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『横山健の別に危なくないコラム』

Vol.91

「Hi-Standard」

11月から12月にかけて、2012年の Air jam 以来3年振りにハイスタとしてライブした。3本やったのだが、全部フェスというかイベント形式というか、ハイスタの単独ライブではなく、人に誘われてたくさんのバンドの中のひとつとして参加させてもらったライブだった。だからフル尺の1時間半や2時間ではなく、40分とか50分とか若干短めではあったが、3本ともとても意味のある、とても楽しくライブをやれた。

「意味がある」と言ったが、3本とも本当に参加する意味がハッキリとあったので、ハイスタで参加させてもらったのだ。

まず1本目は Brahman 20周年ライブ。Ken Band ではなくハイスタで誘われた。ダメ元でハイスタでって言ってるだけという感じだったが…この時はなんとなく「よし、やってやるか」と思えた。たぶん気分的に借りがあったからだ。Air Jam 2011 が開催できた背景には、トシロウとの口論が大きくある。もし 2011 がなくとも、2012 を東北で開催する申し合わせは、震災直後にハイスタの3人でしていた。しかし「それではスピード感が足りない、2011年内にやらないと」と口にしたのはトシロウだった。その借りを返したいと思った。

続いて2本目、アメリカの Fat Wreck Chords (ファット・レコーズ、と読みます。)の25周年イベント。Fat は NOFX のシンガー/ベーシストである Fat Mike が運営するインディー・レコード・レーベルで、ハイスタは海外では Fat 所属のバンドなのだ。もうちょっと詳しく言うと、日本では Pizza Of Death、日本以外では Fat から CD を出しているのだ。ハイスタの1st フルアルバム「Growing Up」は 1995年に Fat Mike プロデュースでサンフランシスコでレコーディングされて、Fat Wreck から全世界に向けて発売された(当時の国内盤はToy’s Factory)。ハイスタのアルバムに輸入盤があるのは、そのためである。Fat のバンドとして、アメリカの並み居るバンド達とのツアーも多数敢行、アメリカ、カナダ、ヨーロッパにも何度も行かせてもらった。Fat はオレ達を世界に紹介してくれた「恩人」なのだ。そんな Fat Wreck が 25周年を迎え、様々な国で 25周年記念ライブが開かれていたが、それが日本に上陸するのでハイスタで出てもらえないか?と Fat のスタッフから連絡があった。ちょうど Brahman 20周年の開催日と同じ月だったので、これも受けることにした。

タイミング良く2本のライブをすることになった。そこで頭をよぎったのが、札幌の POWER STOCK。ご存知 Slang の KO ちゃんがやっているイベントだ。ハイスタが活動を停止したのは2000年の夏、Air Jam 2000、千葉マリンスタジアムだった。これを除いてライブハウス規模での最後のライブとなると、2000年3月の札幌 POWER STOCK になる。ごく一部ではあるが、実質ハイスタの活動は札幌で止まったんじゃないかと思っている人もいる、と聞いた。じゃあせっかくハイスタが動くんだから「そうじゃないよ」とライブしに行くのもいいかな?と思った。実際にそう思っている人がいるとしたら、「ほら、また札幌に戻ってきたよ。いろいろ変わったけど、よくなった部分だってあるよ?」と見せるのもいいな、と思った。それからなにしろ、KO ちゃんが喜ぶ。そんな動機で自分からすすんで「ハイスタで出たい」と申し出た。

そんな風な、「借り」「恩」を返せるタイミングが、たまたまこの時期にうまく3つ重なった。

 


「ハイスタとのセルフィーを撮る NOFX の Fat Mike。右から2人目はハイスタのレコーディング・エンジニアとしてお馴染みの Ryan Greene。Photo by TeppeiKishida」

 

ライブは、と言うと…もうどれも「最高だった」としか言えないくらい楽しかった。オレも「ハイスタでいること」を満喫できた。これは映画「横山健 ~疾風勁草編」をご覧になった方々からしたら、夢にも思わなかったことだと思う。しかしあれから3年、4年経ち、居心地が良くなったのだ。
なにしろメンバーのそれぞれのコンディションも、3人の関係性も非常に良いのが嬉しい。昔には戻れない、それは言葉にすると残酷だけど事実なのだ。3人で良くそれを考えながら、Air Jam 2011 以降、新しいハイスタの在り方を模索し続けてきた。その効果が出てきたというのか…実際やっているのは古い曲ばかりだけど、演奏しているのは「新しい関係性の3人」という感触が大きくあるのだ。小難しい話だけれども、これがオレ達3人にとってはとても大事で、それがあるから活動停止期間が長くたって、古い曲ばかりだって、嘘偽りない気持ちで「Hi-Standard」として人前に出れるのだ。とても嬉しかった。

オレ個人的には、いろんなギターを持って行って、とっかえひっかえ弾けたのが新鮮で楽しかった。今回の3本のライブでは Navigator のハニー、Gibson のフレディー、それに Gretsch のケニーファルコンを弾いた。Fat の日は最後に、亡くなった No Use For A Name の Tony Sly へのトリビュートステージが開かれ、その日出演したバンドの人たちが、いろんな No Use の曲を演奏した。ハイスタは少しだけ特別扱いしてもらって、ハイスタの3人プラスシンガーという形で3曲やらせてもらった。Lagwagon の Joey と「International You Day」、Strung Out の Jason と「Soulmate」、そして最後に NOFX の Fat Mike を迎えて「Justified Black Eye」をやった。この Fat Mike との演奏の時に、90年代に自分が No Use とのツアーでたくさん弾いた Navigator の黒カスタムタイプ「スケート」を、実に17~8年ぶりにステージで弾いた。実は裏話もあって、2000年代に No Use が来日した時、「荷物を少なめに持って行きたいから、バックアップ用にギターを貸してくれないか?」と言われ、オレは「スケート」を貸した。ダウンチューニングの曲で使ったらしく、弦もボロボロになって戻ってきたのだがw、毎晩ライブで弾いてたようだ。そんなのもあって、あのギターを No Use の曲で弾けたのは嬉しかった。

話は変わるのだが…自分で言うとかなり野暮だが、どのライブに於いても、ハイスタが演奏している時のお客さんの様子がすごかった。近年お目にかかったことがないくらい、興奮しているのが伝わってきた。でもそれは、オレ達が嘘偽りない気持ちでステージに立ってたから、それに対する反応だったのだろうと思う。まぁそれに…みんな待っててくれたのだろう。

でもオレ自身も改めて思ったのだが、なんちゃんのあの声、あれこそがハイスタなのだ。そこにつねちゃんの独特なドラミングとオレのマイペースで雑なギターとコーラスが乗ると、完全にハイスタになる。どれもが日本の宝だと思う。
ハイスタは「奇跡のバンド」と言われるが、本当にそうなのかもしれない。

だから当然というべきか、目の前のお客さん達からのハイスタの求められ方というのはすごい。自分もその一員でありながら、若干引くほどだ。引くというのは冗談だが、それだけすごい熱量なのだ。

そこでやる側として思うのだが…その場はもちろんそれで良い。求めてくれる人たちにとって必要なものは「ハイスタがいる」という目の前の事実なのだから。しかしそこで、やる側も一緒になって楽しんでるだけじゃ若干マズいのだ。オレが考えるに…今後も求められる存在であるためには、新曲が不可欠だと思う。仮に誰からも新曲など求められていなくても、現在進行形のバンドであるためには新曲が必要なのだ。だから3晩どこのステージでも言ったことだけれども、「次ハイスタとしてステージに上がるときには、新曲の一つでも持ってきたい」、それをやりたい。

オレ達はやる気だ。どんくらい時間かかるかはわかんないけど、とにかくやる気だ。

あちこちで発言している通り、メンバー3人ともやるべきことがある。なんちゃんは NAMBA69、つねちゃんはチャットモンチーや恒正彦を初めとした様々なドラマーとしての活動、そしてオレは Ken Band。それらの間を縫うようにして、ハイスタの次のために密会を重ねていこうと思う。

 

ここでちょっと言っておきたいことがある。中には「そんなの全部たたんでハイスタに専念すりゃいいのに」、こうお思いの方も多かろう。実際に身近にもそういった人はいる。

でもそれはできないし、できたとしてもしない。何故か…それぞれの活動がそれだけ大事だということ。ハイスタ「よりも」大事かとか、オレ達にとってはそういう2択ではない。理由はなく、大事なのだ。むしろ全部たたんでハイスタに専念したら…それはそれで上手くいかないのでは?とも思う。

これはオレの気持ちの話だが(つまりなんちゃんとつねちゃんはどう思ってるかは知らんが、という話)、「全部たたんでハイスタに専念して…」なんて言われると、「じゃあ Ken Band のメンバーの人生をどうお考えか?」と問い詰めたくなる。ちょっとデリカシーのないバカなんじゃないか?と思う。まぁ実際に正面切ってそんなこと言ってくるやつはいないがw、人づてにたまに聞いたりするのだ。お客さん、リスナーだったらまだわかるが、バンドマンでそれは、悪いけど(別に悪くないけどw)神経を疑う。お客さんをみてもやっぱりそういう人がいてもおかしくないなという求められ方をハイスタはしているので、「それはできないよ、そのつもりはないよ」という意味で一応記しておく。

Ken Band がオレの日常であって、今日思ったことを明日やれるのは Ken Band なのだ。

ハイスタはデカい生き物みたいなもんで、動くペースもゆっくりが心地よいのだ。

良くわからない人からしたら、Ken Band もハイスタも変わらないんだからどっちかにすれば?という疑問もわかるが、実はバンドの構造も、精神性も、まったく違う、それぞれオレには必要な2つのバンドなのだ。「理解してくれ」とはお願いできないが、「へぇー、そうなんだ」程度には認識してもらえたら嬉しい。

ここまで話したら、今度はポジティブな気持ちをぶっちゃけて話そう。

オレは次のハイスタの動きが楽しみでしょうがない!絶対に大変だと思うし、そう簡単に物事が進まないというのもわかっている。でもとてもワクワクするのだ。何故なら、今回の3本、すごく良いライブをしたから。そして繰り返しになるが、バンド内のコンディションがとても良いから。だからハイスタにしかできないことをまたできるんじゃないか?とワクワクしてしまうのだ。

上手く物事が運べば 2016 年になにかできるかもしれない、2017 年になってしまうかもしれない…2年先の話とかなったら、その頃にはオレなんかもうおっ死んでるかもしれない。もし死んでたとしても「ああ、健はハイスタをやる気はあったんだなぁ…」と思って欲しいw だって「健がやる気ないからハイスタが動かない」って思ってる人もいるでしょ?だから「そうじゃねぇよ」と言っておく。

話は飛躍するが、本当に自分の人生にこういうことが、こんな日々が待っているなんて予想もしていなかった。ハイスタは一度自分の中で、完全に過去の存在になった。メンバーとも疎遠になった。気持ちは冷え切っていた。いろいろ周りの人にも言葉をもらったし、気も遣ってもらったが、戻らないもんはしょうがない。それが東日本大震災があって、自分の気持ちを切り替えないといけないほどの事態を目の当たりにして、無理やりハイスタに戻ろうとした。戻るには戻れたのだが、ところが…器だけ整えても中身はそう簡単に取り戻せるものではない。

ハイスタの3人にとって、実はここからが本当の勝負だった。

「仲が悪くてどうこう」とかはもう昔話で、バンドの体を取るくらいできるのだ。

本当のバンドに戻るには、そこから先が大変だった。

オレ達は焦る気持ちも抑えて、少しずつコンディションを取り戻していった。

そしてついに今年、自分がワクワクしてしまうくらいのバンドに戻ってきたのだ。

その道のりは言葉にならないくらいドラマチックで…気持ちの面でも、もちろん音楽面でも努力が必要だけど、そこもひっくるめて全てがドラマチックに、今は思える。

しかもまだここから先に、道を作ろうとなっているのだ。物語は全然半ばで、ストーリーはまだまだここから続いていくのだ。

 

オレもこんな気持ちになるとは思っていなかった。こんな時が来るなんて思っていなかった。

Ken Band も大切、そしてもちろんハイスタも大切だ。

オレは来年も Ken Band をメインに活動する。そして繰り返しにはなるが、水面下でハイスタの次を着実に作っていきたい。

 

なんちゃんがよく言うんだけど「人生ってすげぇ」って。

そうだね、生きるってすげぇよ。

 


「札幌 Zepp “POWER STOCK 2015″でのハイスタのステージ。リラックスしてていい感じ、楽しかった。弾いているのは Navigator の Honey。Photo by Teppei Kishida」

 

 

「Ken Band」

2016年、まず Ken Yokoyama の「Sentimental Trash ツアー」の後半に突入する。Ken Band もバンドの状態がかなり良く、オレの暴走にも拍車がかかり(猛爆)、以前にも増してめちゃめちゃ独特なライブを展開している。さらに「Sentimental Trash」の楽曲達がとても良いアクセントになり、今までの Ken Band になかった会場のノリも生まれ始めている。可能性は広がる一方だ。

そして3月10日には日本武道館にて、自身2度目の武道館公演「Dead at Budokan リターンズ」がツアーの終着点になる。

この公演、お陰様でチケットは速攻でソールドアウトした。ピザオブデスのISOちゃんに「こんなに早く売り切れるなら…2デイズやればよかったね!」なんて調子に乗ったこと言ったら、「…そうなるとまた話は違うことになると思います」と冷静に分析され「ハッ!」とした(猛爆)

この公演で事故もなく上手いこと行って、なおかつ楽しかったなんてことになれば、また「次はいつやろうか」なんて話になる可能性だってないわけじゃない。自分の気力やテンションにもよるのだが、なるべく行けるところまで行こうと思っているので、その可能性だってなくはない…。まぁわかんないけど。

今度の武道館は、前回用意した「Dead At Budokan」のような曲は用意せず、特別なこともせず普通にやるつもりだ。ただ1点、なんで一緒にやるバンドとして Slang を誘ったかというところだけ、皆さんで感じてみてほしい。

武道館が終わったら、しばらくはあちこちショートツアーで周るつもりだ。なんだかんだで、もう夏くらいまでの予定はなんとなく見えている。

それらを実現させるためにいろんなことを仕込んでる段階なので、ぜひ楽しみにしていてほしい。

絶対に「ゲッ!」とか「ウォー!」とか思わせることをして、観に来てくれた人には楽しんでもらい、初めて Ken Band のライブを体験する人には「一生忘れられない光景」を見せる自信はある。

是非、動向に目を光らせておいて欲しい。

 


「『Sentimental Trash ツアー』横浜 Bay Hall にてずら。『Yellow Trash Blues』の終わりにアドリブで『コマさんのテーマ』を弾き始めたがメロディーを忘れてしまったため、お客さんに教わっているところずら。Ken Band のライブはそういうライブずらー。Photo By Yuji Honda」

 

 

「Kenny Falcon Jr.」

Gretsch より「Kenny Falcon Jr.」のリリースが正式発表された。9月にリリースしたばかりの「Kenny Falcon」も大変ご好評をいただいている。Jr. は横山健シグネイチャーモデルの第二弾だ。

Kenny Falcon と Jr. の違いをザッとお伝えしよう。まずご覧の通り、色が違う。Kenny Falcon は Gretsch 伝統のカラー「キャデラック・グリーン」でキメた。Jr. はオリジナルカラーを採用、つまり似た色はあれど自分たちで生み出した新しい色なのだ。イメージとしては「サーフ・グリーン」や「シーフォーム・グリーン」よりも少しだけ濃く、青の成分を強くし、そこにメタリックも少し加えるという手の込みよう。工房の方々も根気強く色出ししてくれて、すごく良い色ができたと思う。それに「初夏の緑」という意味の「アーリー・サマー・グリーン」と名付けた。

 


「もんげー!これが「アーリー・サマー・グリーン」を身にまとった Kenny Falcon Jr. ずらー!」

 

続いて肝心なサイズ、これが結構肝になる。Kenny Falcon はボディー幅が17インチ、フルサイズのフルアコだ。Jr. は少し小ぶりな16インチ(正確には15 3/4 インチ)。ネックも Kenny Falcon はロングスケールだが、Jr. はレギュラーのスケールにしてある。なので17インチのファルコンだと大きすぎて扱いが難しい、なんていう人にとっても Jr. は相当取り回しが良くなっているはずだ。

しかし…17インチだろうと16インチだろうと、やっぱりファルコンの音がするのだ。これはオレの推測なのだが…たぶんあの独特なヘッドの形状とその質量がファルコンサウンドの肝なのではなかろうか?別の16インチの6120と Jr. が似ているかというと、構造上はほぼ同じはずなのに、似ていない…と言うか若干違う。やはり16インチなのにファルコンのサウンド、そしてテンション感が存在するのだ。なかなか興味深いポイントだ。ただ強いて言うなら、Kenny Falcon はファットでローが豊か、Jr. はシャープな印象、それくらいの違いはあるのだが。

そして装飾。ハードウェアはほとんど同じなのだが、決定的に違うのがロゴとネックのインレイ。これでギターの表情は相当変わる。Jr. には憧れの「ヴァーティカル・ロゴ」を、ネックには「フェザー・インレイ」を採用した。さらに Kenny Falcon にはヘッドに名を冠したプレートが取り付けてあるが、Jr. はヘッド裏に「Kenny Falcon Jr.」の Tiki ロゴを入れた。ダイスケホンゴリアンが描いてくれた。アルバム「Sentimental Trash」のジャケにも、このロゴはこっそりと登場している。

 


「そして、これがヘッド裏の Kenny Falcon Jr. のロゴずら!」

 

発売はまだ公表されていないが…2016年の早い時期になるのではないか?と思う。神田商会のホームページ、Gretsch の Facebook にいち早く情報が載るので、是非チェックしてもらいたい。

Gretsch とはまた別のギターの開発の話をしている。前からなんとなく話している廉価版のギター、それから他のモデルの話、まったく新しい発想の話…いろいろ考えている。実際どこまで実現できるかはわからないが、とにかくいろいろ考えて、話し合いをしている。とてもアドレナリンが出てしまう。

オレは現在12本の Gretsch のギターを所有している。そして上記のように、また新しいモデルでもできたらその分さらに増える予定だ。趣味で思わず買ってしまうモノもあろう…。こうなってくると思うのだが…いずれは Gretsch だけで弾く曲でアルバムを作りたい。インストと弾き語りっぽい感じを混ぜて、それを全部違う Gretsch で弾く。Ken Yokoyama のアルバムとは違う、「ギターアルバム」だ。あー、やりたいなぁ。

 

それは Ken Yokoyama として出すわけにはいかない、だって Ken Yokoyama は4人のバンドだから。だから新しく自分の名前を考えなければいけない…悩ましい事態になりそうなのだ(猛爆)だって Gretsch だけでアルバムを作るとかそういった「プライベート的なこと」が本来 Ken Yokoyama として世に出るべきで…でもこれにも筋の通った事情があるのだ。

Ken Yokoyama の1st アルバムはとても「プライベート的な」アルバムのつもりで作ったのだ。それがライブをしてみたくなり、メンバーを集めツアーを始め…案外バンド然とした活動をし始めた。それは1st アルバムを作った時には想像もしていなかった。そうなると「バンド名変えよっか?」なんて話にも当然なる。確か3枚目のアルバム「Third Times A Charm」の頃だ。でもそれをすると「じゃあ Ken Yokoyama として出した1st と 2nd はなんだったのか?」ということにもなってくる。一貫性がなくなってきて、お客さんも混乱して「…なんなの」と思われるのはイヤだった。そんな経緯で Ken Yokoyama のまま行くことにした。

だから逆にこういった「完全にプライベートな作品」は別の名前でやらざるを得ないわけだ(猛爆)まぁ本末転倒というか…頑固にやってきた結果、こうなってしまったわけだ。

でもなんとなく「プライベート作品用」の新しい名前のアイデアはある。然るべき時がきたら発表するので、笑う用意だけはしておいてもらいたいw

でも Ken Band の合間を縫ってハイスタをやっていくわけで、そのまた間を縫って作っていかなきゃいけないので…できんのかなぁ?

でもまぁ「イメージできたことは実現できる」、それがオレの信条なので、いずれやろう!

2015.12.26

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