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『横山健の別に危なくないコラム』

Vol.106

「コーヒー」

僕はコーヒーが大好きだ。一日中飲んでいる。恐らくカフェイン中毒なのだろう、寝る直前まで飲めてしまう。その代わりに、起き抜けでカフェインを一発入れてシャキッと、ということも起こらないのだが。

中学生の時の音楽の先生が、卒業文集にこんな文を寄せていた。「良い音楽と良いコーヒーがあれば 他には何もいらない」 ずいぶんキザなこと言ってるなぁなんて当時は思っていたが、いや、僕の人生は全くその通りになった。そうなのだ、音楽とコーヒーとタバコと南方系の観葉植物とたくさんのギターと Pornhub さえあれば、他にはなにもいらないのだ。

話は変わるが、皆さんにも「幸せな気分になる」場面や瞬間というものがあるだろう。考えてもいなかったのに、思いがけずウキッとするような、特定の何か。例えば、金木犀の香りがどこからともなく漂ってくると必ず幸せな気持ちになる、とかそういったことだ。

僕の場合は「小便からコーヒーの匂いがした時」、めっちゃ幸せな気持ちになる。幸せというか、得した気分になるのだ。

一日中コーヒー飲んでんだからそりゃするっしょ、と思うかも知れない。しかし、そうじゃない。する時としない時があるのだ。これ結構不思議なのだが、どんなに濃いコーヒーを飲んでも、量を多く飲んでも、しない時はしない。それが尚更「得した気分」を感じさせる。

缶コーヒーでもする時はする。缶コーヒーなどコーヒーと認めていない方もいらっしゃるだろう。僕にもその思いはある。自動販売機で、他に飲みたいものがないから、しょうがなく「コーヒーを疑似体験」程度の期待値で毎回買う。それが飲んで数時間後、小便からコーヒーの匂いがすると、やはり缶コーヒーもコーヒーだったんだと認識をしっかりと改めなければ、なんて考えながら「コーヒーの匂いだ!ウキッ!」となっているのだ。

小便と言えば、決して胸を張って話して良いことではないが、僕は立ち小便が嫌いじゃない。嫌いじゃないと言うより、好きだ。

時代が時代だし、さすがに昔ほどするわけじゃない。しかしのっぴきならぬ状況、というか体調というのもあろう。そんな時だけしょうがなくするのだが、すると、最後に立ち小便した時からその瞬間まで積み上げてきた徳が一瞬で崩れるのだ。他人にしてきた親切なこと、だれにも知られず己の正義心のみでコッソリとしておいたこと、そんなような「良い行い」がリセットされてゼロになる。これがまたたまらなく痛快なのだ。

「小便からコーヒーの匂いがしたら嬉しい論」も「立ち小便で積み上げた徳を崩す論」も必ず一定の理解は得られると思っている。「僕、わかります!私もそうです!」という方がいらっしゃったら、是非一晩中語り明かしたい。

「あれ、ウキッとするよねぇ……」

「そうですね、しますよねぇ……」

「……。」

「……。」

 

 

「ハイビスカス」

やっと冬っぽくなってきた。とはいえ、僕は寒いのが大の苦手だから、決して嬉しくはないのだが。

11月からすでに豪雪に見舞われた地方もあったが、意外なことに東京はとても暖かかった。例年なら11月の下旬あたりには冬の気配を感じ始めるものが、今年はさすがに夜中は冷えたが、日中はとても暖かい日が多かった。

おかげで僕が育てている観葉植物も嬉しそう。南方系の草花ばかり育てているので、これからの季節、冬越えのことを考えると一日でも暖かい日が多いと植物は嬉しい、ということは僕も嬉しい。

ひとつ謎があるのだが……ベランダで育てているハイビスカスが12月になっても咲いてるのは、これはどうなんだろう??もちろん沖縄などではあることだろうが、東京で、しかも鉢植えのハイビスカス。さすがに数は減ったものの、まだ花や蕾をつけている。去年は11月中には剪定を終えて、室内に取り込んでいたはずだ。

どなたかご教示頂きたいのだが、これはこのままでよろしいのでしょうか?それとも12月にもなったのだから、新しい蕾をつけていたとしても、さすがに剪定に踏み切るべきなのでしょうか??

一応自分なりに調べてみたのだが、そこに関しての記述や指導が載っているサイトは見つけられなかった。普通はない種類の悩みなのだろう。僕自身も、草花が元気がなくなることはあっても、気候に敏感なはずの花が元気すぎてどうしていいんだかわからないといった悩みは抱えたことがない。

本気でお願い致します、上記の件の対応法をどなたかメールでご教示頂けると非常にありがたいです。

話は変わるが、上記したように、僕は寒いのが苦手だ。「嫌いな食べ物は?」と聞かれたら「マヨネーズ、にんにく、くるみ」と答えるというくらい苦手だ。何故くるみなのかというと、食べ物のくるみは全然好きだ。しかし寒い日のキンタマを思い浮かべてもらいたい。カッキンコッキンで、まるでくるみみたいだ。つまりこの文脈に於いての「くるみ」とは「寒さ」の暗喩である。とはいえキンタマも誰かにとってはある意味たべもn(以下割愛)

いまは「晩秋」といわれる季節、ここまでくれば寒さに対しての諦めもつく。一番イヤなのは、夏が終わり、「段々と寒くなっていく」あたりだ。絶望すら感じる。つまり圧倒的に「秋」が嫌いなのだ。本当に苦手だ。

ちなみに僕は10月1日、秋の生まれだ。最近気づいたのだが、自分が生まれた季節が嫌いってあまり聞いたことがない。誕生日付近の季節は好きだという人が多い気がするのだが……気のせいだろうか?

まぁだからどうだということもないのだが。

ハイビスカスについてのご教示のメール、お待ち致しております。

 

 

「カレー」

CoCo壱番屋(以下ココイチ)のカレーが好きで時々食べるのだが、大体注文するものは決まっている。平常時は野菜カレー、揚げ物を欲している時はメンチカツカレー、ミナミちゃんとココイチの話をした後は豚しゃぶカレー。

ミナミちゃんがココイチが大好きで、Ken Yokoyama に「ココイチを食べる習慣」を持ち込んだのだ。お察しの通り、ミナミちゃんのレギュラーが豚しゃぶカレーなので、ミナミちゃんとココイチについて論じた後は僕も食べたくなる。

アルバム「Four」のレコーディング時は毎晩ココイチだった。休みなく連日レコーディングしたので、連日カレー。さすがに飽きてもくるが、それでもカレー。ある晩などメンチカツカレーを頼んだが、すごくお腹が空いていたのにも拘らずさすがに見るのもイヤになり、メンチカツをひっくり返しただけで終わった時もあった。それでもカレー、なのだ。

「Four」に関して話すなら、ツアー中もほぼ毎晩ココイチだった。この時は限定メニューで「手仕込みメンチカツカレー」なるものがあって、それがとても美味かった(ちなみに「手仕込みメンチカツ」と「普通のメンチカツ」の味の差は、僕は良くわからない)。とにかく美味かったから、毎晩ココイチを探して徘徊し、見つけちゃー手仕込みメンチカツカレーを食べてた。もちろん毎晩ミナミちゃんと一緒である。ツアー中に二人とも随分肥えたはずだ。

僕がプロデュースした DRADNATS のアルバム「MY MIND IS MADE UP」のレコーディングも毎晩ココイチだった。ベースのヤマケンがココイチでのバイト経験があり、やはり大好きなのだ。いくら好きでも毎晩食べれば飽きるのに、ヤマケンは毎晩同じリアクションで「んー、美味そう!」、一口食べて「……うんめ!!」、僕を見ながら「いやー、やっぱココイチ最高っすね!!」。ネタかと思うくらい毎晩同じリアクションなのだ。最初は幸せそうな様子を見て、食べ物を美味しく食べれるヤツって素敵だなって思ってたけど、さすがに毎日見てたらコイツはバカなんだと思うようになった。

そんなわけでヤマケンも僕のココイチ仲間なのだ。

上記したようにココイチには限定メニューがあるのだが、「冬季限定メニュー」も存在する。すこし涼しくなった10月頃から始まり、2月か3月くらいで終わってしまうメニューだ。数年前、その中に「カキフライカレー」というものを見つけた。揚げ物とカレーは相性がいい。しかし「カキフライ」とカレーはさすがに無理があるだろうと思った。試しに食べてみると、やっぱり合わない。合わないどころか「これをプレゼンした人は何考えてたんだ?」と思うくらい、組み合わせに無理があると感じた。カレーの辛さや旨味と、牡蠣独特の苦味がどうにも合わない。

僕はカキフライも大好きだ。でも好きな食べ物同士を足しても足し算にはならない、という好例に出会った気がした。

ちなみにヤマケンは美味しいという。あれ?もしかして僕がおかしいのかな?ヤマケンは「おかしいっすね……次は合うんじゃないっすか?」と言う。その時はヤマケンは優しいなと思ったが、ちょっと考えると、その場しのぎでテキトーなことを言うヤツだということになる。

その後、何度もカキフライカレーに挑戦した。そして食べるたびに「やっぱり合わない!別のにすりゃ良かった!!」と後悔するのだ。あまりの合わなさに「次は絶対に違うものを頼むぞ!」と毎回誓う。もう味はインプットされた。二度と同じ轍は踏まない。しかしその次も不思議なことに「……もしかして今日食べたら合うかも知れない!」と注文直前で思ってしまい、まんまとカキフライカレーを注文してしまうのだ。そして当然合うわけなく後悔、これの無限ループの最中にいる。

なんだかんだ、冬季限定メニューが存在するうちは絶対に注文してしまう。なんなら注文し「今季はもう終わってしまいました」と言われてホッとするくらいだ。「あぁ、今季も戦いの季節は終わったんだな……」と安堵するのである。

恐ろしい中毒性は、牡蠣にドラッグが混入されていることすら疑うほどの……いや、中毒性じゃないな、こちらの意地なんだな。勝ち負けじゃないが、やっぱり負けたくはない。もはやワケわからない。

ある晩、遅くなったのでカキフライカレーを持ち帰りして、家に帰ってもしばらく食べれず、真夜中に食べた。冷めたカキフライがこれまた苦味を増していて、いつも以上にカレーと合わない。なんなら不味い。まぁいつものことだ。苦味が増していたとは言え、この結末はいつも以上でも以下でもない。

翌日結構早くに車で外出した。消化はされているはずだ。僕は前夜遅くにカキフライカレーを喰らったことなどすっかり忘れていた。

日中の光に目を細めながら、僕は不意にゲップをした。

その瞬間、思ってしまったのだ。

「うんめ!!!」

胃に残っていた牡蠣の苦味とカレーの後味がゲップになり、不覚にも初めて美味いと思ってしまった。ゲップを美味いと感じることは度々ある。しかし天敵とも言えるカキフライカレーにそう思わされるとは。

これは勝ちを意味するのか?遂に合ったのか?僕は乗り越えたのか??そう考えると嬉しい。しかしある種の敗北感を感じたことからは目を逸らせない。なにが敗北感を感じさせたのか……。

つまり僕は取り込まれてしまったのだ。カキフライカレーの術中にまんまとハマったのだ。

突き詰めて考えると「僕はその程度の男」だということが詳らかになったわけだ。

今年も10月に入るやいなや、ヤマケンから LINE で写真が届いた。「今年も始まってるっす!まず自分がいくっす!」食べ終わったであろう頃を見計らって「どうだった?」と聞く。「いやー、美味いっす!」やっぱりヤマケンは繊細さの欠片もないバカなのだ。

僕も負けじとすぐさまテイクアウト、LINEでヤマケンに報告。そして「やっぱり合わないわ」とコメント。「おかしいっすねぇ」的なのが返ってきたが、それは既読スルー。

今季もすでにカキフライカレーとは2回ほど戦ったが、僕の連勝中だ。

今季は全勝し、しかもゲップによる不用意なカウンターをもらわないように、最新の注意をはらって挑む。

(ちなみにヤマケンはアツいハートを持ったかわいい後輩です。)

 

 

「最近の私的ギター事情」

ここからはマジメな話だ。

3年ほど前に、僕のギターに関することについて当コラムで書いた。僕の友人が Solid Bond というギターショップをオープンするので、横山健モデルのギターやギターアクセサリーをいろいろと作ってもらうんだ、なんて話だった。しかし読んでくださった方々も恐らく忘れているだろうし、なにしろその頃と状況が少し変わってきた。今回改めて現在地といまの思いをはっきりとさせたく思う。

まずは3年前に書いたことの繰り返しからになるが、おさらいも兼ねて。

ある時を境に人前で箱モノのギターを弾きたくなったのだが、当時の僕は ESP の専属ギタリストだった。多少不問に付されるケースはあったものの、基本的に公に露出する時には、例えばライブやギターを手に持った取材/撮影には ESP、あるいは ESP 内のラインのギターを手にしていなければならなかった。僕はそれで満足だった。20年間専属ギタリストを務めた。

ESP はあまり箱モノのギターは作らない「ソリッドギター」のブランドだ。しかし箱モノを弾きたくなった気持ちは抑えられなかった。そこで ESP と話し合いを持ち、友好的に専属契約を解除してもらった。しっかり ESP にスジを通してから僕はステージで Gibson、そして Gretsch のギターを弾き始めたのだ。いまも ESP との関係は極めて良好である。その証に ESP 内で「自分がプロデュース/監修をするブランド」を Woodstics という名前でやらせてもらっている。

Solid Bond にはセミアコを作ってもらい、ライブでよく使っている。

前回はこのあたりで終わったと思う。ここからが最近の状況と、僕の気持ちだ。

ギタリストとしていろんなギター製作に関われること、様々なブランドと仕事ができること、単純に自分のシグネイチャーモデルが増えること、全てがとても幸せなことだ。望めばみんながこうなるとは限らない、とても特別な状況に身を置かせてもらっている。

そう書くと「シグネイチャーモデルを出せるってめっちゃすごいことなんだ」と思われそうだが、以前どこかで書いたことがあるが、ギタリスト全員がシグネイチャーモデルを出したいかというと、それは全くそうではない。そりゃシグネイチャーを出すということはめっちゃすごいことだ。しかしそれが全ギタリストのゴールというわけではない。特に優位性を現すことでもないのだ。

単純な話で、僕は自身のモデルを世の中に送り出すことが好きなのだ。

ヴィンテージギターの世界も素晴らしい。僕も何本か所有している。経てきた長い年月と様々なオーナーの元を渡り歩いた経験で、独特の「そいつにしか出ないヨダレもんの音」を出す。

シグネイチャーモデルの世界は、ある部分においては「ヴィンテージギターの世界」の対極にあるものだとも捉えている。どっちが優れているわけでもない。シグネイチャーは新品であるわけだし、「今までにこういう Gretsch 見たことないよね!」というような、歴史を推し進める部分を担っている。そこに僕はエキサイトするのだ。

様々なブランドから自身のモデルをリリースさせてもらい、いまや僕は「日本で最も多くシグネイチャーモデルを出すギタリスト」の一人だろう。

僕としては「これ以上は望めない」というくらい幸せな状況だ。

そんな嬉しい状況ではあるが、旨い話には落とし穴あり。当然のことながらかなり新しいギターの本数は増える。つまり「置き場所に困る」ということになる。

考案した新しいモデルの試作品(プロトとも言う)に加え、ブランドから突然「こんなのどうだい?」とやってくるプロトもある。それに飽き足らず、個人的にボンボン買ってしまう。ちょっと気になったくらいじゃ我慢して買わないが、それでもやっぱり男としては避けられないケースだってある。

嬉しさと同時に「置き場所をどうしよう」がいつも頭の中に悩みとしてある。

僕はよほどの場合ではない限り、自分のところに来たギターを手放さない。いつ必要になるかわからないからだ。十何年も放っておいたが最近またライブやレコーディングで弾いてるギターだって実際に存在する。

置き場所を確保する意味も含め、過去に何本か友だちにあげたことがあった。しかし今になって「あのギター取っておきゃぁ良かったな!」と後悔している。もうそんな思いもしたくない。なので「こいつはさすがに……弾かないんじゃないかなぁ??」って思うギターは身近なギタリストに「一生貸し」をしている。あげてはいない、貸しているだけだ。それは結構ある。ミナミちゃんには3~4本貸しているし、DRADNATS のギターのキクオのメインギターは、僕からの貸与ギターだ。BURL のタカにも虎柄の助六を貸しているし、WANIMA のコウシンにもNavigator の健モデルの製品版を貸している。弾いてもらうのがギターにとっては幸せだろうし、僕も新しいギターの置き場所が作れて助かる。

しかしで新しいギターが送られてきたり、買ってしまったりするペースはそれを上回るので、我ながら目も当てられない。もしかしたら、責任も背負えないのに不衛生で劣悪な場所で何百匹も動物を飼っているような、時々報道で見かけるようなイカれた人と同じノリかもしれない。僕の場合、物がギターなのが救いだ。

恐らく皆さんそろそろ「ギター専用の倉庫なり部屋なり借りれば済む話じゃない?」とお思いの頃だろう。これだからド素人はイヤだ。それでは意味がないのだ。なぜなら僕は、自分のギターは極力身近に置いておいて、弾きたい時に手に取り、眺めたい時に眺めたいのだ。一緒に生活をしたいのだ(「じゃあ好きにすりゃいいじゃん」との声が聞こえてきます)。

それでも全部を自分の手元に置けているわけではないので、現在自分の所有ギターが何本なのか、僕は把握していない。把握するために Ken Yokoyama Official HP 内で「Guitars」というページを展開中なのだが、最新作でまだ Vo.33。半分はおろか1/3にすら届いていない感触だ。

これも本当に「どんどん紹介していかないと、全部を紹介する前に死んでしまう!」という焦りすら感じるので、ハイペースでやっていかなければと考えている。

そういえば今年は出入りが静かな一年だった。夏頃に「今年は珍しく1本も増えないかも?」なんて思っていたら、その直後にまんまと良いギターを見つけ、買ってしまった。そして12月中には Gretsch から新しいプロトが届く予定になった。嬉しいが白目、しかし嬉しい。

なんか、これが例えば恋愛ならば「お惚気」に聞こえるような話だろう。「なんだそりゃ!」と一笑に付す話だろう。しかし当の本人の悩みはなかなかシリアスなのだ。極端な物言いをするなら、これは「どう生きていきたいか」という話なのだ。お前ら凡人にはわからな(以下自粛)

話は変わるが、2021年末現在の僕とブランドとの関係を記しておく。現在僕が正式に契約しているギターブランドは Gretsch のみ。2年ほど前に本国アメリカの Gretsch と直接契約した。なので新ギターの開発に関するやり取りは全部アリゾナにある Gretsch 本部と直でしている。

しかし契約内容はギタリストに優しいもので、強烈に拘束するようなものではない。そりゃビジネスなのだからある程度のものはあるが、Gretsch は僕から積極的に好きだからもちろんライブでも弾くし、取材でも持つ。

Woodstics は、僕の気まぐれで「こんなギター持ちたいな」っていうものをメインに作ってもらっている。特に契約はなく、僕と ESP の長年の信頼関係がこれを可能にしてくれている、という感じだ。つい先日「助六Jr.」を Woodstics よりリリースさせてもらい、ご好評を頂いている。

そして新しいギターのプロトが進行中だ。

Solid Bond とも契約はないが、冒頭に書いたセミアコを頻繁に使っている。僕のは1点物のプロトだが、そろそろ受注生産を始めるとも聞いている。そのステューデントモデルは「Coursesetter(コースセッター)」という名前で1年くらい前から販売している。

ほぉ、こうやって列記すると、自分の環境がいかに恵まれているかわかる。欲しいと思ったギターは自分のモデルを作る、ということで手に入れられてしまうわけだ。そりゃー恵まれている……恵まれすぎている反動か、近年は海外のブティック工房とでもいうか、ほんとに「従業人5人」とかで回しているような小さなギター工房に連絡し、ギターをオーダーして買うということに興奮を見出している。

最初にコンタクトを取ったのが、最近僕が手にしている花柄のテレキャスター・タイプだ。アメリカのカナダ国境近くのバーモント州にホームを構える「CRESTON GUITARS」というブランドに作ってもらった。話が始まってから手にするまでに8ヶ月かかった。待った甲斐あって、とても気に入っている。音のバランスがとても良い。

そして現在製作中なのが、カナダのモントリオールにある工房「V8 CUSTOM GUITARS」に注文した、これまたテレキャスター・タイプだ。これは今年の1月にコンタクトを取り始めたのだが、まだしばらくかかりそうとのこと。1年半くらいは覚悟しておいたほうがよさそうだ。

ちなみに CRESTON GUITARS の人はかなりマジメというかクールで、あまり当該ギター以外の話はしなかった。V8 CUSTOM は Spanky という人がやっているのだが、彼が超いいヤツで、時々スカイプミーティングをするのだが、いろんな話で盛り上がってしまう。ただひとつだけ「……ギターはまだかなぁ?」という感じであるのだが。こういったブティック工房はコロナの影響をもろに受け、いまでも部品の調達が正常化しておらず、苦しんでいるとのこと。うーん、とりあえず待つ。

あともう1本、これはカリフォルニアにある工房に、僕がまず弾くイメージがなさそうなギターを注文した。わかんない、このギターがメインギターになるかもしれないし!

こんなように世界中の人とギターについて語り合って、一点物を作り上げていくってことをしている。実にエキサイティングだ。

エキサイティングなのはいいが、置き場所……。実は他にも話が始まったばかりのプロジェクトもあるし、Gretsch とも別のプロトを送ってもらう約束をしている。そんなのを合わせると……来年見えているだけでも6本のギターが来るという白目な状況が待っている。

この「幸せ → しかし置き場所を考えると白目 → しかし幸せ → しかし置き場所のことを考えると」という無限リピートに終始してしまうが、本当に幸せなのだ。

僕は根っからのギター好きだ。ギターというプロダクツが好きでたまらないのだ。これは生まれついてのものだと思う。生まれた時から格闘技が好きな人のように、生まれた時から車が好きな人のように、僕は生まれた時からギターが好きで、そこに理由はない。「なにがこうだからギターが好き」とか説明できない。そんなに夢中になれるものと15才の時に出会ったのだ。

コレクターではないのだが、好きなギターに囲まれて生活したかった。そんな暮らしができたらどんなに素敵か、子どもの頃の僕は大人になった僕自身に期待していたのだ。それを絶賛実現中、さらに拡大中、想像もしていなかった「置き場所問題」も抱えて、いろんな意味で横山少年の期待を超える飛躍を見せている。

いずれ死ぬのだから、物なんかなにも持たない生き方も良いだろう。僕にもそういった考えはある。しかし話がギターとなると、それはそういうわけにはいかない。

出会った誰かとは人生を重ね合わせて生きていくように、僕の手元に来たギターとは人生を重ね合わせてこの先も生きていく。(置き場所、マジでどうすればいいのかなぁ……)

 

 

「コースト」

去る12月9日に「4Wheels 9Lives Tour」のファイナルを、新木場の USEN STUDIO COAST(以下コースト)で行った。

今年の5月にアルバム「4Wheels 9Lives」をリリース、7月になんとか東名阪だけレコ発ツアーができた。このコーストでのライブは「ツアーの半年またぎのファイナル」という位置付けだった。

どのバンドもそうであるように、僕達もコロナの状況に振り回され続けた。アルバムをリリースしたら当然全国をリリースツアーで回りたい。そういうスケジュールはレコーディングに突入する前や、遅くともレコーディング中にはしっかり組まないと実現しない。特に人気のある会場でやりたいならば、1年以上前に会場を押さえておくことなどザラである。しかしこの状況下、そんなことができるわけがない。

僕達は「ライブできなくてもいい」という覚悟でレコーディングに挑んで、リリースをした。なぜ「覚悟」などという仰々しい言葉を使うか、それはライブをしないと、せっかく作ったアルバムの曲達が伸びていかない感覚があるからだ。それを放棄してまでも、アルバムとして吐き出す必要がバンドにはあった。

レコーディングで曲は完成する。皆さんが日常聴いてくれて、もう誰かにとっては日々を彩る「人生のサウンドトラック」になっているかもしれない。聴いてくれた方が全員ライブに来るタイプの人かというと、それは全くそうとは思っていないので、レコーディングされた音源で完成で良いのだ。

しかし作り手の気持ちはまた違うところにあるもので……ステージに出て演奏して反応を感じないと、「あぁ、自分の手を離れてみんなのものになったんだな」っていう実感が得られないのだ。この実感を得て、自分の中で曲達は初めて完成する。これはまた SNS などでは絶対に見えないことで、ライブという場の体感しか判断できないことでもある。その場がない、ないとは言わないが過去に比べて極端に少ないので、アルバムの曲達がどれくらい愛されているか、いまだに判断つかない。宙ぶらりんなのだ。

「それを放棄してアルバムを作ったんじゃないの?」と思われると思うが、正直ここまでとは理解していなかった。作った曲達が皆さんに愛されているか知ることが自分にとってこれほど大切なことだとは、正直に言って考えていなかった。そしてその実感を圧倒的に得られるのはライブだとは、申し訳ない、コロナでライブができないという経験をするまでわからなかった。

そんな感じで、夏フェスに数本参加したり、配信ライブをしたりしながらも、「この先どうしよっかなー」と宙ぶらりんの状態だった。

そんな折に、新木場のコーストが来年1月でクローズするとの情報が入った。コーストは大好きな小屋だ。Ken Yokoyama とはとても相性が良く、あんな不便なところながらいつも超満員だった。酷いライブもしたが、良いライブをした時のステージ上からの景色はいつも圧巻だった。たくさんライブをしたので、思い出もいっぱいある。ザ・クロマニヨンズで2デイズやったこと、Pizza と契約する前に WANIMA の3人が僕に挨拶に来てくれたのもコーストだった。これはつい最近知ったのだが、初めてコーストでライブを演った直後の楽屋で、僕は Pizza のマネージメントの ISO に「武道館やりたい」と漏らしたらしい。いろんなドラマがある小屋だ。すごく思い入れがある。

そこがクローズしてしまうならせめてその前に一本できないか、とダメ元で当たってもらったところ、12月9日ならできるとのこと。じゃあそこでコーストにも別れを告げて、宙ぶらりんだった僕の気持ちにもケリをつけよう、となった。そんな経緯で半年またぎのツアーファイナルになった。

ライブは、手前味噌ながら素晴らしかった。最高に楽しかった。

もちろんコロナ対策で、定員の半分しかお客さんは入れられない。オールスタンディングではあるが、足元に印がついていてそこから大きく動けない。当然声も出せない。しかしなんの迷いも、なんの不満もなくい、それどころか異様にライブ感に満ちたライブだった。

全21曲演ったのだが、半分以上は「4Wheels 9Lives」、それからこれも未消化といえる「Bored? Yeah, Me Too」からの曲。この日で、まだ7月の東名阪ツアーの時にはまだ得られなかった「曲がみんなの日常に入り込んでいる」、「みんなと曲を共有できてる」感覚を得ることができた。僕達はこれで次に向かうことができる。

この日僕はステージ上で「来年アルバムのツアーを続けていくか、新作に向かうか、まだ決めてない」という発言をしたのだが、答えは簡単。両方やればいいのだ。二択なわけじゃない。次のアルバムへ向けて新曲作りをしながら、やれる時にライブをして 4Wheels の曲を披露していけばいいのだ。

なんでこんな簡単なことがライブ前にはわからなかったのかというと、それは気持ちが宙ぶらりんだったからだ。得られるはずの手応えを得られないと、思考はこうも鈍る。

つまりこれは、ステージには自分の思考をはっきりさせ、人生の方向を決める力があるってことの証なんだと思う。

いまはまだコロナ禍の最中、簡単にライブは組めない。ということは、もしかしたらこの先も思考は鈍るのかも知れない。ただこのコーストでのラストライブ、ツアーファイナルで感じられた物は、自分にとっては何よりも確かなものなので、きっとこの先のための大事なライブになったんだと思う。

ちょいスピったことを言うが、きっとコーストがそういうライブをさせてくれたのだろう。

ありがとう、コースト。忘れないよ。いや、ほんと言うと、少しずつ忘れていくんだろうけど、それはいいよね。

 

コーストでのラストライブで Jun ちゃんとビシッとジャンプを決めた
「コーストでのラストライブで Jun ちゃんとビシッとジャンプを決めた」
Photo by Teppei Kishida

 

2021.12.14

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