうに黙った。

でもその後書き直した歌詞達は、「なんでこの明るい曲にこんな暗い歌詞つけたのか?」と本人たちも頭をひねるものもあったが、「それでいいんだよ」と背中を押した。やっと自分たちの言葉や感情を人前でぶつけられる様になるのだから。

レコーディングは12月に行われた。実は、今回のDRADNATSのプロデュースは、ここまでで必要なことのほとんどを終えていた。彼らは曲は良いし、キャリアもあるから欲しい音もレコーディングの進め方も知っている。だから事前に曲のクオリティーを上げることと、精神論を伝えることが、彼らに対するプロデュースだった。

レコーディングは…そりゃ日程もキツキツなので簡単ではなかったが、それでもスムーズに進んだ。やるべきことは全てハッキリしていたし、なにしろオレと15年も一緒に仕事している梅ヶ丘の及川さんが聞き耳を立ててくれている。オレももちろん自分のレコーディングと同じように毎日通って、一緒に音作りし、一緒にフレーズをはめたりと、いわゆるプロデューサー的なことも務めたが、オレよりむしろヤマケンの方が音に神経質で、「お前、そんなにピッチピチにやり過ぎても…オレたちがやってんのはロックンロールだろ?多少合ってなくてもいいんだよ」となだめる場面の方が多かったように思う。

あっちゃんの陽気なキャラも幸いし、本当に毎日が笑いの中で、眉間にしわ寄せてレコーディングしてる人たちが見たらどう思うんだろう?っていうくらい明るい現場だった。

結果、素晴らしい楽曲が14曲も録れた。

オレも一生懸命ヘルプしたが、彼らが折れずに作り上げたのだ。

 

「DRADNATSレコーディングより」

 

本当に彼らの意思と、想い、熱意、負けん気、意地、根性、…この際なんでも良い。

上り坂も挫折も味わいここまでやって来た彼らの今までを出し切った快作を、彼ら自身で作った。

 

年末の押し迫った頃にマスタリングも終え、彼らはそのアルバムに「My Mind Is Made Up」、「オレは腹をくくった」という意味のタイトルをつけた。それがきっと今の彼らを一番端的に表しているのだろう。

 

オレ個人的な作品に対する気持ちや感想を書くなら…「メロディック・パンクが好きな人がこのアルバム聴かないでどうすんだろ?」っていうくらいの決定盤だと思う。自分が関わったことを差し引いて考えても、このアルバムは素晴らしい。

すでに視聴できるリード曲の「Good Morning And Good Night」は、もちろん素晴らしい曲だ。でもそのクオリティーの曲が金太郎飴のごとく並んでいる。美メロの嵐(猛爆)だ。「こんな曲が1曲でもKen Bandにありゃなぁ…」っていうような曲がいっぱい入っている。

メロディック・パンクは、先述したように、存在感そのものが凋落している。しかしこの先メロディック・パンクが復権するならば、DRADNATSがその旗手になるんじゃないかと思う。

最後に、これも繰り返しになるが…「横山プロデュース」で今までにHusking BeeとHawiian6という2つのバンドを世に送り出した。両バンドとも大きな存在になり、まぁ成功したと公言して差し支えない結果を残してきた。

仮にDRADNATSが横山プロデュースを以てしてもコケたら…それはそれで良い。横山うんぬんなんてものはDRADNATSと一緒にどっかにくれてやるくらいのつもりだ。

縁起でもないが、これがオレの遺作になったとしても構わない。オレのアルバムではないが「横山健が情熱を注いだもの」という意味での遺作になっても胸を張れる。

それくらい誇らしい気分だ。

リリースは3月5日、なるべく多くの音楽ファン、「メロディック・パンク・ファン」の耳に届いて欲しいと願っている。

 


「仲間達の支えの中で必死にタンバリンを録るドラムのあっちゃん(ちなみに全員フルチン)」

 

 

「発表」

6組(実際は5組w)のガールズ・ボーカルを擁するバンドで作ったオムニバス・アルバム「And Your Birds Can Sing」のリリースで、以前発表したレーベル内レーベル「Jun Gray Records」が動き始めた。今までのPizza Of Deathでは想像すらつかなかったようなバンド達と一緒に作品作りをすることもできて、オレもとても嬉しい。

ちなみにJun Gray Recordsオフィシャルサイトに、レーベルオーナーのJunGray1万字インタビューが載っている。今回のオムニバスに至る経緯が分かるので、良かったら読んでみて欲しい。http://jungrayrecords.com/interview.php

今後もJunちゃんのアンテナに引っかかったバンドやミュージシャンを、いろんな形でフックアップできれば、と思う。

さて今回発表したいのは、以前お話した「レーベル内レーベルをJun Gray Records以外に、もう3つ用意してある」という件だ。「誰に、どんな気持ちで、レーベルを任せるか」を3つとも発表しようと思う。

 

・「TIGHT Records」

まずBBQ CHICKENSのドラマーでお馴染みのアンドリュー、彼がずっとやっている「TIGHT Records」がPizza Of Deathのレーベル内レーベルとして加わる。

 

TIGHTは今までにNOB、HOTSQUALL、アンドリュー自身がドラマーを務めるRISEなど、良いバンドをいくつも輩出してきた。しかしなにしろ複数のバンドでドラムをプレイし、ライブのサウンドエンジニアとしても日本中を駆け回るアンドリュー。しかもスタジオでレコーディング・エンジニアとしての仕事もあるので、ほぼ休みなどない生活を続けている。つまりレーベルもやりたいが、全精力をレーベルに注げる状態ではない状況に、オレからは見えていた。

近年もレーベルの活動はしている。しかし近い将来の具体的なアイデアを訊くと「特別ない」と言う。「たまたま出したいと思うバンドがないだけ」と言うのだが、…このまま行くと「なんとなく開店休業状態になるのでは?」と思った。

アンドリューを慕う若手は多い。実際にMEANINGのハヤトなんかも、横山よりも「アンドリュー絶対」なのだ(猛爆)。彼の日本中を網羅する行動範囲と彼自身の軽快なキャラは、あちらこちらにアンドリューを慕う若者を作ってきたし、オレもそういった連中を見ていつも楽しい気持ちになる。

時間の面がネックで開店休業状態に陥る前に、オレんところでやらない?と声をかけた。このままフェイドアウトしてしまうのはあまりにも惜しい。

アンドリューの立ち位置を少し変えて、「レーベル・プロデューサー」として機能してもらえば、全てを活かせるはずだ。事実あちこちのライブハウスでよく見る「TIGHTロゴ」のグッズは、Pizzaとは関係なくアンドリュー自身がこのままやっていくんだと思う。あの光景は守られるはずだ。

オレは実際「新しく始めるつもりで、レーベル名を考えても良いよ」と言ったが、アンドリュー自身の思い入れも強く、「そのままTIGHTで行きたい」となった。

そしたら今後は、今まで一人で切り盛りしていたことを、ちょっとオレ達に相談してくれれば、ストレスを分散させることができる。

要するに、アンドリューが「このバンドおもしろそうだな」と思えば、今までよりもフットワーク軽く(と思うが…)リリースへの道が俄然開けていくのだ(オレが断る場合もあるだろうが)。

ただTIGHTで出すには一つアンドリューから条件がある。それは「レコーディング・エンジニアがアンドリューであること」だ。彼は自分が録った音じゃないと出したくないらしい。とても良いこだわりだと思う。

最近のアンドリューの音はPizzaのバンドのアルバムでも聴ける。The Inrun Publicsとemberがアンドリューのレコーディング作だ。もし「是非TIGHTから出したい!」と思うバンドは、そのあたりの音源も参考にしてみると良いだろう。

ちなみに、ロゴは引き続き以前からのものを使うが、過去のリリース作をPizza内TIGHTで再発することはないので、予めご了承いただきたい。

 

現状すでに1つバンドのリリースが決定、さらに2つほどバンドが口約束の範囲でリリースにむけてウォームアップしているらしい。

 

実に楽しみだ。

 

・「ROTTEN ORANGE」

90年代のパンク・ラウドロックシーンを大いに盛り上げた、GARLICBOYSのラリーさんが率いる老舗「ROTTEN ORANGE」がPizza Of Death内にまさかの電撃復活!

ROTTEN ORANGEといえば、オレは勝手に90年代の後半「Pizzaと双璧を成したレーベル」だと思っている。まだPizzaが独立する前の一時期、ハイスタのマネージメントを請け負ってくれていた「ハウリングブル」という会社の中のレーベル内レーベルだった時期がある。ROTTEN ORANGEも実は「ハウリングブル内のレーベル内レーベル」だったのだ。

そして次々とおもしろいバンドを輩出していった。AirJam98にも出演したイエマシ姐さんこと「YELLOW MACHINEGUN」、「PANORAMA AFRO」…そしてなんといっても「ヌンチャク」を発見したことはラリーさんの大きな功績だろう。

オレは今でも覚えているのだが、GARLICBOYSとハイスタのツアーの千葉公演に当時全くの無名だったヌンチャクが出演した。彼らはみんなで手分けして徹夜でダビングしたというデモテープを配って歩いてたのだが、それを気に入ったラリーさんがROTTEN ORANGEからのリリースを決めたという。ちなみにオレもそのデモテープを当然もらったわけだが、オレのカセットには音が入ってなかった(猛爆)。そして打ち上げにも参加したヌンチャクは眠い目をこすりながら「明日、高校のテストなんです」とか言っていた。翌日、眠気と戦いテストを受けたらしい。そういう連中は自然とラリーさんに近寄っていくのだ。

ハイスタは独立した際にハウリングブルからPizzaを引き上げた。GARLICBOYSとハウリングブルの契約がいつ切れたか定かではないが、契約が切れたのと同時にROTTEN ORANGEも自然消滅という形になったのだろう…。

つまりラリーさんは、バンドをフックアップするセンスやプロデュースする能力はあるけれども、レーベルを経営する力は残念ながら持ってないのだ。オレはGARLICBOYSとここ数年いろんな付き合いをしながらも、つい最近までROTTEN ORANGEの存在を失念していた。Jun GrayやTIGHTの話をしているうちに「ラリーさん、やってくれないかなぁ」と考え始めた。

思い切ってラリーさんに話すと「そんなことやらせてもらえるんや!嬉しいわー!」と大興奮だった。メンバーにも喜ばれたらしい。じゃあここは話をしておかなきゃと思い、ハウリングブルの社長と連絡を取ったら、社長も喜んで承諾してくれた。「あいつらの力になってやってくれ」と言われた。そうしてPizza内ROTTEN ORANGEが発足することになった。

TIGHT同様、過去のリリース作をこちらに移して再販するわけじゃない。

ラリーさんの念頭にあるのは「日本語でおもしろいことをやっているバンドを探したい」ということだろう。そこが恐らく今後のバンド選びに於いて のマストな条件、つまり昔ながらのレーベルの色を守る(守るも何もラリーさんが根っからそういうのが好きなのだろう)のだと思う。

ちなみにロゴはさすがに元のデータが存在していなく、古いロゴに少し手を加えた新しいものをホンゴリアンが作った。

現在1つバンドのリリースが確実視されている。またGARLICBOYSを中心とした、おもしろい発信基地にしたい。

 

実に楽しみだ。

 

・「IN MY BLOOD RECORDINGS」

最後の紹介になるが、これがもしかしたら一番ビックリされるかもしれない。札幌SLANGのKOちゃんに、レーベルをやってくれるよう要請した。

ご存知の通り、KOちゃんは札幌KLUB COUNTER ACTIONのオーナーであり、Straight Upを始めとしたいくつかのレーベルを抱えている。自分でできる人なのだ。でもそれとは別で、「Pizzaの中でのKOちゃんのレーベルを作りたい」と言うと、思いのほか快諾してくれた。

なにしろオレとKOちゃんは兄弟分だから、オレはなにか一緒にやりたいのだ。

余談ではあるが、新しいレーベル名を決める際、なかなかアイデアが出てこないKOちゃんに、オレもいくつか名前を考えてKOちゃんに送った。やっぱりKOちゃんとオレでやるのだから「兄弟」的ななにか…「なんとかブラザース・レコーズ」みたいなものを3つほど送ったが、全て却下された(猛爆)。

たぶんKOちゃんの中では「IN MY BLOOD」というのはすごく大事な言葉で、それを思い切って出すべきか出さないべきか、そこで悩んでいたんだと思う。

結果的にドンズバの「IN MY BLOOD」を持ってくるあたり、KOちゃんの気合いを感じずにはいられない。

バンドのチョイスは…長い目でいろいろと考えているようだが、やはりまずは札幌のバンド達を推していきたいらしい。ハードコア、ポップパンク、音の傾向は問わず、KOちゃんが「こいつらをPizzaを絡めて出せたらおもしろいんじゃないか」と思うバンドをピックアップしてくるだろう。そして後々は自分のコネクションを活かし、日本中から思わぬバンドを持ってきてくれるだろう。Jun Grayがガールズ・ボーカル、TIGHTがアンドリュー・レコーディング、ROTTEN ORANGEが日本語でやってるおもしろいバンド、といったような具体的な方向がない分、バンドのチョイスは…たぶん「気合い入ってる連中」ということになるのではないかと、勝手に予測している。

KOちゃんはオレに「オレにそんなことやらすと凄いよ。バンド10個くらいバーンと持ってくよ」と言ってたが…実際いまその状態だ。自分でも言っていたのだが「スカウトマンのつもりでやるよ」、いままさにそれを行動で見せてくれている。逆にオレが追いつかないくらいだ。

Straight Upを始めとする自分のレーベルとの住み分けも現段階では問題ないようだし、きっとこのレーベルが一番動くレーベルになるだろう。

現状、すでに2バンドのリリースが確定してて、その次に何バンド控えているかはオレはまだ把握していない(猛爆)

 

実に楽しみだ。

 

以上3つの新レーベルの発足を発表した。やっぱりこういう動きをするにあたって、一番肝心なのは「信頼できるプロデューサーを立てられるかどうか」だと、オレは思ってる。

それが、Jun Gray、アンドリュー、ラリーさん、そしてKOちゃんなのだ。

この前も書いたかもしれないが、「健さんは頼れないけど、ラリーさんになら」とか「Pizzaは抵抗あるけど、IN MY BLOODなら」っていうバンドにバンバン出てきて欲しいし、そういった中でPizzaとしてもいろいろ広げていきたいし、オレ達自身がいろんなヘルプの仕方を学ぶべきなのだ。

それに、普通に楽しいと思う。例として、企画ライブで「Jun Gray Records VS TIGHT Records」とかあっても楽しい。レーベル間の競争原理が出てきてもおもしろいし。レーベルを超えてバンド同士がカップリング・ツアーに出るのも美しいだろう。

KenBandがツアーに出るんでも、対バンを選ぶ時に各レーベルのバンド達はすごく身近に感じるだろう。きっと頼りになる。

そして、本丸のPizza Of Deathだってケツに火がついてバンバン動く…すごくいいサイクルだと思うのだ。

Jun Gray Records同様、各レーベルのオフィシャルHPも用意する。そしてPizzaを含めた5つのレーベルの入り口になるべきポータルサイトも用意するつもりだ。

こうなる以上、誰をも置いていきたくないし、可能な限り平等なサポートのチャンスを提供していきたい。

今年から(早くも)来年にかけていろいろと新しいニュースがポンポンでてくるだろうから、皆さん見逃がさないで欲しい。

ちなみに若干フライングな情報かもしれないが、UNLIMITSのフルアルバムはJun Gray Recordsからリリースされる(もうそろそろ告知なはずなのだが、オレはいつ解禁とかあまり知らされてないもんで…)。

ちょっと余談ではあるが、先日京都Museで行われたJun Gray Recordsのオムニバス発売記念ライブに、視察を兼ねてKenco Yokoyamaでも飛び入りしてきた。そこで感じた事でとても印象的だったこと、それは出演者みんなが楽しんでたんじゃないかということ。ガールズ・ボーカルのバンドがここまで一堂に会するのもなかなか珍しいことだし、この日で面識が出来て繋がったバンドもあったのではないだろうか。

そういう様々な場面を目にするにつけ、いろいろ大変ではあったが、「やって良かった」と思うのである。

結局いろいろ大変な事なんていうのは、楽しい事をやる時には必ず付いて回るもので、それをクリアしつつあるオレ達には、楽しい事しか待ってない気がする。

TIGHT Records、ROTTEN ORANGE、IN MY BLOOD RECORDINGS、Jun Gray Records、そしてPizza Of Death Records、こんなCDが売れない時代に、こんな音楽や音源が軽く扱われてる時代に、めちゃめちゃやってやろうじゃないか。

 


http://tight-records.net

 


http://rottenorange.net

 


http://inmyblood.jp

2014.01.25

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