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『横山健の別に危なくないコラム』

Vol.104

「宮本浩次」

テレビ朝日系列に「関ジャム 完全燃SHOW」という番組がある。毎週一つのことをテーマにそれをグッと深く掘り下げる番組でとても好きで、オレも矢沢永吉さんの回にスタジオにコメンテーターとして出演させていただいたことがある。

つい先日、我らが「宮本浩次」が特集され、オレもスタジオ出演こそなかったものの、アンケートに答える形で参加させていただいた。

リアルタイムで番組を観ていたのだが、宮本さんの挙動がとても楽しく、オレのコメントも効果的に配していただいて、とても楽しんだ。

そしたら、昨年2019年の宮本さんとの「Do you remember?」制作の日々が鮮明に思い出されて、ドキュメント的に書き残しておきたいという気持ちになった。文筆家がこういった文を残すのは、それは多々ある。しかしミュージシャンの目線で書かれたこうした文は、自分でこう言うと些か無粋ではあるが、とても貴重なのではないかと思う。

ここから書く文はきっと乱文、そして長い物になるがお付き合いいただきたい。(エレファントカシマシ関連のドキュメンタリー映画や番組に何度か出演/発言させていただいているので、エレカシのファンの方々には既にご存知の事柄を繰り返している箇所が出てくるとは思いますがご容赦いただきたく思います。)

 

宮本浩次と横山健、2019年春。Photo by 佐内正史
「宮本浩次と横山健、2019年春。Photo by 佐内正史」

 

「オレとエレファントカシマシ」

エレファントカシマシの音との出会いは、自分の記憶が確かならば、1988年にさかのぼる。当時18才のオレは高校を卒業し、アルバイトをしながらバンドを組んでライブハウスに出演し始めた頃だ。ブルーハーツが大好きで、彼らの真似事のようなバンドをやっていた。自分も「次なるブルーハーツ」になりたかったのだが、日本中に散らばる、しかも自分より先を行っているバンド達のチェックは欠かさなかった。

書店である音楽誌を見かけた。確か「バンドファイル」とかそういった感じのもので、「バンドブームの真っ只中で人気バンド達を一気にまとめて紹介」といったような、なにかの別冊的な存在の本だったと思う。たくさんの「次なるブルーハーツ」達の顔が並んでいた。オレはそれを買って家でパラパラと眺めていた。その当時のオレは掲載されている殆ど全てのバンドの名前や活動スタイルを知っていた。

たった1バンドを除いては。

その1バンドが「エレファントカシマシ」だった。

「エレファントカシマシ……?」「誰それ??」って感じだ。使われていた写真が全員スーツで、誤解を恐れずに言うと「この人達、青年右翼?」と思った。当時のライブハウスバンドは、いかにかわいらしくポップに見えるかが、無作為であろうと主流だった。そんな中肝っ玉が座った眼をして……後で知るのだが、中でも一番鋭い眼光を放っていたのがシンガーの「宮本浩次」だった。そしてバンド紹介の文言には「規格外の新人」的な事が書いてある。最初はなんとなく「ホー、こういうバンドがいるんだね」としか感じられなかったものが、本格的な興味へと変わるのにそう時間はかからなかった。理由はわからない。

数日後、アルバイトの休憩時間に近所のレコード屋さんに出掛け、リリースされたばかりだという 1stアルバムの「THE ELEPHANT KASHIMASHI」を買った。家に帰って聴いて……ブッ飛ばされた。本当に「ショッキングなアルバム」だった。かわいさの欠片もない骨太なロック/ロックンロール。怒鳴りまくるように歌う宮本さん。荒々しくヘヴィーな演奏。なによりも厭世感と皮肉たっぷりの歌詞。カッコいい。いや、カッコいいという感情に達する前に「強烈だなぁ!」と感じた。喩えるなら、自分が撃たれたのを知らずに死んでしまったかのようだ(オレは喩え下手で有名です)。これは確かに規格外の文言に偽りない。

オレはエレファントカシマシのドキュメント映画の中でもこう証言したはずだ。「ブルーハーツに夢を見させられて、エレカシに首を絞め殺された」。正に。正にこんな心境だったのだ。ショッキングだった。ブルーハーツとは全く違うベクトルで、ショックだった。

しかし今になってやっとわかるのだが、この2バンドからは「オリジナルであれ」ということを教わったのだと思う。完全にオリジナルなものなど「ロック」という枠組みの中では存在しない。悲しいことじゃない、これは事実だ。マイクを持った時点で、ギターを構えた時点で、それはもう誰か先人の真似なのだ。しかし彼らが教えてくれたことはもっと深いところにあった。「オリジナルであることが可能なのは『心の在り方』」だと教わったんだ。

オレはブルーハーツを追いかけると同じく、エレファントカシマシも追いかけるようになった。

ちなみにこの時代、音楽のフォーマットはまだ「LP レコード」だった。徐々に「CD」にシフトし始め、オレも CDプレーヤーを買った。

初めて買った「CD」はエレカシの2nd「THE ELEPHANT KASHIMASHIⅡ」だった。

このアルバムにはもっとやられた。「優しい川」、「おはよう こんにちわ」、「ゲンカク Get Up Baby」、「待つ男」、聴くと今でも血が沸騰する曲のオンパレード。極めつけは「太陽ギラギラ」、この曲に心底惹き込まれた。

オレは当時やっていたバンドのメンバーと、今は無き「汐留ピット」という会場にライブを観に行った。今でも「太陽ギラギラ」の時だけ真っ赤に照らされたステージの光景が脳裏にこびりついて離れない。もう30年も前の話だ。30年経ってもいまだにこびりついて離れない。

この頃のエレファントカシマシのライブの客層はとても幅広かった。文学青年のような人、スーツ姿のサラリーマン、決して若くはないであろう人達、それからオレのような「バンドやってます」風のガキ。まぁそれは今でも変わらない光景だろうが、当時こういった人達をライブの場に集められるロックバンドはそんなに多くはなかったのではないだろうか。

そしてライブは怖かった。怖いというのが、また普通のものではない、極めて異質な怖さだった。どういうものかと言うと、「みやもとー!」とステージにむかって声をかけようものなら、宮本さんに「うるせえ、バカ野郎!」と恫喝されるのだ。パフォーマンスとしてのものではなく、本気の恫喝なのだ。

おそらく大多数のバンドマンは歓声を浴びたくてステージに上るものだと思う。しかし宮本さんはそれを拒絶していた。

とても不思議だったし、怖かった。しかし視線はステージから離せない。とても不思議だったし怖かった、しかし魅力的で刺激的だった。孤高と言える。

きっと宮本さんは、なにかに「抗っていた」のだ。「ロックってこういうもんでしょ?」、「普通こうするよね?」という世の中や周囲の固定観念になのか、「売れるためにはこうするよね?」という敷かれたレールになのか、なにに抗っていたかは本人のみぞ知る。いや、抗っている自覚すらなかったかもしれない。本人は至極当然のことをしていただけかもしれない。ああ、書いててわかった。抗ってる自覚なんか持っちゃいなかったのだ。ましてや狙いなんかじゃない。だからこそ、言語化できないような怖さを聴く者や観る者に、図らずも与えてしまったのだ。それに魅力や刺激を感じた様々な世界の住人達が、新しい何かを求めてエレカシの元に集まったのだ。

下北沢のライブハウスで1年半働いたオレには、多くのバンド仲間ができた。皆こぞってエレファントカシマシに影響されていった。「ブルーハーツのフォロワー」から始まったバンド達も、エレカシ風にシフトする傾向にあった。ライブハウスの店員として無数のバンドを観ていても、それは間違いなかった。

若いバンドマン達は、よく飲んでよく語りよく吠える。「ブルーハーツなんかもう古いんだよ!」、そんなように吠えてるやつらがいっぱいいた。エレカシはそういった連中のハートを鷲掴みにした。少なくともオレの目の届く範囲の、下北沢を中心とした決して小さくはないコミュニティーではそうだった。エレカシ、というバンド名が出てこなくても、影響を受けたことが明らかな連中がいっぱいいた。エレファントカシマシはそれくらいセンセーショナルな存在だった。

オレが当時一緒にやっていたバンドのボーカルやドラマーも、100%エレカシに持っていかれた口だった。エレカシのサード・アルバム……例の怪作「珍奇男」収録のアルバムが出る頃、そのボーカル君はアルバムのことを「聖書」と言ったことが今でも忘れられない。

1991年にオレはハイスタンダードを組んだ。数年もがいて「ブルーハーツにもエレカシにもなれない」と気づき、しかもバンドブーム終焉後の「ライブハウス 冬の時代」を目の当たりにして変な希望を持てるはずもなくなっていたオレは、人気が出ることなどとは無縁の「洋楽的嗜好」のバンドを仲間達と組んだのだ。

すでにそれはそれでシーンらしきものはあったが、圧倒的に人は少なかった。しかしそういった中にもやはりエレカシファンはいた。一緒にライブしたりつるんで遊ぶようになったアブノーマルズというバンドのメンバーがまたエレカシの大ファンだったので、一緒にライブを観に行った。エレカシはその頃「奴隷天国」という曲をリリースした。

「奴隷天国」、ものすごいタイトルであり、ものすごい詞だった。社会生活を営む者全てを「奴隷」とみなし歌った曲。これを出した時のレコ発に行った。

ステージから決して満員とは言えない客席に向かい、せっかく観に来たオレ達全員のことを「奴隷」と呼び、「おい!そこのおめぇ!おめぇのことだよ!!」と曲中に観客を指差して絶叫する宮本さん。近年でもこの曲はライブで演奏されているようだが、今なら表現の一つとしてエンジョイできる。しかしこの日は楽しめなかった。あまりにもリアルすぎて怖かった。

帰りに居酒屋で「ありゃねぇわ」、「エレカシ終わったかも」、「いや宮本さんが言いたかったことはさぁ」なんて飲みながら話した。この日の酒は不味かったのを覚えている。

数年後にエレカシはレコード会社から契約解除され、バンドとしてしばらくの浪人生活を余儀なくされた。

宮本さん、そして現在のエレファントカシマシには、生来持っている攻撃性や厭世観に加え、この時期の挫折感が大きく反映されているのではないかと、オレは推測する。

この後レコード契約を再獲得し、「悲しみの果て」、「風に吹かれて」、「今宵の月のように」などとんでもなく素晴らしい楽曲達を書き、大ヒットし、エレカシは世の中から初めて正当な評価を得た。

上記の曲は日和って書いたわけではないだろう。本来持っているが出さなかったソングライティング能力を出しただけだと思うのだが、オレは宮本さんがなぜその時期までそれをしなかったのかもなんとなく理解できてしまう。言語化は難しいが、強いて言うなら「観念した」のだろう。「今宵の月のように」の歌の出足は「くだらねぇと つぶやいて 冷めたツラして歩く」だ。日和っていない。しかしその観念は、ほんの少しその後の宮本さんの表現に、と言うか打ち出しに影響を与えたように思う。2000年代になってからも「ガストロンジャー」のような攻撃的な曲はある。しかし少しだけ厭世的な物言いを引っ込めて、刺激的な問いかけの中にも「行こうぜ」を含めるようになった。

なんだか半端なエレファントカシマシ研究家みたいになってしまったが、オレはオレなりにハイスタンダードをやりながら、Ken Yokoyama をやりながら、宮本さんを視界に捉え続けてきた。そして上記のように勝手に自分の時系列や思い出と照らし合わせ、勝手に分析するのだ。

大きな声で言いたいことがある。

結局これが核心なのだが、どんなに悪態を突かれても、いつの時代でも、宮本浩次というシンガーが心底好きなのだ。「ありゃねぇよ」と思うライブを観ても、宮本浩次から離れられなかったのだ。

NOFX との海外ツアーに明け暮れたり、「レイディオ、レイディオ」と言いながら、「けんりょくしゃのちからにーはー はなでわらってこたえろ オーイェー」と口ずさんでいた。

 

 

「失敗した出会い」

自分にとって憧れのミュージシャンはたくさんいる。しかし不思議なもので、会いたいミュージシャンの方は少ない。というか、ほぼいない。きっと音楽だけで十分なのだろう。

憧れて、憧れて、会うといまでもときめくのは矢沢永吉さん、そしてヒロトさんとマーシーさんくらいだ。

まだお会いしたことがないミュージシャンで、憧れている先輩はいる。いまやこれだけフェスが多いと、偶然出演日が同じだったりして、望めば挨拶できることもある。でもオレは会いに行こうとは、やはりしない。

そんなオレが、宮本さんには自分で会いに行った。

いまでもハッキリと覚えている。偶然同じ出演日になった某フェス。自分の出番を終えると、オレは突然、「突然」だ。エレカシの楽屋を探し始めた。

そういう時は、本来ならまず先方のマネージャーさんやレコード会社の担当の方に話を通して、許可を得てからするのが礼儀だ。しかしオレはフラッとエレカシの楽屋を探し始め、見つけると、なんと入っていってしまった。まるで友達のバンドの楽屋を訪ねるように無作法だった。

偶然、今考えると本当に偶然だったのだが、宮本さんが楽屋に一人でいた。

突然現れた見知らぬ人間の訪問に、当然だがびっくりした顔をしていた。

オレもいまやベテランになり、様々なミュージシャンの訪問を受ける。どれだけ憧れてたかとか話をされたりする。街でもいろんな方に声をかけられ「ボク、何年のハイスタのあの会場でのライブ、観てました」とか言われたりする。これって要するに、知らない誰かの思い出話を突然聞かされることなのだ。まぁ嬉しいもんだ。音楽は人の思い出に、誰かの人生に寄り添うことで初めてある種の価値が出る。ミュージシャンとしては本望だ。

しかし。あまりにも相手が馴れ馴れしかったり図々しかったりすると、受け止められなくなる。受け止められなくなるというか、受け止める気持ちじゃなくなる、という感じか。つまり「そんなやつ、何万人いると思ってんだよ」ということだ。「Making The Road はアナログで持ってます!」とか言われても、気分によっては「ああ、そう」と言いながらも「知るかよ、おめぇだけじゃねぇんだよ」と思ってたりする。繰り返すが、馴れ馴れしかったり図々しかったりする場合、だ。

宮本さんの前に突然現れたオレは、それをしてしまったのだ。

オレ「初めまして、横山健と申します。」

宮本さん「……はい。」

オレ「Ken Yokoyama と名乗って活動していまして、ハイスタンダードというバンドでもギターを弾いております。」

宮本さん「……はい。」

オレ「ボク、エレファントカシマシがデビューした時からのファンなんです。」

宮本さん「……はい。」

オレ「1st はアナログで持っています。」 

宮本さん「……はい。」

オレ「汐留ピットも行きましたし、浮世の夢をリリースした時の九段会館も行きました。」

宮本さん「……はい。」

オレは自分が何をしでかしているか、気づき始めた。

オレ「……。」

宮本さん「……。」

オレ「突然すいませんでした。失礼します。」

宮本さん「……はい。」

オレは自分の楽屋に戻りながら己のバカさ加減に頭を抱えた。自分がされたらウザいと感じるようなことを、憧れの人を相手に、全力でやってしまったのだ。

まぁしょうがない、やっちまったもんはしょうがない。

宮本さんはほぼ無反応だったけど、怒ってはいない様子だったし。「なんか変なやつ来たなぁ」くらいなもんだろう。

繰り返すが、オレはハッキリと覚えている。

2011年のアラバキロックフェスでの話だ。

これがオレと宮本さんの、オレからの一方通行な出会いの風景。

それから何年も会うことはなかった。

しかしエレカシ好きを公言していたからだろうか、ドキュメント番組へコメントでの出演などの依頼が入ってくるようになった。

映画「the fighting men’s chronicle エレファントカシマシ 劇場版」にもコメントするミュージシャンとして出演させてもらった。この映画では宮本さんのエレカシに於ける暴君っぷりが赤裸々に描かれていた。オレにはバンドを牽引する立場、音楽家としての宮本さんの気持ちは痛いほど理解できたが、観る人を震え上がせるには充分すぎる内容だったと思う。オレも「もし横山さんがエレカシの5人目のメンバーになったら?」と質問され「ソッコーで辞めます」とコメントしてしまっているし。

2018年の1月には、オレが大好きな映像監督が作り WOWOW で放送された作品、「ノンフィクションW エレファントカシマシ、宮本浩次」のナレーションも担当させてもらった。ちょうどエレカシが紅白歌合戦に初出場を果たした直後だった。

こんなことをしていたので、宮本さんもさすがに横山健って人間の存在を認識程度はしてくれてるだろうなくらいには思うようになった。

「アラバキの時のあいつか」と思われていないことを祈りながら。

 

文中ではサクッと帰ったように書いてますが、実はお願いして写真を撮っていました(猛照) しかし宮本さんのなんとなく浮かない表情が、このエピソードに全く嘘がないことを如実に語っています(汗) 2011年春、アラバキにて
「文中ではサクッと帰ったように書いてますが、実はお願いして写真を撮っていました(猛照) しかし宮本さんのなんとなく浮かない表情が、このエピソードに全く嘘がないことを如実に語っています(汗) 2011年春、アラバキにて」

 

「オファー」

2019年2月のある日、ピザオブデスの社員からメールで連絡が来た。

「エレファントカシマシの宮本浩次さんから、ソロ作品への参加オファーが届いてます。ご検討ください。」

ちょっと時が止まった。どういうことだ?メールにはオファーの内容も書かれていたが、文字は追えても内容が頭に入ってこない。

こういったオファーは自分のスケジュールと照らし合わせ、場合によっては数日考えたり寝かせたりしてから返信したりする。

しかしこれはご検討もクソもない。一瞬時が止まったが、およそ1分後には「やる!!!」と返事をした。

数日後、オレは宮本さんとミーティングをした。わざわざ宮本さんがピザオブデスまで来てくれたのだ。ミーティング自体は短かった。なぜならメールに書かれていたオファーを改めて宮本さんの口から話されただけだったからだ。

しかしこういうところで宮本さんの性格というか生き方がにじみ出る。実際に顔を合わせて自分の言葉で話をしないとオファーした相手に失礼だし、自分も納得行かないのだと思う。きっと何事もこうやって生きてきた人なのだ。しかしオファーされる側もこういうこと一つでやる気が変わってくるものだ。こういったやり方はこんな世の中ではすでに不経済っちゃー不経済だが、オレは断固支持だ。

このミーティングの後、メールでデモ音源が送られてきた。タイトルも付いていなかったが「これを横山くんとやりたい」という曲のデモだった。

ジックリ聴いてみたが……1番しかなかった。しかし完成されているように聴こえた。ある程度作曲にも参加しなければいけないのかな?と予測していたのだが、「これそのまんまでいいじゃん!」と思った。音質が宅録の物だったので、これをしっかり録ったらどうなるか、自分のギターで爆音で弾いてみたらどうなるかを考えた。ビートを変えたいと思ったり、スピードを上げたいとは思った。コードの使い方とかももう少しオレっぽいものにしたいとは考えたが、基本そのまんまでめちゃめちゃカッコ良くなると踏んだ。

二度目のミーティングはもっと具体的にレコーディングについてのことだった。ギターはオレが弾くとして、ベースとドラムを誰に頼むか。どこのスタジオで録るか、などを話した。

オレはもう完全に気分が入り込んでいたので、自分の庭的なメンバーとスタジオで録れば必ずカッコいいものが録れると確信していて、ここはバンバン意見した。

ベースには Ken Yokoyama のベーシストでありオレの究極の庭、Jun Gray。ドラムには宮本さんとも面識があり、現ソウル・フラワー・ユニオンの Jah-Rah。Jah-Rah 君はオレの1stアルバム「The Cost Of My Freedom」で全曲叩いてくれた、ある意味オレの庭。宮本さんのスタッフさん達も交え協議し、彼ら2人に頼むことにした。スタジオは数々の Ken Yokoyama 音源をレコーディングしている Curva Nord(当然オレの庭)に決まった。

あとは練習スタジオで曲を合わせてみてのお楽しみだ。

ミーティングが終わり宮本さん達が帰る時、宮本さんがオレにこう言った。「やっぱりバンドって守られてるんですねぇ」、すごく重く響いた。エレカシで30年やって、こうやって30歳年を取ったいま、組んだことのない人間と新たに組むためにミーティングをして、考えて、悩んで、考えて。苦労や手間を実感しているのが先の言葉になって出たのだろう。エレカシに対する敬意も大いに含んでいるとも感じられた。

ものすごく印象的だった。

オレは毎晩一人でデモを聴いちゃ「ここのコードをどうしよう、こっちの方が素敵だなぁ」とかやり始めた。

魂が最高回転数に達していた。

だって、憧れのシンガーからオファーがあり、頼りにされ、一緒に音を出すことになったのだから。

 

 

「練習スタジオ」

ちょうどこの頃、宮本さんの初の個人名義での音源「冬の花」が YouTube で公開された。正直言って、この曲にまたブッ飛ばされた。ムード歌謡的なマナーを持った曲だが、宮本浩次でなければこうはならないという独特の完成度を誇っていた。小林武史さんのプロデュース楽曲で、ストリングスやキーボードの音が緻密に配され、そりゃオレ達みたいな田吾作の出す音とは違う。そのサウンドプロダクション面でもやられた側面も確かにある。

どうやらこの曲はドラマの挿入歌としてオファーがあったらしく、つまりある種のお題に沿った曲作りがなされているような気がしたが、お題を宮本浩次が軽く超えちゃっているのだ。

オレは同じミュージシャンとしてジェラった。「あの人、何者なんだろう……」そう思わざるを得なかった。それくらい素晴らしい曲だった。

小林武史さんプロデュース楽曲の次にオレにオファーが来たことを良く考えてみた。

「きっとああいったゴージャスさや綿密さが欲しいのならそれは小林さんにオファーがいくはずだ、オレに来たということはオレが普段出している音を全力でぶつければいいわけだ。」

その思考を以って練習に挑んだ。自分にそう言い聞かせないとこのオファーを受ける自信も湧いてこない。

メンバー全員が揃って……主役の宮本さんが一番緊張していたように見えた。そりゃそうだ、自分の楽曲を具現化するために、レコーディングスタジオではなく「練習スタジオ」にみんな集まり、これから生み出したり練ったりするのだから、緊張と恐縮が折り重なってしまうのも無理ない。

なにしろ初めて4人揃い、少しの静寂を挟んだ後に宮本さんから出た言葉が「……さて、どうしましょうねぇ」だった。苦笑いとも照れ笑いともとれる表情で。

おっと、こうしちゃいられない。オレはすぐにタクトを振るい始めた。「まずボクはあのデモの何パターン目でやってみたいです」、「ビートをこう変えて……」とか曲を自分の思った通りにドンドン進めていくことにした。一度エンジンがかかったら、最高速が出るのに時間はいらなかった。

いろんな場面をくぐり抜けてきた4人のベテランミュージシャン達が、高校生バンドの曲作りと同じように、その場であーだこーだ言いながら、「そうじゃないよね」とか失敗もしながら曲を作っていく。iPhone で録ってみて、その場で聴き直して検証したり討論したりする。

ローディーさんもスタッフさんもいない、レコード会社の方もマネージメントの方もいない、4人だけの空間。

楽しかったし、きっと客観的に見ても素敵な光景だったんじゃないかと思う。

 

制作中のこの写真はオレの宝物です。Photo by 佐内正史
「制作中のこの写真はオレの宝物です。Photo by 佐内正史」

 

宮本さんは歌うとなると練習なのに「そんなに声を出すと喉やっちゃいますよ……」ってほど歌う。足元に置いた、歌詞になるであろう言葉達を走り書きした紙をジッと見つめ、体をくの字に曲げて全力で歌う。

楽器隊3人が討論している時も、自分は紙をジッと見つめ、言葉を探しているのか、何か考えている。

途中、曲が方向を見失いかけた。それは楽器隊の問題だったので、宮本さんをスタジオ内で待たせるのも悪い。「30分時間ください、ちょっとまとめるんで!」と言ってスタジオの外で待っててもらった。スタジオの外でスタッフさんと談笑でもしているかな、と思った。トイレに行く時に見かけた宮本さんは、立って壁の方を向きジッと一点を見つめていた。

楽器隊3人でのアレンジで一番衝突したのが、ギターソロの部分。実はオレはあの速いビートでギターソロを弾きたくなかった。Jun ちゃんは絶対にあった方がいいと言うのだが、オレは弾きたくないし要らないんじゃないか、と言った。

ギターソロ無しの形を3人でなんとかまとめて、宮本さんに部屋に戻ってきてもらい、合わせてみた。

よっしゃ、できた!しかもカッコいい!!

すると宮本さんが「あ゛ー!!」と言いながら突然髪をかきむしり始めた。オレ達は当然びっくりして「ど、どうしました??」と訊く。すると「実は……この曲の長さは4分20秒から30秒くらい欲しいって言われてたんでした……」と言う。

そうだ、この曲は映画「宮本から君へ」のエンディングとしてオファーされていて、そのエンドロールの都合でその長さが必要なわけだ。現状3分30秒ほどしかない。

Jun ちゃんがニヤニヤしながら「しょうがねぇ、お前がギターソロ弾くしかねえんじゃね?」と言う。

こんな経緯であの曲にギターソロがはさまれた。

余談ではあるが、大サビの強烈なフレーズ/メロディーはこの時の練習中に宮本さんが思いついたフレーズだ。たぶん一人で作ってたら出てこなかっただろう。

あの曲は4つのメロディーで構成されている。「Aメロ、Bメロ、サビ、大サビ」といった具合だ。デモの段階であの大サビはなかった。歌詞に関しては1番はなんとなく整理されつつあるようだったが、2番の歌詞は「どうしようかなぁ……」という感じだった。

なんとなくこんな感じかな?という感じで大サビの部分を楽器隊で演奏していたら、宮本さんがあのファルセットとは言えない猛烈な声で「さーよーなーらー こんにちーわー」と歌い始めたのだ。

宮本さんがキャッチしたバンドマジックの賜物だと思う。

それから2番のサビ前にバンドがブレイクして宮本さんが「イェーーーーーーーッ!!!」と叫ぶところ、あそこは当初はあの半分の長さだった。つまり1番と同じ長さだった。しかし宮本さんが突然「2番だけ倍やりたい」と言い出した。オレ達はキョトンとした。キョトンとするオレ達に宮本さんは困ったように「長いっすかねぇ?……まぁ1番と同じ長さでもいいんだけど、なんか倍やりたい気がするなぁ……長いっすか??」と訊く。

いやいや、宮本さん、あれを倍やろうなんて人はいません。倍の長さで「イェーーーーーーッ!!!」と叫びたいって言えるシンガーはあなた以外にいません。だからキョトンとしてるんです。キマったら最高にカッコいいのでぜひ倍イェーーーッやっちゃってください!!

もう一踏ん張りアレンジして「Do you remember?」は出来上がった。

2番の歌詞こそ決まらなかったが、そこは宮本さんが歌録りまでに好きに書いてくれればいいのだ。

この作曲風景の様子がMVとなってYouTubeにアップされている。本当にこの曲を作っていた時、そのまんまだ。「やってる風で一回撮らせてください」とか、そういうんじゃない。もろに曲が出来あがっていってる途中の記録だ。ぜひ興味がある方は観ていただきたい。

6時間の練習を2日間、濃密な時間だった。

 

 

「レコーディング」

まず楽器隊3人だけでオケを録った。Curva Nord というスタジオは Jah-Rah 君と「The Cost Of My Freedom」を録ったところであり、Jun ちゃんと「Four」や「Best Wishes」やいろんな音源を録ったところ。緊張感がありながらも、オレ個人的には少し甘酸っぱい気持ちもあった。

勢いのある、良いテイクが録れたと、我ながら思う。

この3人での音は、今までありそうでなかった、かなり独特なものが存在する気がした。

宮本さんの歌録りの日、オレは自分が必要かどうかわからなかった。シンガーの中には、歌っているところを誰かに見られたり、歌っている時にその場に人がいるのを嫌がる人もいる。宮本さんが歌録りの時にどう思う人かわからなかったし、「何時に来てください」とも誰にも言われなかったし、なぜかオレも誰にも訊かなかった。

始まる時間は知っていたので、その時間よりも1時間ほど遅れて、様子を見るつもりでスタジオに行った。

宮本さんはもちろんバリバリに歌っていた。

エンジニアの及川さんに「今どういう状況?」と訊くと、ウォームアップを兼ねて何度か通して歌って、本番を2度ほど通して録ってみたところだという。宮本さんに気付かれないようにスタジオの隅っこに着席するはずが、ガラス越しに見られていた。見つかった。

それからも何度か通して歌っていた。30分くらい経った頃、及川さんが「健くんが来てから声が明るくなったよ」と言った。なんだかとても嬉しくなった。

喉が温まって開いてきたのもあるだろう、慣れてきたのもあるだろうが、歌うたびに感情が込もりどんどん良くなっていった。

気づくとオレも宮本さんに「宮本さん、そこもう一回行ってみましょっか!」などと言うようになってた。「うおー!オレ宮本さんの歌をプロデュースしちゃってるよ!18の頃の自分に教えてあげたい!」などとも思ったが、顔だけでもキリッとしとかなきゃと思っていた。

しかし宮本さんの歌録りは大迫力だった。こんな言葉を使うのは無粋かもしれないが、宮本さんの歌の「テクニック」はすごい。声量、音程の正確さ、音域の広さ、フェイクの入れ方、強弱の付け方、オレの知るシンガーの中じゃ群を抜いている。そしてファルセットを実音のように出す。総じて「バケモノ」だ。こんな人いない。この歌録りは「金を払ってでも見たい現場だ」と不覚にも思ってしまった。

あの大サビのファルセットの部分の音程の正確さがすごすぎて、エンジニアの及川さんも笑ってしまうほどだった。

ちなみに普通歌のレコーディングでは、皆さんも何かで見たことはあるとは思うが、マイクをスタンドで立てて、そこに向けて歌う。それが一般的だ。なぜならレコーディング用の歌録りのマイクは超高性能で、ライブのように手で持てる大きさでもない。

しかし宮本さん、そういった高性能のマイクを使わず、普段ライブで使うような一般的なマイクを手で持って、ライブさながらに歌って録った。のけぞってみたり、体をくの字に曲げたりしながら歌う。その姿もまたすごかった。いつものレコーディングではどういうやり方をしているかは知らない。「Do you remember?」は宮本さんの希望でそうやって録った。なにか思うところがあってそうしたのだろう。

そして練習の時には歌詞ができていなかった2番。歌詞が出来上がっていることはもちろん、なんとメロディーも大幅に変えているじゃないか!まるで1番と同じメロディーを歌うことに意味を感じないとばかりに、普通男性シンガーでは出ないあたりの音域を使って、ガンガン盛り上がっていく。それがまたド迫力で、キマってて、カッコいいのだ。なのでオレも、宮本さんが「ここはもうちょっと低くてもいいのかなぁ?」とか迷い始めると、「いや宮本さん!高い方でキメてください!」などと、一丁前に入り込んでしまった。

これもまた余談だが、例の「イエーーーーーーーーッ!!」の部分。宮本さんは本番で「ウォーーーーーッ!!」に変えていた。何度か聴いていたらあることに気がついた。この曲に限ってのことだろうが、宮本さんの「ウォーーーッ」が映画の主人公の宮本の一人称に聞こえた。簡単にいうと「一人称の I」なのだ。しかし宮本さんの「イェーーーッ!!」は聴く者みんなの叫び、つまり「二人称の We」なのだ。なので宮本さんに頼んで、2番だけ「イェーーーーーーーーーッ!!!」にしてもらった。うーん、この差はオレの中では相当デカい。我ながら「気がついたオレ、シブい」と思った。

ものすごい歌が、とんでもない歌が録れた。

数時間かけて歌を録り終えた宮本さん、長居は無用とばかりにサッと帰ってしまう。オレは夜になって駆けつけた Junちゃんとスタジオに残って、何度も聴いて出来の凄さに笑い、余韻に浸った。

数日後にミックスがあって音源はひとまず完成した。全ての歌詞や音やアレンジ、全てが必然に感じられた。弾くのを拒んだギターソロすらも必然だった。この曲は完璧だ。

宮本さんも嬉しそうだった。少なくともオレにはそう見えたし、興奮していたと思う。

この4人はこの1曲のために集まった「急造バンド」ではあったが、録った音源はピュアに「バンドの音」になっていた。なぜそうなったかはわからない。宮本さんの気持ちがそうさせたのか。宮本さんの歌から感情がほとばしってるので、楽器の音達も感情的に瑞々しく、活き活きと聴こえるのだろうか。わからない。わからないが「バンドの音」だった。

ミックスされた音源を家に持って帰り、死ぬほどリピートで聴いた。家でも車の中でも、何度も聴いた。何かを確認するために聴くんじゃない、ただただすごい楽曲だから単純に聴きたくなるのだ。

オレ達は宮本さんを中心に、とんでもない楽曲を生み落とすことに成功した。

自分が誇らしく思えた。

 

スタジオから宮本さんが帰ってしまった後も Do you remember? を聴いて盛り上がる Jun Gray とオレ
「スタジオから宮本さんが帰ってしまった後も Do you remember? を聴いて盛り上がる Jun Gray とオレ」

 

「ライブ」

「Do you remember?」を録ったメンバーで「宮本浩次」として2本のフェスに参加することが決定した。8月に行われた「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2019」と「WILD BUNCH FEST. 2019」の2本。

曲作りとレコーディングだけではなく、ライブも一緒にできるなんて贅沢者だ。

7月から8月にかけて数回ライブのためのリハーサルに入った。この段階で宮本さんは5曲のソロ楽曲を持っていた。先述の「冬の花」、1stCDシングルになった「昇る太陽」、CMソングとして起用された「Going my way」と「解き放て、我らが新時代」、それから ROCK IN JAPAN で初披露しようという「Do you remember?」だ。

それだけだと時間が余ってしまうので、エレカシの曲もやることになった。オレは2ndアルバムに入っている若干マニアックな曲「ゲンカク Get Up Baby」をリクエストしたが、あえなく却下された。しかし国民愛唱歌ともいえるヒット曲の数々を演れることになった。「ファイティングマン」、「四月の風」、「悲しみの果て」、そしてみんなが大好きな「今宵の月のように」がリストアップされた。

様々なタイプの楽曲がある。「Do you remember?」や「Going my way」は楽器が3ピースでもそのまんまできる。「ファイティングマン」もそうだ。しかしそれ以外の曲達にはキーボードが入っていたり、ストリングスが入っていたり、アコギが入っていたり……3人で完全再現はできない。しかもエレカシの曲は馴染まれている余り、リスナーの頭の中でも再現されてしまう音がある。なんとか Jun ちゃんと2人で聴こえてくる音を振り分け合い、このバンドならではのものをアレンジした。

宮本さんはリハーサルでも全力で歌う。3〜4曲演ると着ているシャツが汗だくになる。一緒に演奏しているこちらが心配になるほどだ。

しかし聴こえてくる歌声は、18の頃から憧れまくったあの声だ。「ファイティングマン」をリハーサルでやった時の感激なんか、もう。今でも夜中にシメシメとばかりに練習の音源を聴いて鳥肌立ててたりするくらいだ。

思い返せば、ソロ楽曲はいろんな音が入っていようがあまり先入観がないので、「オレ達の色を出してしまえ!」と思い切れるハードルの低さがあった。とはいえ「冬の花」をどうアレンジするかにはそうとう心を砕いたが。なにしろエレカシの楽曲が難しかった。演れる事実は嬉しい。「オレ、宮本さんの隣で『今宵の月のように』を演ったことあるぜ」って一生言える。しかし難しかった。

楽器隊3人だけで練習スタジオを借りて自主練を数回したりして、なんとかまとめた。

我ながら異様にマジメに取り組んだ。

ところでこのリハーサルの時、宮本さんが突然「なんかこの4人で演る時用にバンド名つけたいなと思って考えたんだけど、センス無いからひどいのしか出てこなくて……」と言う。「どんなのですか?」と訊くと「メンバーの名前の頭文字を取って『MYJJ』とか……」その場にいた者全員が笑ってた。言った宮本さんも笑ってた。すかさず Jun ちゃんが「宮本さんwwww そりゃないよwwwwダサすぎるwwwwww」と却下した。オレも、それはないな、と思った。

しかし名前をつけるということは、今後も不定期であるとしてもこのメンバーでやりたいって宮本さんは考えているということの証左で……なんだかそれだけで嬉しいじゃないか。

 

MYJJ、2019年春。突然思ったんだけど......宮本さんの愛称は『ミヤジ』です。『MYJJ』ってメンバーの頭文字を取っただけのように見せて、実は『ミヤジ ジャパン』の略なんじゃないか!?という説をオレは最近唱えています。宮本さんはこのメンバーで日本を獲る気だったんじゃないかと......あら、ちょっとカッコ良く考えすぎかなぁ?(汗汗汗)
「MYJJ、2019年春。突然思ったんだけど……宮本さんの愛称は『ミヤジ』です。『MYJJ』ってメンバーの頭文字を取っただけのように見せて、実は『ミヤジ ジャパン』の略なんじゃないか!?という説をオレは最近唱えています。宮本さんはこのメンバーで日本を獲る気だったんじゃないかと……あら、ちょっとカッコ良く考えすぎかなぁ?(汗汗汗)」

 

8月上旬、ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2019の日を迎えた。本番の数時間前に会場入りし、最初はリラックスしていた宮本さんだったが、時間が近づくにつれてどんどん緊張していく様子が手に取るようにわかる。

オレはこのライブへの参加オファーがあった時、「オレも目一杯カッコつけて、宮本さんもカッコつけさせます!2人してカッコつけましょう!」なんていうやり取りをしていた。着るものも、宮本さんに合わせて、オレと Jun ちゃんは襟のついたシャツを着用した。Jah-Rah くんもそれっぽいカッコを用意してきてた。だってバンドだから!!

時間が近づき、まずステージ裏の「出番前控室」に移動した。そこで着替えたり各自パートを確認する作業なんかしたりするのだが、宮本さんは部屋の外の椅子に座ってジーッとしてた。宮本さんにしか感じられないなにかを感じていたのだろう。さっきまであったバンド間の会話も止まった。

時間がやってきてオレ達はステージに出ていった。この日の1曲目は「悲しみの果て」だった。いきなりあのヘヴィーな名曲。ただエレカシの曲の中では比較的演奏はしやすい。しかしどこか緊張しているのか。ミストーンが出てしまう。まぁミストーンなんて自分のライブだと全曲にあるほどなのであまり気にしないが。

MYJJ で演っているライブではあるが、観ている人からしたら「宮本浩次ソロ」。宮本さんにのしかかるプレッシャー、背負うものは大きい。もがいているのは感じ取れた。

でもオレには全てが美しく感じた。初披露の「Do you remember?」は演奏が空中分解寸前になったが、それもそれで美しかったんじゃないかなって気がした。エレカシから離れて、弾き語りとも違う、「バンド」としてステージに立って、自分に課したことを思い通りにクリアできていない宮本さん。その姿が一番美しかったのだと思う。だって期待と不安の中で、血が出るほど本気で向き合ってるのだから。

こういうことって本人はクリアできたかどうかが問題なのだが、隣で見ている者にとっては「その様の美しさ」が問題なのだ。

たった30分のライブ後、宮本さんは消耗しきっていた。シャツはゲリラ豪雨に打たれたのかってくらいズブ濡れだった。楽屋に戻る導線で、オレは自然と宮本さんの肩を抱いて歩いていた。嬉しくて、宮本さんがカッコ良かったから。

8月下旬の WILD BUNCH FEST. は曲を少し変えた。「悲しみの果て」と「ファイティングマン」をカットし、「四月の風」を演った。2本目ということもあってか、ROCK IN JAPAN より演奏はまとまっていたと思う。

ちなみにこの日ステージ上で宮本さんは、バンド名のアイデア MYJJ を Jun ちゃんに却下されたことを話した。「オレはいいと思うんだけどなぁ……でも Jun さんが歯に衣着せぬ人で……」と話していたら、すかさず Jun ちゃんが「どうも!MYJJ です!」と自己紹介して喝采を浴びていた。

つまり……もうこの4人で集まる時は「MYJJ」になるんだと思う。

 

ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2019 Photo by 岡田貴之
「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2019 Photo by 岡田貴之」

 

「シングルカップリング曲」

せっかくシングルとしてリリースするなら、カップリング曲も MYJJ でもう1曲作りたいところだったが宮本さんも忙しく、なかなか予定が立たない。

オリジナルを作るのは日程的に難しくなってきたある日「ビートルズのカバーをやろう」と連絡があった。ジョンとポールがずっとハモって歌ってる初期の曲「If I Fell」をやりたいという。宮本さんとエレカシといえば「ストーンズ、ツェッペリン」のイメージだったので、意外だった。しかし「If I Fell」の歌詞をあらためて読んでみると、初々しくて煮え切らない若い恋の歌だった。「全てを背負っていこう」と覚悟して力強く歌う「Do you remember?」とは対極にある、しかしどっちも恋であり愛であることには変わらない。宮本さんの真の狙いとは違うかもしれないけど、オレはおもしろい対比だと思った。

レコーディングは、曲調が曲調なので、宮本さんの歌以外は全部オレがやった。アコギを弾いて、エレキのアルペジオを弾いて、パーカッション的にドラムを叩いて、コーラスから先に録った。ここまでだと完全にオレ一人の「オジサンの趣味の多重録音」だったのがウケる。

しかし「宮本さんの歌が入れば『画竜点睛』!」と信じてやった。

 

オジサンの趣味の多重録音の最中。珍しくドラムを叩いています。
「オジサンの趣味の多重録音の最中。珍しくドラムを叩いています。」

 

宮本さんの歌録りの時にはオレはいなかったのだが、さすが宮本さん、ビートルズとは違う雰囲気で仕上げてきた。特別声を張るわけでもないのだが、「完全、宮本節」なのだ。もう1つの宮本さんの歌の顔がそこにはある。

本人は英語の歌には初トライらしく、ずいぶん発音を気にしていたが、まるで気にならない。

ちょっとおもしろいエピソードなのだが、ある時ビートルズの発音について2人で話していた。ビートルズはイギリスのバンドなので、当然発音もイギリスのもの。オレがよく一緒にツアーしていた90年代のパンクバンド達はアメリカのバンドが多かったので、巻き舌の多い「アメリカ英語」に慣れている。しかしカバーするとなるなら「アメリカ英語」よりビートルズの「イギリス英語」の方がやりやすい、なんて話をしていた。興味深そうに聞いてた宮本さん、いきなり「健くんは自分のバンドではどっちなの?」と訊いてきた。オレは即座に「日本英語です」と答えた。宮本さんは納得しつつもニヤニヤと笑っていた。

出来上がった音源を聴いて「宮本さんとオレの2人だけで作った音源だ!」と、やはり18の頃の自分に教えてやりたいと思った。

この曲は先述した通り、2019年10月23日にシングル「Do you remember?」のカップリング曲としてリリースされた。

「Do you remember?」はシングルだけでなく、2020年3月4日にリリースされた宮本さん初のソロアルバム「宮本、独歩」にも収録されたので、どちらでも楽しんでもらえる。

 

 

「最後に」

オファーから始まりフェスまで約半年くらい、もうこの文章の熱量で察してもらえたとは思うが、言葉では言い表せないくらいエキサイティングで濃密な日々だった。

オレが宮本さんから授かった一番大きなものと言えば、絶対に「歌に向かう姿勢」だ。宮本さんから歌唱指導を受けたわけではなく、リハーサルとレコーディングでのあの人の姿を見て「歌う人はこうあるべきだよな」と思ったのだ。

恥ずかしながら、オレは歌うのがあまり好きではない。理由はいくつかあるが、実際に歌が下手くそだというのも好きじゃない大きな理由のひとつだ。「苦手なのになんでボーカルをやってるの?」と思われるだろうが、それにも理由がある。

ライブで雰囲気を掌握する役割を担いたかったらからだ。それをしたければ、ボーカルになるしかないのだ。だからしょうがなくボーカルをやっていたのだ。

ハイスタにはナンちゃんというキャラの立ったボーカルがいる。オレは彼の隣で、ドラムのツネちゃんとボーカル/ベースのナンちゃんの間を行ったり来たりする役目を楽しんでいる。でも自分の名前を冠し自分で始めたバンドのフロントマンは、自分がやる以外にない。例えばギタリストが自分の名前を冠しながらボーカリストを立ててアルバムを作ったりライブしたりする、つまりそれでバンド活動してしまうやり方もある。マイケル・シェンカーとかイングウェイ・マルムスティーンなどがその例に当たる。しかしそういった人達は「超絶ギタリスト」なわけで、もちろんオレは違う。なので下手くそでもマイクに向かうしかなかった。

そういった経緯やコンプレックスが原因で、オレはボーカルでありながらも、真面目に歌と向き合ってこなかった。正確には、ライブに於いては向き合ってきたが、レコーディングではあまり真剣にやってたとは言えない。歌い慣れていない歌を、自分のものにする前になんとなく録ってきた。ライブで歌い慣れてくれば当然感情もこもるようになるが、それまでの過程も苦痛でしょうがなかった。とにかく、言い訳をしながら、なんとか正面からブチ当たらないように避けてきた。

包み隠さず言う。宮本さんの歌う姿を見て、オレはそんな自分を恥じた。あれだけのものを見てしまったら、自分が目をそらし続けてきたものはなにか、バカでも気づく。当然化け物シンガーと同じ出来、同じ結果を望めるわけもないが、望めないにしてもその姿勢だけでも見習ってみたらどうだ、爪の垢でも煎じて飲めということだ。

それから Ken Band の練習でも、歌練の時間を取るようになった。Ken Band の3人に演奏してもらって、オレは宮本さんのようにハンドマイクで、歌詞カードを握りしめて新曲を歌ってみる。最初はしんどかったけど、慣れてくると楽しさを感じるようになった。昨年のライブ/ツアーでもその成果は少しずつ出始めていたはずだ。

そして前回のコラムで書いたミニアルバム「Bored? Yeah, Me Too」のレコーディング、そこに向けて歌練の熱も高まっていった。お陰で、今までの作品の中で、荒々しいながらも、一番感情的なボーカルが録れた。自分でもとても気に入っている。Ken Band のサウンドの変化の要因として、ドラムが代わったことが注目されがちだが、オレ自身は「もしかして歌が変わったのもデカいかもよ?」とさえ思っている。

この調子でフルアルバムの歌録りにも挑みたい。(ちなみに「Bored? Yeah, Me Too」について詳しくはこちら → 特設サイト)(この長文の最後にちゃっかり宣伝)

 

「Bored? Yeah, Me Too」ジャケット画像
「Bored? Yeah, Me Too」

 

さてさて……今後 MYJJ はまたあるのだろうか?オレはやりたい。是非やりたい。宮本さんは様々な才能を持った方々と、才能のぶつけ合いをしている真っ最中。いまのところ MYJJ の予感はない。しかしそれも宮本さんの思いつきひとつ。

宮本さんからお呼びがかかったら、Jun ちゃんを騙してでも連れて、ソッコーで駆けつけたい。

またあの人の隣で、ギターを弾きたい。

2020.09.23

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