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『横山健の別に危なくないコラム』

Vol.89

「シングル『I Won’t Turn Off My Radio』」

皆さんすでにご存知だと願うが、7月8日に Ken Yokoyama 8年振りのシングル「I Won’t Turn Off My Radio」をリリースした。

このシングルには、タイトル曲とアルバムには収録されない3曲、合わせて4曲が収録されている。最近取材を受ける機会が多くて、ライターの方々からの質問に答えているうちに少しずつ自分でも、遅ればせながら「このシングルの意味」が見えてきた。というか、言語化できるようになってきた。いろんな場所を借りてすでに発信済みの意見もあるが、今回はそういうことを改めてまとめてみたい。

まず「なぜシングルを出すのか?」…Ken Yokoyama の最後のシングルは「Not Fooling Anyone」、つまり2007年の3枚目のアルバム「Third Times A Charm」のタイミングだった。もう8年も前になる。その後4枚目の「Four」、5枚目の「Best Wishes」と、シングルも出そうと思えば出せたタイミングはあったはずだ。でもなぜ出さないで、8年経った今また出すのか…。

実は「Not Fooling Anyone」をリリースした8年前、「もう今後シングルは出さなくていい」と思ったのだ。意味も刺激も感じなくなった。期待と興奮を以って、労力をかけて1つのパッケージにする、その見返りが金銭的にも精神的にもない、つまり売れないしおもしろくもない。だったら、むしろ何故作る必要があるのか?と自然に考えるようになった。

デジタルでの配信も容易になり、1曲単位で買えてしまう状況が以前より浸透しつつあった頃なのだから、こちら側がコンセプトを持って「この4曲で1つのパッケージとします!」と声明を出すようなつもりで作品をリリースしても、ただの一方通行で終わってたのだ。その一方通行に虚無感を覚えたと表現すれば良いだろうか…。

 

今考えれば、しょうがない流れなのだと理解できる。リスナーやユーザーはミュージシャンの想いなど汲む必要はないのだ。「これこれこういう想いを込めてこういうパッケージを作ったから、全部聴いて!アートワークまで意味があるんだから!」…そう叫ぶのはミュージシャンの単なる願望で、リスナーは好きな環境で、好きな曲を、好きな聴き方をすれば良いのだ。いまならそう理解できる。しかし8年前のオレはそうは思えなかった。

だから怒っていた。

その頃のこうしたオレの怒りはとても傲慢だったが、ある意味では素直だったし、近年の自分の精神にも直結しているので、とても有意義な怒り…というと変な表現だが、必要なものだったと今では思う。「近年の自分の精神」とは、つまり「いろいろ通過した挙句、どうでもよくなった」のだ。

8年経って、シングルなんてものの意味も、ロックバンドとしてほぼなくなり…J-Pop やジャニーズやアイドルグループ達にとっては大事なフォーマットなのだろうが、ロックバンドにとっては別に要らないものになった。

その証拠に…引き合いに出すのも気がひけるが、2014年のシングル年間売り上げのトップ20でも調べてみてほしい。見事なまでに AKB、嵐、SKE、EXILE…アルバムになるとまだ少しは違うのだが、シングルという場所がいかにそういった彼らの主戦場になったか、逆説的にロックバンドがどれほどその場所で活躍していないか理解できると思う。

繰り返しになるが、ロックバンドにとってシングルの必要性なんて、ほぼ皆無に等しい。

だからやるのだ。

別に「売って、あそこらの連中に食い込んでいきたい!」とか、天に誓って思ってない。食い込みたくても、絶対に食い込めない(猛爆)

じゃあ意味がないんじゃないのと思われるだろうが。

意味がないからやるのだ。

いや、意味がなくなったから、意味が出てきたのだ。

 

ちょっとポジティブに言うなら、以前のような意味はなくなったが、ここまで来たら逆に新しい何かがあるんじゃねぇかと求めてやるのだ。

皆さんご存知のこととは思いますが、オレはややこしい男なのだ。

 

さて、今回はシングルもアルバムもまとめて録った。3月に梅ヶ丘で、4月に登戸で、と時期もスタジオも変える変則的な録り方をした。録ってから「この曲はシングルへ、この曲はアルバムへ」と振り分けた。オレらしくなく、すいぶん手間をかけた。それにもいくつか理由がある。

実は今回の楽曲、今までと若干テイストが違うのだ。Best Wishes ツアー後から新曲を書き始めたが、その頃オレは機材が変わってきていた。このコラムでも頻繁に出てくる「箱モノギター」にはまり始めた時期だ。不思議なことで、弾くギターの種類が変わると、やりたい音楽も変わってくる(オレはこの現象を「音楽性が楽器に引っぱられていく」と表現している)。

今までにはない経験だったので、とても新鮮だった。新鮮なのはとても良いことなのだろうが、それはオレ1人だけ新鮮な気分になっているだけであって、バンドのメンバーは…新鮮な気分になっているオレを見てはいるものの、同じように新鮮な気分かというと、それは必ずしもそうではない…。

とても回りくどい言い方をしたが、つまりオレ1人だけ、勝手に新鮮になってただけなのである(猛爆)

なのでそれを…新鮮な気分にひたって、新鮮な気持ちで取り組もうとする楽曲のアイデア達を、バンドのメンバーに理解してもらうという作業がなかなか大変だった。

だって「新曲のアイデア持ってきたんだけど…」と言うと、メンバー達は「なにか 『Your Safe Rock』 や 『Save Us』 のような複雑なリフを作ってきたのかな…?」とか期待するわけだ。しかし新鮮な気分のオレは、子どもが初めてロックンロールを聴いた直後の鼻歌のようなリフを弾き始める。…みんな、黙っちゃうしかないのである。でももちろんオレだって、着地点は見えてないとしてもそれで終わらせるつもりはなく、「Ken Band でやる必然性」みたいなものをメンバーと一緒になって探したいわけで…そのあたりはフィーリングの問題なので言葉で説明するのはとても難しく、ずいぶんとメンバーを悩ませたものだ。

そうやって、今までの Ken Band にとってはとてもシンプルであり、かつ難しいお題にトライしていった。

 

そんな新曲達が「今までの録り方でちゃんと希望の音像で録れるのか?」「安全策を取るか?、でも冒険もしたくないか?」「今までしなかったことにもトライしてみるか?」…結果オレ達はトライすることを選び、そのあたりのことが理由でレコーディングを2つに分けたりした。

レコーディングの少し前のインタビューで「聴いている方は音の良し悪しなんか分かりゃしない」という趣旨の発言もした。「ちょっと乱暴にも聞こえますが」と言われたが、暴言じゃない。アナログもデジタルも分かりゃしない、本当の楽器の音なのかサンプル音なのか、コアな音楽ファン、または一部の音楽関係者以外には分かりゃしない。いまでもそれはそう思ってる。事実そうだ。だって皆さん、「悪い音楽の再生環境」がデフォルトなわけだから。だから暴言ではなく、妥当な現状認識なのだ。いくら良くなったとはいえ、パソコンやスマホで再生する音楽の音はひどい。YouTube の音なんてクソみたいなもんだ(まぁこのへんの話は、ギターマガジン誌に3ヶ月に1度という若干謎めいたタームで連載中の「続・Sweet Little Blues」で書いてるので、そちらを参照していただきたい。高音質を「ライオンの金玉」、クオリティーの低い再生機器を「ひよこの金玉」になぞらえて、わかりやすく説明してあります)。

しかしシングルに対する考えと一緒で、リスナーは好きな環境で聴けばいいのだ。「高音質で聴いて欲しい」なんてミュージシャンの独りよがりにすぎない。…あれ、もしかしたら、これはミュージシャンとして言ってもいいことなのかな?いや、希望はそうだが、こちらから強要はできない。時代の流れとは恐ろしいものだ。だってもはやパソコンにはドライブすら標準装備していなく、若い子は CD の取り込み方すら知らないというのだから(そりゃ CD なんて売れるわきゃーない)。

音楽の再生を取り巻く環境は「過去最悪を更新中」なのである。

そんな最中に「新しいことにトライする」だの「スタジオを分けて録る」だの「シングルをリリースする」だの、とても不経済なことをオレは自ら望んでしたのだ。

もう一度言うが、なぜそれを望んだのか。

そこに意味がなくなったからだ。

オレはホントにめんどくさい男なんだ…が、きっとミュージシャンに性は合ってるんだと思うw

話がふくらんでしまってめんどくさいも度を越してしまったので、軌道修正しよう。

曲自体も「シングルを作ることを前提に書き進めてたわけではない」ので、アルバムのこととシングルのことを分けて話すのは非常に難しい。

ところが曲を振り分けて1つのシングルにしてみると、偶然にも意外なコンセプトがあることに気がついた。「古くなってきている自分を俯瞰して、後の子ども達に教える」ようなシングル、つまり先生的というか、親的というか、教育的というか…我ながらとても優しい(猛爆)

 

曲ごとのちょっとした解説を。

1曲目に配したのは「Dance, Sing, Then Think」という曲。「暴れて、歌って、それから考えよう」という意味だが、これは2014年の京都大作戦に出演した時の自分の口から突発的に出たMCが歌詞のアイデアだ。

京都大作戦は素晴らしいフェスだ。この一言を持ち帰ってくれる人だっているはずだ、とステージ上で感じたのだ。この時期、国会では「自衛隊法改正」で揺れていた(まだ揺れまくっているが)。

フェスの場に於いては、せっかくお金を払ってチケットをゲットしてきてくれているのだから、お客さんみんなに楽しんで欲しい。それぞれ好きな音楽で踊って、歌って、美味しいものを食べて、いろんな人と知り合って、良い1日にして欲しい。でも「あー楽しかったねぇ!来年もモッシュしたーい!」、それだけじゃ寂しいじゃない?それだって人それぞれなんだから、別にそういう人がいても全然いいんだけど、なにかそれだけじゃなく、ロックバンドってこういうことを発信するよ、ってことも見てもらいたかったのだ。

オレはステージから「今日は楽しんでって欲しい。でも国会ではこうなってる。もし日本が戦争に参加するなんてことが国会で容認されたら、死ぬのはオレじゃなくて、キミらの子ども達だぞ。だから、今日は存分に暴れて歌って楽しんで、明日このことについて考える時間も持って欲しい」と問いかけた。オレはこれだってロックンローラーが教えるべきことだと思ってやっている。我ながら、キチンと筋の通ったことを話せたと思ったから、それをそのまま歌詞にした。

サウンドの方はストレートなパンクロックンロール。Ken Band にしては異質かもしれないが、やってて気持ち良いのだ。オレはこの曲を全て GRETSCH の G6120SSLVO(愛称はベイビー)を弾いた。

ゲストボーカルは、たまたまスタジオに遊びに来ていた dustbox のジョージに無理やりやってもらった。

2曲目はタイトル曲「I Won’t Turn Off Oy Radio」。ビデオも作った。

 

 

この曲について話すべきことは多いようで少ない。曲もいかにも Ken Yokoyama だし、歌詞の世界観もいまの自分に、今までにないほど素直だ。

なので聴いて歌詞を読んでもらえれば、たぶんオレの言いたいことは伝わるはずだ。それで充分なんだと思う。もしあなたがオレが意図したことと違った解釈をしたとしても、きっとそれはあなたにとっての正解なのだ。まぁそういう言い方をするなら、この世にあるロックンロールは全てそうなのだがw、1曲目の風景がとてもハッキリしているのに対比するように、この曲にはきっと聴いた人の数だけ風景があるのだと思う。

エピソード的なものがあるとすれば…この曲をバンドで初めて鳴らした時、「やった!なんか自分らしい曲がカッコ良くできた!」って自分でも思った。同時に「歌詞は Radio について書きたい」ともかなりハッキリと思った。

ただその時にはイントロとアウトロがなかった。つまりバンドが「バーン」と入ってきてからの部分、ギターがオクターブのフレーズを弾く部分からしか作ってなかった。それでスタジオでも「なんかちょっと物足りないんだよね….」って話したら、突然ミナミちゃんが「…なんかアコギの音が聴こえる」っていうから、その場で「じゃあさ、こうやって静かに始まって、終わりにもつけてさ…こういう感じどうかなあ?」とトントン進んだ。ミナミちゃんのインスピレーションによるものだ。

途中で出てくる「ミスターラジオ」みたいな人の声は、藤田琢己くんという J-WAVE で番組を持っている本物のラジオDJの人にやってもらった。「なにかセリフのようなものを入れたい」とは考えていたけれども、やっぱりラジオについての曲なのだから、本物のラジオのDJにやってもらいたいと思うようになった。藤田くんは頼むと快諾してくれ、イメージを伝えると何パターンも録って送ってくれた。それにラジオのザッピング音も自宅で録ってくれた。ラジオの世界の人の熱量をこの曲に直接放り込められたことは、とても小さなことかもしれないけど、オレにとってはとても大事なことだ。

 

3曲目は「Never Walk Alone」という曲、Ken Band にしてはゆっくりした曲だ。この曲が今回のシングルの肝のような気がしている。

Best Wishes のツアーを終え、そろそろ新作に向かいたいという頃、オレはまだ音楽の方向性で迷っていた。しばらくすると、先述の箱モノギターをだいぶ使いこなし始め、箱モノが持つ独特の世界観に曲作りそのものが引っ張られていったわけだが…この曲はまだ迷っていた頃の曲だ。たぶん6〜7曲は作った。その中から生き残った1曲だ。ちなみに他の1曲はアルバムに行き、他のもう1曲は「横山健 -疾風勁草編」につけた曲「Stop The World」だった。他の曲はボツになった。でもこの曲は「Stop The World」とはまるで違う。速い曲じゃないというところだけ共通している程度か。ほぼ2年ほどあれこれやっちゃーまたしばらく寝かせて、かなり時間がかかった曲…もしかしたら今回 Ken Band が一番手こずった曲かもしれない。

ただ歌詞は、レコーディング直前に書いたのだが、とても明解にスッと出てきた。「突然オレが死んだとして、あの世から子ども達に言ってやりたいこと」が題材と言える。

 

そこにたどり着くまでに、大きなエピソードが2つあった。

まず…ピザオブデスでアルバイトをしてくれていた女の子が、昨年10月に亡くなった。三村悠維、享年26。広島出身のこの小さな女の子は、とても物静かだが、好き嫌いのはっきりした子だった。優しい子だった。かわいい子だった。

もう一昨年になるだろうか…彼女の病気が発覚する前の年の暮れ、すっかり寒くなった頃、オレは体調の不安を抱えて少し気分がブルーだった。まぁオレの体調の不安なんて…四十肩や老眼なのだが、実際老いていくので元気がなかった。きっと心も疲れてたのだ。オレのそういう話を黙って聞いてくれた。そうすると「ご先祖様に挨拶は最近行かれてますか?」と訊く。スピリチュアルとかそういうんじゃなく…そういう子だった。そのへん、オレと似てたのかもしれない。オレは自分のことをスピリチュアルだとは思わないが、やっぱり縁とか運命とか流れとかを大事にして、そこに自分の気持ちをいかに乗せていくかを考える。自分の経験から来たものだが…彼女がオレと同じような経験をしたとは思えないが、近い感覚で話せて、共通の言語を持てた。なにか不思議な、2人だけの精神世界みたいなようなものを持っていた。

そんな彼女が闘病たった半年で急逝してしまった…まだ自分でも良くわかってないところもある。でも変な話だが、いなくなったような気がしないのだ。だから恐らく、その感覚が「体はなくても見守ってますよ」という詞を書こうと方向付けてくれたのだろう。とてもインスピレーションをくれた。今でもきっとくれ続けている。

もう1つは…父親として10年目を迎え、だいぶ熟してきたと自覚していること。

そういえば、なんとオレは長男坊楓太のクラスで教壇に立ったのだ(猛爆)今年の初頭、楓太がまだ小学校3年生だった時だ。土曜日に英語の授業があり、保護者の中で帰国子女の人がいたら、英語で話しかけて欲しいという、オレが子どもの頃にはなかった「父兄参加型」の授業だ。もちろんオレは帰国子女じゃないが、他に帰国子女の父兄もいるにはいるが都合で来れなかったりとのことで、「そういえば横山さんの旦那さん、英語をお話になるって聞きましたけど…」みたいな感じなのだろう、カミさんがその話を持ってきた。もちろん躊躇したがw、楓太に「来て欲しいか?」と訊くと「来て欲しい」というので参加することにした。

オレは当日「スピードラーニング方式(猛爆)」で、まず英語で話し、それを日本語ですぐに話すという手法を取った。それで子ども達に「この楓太くんのお父さんは、この小学校を卒業し、普通にこの地域で学び、なにも特別なことはしなかった。留学もしたことがない。でも英語を全然流暢じゃないが、話せる。お陰で世界中いろんなところで演奏して、今でも世界中の人と話ができる。特別な教育を受けなくても、自分次第で英語は話せるようになる、それを実際にしているのが、あなた方の目の前にいる楓太のお父さんです」と話しかけた。

その時の子ども達の眼差しが素晴らしかったのだ。もちろん興味がなくて寝ちゃってる子だっている。でも興味がある子は、目を爛々と輝かせいろいろと質問してくる。とても純粋無垢な眼差しと言葉で。なんか異様に胸を打たれた。そしていかにこの子達がまだまだなにも知らない命、守られるべき存在であるかを感じ、さらにはこの子達の将来の可能性も感じたのだ。そうなのだ、子どもは可能性のかたまりなのだ。そんな子達に向けて歌詞を書いてみたくなった。

だからこの曲は、もちろん自分の子どもに対しても向けられているが、社会のうちの子達と同年代の子ども達に向けても書いたつもりだ。

 

長くなったが、若くして亡くなってしまった身近な子、将来のある子ども達、老いていく自分…この曲のバックグラウンドにはそういったものがある。

とても大切な曲になった。

 

4曲目の「Smile」これはカバーソングだ。元々喜劇王のチャップリンが書いたらしいが、オレが好きなのはジャズシンガーの Nat King Cole のバージョン。昔 Elvis Costello がこの曲のカバーをした時、「Smile って良い曲だなぁ」と認識した。それからオリジナルバージョンは誰だ?と掘り下げてって、いまでは Nat King Cole を聴いている。

この曲の歌詞の世界観は、優しさで溢れている。数年前の自分だったら、とてもじゃないけどこういう切り口の曲は歌えない、歌いたくない、自分がやりたいことじゃないと思っていただろう。でもいまはできるようになった。自然となった。比較的「Never Walk Alone」と感情は近い気がする。

あとこの曲を取り上げた大きな理由として、頭のライトジャズっぽいセッションをしたかったというのもあるw つまりGRETSCH のギターが弾きたかったのだwww まぁいいじゃないですか、そういうアプローチがあっても。

以上、なんとなく書き始めたつもりが、案外不粋なくらい解説してしまった、「シングルについて」でした。

冒頭で「リスナーやユーザーはミュージシャンの想いなど汲む必要はないのだ」と書いたが、このコラムを読んでくれてる方々は、きっと「想いを汲み取りたい人達」だろうというやんわりとした感触があるので、きっとシングルを聴く際になにかの参考にしてくれると思う。

 

 

「ミュージックステーション」

7月10日にテレビ朝日のミュージックステーション、通称「Mステ」に出演させてもらった。全国ネットの地上波の番組に出演するのは初めてだった上に、生演奏もさせてもらった。とてもエキサイティングな出来事だった。

何故このタイミングで民放に出ようと思ったか…、「今やらないと時間がない」と思ったのだ。気がつけば自分は45歳、「I Won’t Turn Off My Radio」の歌詞にもある通り、すっかり古ぼけてきた。

幸いなことに Ken Band は日本中どこでライブをやってもたくさんの方々が観に来てくれるし、バンドとしてはとても恵まれていると思う。日本で最も上手く回っているバンドの中の一つだと思う。しかしそれだけじゃちょっと物足りなくなったのだろう。求めてくれる人の前でだけ演奏するのも良い。本当言うと Ken Band はそれで充分なのだ。

でも「ロックそのものが小さくなってる」ことに、ある種の責任みたいなものを感じ始めた。もしかしたら自分がそれを再び大きくできるんじゃないか?できなかったとしても、するための行動はすべきなんじゃないか?それが自分にとってもやり甲斐があることであり、なおかつ役割なんじゃないだろうか?と考え始めた。

オレは…オレはというよりも Hi-Standard は「メディア嫌い」として知られていた。ハイスタは音楽誌のインタビューにすら、まともに答えないバンドだった。なぜだかいつも話がまとまらなかった。それにメディアの露出がなくともアルバムは100万枚売れて、Air Jam も主催できて…つまり、さほどメディアを必要としていないバンドだった。

自分達が若くて尖ってたせいもある。パンクバンドにとってメディアへの露出はセルアウトに繋がる。勝ちたい、でもその勝ち方にもこだわったハイスタは、なるべくメディアの力を借りずにやっていきたかった。そして実際にそれができていた。

そしてテレビという側面で語るなら、オレ個人の中には若い頃に見て体験した、バンドブーム後の「冬の時代」が「負の要素」として強く残っていた。ライブハウスで人気を博した、カッコ良かったはずのバンド達が、メジャーデビューするとなぜかそれまでと違った服装をして、ぎこちない様子でテレビに出る。揃いも揃ってカッコ悪かった。たぶんそういったバンド達が「どこを見てたか」が根本的な問題だったのだろうけども、若かったオレの目には「これってただ有名になりたいだけなんじゃないの?」と映ったもんだ。オレだってそりゃ有名にはなりたかった。でもあんなにカッコ悪かったら有名にもなれないだろう、そういった思考になった。そしてその思考は凝り固まっていった。

Ken Band を始動させると、オレは積極的に音楽誌やケーブルテレビに出るようになった。それはとても楽しくやれていた。そうなると民放に出ることだって当然考えるわけだが…やはりカッコよく、というか自分らしく出る自信がなかったのだろう、いつも「ナシだね」で終わっていた。結局、以前に比べて露出はするようになったものの、基本的にはハイスタのスタンスを踏襲する形になっていった。

とは言うものの、「ナシだね」とか偉そうに自分目線で言ってはいるが、実際はテレビ番組からのオファーは、待っていても来るわけない。毎週自社のアーチストを出すために、レコード会社もマネージメント会社も限られた枠を必死で奪い合っているわけだから、待っていればオファーが来るなんてことは起こり得ない。

改めて…今回は自分の胸に期するものがあった。

ここはカッコつけて言うが、オレ自身や Ken Band はこの際どうでも良い。ただアイドル、アニメ主題歌が全盛のいまの時代、子ども達はロックンロール/パンクロックの存在など知らないだろう。なにしろわかりやすいキッカケがないのだから。大人達も忘れてしまっているだろう。かつてハイスタに熱狂した世代も、年を重ねるにつれて仕事が忙しくなったり、家庭を持ったり、子どもの世話に追われたり…きっとロックンロールどころではなくなった人も多いはずだ。

子ども達には「こんなラフな音楽あるんだよ、ロックンロールっていうんだよ」っていうのを見せたかったし、大人達には「ほら、かつて君達が熱狂したあれ、まだ死んでねぇぞ」っていうのを届けたくなった。

アイドル、アニメ、ジャニーズ、Exile…なぜロックが彼らに負けているか、単純に分かりやすいアイコンが、分かりやすい出方をしてないのだ。これでは若者や子ども達が「ロックで夢を見る」ことなどできるわけない。「あの人みたいになりたい!」って思うアイコンがお茶の間にはいないのだから。その点アイドルやシンガー達には、力強い露出をし、子ども達の憧れの対象になっている人がいっぱいいる。そちらを目指すようになることに、なんの不思議もない。

オレが「ロックは負けてねぇ。なめるな!」とか家で一人で思ったところで、そこに対しての行動で効果的なことは自分では何も出来てはいない。例えばライブで毎週、何万人もの人を前に演奏することだってある。数字を考えたら凄いことだ。しかしライブはほとんどの場合が「自分が観たくて行く」ものだろう。その人たちの前で演奏することが一番大事だと信じてやってきたが、そこにお茶の間の人達を誘うことはしていなかったのだ。

テレビの威力はやはり強大だ。オレはここ数年ずーっと感じていたのだが、これだけインターネットが普及し、個人個人で様々な情報を発信できる。年々テレビ離れが進んでると聞く。

しかしそれで逆に、テレビは「選ばれた者のみが出れるメディア」へと変貌していることに気づいている自分がいた。これは雑誌もラジオも然り。それは昔からそうなのだが、改めて思う。

ネットでの発信が容易になった分、その色合いを強めていると感じる。

つまり、オレはテレビに出ようと思うなら、その前に「テレビに選ばれなければいけない」のだ。

自分が子どもの頃、忌野清志郎さんをテレビで見た。他のニューミュージックと呼ばれていた人達とは明らかに違う空気感を放っていたことは、子どもながらにも察知して衝撃だった。10代の多感な時期、ブルーハーツをテレビで見て人生が変わった。音源は聴いてはいたが、テレビでみた時の衝撃は今でも忘れられない。

オレも、もう遅いかもしれないけど、そういった先輩達みたいになりたい。

テレビで音楽番組というと、間違いなくMステなのだ。

出たい、と思った。

出たいとは言ったものの、先述したように待っててもオファーなど来るわけないので、こちらからアプローチする。ピザオブデスの宣伝担当のケンタローがめちゃめちゃ動いてくれて、Mステのプロデューサーの方と会う機会を作ってくれた。そこでオレは自分の口で「ぜひMステに出させてください」とお願いした。そして、選んでもらった。

こちらからお願いして出させてもらう以上、マナーを守る必要がある。まず刺青。テレビ、特にゴールデンタイムは不特定多数の人が流し見もするので、そこでオレみたいなもんが刺青丸出しで出てたら、「なんであんなもん出すんだ!」と気を悪くする人もいるだろう。それこそクレームでも寄せられたら「横山なんか出すんじゃなかった」と思われるだろう。まぁなにしろオレの刺青ったら、「おしゃれタトゥー」でもないので…パッと見、ただの「輩」だ。正直言って刺青を隠すのは楽しいことではなかったが、今回の突っ張りどころはそこじゃないと充分理解してたので自主規制、長袖を着て出ることにした。

 

エキセントリックな言動もしないよう気を遣った。オレはライブハウスシーンを勝手に背負った。「ロックバンドとはエキセントリックな言動をするもの」だが…例えばオレが奇抜な言動をした結果、後のライブハウスバンドがMステに出演する機会を奪われることになったら、これまたオレとしては全然出る意味ない。「だからライブハウスバンドはイヤなんだ!」と思われたら最後だ。ここも今回の突っ張りどころではない。

いろいろと鑑みた結果、「オレはたぶん、その場にいるだけで異質なんだ」と信じてやることにした。

しかしながら、Mステの方々も充分オレを特別扱いしてくれたと思う。なにしろ生放送で生演奏、これは時間が読めないのでなかなか難しいことなのだ。それをさせてくれたのは、ライブバンドとしてとても嬉しかった。他にも先方も細かい部分で最大の譲歩をしてくれていたことを明言しておきたい。「どうしたらこの人をちゃんと伝えられるか」ということを真剣に考えてくれていたと、オレは実感した。

共演者が豪華だった。三代目 J Soul Brothers に NMB48, JUJU さん…こういう機会でもなければ恐らく共演の機会がない方ばかりだった。これはやり甲斐がある。

同じ土俵に立って、それでも彼らに負けるなら、それでも視聴者がそう判断するなら、そりゃもう彼らの方が魅力的なんだろうし、オレに魅力がないんだろうし…いよいよ観念の時だった。もう言い訳や言い逃れはできない。

ライブハウスシーンを背負う…そういえば、出演が決まった後のMステのスタッフさんとの打ち合わせの際にも、「お客さんを入れましょうか?」とも提案してもらったが、「いや、普通にカメラに向かって演奏したいです」と答えた。「セットに何かリクエストありますか?」との提案にも「特別なものはイメージしてなく、無骨で殺風景な、お客さんのいないライブハウスの感じでやらせてもらいたいです」と答えた。

そんな思考回路で、オレはライブハウスシーンやロックンロール/パンクロック、いろんなものを、誰に頼まれたわけでもなく、勝手に背負っていった。

さて、当日。どんな大きな、どんな大切なライブとも違う、いままで感じたことがないような妙な緊張感があった。

本番と全く同じことをする「ランスルー」と呼ばれるリハーサルがある。トークの部分以外は、本番と同じものを着て順番通りに演奏し、頭から終わりまで本番同様に時間内に収まるように、かっちりと通しリハーサルをするのだ。スタジオの中をカメラさんがまるで上海雑技団のように動き回り、大道具さんたちもたった数分の間に次々と舞台を変えていく。それを見て呑まれそうになる自分を感じた。テレビを、生放送を作る人達の本気を見た。真正面からそれを受け止めるしかなかった。

 

しかしひな壇に座っている時のオレの「ぼっち」ぷりったらなかった。みんなグループなのでなんとなく会話してるし、海外からのゲストのコンチータさんは通訳の人がついている。せめて JUJU さんがぼっちに見えたので、話しかける機会をうかがっていた。そんな JUJU さんがランスルーで素晴らしい歌唱をみせた。ひな壇に帰って来た JUJU さんに小さい声で話しかけた。「…初めまして、横山です、ところで今って…生歌ですよね?」「はい」そしてその次のコンチータさんの歌唱も素晴らしく、…その後でオレの歌って…だいじょうぶか?本気でそう思った。押しつぶされそうになる自分をごまかすために、JUJU さんにピンヒールについて質問するしかなかった。でも気さくに答えてくれて、それだけでも相当気楽になったもんだ。JUJU さん、ありがとうw

ちなみに Ken Band はランスルーの演奏で失敗した。普段ろくにリハーサルをしないツケが回ってきたのか、いつもと違うシチュエーションで演奏したからかはわからないが、ドラムと歌がズレまくって悲惨だった。

楽屋に戻った Ken Band に緊張が走った。なにしろ次は本番、生放送/生演奏だ。オレは共演者やMステの人達に「なんだ、こんなもんなのか…大したことないじゃん」と思われたと疑心暗鬼になり、イヤな汗をかいていた。中音調整の手伝いにきてくれた梅木とバンドで緊急ミーティング。ギターの音もシャッキリ感が足りなかったので、ギターテックのミツルと相談…脇汗ビッチョリになったオレのロングスリーブは、ピザのフトシ&阿部の乾燥作業に送られた。

初挑戦の壁にぶち当たる Ken band だった。

でももう後はやるしかない。いまさら揉めたり文句言いあってもしょうがない。

本番の時間が迫る。スタッフさん達の動きも慌しくなり、緊迫度が増していく。それに反するように、段々オレはボーッとしていった。なんとなくボーッとしたまま本番を迎え、Mステの番組冒頭の階段に初登場した。まぁ一回ランスルーしているので、その時よりは落ち着いていたのかもしれない。

しかし隣に三代目 J Soul Brothers に座られれば自分のじゃがいもさ加減が目立つし、NMB48と同じ場面に映り込む事態に至っちゃ、ただの変態オヤジに見えてしまう自分がいた。情けなかったが「これがロックンローラーなんだ」と思い込むようにした。

各共演者達が次々とパフォーマンスをこなしていく。みんな自信満々にみえた。そして JUJU さんとコンチータさんの歌唱に、ランスルー同様圧倒された。

次が自分の出番になった時、MC のタモリさんの横に座った。トークをするのだが、そこでタモリさんに「どうして地上波に出ようと思ったわけ?」と問われ…いくつか答えを想定していたのだが、口をついて出たのが「若い子達に『ロックンロールって、楽器を弾くことってカッコいいもんなんだよ』って、オレみたいなもんがパフォーマンスすることで思ってもらえたら…」という言葉だった。その後のタモリさんの「最近バンド減ってきてるのかねぇ?」という質問に、「わかんないですけど、歌やダンスに向かう子達が増えているような気がします」と答えた。

これが後々反響を呼んだのだが、ちゃんと明記しておきたい。これは共演した三代目 J Soul Brothers や NMB48 をディスったものではない。ただの、ロックが直面している、妥当な現状認識だ。

事実、ハイスタが活躍していた90年代後半はバンドが全盛期だった。学校で例えると、クラスの暴れん坊や目立ってる連中、情報の早い連中にハイスタは支持された。しかしそのポジションはしばらくすると、ヒップホップにさらわれた。悪くて尖った連中が、昔ならバンドに向かっていたはずの連中が、「ヒップホップの方がかっこいいじゃん」と、そっちを選ぶようになっていった。そりゃそうだ、ヒップホップの方が生っちょろくなっていったロックバンドの発信よりも、よっぽど強い発信をしてたし、見た目もカッコよかった。ヒップホップとダンス文化はクラブカルチャーというところで密接な関係にある。尖った若いガキ、かわいい女の子がそっちに流れて当然である。それがとてもわかりやすい形として、宇多田ヒカルさんやリップスライムなどのスターを生んだ。強烈なアイコンを擁する「ヒップホップ/ダンス」に、ロックは一回、負けているのである。

さらに AKB をはじめとしたアイドルグループの活躍。ちょっと前を考えると、韓流のブレイク(少女時代や KARA)もあった。子ども達が「歌もうまいしダンスもかっこいい、なおかつ顔が良い」人達をテレビで見かけると、当然魅力的に映る。

いまやお茶の間においてはパンクロックなど入る余地もなく、それどころかロックそのものが、楽器を持つ人の存在が、小さなものになっている。それを言いたかっただけなのだ。それが「若い子達に『ロックンロールって、楽器を弾くことって、カッコいいもんなんだよ』って、オレみたいなもんがパフォーマンスすることで思ってもらえたら…」という言葉になった。

だからオレはライブハウスシーンやバンドマン達の気持ちを、甚だ勝手にではあるが、背負って出たのだ。

自分達の演奏の番が回ってきた。特別奇をてらったことはしない、ただ演奏するだけ。ライブは1時間半とかできるが、今日は3分、1曲だけの勝負。なにがどのようにどこまで伝わるのか、自分がいままでコントロールしてきたこととは違うので、見当がつかない。心の中には当然戸惑いと、しかし感謝があった。こんなチャンスを、周りのみんなが必死になって作ってくれたのだから。

演奏はまずまずだった。オレがちょっとオンチなところがあったくらいか。でもまぁいつもあんなもんだ。終わったばかりの時は興奮していた。メンバーも充実した顔をしてたし、ピザオブデスの連中も「良かったんじゃないですかー!?」と言ってくれた。

放送が終わり、楽屋へと戻っていく廊下を歩きながら、「どうだったんだろう…テレビで観てくれた人達はどう思ったんだろう…?」、少しずつ不安な気持ちが頭をもたげ始めた。

楽屋に入り、みんなで一頻り労い合ったあと、ツイッターを覗いてみた。すると皆さんが喜んでくれている様子が目に飛び込んできた。

良かった。本当の答えが出るまでにはまだ時間がかかるだろうが、まずはみんな喜んでくれている。良かった。

しばらくすると、三代目 J Soul Brothers の面々が楽屋に挨拶に来てくれた。そしてメンバーの一人が「実は…めちゃめちゃ世代なんで、すごく聴いてました」なんて言うのだ!オレは心底ビックリして「えー!そうなのー!?」と甲高い声で答えてしまった。「もう、先に言ってよー!本番中ズーッとぼっちだったんですよー!」なんて言うと、「ミーハー心を抑えるのに必死でした…w」と言う。そして「一緒に写真撮ってくれませんか」と言うのだ。当代きっての売れっ子からそんな申し出を受けるとは…。快諾するとみんな喜んでいる。もちろん全員じゃないだろう、中には「この人そんなにすげぇの?」なんてメンバーもいたかもしれない(これは悪口じゃなくて自虐です)、しかし「オレこの人テレビで観て知ってるなぁ」なんて人が、オレと写真を撮るのを喜んでいるのだ。不思議な気分だった。でも素直に嬉しかった。新作の CD をいただいたのだが、「Ken Yokoyama 様」という文字とともにメンバーのサインが書いてあった。気持ち良い人達だった。

それが終わると、今度は NMB48 の訪問を受けた。新曲でセンターを務める須藤凜々花さんから挨拶され、CD を受け取った。そして驚くことに「健さんのコラム、読んでます!」と言われた。三代目 J Soul Brothers の時よりもさらに甲高い声で「えー、そうなのー!?先に言ってよー!」と言ってしまった。さらに「うちのリーダーもギター弾いてて、カッコ良かったって言ってます」といって、山本彩さんを紹介してくれた。最近のアイドル達のことにそんなに詳しくないオレでも、この人の顔はわかる。まさか NMB48 のメンバーがオレのことを認識していたなんて、露ほども思ってもいなかった。あのランスルーを思い出しても、誰もそんな空気出していなかった。もちろんこちらも全員が「カッコ良かった」と思っているわけはない(これも悪口ではなく自虐です)。ただ数人でも認識してくれていたのはとても嬉しいことだ。…というか、先に言っておいてくれれば、やり易さが違ったはずだw まぁそれは冗談だがw

つまり、そういうことなのだ。オレの口から「若い子達に『ロックンロールって、楽器を弾くことって、カッコいいもんなんだよ』って、オレみたいなもんがパフォーマンスすることで思ってもらえたら…」という言葉が演奏前に出たのは、そういうことなのだ。

三代目 J Soul Brothers のメンバーも NMB48 のメンバーも、ロックに触れる機会はあったのだ。しかし、ダンスや歌、アイドルの道を選んだ。そして実際、いまでは彼らを目指す子ども達は多いだろう。

ロックンロールも、そうあらねば、そうであって欲しいのだ。

オレがMステに出演させてもらって伝えたかったのは、その1点のみなのだ。

希望を言えば、バンド達に後に続いてもらいたい。オレだけでこれを伝えるのは無理だ。オレの今回の行動や想いに賛同してくれるバンドマン達がいるなら、ぜひ後に続いてもらいたい。

ロックンロールな音源をバンバン売って、テレビにもどんどん出してもらって、めちゃくちゃ人気者になって欲しい。子ども達に「ロックンロールってかっこいいね!」って思わせてやって欲しい。

もちろんオレだってまだ諦めたわけじゃない。今まで出なかったけど出れそうなところがあったら、バンバン出て行く。悪いがまだまだ引っ込まない。

ロックンロールにはまだまだ夢があるのだ。ギターや楽器には素晴らしい世界がある。

それこそ、シンガーの世界、ダンスの世界、アイドルの世界と同じように。

 


「三代目 J Soul Brothers と座敷わらし」

 


「NMB48 と妖怪チン毛ちらし」

2015.07.15

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