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『横山健の別に危なくないコラム』

Vol.92

「Sentimental Trash ツアー」

長いツアーが、一旦終わった。ファイナルの武道館を残して、旅は一旦終わった。

始まったのは去年の9月。およそ半年に亘っての長い長いツアー。途中ハイスタの活動もあったし、東北 JAM や大阪の Radio Crazy に出演したのでツアーのライブばかりしていたわけじゃない…とても変化に富んだ半年だったが、とにかく長かった。初日の渋谷でのライブがすごく昔のように感じる。

しかし…寒い時期のツアーは本当に体にこたえる。若い時にはそんなことなにも関係なかったのだが、年取ると普通にしんどくなってくる。だから若いバンドにはよく言うのだが「周れるうちにイヤってほど周っとけ」、「やれるうちに最大限にやっておかないと後悔するぞ」…だって体のあちこちは痛むし、喉の回復も遅くなった。…老いを感じながらツアーしていると、気持ちも重たくなってくる。そんなもんステージに出ちゃえばバッチリ上がるのだが…たまに「体がついてこない感」があるのだ。そういう日々の中にいると「いつまでできんのかなぁ…」って普通に考えるようになる。

でもいまの自分にとっては、この「しんどさ」が大きなモチベーションなのだ。「もう最後かもしんない」って本気で思うと、本気で伝えたいことを、本気で言うようになる。目の前の光景を、言葉以上に大事にしたくなる。

ステージに上がる時は無邪気にあがる。曲をやる時は大暴れして、それにお客さんが呼応すれば思わず笑顔になり、マイクは客席に放り投げてマイクスタンドはぶち倒し、曲の合間にはしょうもない下ネタを炸裂させて、持ってきたギターをとっかえひっかえ弾いて、「コマさんのテーマ」を弾いて…「やりたい放題」とか「大暴れ」とか言われるがw、自分ならではの空間を楽しんでいる。ライブが2時間だとしたら…オレはこの2時間のためにその土地に行ってるんだってハッキリ意識してる。ステージでの時間のために生きてる。最高な時間なのだ。

しかし、ライブ後半になってくると、毎晩ヒーヒー言いはじめる。激しいライブだからしょうがないのかもしれない、自分が望んで作ろうとしている空気感がそういうものなんだから仕方がないのかもしれない。でもすごく体が疲れてくる。「鍛えればいいじゃないか」とも言われそうだが、そんなもんするくらいならロックンロールなんて辞めてやる。フラッと行って、サラッとすごいことするのが、オレのロックンロールだ。

毎晩「自己ベストを更新してやろう」とステージ上で思ってた。このツアーはほとんどの夜で、それをクリアできてた気がする。いくら膝がカックンカックンになろうとも、ライブ後の「今日はやれたんじゃねぇかなー?」感がほとんどの夜にあった。たまにできない日もあったが(猛爆)、まぁそれはどこのライブかは伏せておこうw

いくら本番直前にやる気が出なくても、ステージに出た途端「今日は自己ベストを更新してやる」って、一瞬にして切り替わるのだ。

「I Won’t Turn Off My Radio」をリリースしてから、明らかにお客さんの感じも変わった。あの歌詞に自身を投影しているのだろうか、しばらくライブハウスから足が遠のいていた人たちが戻ってきてくれているようだ。前からよく見かけるお客さんも、こちらに対する熱が一層高まっているように感じる。

そんな連中の心に、得体の知れない「一生消えない傷跡」を残してやりたいのだ。衝撃の光景を見せてやりたかった。

だからヒーヒー言いながらも、人前に立ちたいのだ。

 


「こんな感じでステージ上でもくたばります。 Photo by Teppei Kishida」

 

さて、武道館だ。どんな夜になるのか…。

今回の武道館は特別なサプライズ的なこともなく、普通にやるつもりだ。

15才の頃、コンサートスタッフの派遣アルバイトで武道館にいたことがあった。ギターを始めたばかりで、ミュージシャンになりたいとまでも考えが行ってない頃だ。ステージと客席最前の間に配置されたこともあったし、誰も通らないドアを一日中見張ってたこともあった。まさか30年経っても、またそのステージを踏もうとしているとは、15才の頃のオレが聞いたら驚くだろう。喜んでくれるかな?

いろんなミュージシャンの「Live In BUDOKAN」を聴いて、観て育ってきた。ボブ・ディラン、チープ・トリック、オジー・オズボーン…ディープ・パープルの「Live In Japan」のあの有名な写真も武道館公演の時のものだ。あぁ、ブルーハーツの初めての武道館も衝撃的だったなぁ。矢沢永吉さんの武道館は数え切れないほど行ってる。セックス・ピストルズの再結成武道館は…途中で立っているのがダルくなって座って寝た覚えがある。

いまの日本には武道館よりも大きいライブができる会場が多くなった。それこそ東京ドームから、幕張メッセ、横浜アリーナ、さいたまスーパーアリーナ…どこもすごい会場だ。でも海外で認知されているのは「ブドーカン」なのだ。前回の2008年の時、オレがブドーカンでやると聞いて、Snuff のダンカンは「うらやましい!ローディーで呼んでくれ!」って言ってきたし、Toy Dolls のオルガは会場に観に来てくれた。

いまの他のバンドマンがどう思っているかは知らんが、オレにとって武道館は最終地点でも踏み台でもなく「ブドーカン」なのだ。

この武道館が終わっても Ken Band は続くし、自分のミュージシャン人生も続くだろうが、なにか大きなマイルストーンになるのではないか?という感触を持っている…恐らくこの予感は間違っちゃいないだろう。そのマイルストーンが良いものなのか、悪いものなのか…見に来てくださる皆さんに目撃して欲しい。もちろん「Sentimental Trash ツアー」のファイナルなのだから、ツアーの要素も大きい。しかしやっぱり、武道館、だ。普通の、並のファイナルなわけない。

「そのマイルストーンっていうのはなんずら?」…なんとなくやんわりとした予感を敢えて言葉にしてみると、この武道館の良し悪しで今後の Ken Band は大きく左右されるだろう。Ken Band というか…まぁ「横山健」っていう人だ。オレの存在の必然性や有効性が、この夜に大きく洗い出されるのではないだろうか?と自分自身は思っているわけだ。

オレは音楽をやっているし、曲を作って、歌って、ギターを弾く。でもそれだけやっているつもりはないのだ。そこから自分が掴んだ「人生観」や「哲学」や…ちょっと大げさかもしれないが、そういったものを皆さんの前で曝け出したいし、共感してもらえる人とは共有したいのだ。それが武道館で上手くいけば嬉しいのだが、「こうやれば上手くいく」というやり方やパターンは存在しない。毎晩違うのだ。

だから演る側のオレも「…上手くいきゃーいいなぁ」としか思えないのだ。何も約束できない。

ただ一つ約束できることは、ステージに上がった瞬間「自己ベストを更新してやろう」って思うこと。それだけは約束する。

出来なさそうでも、無理やりにでもやってやる。

See you guys in the pit at BUDOKAN.

 


Photo by Jon

 

 

「コマさん」

コマさんとは、子ども達に大人気の「妖怪ウォッチ」に出てくるキャラクターのひとつで、狛犬の妖怪だ。オレはコマさんが大好きで…大好きすぎて、コマさんの口癖を真似たり、コマさんの持つ小道具なんかを持ち歩くようになってしまった。

自分のツイッターをさかのぼってみると、もうおよそ1年前くらいからコマさんの口癖の「もんげー」を連発し始めているので、ブームにしてはかなり長く、かつ重症のようだ。

なんでこんなにコマさんが好きなのかわかんない。もともとはウチの次男坊が妖怪ウォッチが好きで、なかでもコマさんが好きで始まったことなのだが…結局お父さんがもっと食いついちゃったという最悪のパターンになっている…。

よし、なぜコマさんが好きなのか考察してみよう!(この時点で「危ない!」と思った方、もう逃げて結構ですwww)

まずコマさんが驚くと使う「もんげー」という言葉、これは岡山弁で「すげぇ」とかいう感じの表現なのだ。ウチのカミさんが岡山出身なので、とても身近に感じてしまうのだろうか?…とはいえ、岡山で「もんげー」など聞いたことがない(猛爆)だいたい現代では「でえれぇ」か「ぼっけぇ」で、どうやら「もんげー」というのは古い岡山弁らしい。これには諸説あるので詳しくは知らないが、「岡山弁を使う妖怪」というところでのアドバンテージはまず大きい。…しかし、コマさんは語尾に「ずら」をつける。これは岡山弁ではない(猛爆)

キャラクターの設定が「田舎から出てきて都会に馴染もうとする狛犬の妖怪」とのことなので…日本各地の方言をまるっと使って、田舎者感を出しているのだ。そういえばかわいいことを「めんこい」とも言ってたが、それって北海道や東北地方の方言ではなかっただろうか?そういった若干の設定の甘さも魅力の1つと言える。
…しかしここで思い出されるのが、なぜ「都会に出てきたか」というエピソード。どうやらコマさんが取り憑いていた狛犬があった神社が取り壊しになり、それ以来日本中の各地を転々とする日々を余儀なくされたらしい。その果てに都会にたどり着いたということなのだが、そんな中で日本中の方言を取得していったという見方もできなくもないが…まぁこうなるとどうでも良いのである(猛爆)

続いての魅力は、そんな田舎キャラなので、やはり性格が「素朴/純朴」というところ。これがかなり大きい。コマさんを追いかけて都会に出てきた弟のコマじろうを立派な都会人に育てるべく、都会慣れしているところを見せたいのだが…弟がコマさんよりも順応能力が高く、逆にコマさんがビックリさせられる、または恥をかくというのがお決まりのパターンだ。しかしこれがまた良いのだ!ともすると「都会ズレ」していく弟のコマじろうに対し、馴染みたくても馴染めないコマさん、ここにオレは子どもの頃の自分を見てしまうのだ。オレは東京で生まれ育ったのだが、やっぱり子どもの頃は渋谷や原宿など大きい街に出るのは勇気がいったし、店に入るの1つとってもガクブルだった。オレは東京で生まれ育った田舎者なのである。なので自分とオーバーラップさせられる部分は多い。

弟コマじろうを初めてファーストフード店に連れていく、というエピソードがあるのだが…コマさんは弟に「ファーストフード店はもんげー恐ろしいところだ。ドリンクだけ買おうとしても『ご一緒にOOもいかがですかー!』と勧めてくるのだが、それを断らなければならない」と教え、2人ともドリンクだけ買うという高いハードルに挑戦したのだ。…結果コマじろうはスマートにドリンクのみ買うことに成功、他方コマさんは店員さんのお勧めに圧倒されるがまま、勧められたものを何1つ断れずに全部買わされてしまう。弟に自分の口であんなに注意事項を述べたにも関わらず、だ。この時のコマさんの大テンパイする様が最高なのだ(猛爆)

まぁ笑うのは笑うのだが…なんかこういったエピソードから、なんとも言えぬ温かさを感じてしまうのはオレだけではあるまい(オレだけですw)。

または純朴であるがゆえに大会社の社長に気に入られ、その会社の清掃員から社長に昇りつめてしまうなんていう豪快なエピソードもある。しかしコマさんは社長の座などに固執することはなく、コマじろうとの温かく穏やかな生活に戻っていくのである。

ここで見られる「純朴さ」は、かの有名な「くまのプーさん」から感じられるそれに近い。「一体何の話なんだ?」と思われるのもわかる(汗)しかし結構大事な部分なので、聞いてもらいたい。

プーさんは森の仲間たちからは「バカなくま」と思われているのだ。だって周りには雑学王の「オウル」や心配性の「ピグレット」、愚痴ばかり言って実は構ってもらいたい「イーヨー」など、様々な案件を抱えたキャラクターがいっぱいいるのだから、「お気楽でバカなくま」と思われるのもしょうがないのである。しかし肝心なところでのひらめきだったり、アイデアだったり、そういったものを提供するのはいつもプーさんなのだ。

オレは子どもの頃からプーさんが好きだった。ディズニーのプーさんではなく、物語のプーさんが好きだった。「プーさんってバカだなぁ」と思うところは確かにあった。しかしその、周りからはどう思われていようが関知せず、自分のありのままでいる姿にきっと横山少年は自分と真逆なものを感じ、憧れを抱いたのであろう。つまりプーさんの「在り方」にシビれたのである。バカでなにも考えていないようで、実は一番しなやかで強いのだ。そして気がつけば「自分もプーさんみたいな在り方をしたい」と思うようになった(これは実話ですw)。

プーさんとコマさんは同じか、というと全然同じではないのだが、「在り方」は比較的近いと言えるのではないか。つまり「素朴さ」や「純朴さ」と、「バカさ」や「田舎者加減」が紙一重で、絶妙のバランスで同居しているのだ。ここが大好きなのだ。

コマさんやプーさんのような在り方は、常々オレにとっては憧れなのだ。例えばオレはランディー・ローズというギタリストに憧れてギターを始めた。それと同じなのだ。ギターはランディー・ローズ、在り方はプーさん…同じことなのだ。

今でも自分にとってのロックンロールヒーローはいっぱいいる。オジー・オズボーン、ジョー・ストラマー、ジェームズ・ヘットフィールド、エリック・クラプトン、スコット・イアン、ブライアン・セッツァー、ジョン・レノン、エルビス・プレスリー、チャック・ベリー、ヒロトさん&マーシーさん、ファット・マイク…挙げればきりがない。ここで思うのだが、ロックンロールをするのに、ロックンロールからのインプットだけしか出さないなんてもったいない話なのだ。ギター弾いてガツーンと格好をつけている時に、自分の中にキース・リチャーズとくまのプーさんを同居させればいいのだ。オレはギターを弾いて人前に出るようになってから今日までずっと、実はそれを大事に心に持ってやっている。

…脱線したが続いての魅力、コマさんが首にかけている唐草模様の風呂敷、実はこれにもやられた。我々の世代では唐草模様の風呂敷といえば「泥棒」なのだがwww…しかしなんだかそれを首から下げてるコマさんが、とても優しい気がしたのだ(猛爆)日本の伝統品を身にまとい都会で奮闘する、しかも都会でもそれを外さない…それだけで泣けるじゃないか。上記したように、日本中を転々としたコマさん。その風呂敷を首にかけて、一体どれくらい「ニッポン」を見てきただろう。制作者は唐草模様の風呂敷を単に「田舎者」または「昔のもの」の暗喩として用いたのであろうが、これは完全にその枠を飛び越え、ある種の反応を起こし、奇跡的に「二次的な何か」を生み出している(オレの中でだけだろうけれどもw)。

ちなみに…最近オレもライブで唐草の風呂敷を首にかけて登場する(猛爆)初めてそれをした時、風呂敷の中にズボンとパーカーを入れたのだが、これが結構重い。はっきり言って頸動脈が締まる。つけてステージに出て「Running On The Winding Road」を弾き始めたのだが、イントロでブラックアウト寸前になってしまい(つまりオチる寸前w)、ギブアップした。それ以降は主にヒートテックなど軽いものを入れ、しかも1曲目が始まる前に外すようにしているwww

しょうがないのでギターのストラップを唐草模様のものを作ってもらった(猛爆)最初は市販品を買ったのだがどうもしっくり来ず、神田商会の重田さんに相談したら手作りでやっているストラップ作りの方に相談してくれて、特別に作ってくれたのだ!このストラップは Gretsch の「ベイビー」につけているので…「Yellow Trash Blues」を演る時なんかにはステージに登場する。「Yellow Trash Blues」は40代半ばの自分自身を、自虐的にではあるが明確に捉えた歌なので、そこにコマさんの要素が入り込んでもなんら不思議はない…というか「あるべき」である(まぁ勝手にしろって感じですよねw)。

 


「ベイビー+唐草模様のストラップのコンビは絶妙なんずら。@大阪 難波ハッチ Photo by Nariaki Ueda」

 

そういえば昨年末に開催された先述の大阪 Radio Crazy でも唐草風呂敷は登場した。オレ達の次の出番が、なんと東京スカパラダイスオーケストラだったのだ。男前集団だ。オレは密かに…風呂敷の中身をタオルと水に変えて、差し入れする機会をうかがっていた。でもライブが男前すぎて、そんな事できる隙はなかった。しかしチャンスが巡ってきた。その日の参加ミュージシャンがステージに呼ばれたのだ!オレはちょっと萎縮していたが、パーカッションの大森さんにみつかりステージに引っ張り出された。そこで一通りタオルと水を配る事ができ、なぜか首に風呂敷をつけたまま、片平里奈ちゃんと肩を組んでラインダンスをし始めた。少しすると所在がなくなり、他の人の首に風呂敷をかけて遊び始めた。まずスカパラのギターの加藤くんにかけてみたら、やっぱりプレイ中なので若干邪魔そうだったのですぐに外し、次のターゲットを…。ドラムの脇あたりになんとなく佇んでいた The Birthday のチバくんを発見した!これは千載一隅のチャンスと思い、チバくんの首にかけようとした。そしたらチバくん、異様に拒むのだwwwそりゃそうだ、アーチストイメージというものもある。本当に足を踏ん張って「イヤだよ!イヤだよ!」と言ってる。帽子もかぶっていたので首にはかけづらかったというのもある。そこでオレは体を突っ張って拒否るチバくんの頭に風呂敷を引っかけてみた。そしたら観念したチバくん、体の力がスッと抜けた(猛爆)そして誘われるままにステージの1番前に出て、唐草風呂敷を首にかけたままスカダンスを始めた!この姿はいくらチバくんファン歴が長い人でも、滅多にお目にかかれるもんではなかったのではないか…。そしてオレの風呂敷は曲が演奏されている間いろんな人のところをお邪魔し、曲が終わった時にはスカパラの谷中さんの首にかかってた。これもかなりレアだったと思う。というか谷中さんも首に何かをかけられたのはわかっただろうが、まさかそれが唐草風呂敷だとは知らなかったのではなかろうか…。でも終わった後もみんな笑顔でいてくれたので…誰も怒ってはないと思う(猛爆)

これにはちょっとした後日談があって、今年に入ってチバくんと話す機会があった。その時にチバくんからその件を話題にしてきたのだ!

「あれ…去年末のあれ、おもしろかったなぁw」

「いやー、チバくんがあれかけてスカダンスとか最高でしょ!」

「あの唐草模様ってさ、なんか横山くんのトレードマークなんだって?」

チ、チバくん、あれはオラのトレードマークじゃなくて、コ、コマさんのトレードマークなんずら!(汗)

「よ、妖怪ウォッチっていうアニメがあってね、そ、それの…」

「アニメかぁ…よくわかんないけどさぁ…」

これ以上は相手にはしてくれなかった。

話を戻そう。もう考察もクソもない。好きなものは好きなのだ。なにかを好きになることに理由なんか要らないのだ。

昨年からよく口にしていることなのだが、だいたいの夢を実現してきたオレだが、そんなオレにも新しい夢ができた。

それは「コマさんに会いたい」。

コマさんの着ぐるみに会いたいわけではないし、妖怪ウォッチに出たいわけでもない…いや、それは出れるなら出てみたいが。ただ、そういうことではないのだ。

本物のコマさんに会いたいのだ。

ツアーに出ると日本中の街角を探してみるのだが、やっぱり…というか、まだ、コマさんは見つけられない。そしてメンバーに「この街にもコマさんはいなかったなぁ」と結果を報告すると、…なんというか、「可哀想な子」を相手にするような雰囲気で相槌を打ってくるのだ。

一度ツアー中の車内で「もしコマさんと会ったら、オレなにを話すのかなぁ」と言ったことがあった。しばらくの静寂が車内を包み、それを破ったのはミナミちゃんのこんな提案だった。「…コマさんの声優さんと対談するんじゃダメなんですか?」答えはひとつ、それではダメなのだ。もしかしたらあの声を聞いたら、対談したら、それはそれで感激するだろう。すごく楽しいのかもしれない。でもオレの夢は叶ったことにはならない。

オレは、本物のコマさんに会いたいのだ。

…いや、自分でももはや正気ではないってわかっているw これは「宇宙旅行したい」よりもハードルが高い。いや、ハードルとかそういう次元ではないのもわかってる。でも会いたいと思ったもんは会いたいのだ。

とはいえ、これは叶わぬ夢だとわかっている。いつでも希望は捨ててないが、ほぼ無理だとわかっている(シャブでも打てばry)。

だから自分に言い聞かせるのだ。「実現可能な範囲の夢なんて、もうオレにとっては夢じゃないんだ…」とか「人が思わないようなことを思うから、今の横山健になったんじゃねぇか」とか…。

そんなある日、ツイッターである絵を発見した。オレがギターを弾いて、コマさんが笑っているのだ!…なんかオレは「あ、これでいいんじゃないか!」と思ったのだ(猛爆)つまり、「夢が実現した」って感じたのだ!

この絵を描いた「きたのさん」という人は、たぶんライブに来てくれている方だろうし…ということはオレがどれほどコマさんが好きなのかを知っているのだろうし、ライブで「コマさんのテーマ」を弾くのも知っているのだろうし、つまりオレがコマさんと会いたいと願っているのも知っているのだろう。

オレは、オレがコマさんの世界に入りこむか、あるいはコマさんがオレの住む世界に出現するか、そのどちらかしか案としては持っていなかった。そうなのだ、「オリジナルの絵」という世界があったとは!

 


「きたのさんが描いてくれたオレとコマさんの絵。何歌ってんのかなぁ?Dream Of You かなぁ?(猛爆)この絵は現在オレのツイッターのアイコンとしても使わせてもらっています。あー、温かくて素敵な絵ずらねぇ…。」

 

絵を描けるって素晴らしいことだ。絵に限らず、なんでもそうなのだ。服飾でも、演技でも、料理でも、大工でも、医療でも、サービスでも…なんでもそうなのだ。

オレは音楽ができる。それは自分にとっては当たり前のことなのだが、しかし楽器を触ったことが全くない人からしたらとんでもない技術なわけで。あぁ、こんなシンプルだけど大事なことを武道館前に思い出せて…いや待てよ、今回ほど思ったことはなかったかもしれない…こんな大事なことを気づかせてくれてと言った方が正しいかもしれない!ありがとう、コマさん!あ、いや、きたのさんかな!

…もう話の落とし所もわからなくなってきたのだが…つまりなにが言いたいかというと、あなたもあなたが持っているスキルで、誰かを思わぬ形で幸せにできるんじゃないでしょうか?ということだ。

2016.03.03

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