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ember

Official Interview / Vol.01

Interview vol.02 »

11月6日リリースの1stフルアルバム『New Neighbors』から3曲が──まったく素性の明かされぬまま──SoundCloudで先行公開され、純粋な音楽的訴求力だけで大きな話題を呼んでいる謎のバンド・ember(エンバー)。その実体は、ヴォーカル&ギターにKen Band、元KEMURIの“ミナミちゃん”ことMinami、ベースに元Wrong Scale、元Ivory7ChordsのTsuyoshi、ドラムにEgg BrainのUtchieというキャリア豊富な腕利きの3ピースだった!
リリース記念として、バンドの首謀者であり、すべての作詞作曲を手がけるMinamiに単独インタビューを敢行。個人的なバックグラウンドからemberにかける決意まで、縦横に語ってもらった。

--アメリカ人風に言えば「Fuckin' awesome!」な1stアルバムで。

Minami ホントですか(笑)。ありがとうございます!

--作った本人としても、かなり手応えはあるんじゃないですか?

Minami 手応え……でも、限られた時間の中では精いっぱいやりましたけど。レコーディングが終わった時点で一回、達成感はあったけど、まだこれはあくまでスタートなんだって最近実感してます。

--Minamiさんとしては、ようやく完成できた作品だった?

Minami そうですね。やろうと思ったのが、KEMURIの解散が決まって、解散決まってからも1年間は活動してたんですけど、その間に何曲か作って。Ken Bandの話が来る前だったから、その後にバンドをやる準備っていうか。どっちにしても、仕事しながらやるバンドと思って、なんとなく曲を作ってたんですけど。で、Ken Bandが決まって、入ってすぐは別のバンドやるわけにはいかないので、ずっと保留にしてて。そうこうしているうちに、前のベースのサージが辞めて、自分がコーラスを全部やることになって、アルバムも作るから他のバンドをやる余裕がなくなり(笑)。いろいろバタバタしているうちに6年くらい経って。で、今がチャンスかなと思ってやってみたんですけど。

--ずっと頃合いを見計らっていたという?

Minami まぁ、基本的に切羽詰まらないと何もできない人なんで(笑)。このバンドは自分が動かないと何も動かないし。

--昔から、自分がギター&ボーカルでフロントに立つバンドがやりたいっていう願望はあったんですか?

Minami ボーカルに関しては、特にやりたいっていうのはなくて。でも、英語の発音っていうか、自分が表現したい世界観を表現するにはネイティブなボーカルが欲しかったんで、身近にいないから自分でやったっていう。

--過去に、Minamiさんがギター&ボーカルのバンドをやったことは?

Minami ありますよ、中学生ん時ですけど(笑)。ギター始めたばっかりの頃で、コピーバンドで学校の文化祭とかに出て。

--ちなみに、どんなカバーをしてたんですか?

Minami 当時はボン・ジョヴィとか(笑)、ブライアン・アダムスとか。ブライアン・アダムスは未だに大好きで。

--せっかくなんで根掘り葉掘り聞きたいんですが、MInamiさんって、生まれは日本なんですか?

Minami そうです。でも、生まれてすぐにニューヨークに行って。10歳くらいまで住んでましたけど。やっぱり、その辺りが違うのかなあ。メロディの出てきかただったり。小学1、2年でビリー・ジョエルとかKISSとか聴いてるわけですから。生まれて初めて買ったLP(レコード)が、小学2年生のときに買ってもらったKISSだし。

--我々は光GEMJIとかだったから、それは違ってきますよね。

Minami ですよね(笑)。そういう音楽のルーツっていうか、環境が大きいのかな。僕はHAWAIIAN6みたいな曲とか、絶対作れないから。

--歌謡曲テイストっていうものが自分の中にない?

Minami うん。まったくないですね。

--帰国された直後は、大変だったんじゃないですか? 文化的な差とか、いろいろな違いで。

Minami いや、まぁ小学生だから、すぐに順応しましたけどね。中学生になって、周りも洋楽を聴き始めて。そこで話があってくるっていうか。僕がギターはじめたのも中学2年生の時で。

--それは、どんなきっかけではじめたんですか?

Minami 当時、ハードロックとかメタルがすごい流行ってたんですよ。ヴァン・ヘイレンとか、モトリー・クルーとか、デフ・レパードとか、クワイエット・ライオットとか、あの辺りがヒットして。それで「エレキギターって、かっこいい!」と思って。中学の時の友達のお兄さんがギター持ってて、それをイジりに行ったりしてましたね。それでお年玉を貯めて、初めてギターを買って。

--当時のMinamiさんのギターヒーローって?

Minami やっぱり、当時のメタルの人ですよね。ランディ・ローズとか、エディ・ヴァン・ヘイレンとか、マイケル・シェンカーとか。たぶん僕くらいの年代……今年43になるんですけど、大概ハードロック/ヘヴィメタルは通ってると思いますけど。ギター弾いてる人は特に。

--なるほど。で、中学でコピーバンドを組んで、その後はどんなバンド遍歴で?

Minami 高校生になって、友達にパンクが好きなヤツがいて。そいつの影響でセックス・ピストルズとか聴くようになって。反抗期っていうか、その頃の自分の気持ちとすごい合致しちゃったんでしょうね。日本のインディーズのバンド……ガーゼ、リップクリーム、ラフィンノーズ、ウィラード、それこそJunさん(Jun Gray)がやってたケンジアンドザトリップスとかも聴いてましたけど。

--高校生の頃のパンク・バンドでもギター&ボーカルで?

Minami いや、ギターだけですね。でも、大学生になると違う遊びを覚えちゃうというか。クラブ行ったりとかして、ちょっとバンドから遠ざかってしまって。

--バンドでひと旗あげようとか、そういう気持ちはなかったんですか?

Minami まったくなかったですね。バンドで食っていけるなんて思ってなかったですから。今でも思ってますよ。本当にひと握りのバンドしかそういうことはできないから。あ、そうだ、大学生の頃に下北沢にあったスケボー屋さんに通うようになって。そこでKEMURIのメンバーと知り合って。そこの店長が伊藤ふみおさんと津田さんと知り合いで。まだKEMURIをやる前の話ですけど、そこでまたハードコアとかパンクを聴くようになって。

--音楽寄りの生活になっていって。

Minami うん。でも、大学卒業して、普通に就職したんですよ。5年間、真面目に正社員としてホテルマンやってましたよ。バンドはやってなかったけど、休みとってライブ行ったりとかはしてて。だから、本気でバンドやったのって、KEMURIが初めてなんですよね。KEMURIが売れ出したっていうか、1st出して、アメリカツアーが決まった頃に、ギターの方が抜けることになって。急いで誰か探さなきゃいけなくなって、弾ける弾けない関係なく、たぶん僕がいちばん近くにいたんですよね。そこまで親密ではなかったんですけど、英語がしゃべれて、そこそこギターが弾けるヤツってだけで、とりあえず連れていかれて。

--はははは。人生急展開ですね。

Minami そう。仕事も辞めましたから。ちょうど会社辞めたいなあと思ってたタイミングだったから、それほど躊躇もなく。まぁ1、2年やってダメだったら、また仕事探せばいいやって。

--KEMURIに加入して、音楽/バンド中心の生活になって。それはやっぱり楽しかったですか?

Minami 楽しかったですねえ。アメリカツアーとか、すごい楽しかったし、初めてのレコーディングが海外レコーディングですからね(笑)。

--すげ〜(笑)。プレッシャーとかはなかったですか?

Minami ありましたね、プレッシャーは。それは解散するまで、ずっとありました。やっぱり途中から入ると、前の人と比べられたりとか、漠然とプレッシャーがあって。それは今のKen Bandでもありますよ。サージ、コリンがいた頃のKen Bandに負けてらんないっていうか、そういうのは常に持ってます。

--なるほど。じゃあ、KEMURIとして実戦を重ねて、その中でギタリストとしてのスタイルも作っていったと。

Minami そうですね。

--KEMURIをやりながら、自分がリーダーシップをとるバンドがやりたいって気持ちはなかったんですか?

Minami それはありましたよ。遊びでやったりしてましたし。今のemberのベースのTsuyoshiと、Ken Bandのドラムのまっちゃんと、元POTSHOTのチャッキーとSATOSHIとBRAVO★BROTHERSっていうのやったり。完全に遊びのバンドですけど。本気のバンドをやるには、やっぱり時間がなかったですから。

--KEMURIが終わるってなって、リアルに自分のバンドについて考えるようになったと?

Minami そうですね。でも、どっちにしても仕事しながらマイペースにやるバンドだと思ってたから。また音楽中心の生活をするとは思ってなかったですからね。うん、かなり現実的に考えてて、運良くKenさんから話があったから今こうやってやってますけど。

--じゃあ、今の状況っていうのは、天からのギフトっていうか、恵まれたものだと?

Minami もう、完全に。運と、人の繋がりでしかないですよ。まぁあくまできっかけで、始まっちゃえばそんなこと言ってられないし。ちゃんとやることやらないといけないから。曲も、ずーっとアイデアだけは貯めてたんですよ。たぶんアルバム2枚分くらいのサビとかAメロはあって(笑)。それを去年くらいから形作っていったって感じで。

--自分が主導するバンドとして、どんなイメージがありました?

Minami コンセプトは、自分が昔聴いてたアメリカの商業ロックっていうか。ブライアン・アダムスとかブルース・スプリングスティーンとか、ジャーニーとか、「ベスト・ヒット・USA」で流れるような。emberは、それを表現したかったんですよね。ずっとパンクをやってきたから、どうしてもパンクっぽくアレンジされちゃうけど、根っこの部分は自分が昔聴いてたアメリカのロック、ポップスっていうものがやりたくて。で、去年、最初にデモを作ったんですよ。それを「こういう曲、どう思います?」ってKenさんに聴いてもらって。

--それは、自分のバンドとしてやろうと思ってるっていうことで?

Minami そうです、そうです。プロフェッショナルな人に聴いてもらいたくて、聴いてもらったら「すごくいい」って言ってくれて。そこから話がどんどん進んでいって、ピザから出そうってことになっちゃって。こんなオオゴトになるとは思ってなかったんですけどね。もう、会場限定で、白いCDで売ろうかなって思ってたから(笑)。でも、やりたいことがちゃんと伝わったのはうれしかったですね。

--バンドのメンバーはすぐに固まったんですか?

Minami Tsuyoshiは当初から誘ってて。ドラムは、本当はまっちゃんを誘おうと思ってたんだけど、Ken Bandの方に誘っちゃったから、ドラマー探しはちょっと難航して。何人かあわせてけど、なかなか決まらなかったですね。

--Utchieはどういう繋がりで?

Minami Utchieは、KEMURIのライブによく来てくれてたんですよ。なぜかいつもステージ裏にいて(笑)。EGG BRAINにUtchieが入る前から知ってて、ドラマー探しのときに候補にも挙がったんだけど、関西在住だからとりあえずないなと思って。でも、なかなかいい人がいなかったんでダメ元で聞いてみたら、やってくれるっていうんで。「東京まで行きますよ」って言ってくれて、ある程度気の知れた仲間とやりたかったし、その言葉に甘えるしかないなと思って。

--その、emberというバンドを作り上げる過程では、Minamiさん自身は鼻息荒くというか、やはり気合いを入れて動いていった感じですか?

Minami そうですね。自分のバンドっていうこともありますけど、Ken Bandに泥は塗れないっていうか。どうしても“Ken Bandのギター”って見られるので、変なことはできないじゃないですか? それは常に思ってましたね。

Interview by 奥村明裕
vol.02に続く...

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