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『横山健の別に危なくないコラム』

Vol.102

「2019年」

今年1月で Pizza Of Death Records は設立20年を迎えた。法人(会社)として登記が完了してから丸20年ということだ(レーベル内レーベルとして発足した時点から数えると25年になる)。

Ken Band も今年3月で結成15年を迎える。

しかし Pizza Of Death のスターティングメンバーで残っているのはオレだけ(ブッキング担当のイソは設立の翌月に行われた Making The Road のレコーディングに顔を出し始め、数ヶ月後には社員として入ったのでほぼスターティングメンバーと言えるが)。

Ken Band もオリジナルメンバーはオレしかいない。ミナミちゃんとジュンちゃんは Ken Band 在籍10年超えになるが、いずれにせよオリジナルメンバーはオレだけ。

Pizza Of Death も Ken Band も一人ではできない。周りあってのことだ。全員で周年の気持ちをシェアできるなら話は別だが、みんな入ってきた時期はバラバラ。シェアできない事象に対して、特別喜びの気持ちはない。

もともと周年行事は柄ではないし(実はこの要素が一番デカかったりする)。

人の誕生日なら別だ。「おめでとう」「よく生きたね」「良い一年になると良いね」という気持ちになるが、複数人が違った時期に関わり始めるという意味での「集団」に対してはそこまで気持ちが届かない。

ただ事実として、Pizza Of Death の社長として20年経過し、Ken Band のボーカル/ギターとして15年経過したということをお伝えする。

先日「創業150年」という東京の下町にあるお店に行った。店主は「ただ長くやっているだけで他にはなんにもない」と謙遜したが、オレは「150年続けているということが全てじゃないですか?」と答えた。

150年ともなるとさすがにすごいと思う。15年、20年などまだまだひよっこだ。

 

「Ken Band」

今回のこの文章で、2つ「宣言」をしたい。

まず昨年末の「Songs Of The Living Dead ツアー」から辿ってみよう(あまり遡りたくない記憶ではあるが)。

このツアーは10月18日から12月6日まで、足掛け1ヶ月半に亘って行われた。当然アルバム「Songs Of The Living Dead」をフォローするためのツアーだったが、脱退が決まったドラムのまっちゃんとの最後のツアーという性格を同時に併せ持っていた。

前回のコラムではツアー前の複雑な心境を吐露した。振り絞るように「どんな気持ちを抱えていようが、ステージに出れば楽しいもんだ」というようなことを書いたが、やはり結果このツアーはそうではなかった。気持ちが乱高下し、良い日と良くない日が入り乱れた。

観てくれた方達がどう感じたかはわからない。演る側と観る側とは真逆の感触を得るものであり、それは決して交わらないものだ(自分が観る立場でもいつもそれを感じる)。ライブ後に「そうそう、これをやるためにはるばる来たんだよ!」と思える日もあれば、いままでに感じたことがないほどとんでもなく惨めな気持ちになる日もあった。

実はある程度そうなると心のどこかで感じていたのだろう。「どんな気持ちを抱えていようが、ステージに出れば楽しいもんだ」という文言は、そんな予感を押さえつけるべく、自分に言い聞かせたつもりだったのだろう。

まぁやはり辞めていくメンバーとのツアーなど、惨めで当たり前だ。テキトーな気持ちでやってればなんとなくで済むが、真剣であればあるほど惨めさが炙り出されていくものだ。

まぁいい、どんな夜でもベストは尽くしたし、その結果というか残った手触りを正面から受け止めるしかない。誰が悪いわけでもないのだから。しかももう終わったことだ。

このツアーで今後是正すべき点も見えた。これはファイナルの新木場コースト公演で決定的にわかったことだ。

まず1つ目の宣言。

Ken Band はライブでのアンコールを止める。

この日来てくれた方ならご存知のことだが、本編が終わり、アンコールでステージに出ていくまで10分以上かかった。これも誰が悪いわけでもない。呼び続けてくれていた人達はいたが、この日の Ken Band は本来ならアンコールに応えるに値しなかったのだろう。実はそれはオレもわかってはいた。しかし正直に言うと、オレはもう少しまっちゃんと演奏したかったのだ。いつもだったら「今日はやらなくていいよ、呼ばれていない」と冷静な判断ができるはずが、オレの気持ちが甘かったのか、呼ばれるのを待ってしまったのだ。これが良くなかった。自分の甘い点だと思い、後に活かす。

さてその活かし方が「今後 Ken Band はアンコールをやらない」ということになるのだが。当然悲しく受け止める方も多いとは思うが、オレにはそういった「悲しい気持ち」はない。

Ken Band はフェスやガチの対バンの時はアンコールをやってこなかった。しかし自分達のツアーになるとアンコールをやっていた。そこが我ながら謎ではあったし、その謎を謎のまま放置してしまっていた。

基本アンコールなど要らないとは考えている。本編でやりきればそれでいいわけだ。ただ言い訳に響くと心外ではあるが、そうも言っていられない時期を経験してきた。

アルバム「Four」を引っさげた「Four ツアー」、Ken Band はアルバムの売れ行きも芳しくない中、ツアーも各地で苦戦していた。過去にソールドアウトしてきた土地でもチケットがソールドアウトしない日がいくつか出始めた。この時 Ken Band は腹をくくって「呼ばれたら必ずもう一回出ていく」を繰り返した。これが観に来てくれた方達に対する誠意だと信じてそうした。 最低でも3回、多い時は5~6回のアンコールに応え、ライブが3時間を超えることもよくあった。しかし実際にこれを続けていると、自然と「やり過ぎ」になっていくわけで、Four ツアー後に軌道修正したのだが。

とにかく、Ken Band にとってアンコールとは感謝の証であって、あらかじめ決められたものではなかったはずなのだ。しかし Four ツアー後、適度な長さのアンコールを模索し始めてしまい、自分達が意味を持ってやっていたものとは別モノとして定着した。

これはこれで良さもあった。例えば本編があまりピリッとしないライブだったとしよう。そんな時、本編終了後の楽屋で問題点を詳らかにして修正し、アンコールで取り戻すなんていう日も結構あった。必ずしも「アンコールなど要らない」とは言い切れない、予定調和とは違う、仕切り直しという良い作用もあった。

しかしもう止める。またやりたくなったら、あるいは「あの仕切り直しの時間は必要だ」と改めて実感し始めたらやるだろうが、当分は止める。これはメンバーですでに申し合わせ済みだ。

さてメンバーといえば、新しいドラムに元 FACT のえっくんが加入することが発表された。2月現在、3月末からの「New Age ツアー」に向けて絶賛練習中だ。

えっくんと演りたい曲をリストアップしてみたら、なんと100曲弱あった。ツアー初日までに全曲できるようになっておく必要はないと考えているが、近いうちに全曲できるようになっておく。そもそも Ken Band のツアーは毎晩セットリストを劇的に変えるし、その場での突然のリクエストにも応えたりする。「New Age ツアー」はたった5本のツアーだが、最低でも60曲は持って出たい。

バンド内の空気は最高だ。えっくんはバンドに飢えている。相当ハングリーだ。いくつかの挫折を味わって、成熟したハングリーさを身につけたように見える。それがバンド内に新鮮な空気を呼び込み、オレにも喝を入れてくれている。

えっくんの挫折、本人はあまりペラペラと話はしないが、推して知るべし。ジュンちゃんが Ken Band に入った時のことを思い起こさせる。ジュンちゃんは20代の早いうちからバンドマンとして成功し、数々の有名なバンドに在籍した。オレが高校生の頃から憧れの存在だった。しかしそのキャリアの雲行きも段々と怪しくなり、40を少し過ぎた頃にはあまり満足なバンド活動ができない状態に陥ったようだ。トラックの運転手をしながら「オレもこうやって終わっていくのかなぁと思ってた」と本人は回想した。そんな時に前任のベーシストが辞めた Ken Band が声をかけた。メンバーになり、スタジオに入り、ツアーに出て、新曲を作る。そういったことを10年もやりながら、今でもジュンちゃんから感じることはいつも「音を出せる喜び」だ。ジュンちゃんからバンドの活動や忙しい日々、なにかに追い立てられるようなバンド独特の焦燥感について文句を聞いたことがない。それは「音を出せない怖さ」を知っているからだろう。いまのえっくんからもそういったものを感じる。

言い方を変えると、ドン底を味わった者は強いのだ。

えっくんはドラマーとして一級品だ。彼の腕を知るものからは異論は出ないであろう。「ドン底を味わった一級品」がどれほど凄いか、今後の Ken Band を通して見てもらいたい。

Ken Band は、自分で言うとバカみたいだが、略歴だけなぞると「ちょっとしたスーパーバンド」になった。元 KEMURI のミナミちゃん、元 Kenzi & The Trips / Bad Messiah / Dessert のジュンちゃん、元 FACT のえっくん、それに11年間も活動を止めた Hi-Standard のオレ。全員揃いも揃って、挫折を経験している。それはこのバンドの大きな強みになる。

そんな挫折を味わった強者どもが、ここへ来て一からバンドというものに向き合って、「人前に出るということはどういうことか」、「バンドが一枚岩になるためにはなにをどうすべきか」、などとものすごく根本的/初歩的な部分を見直す作業をしている。ライブをできないこの時間、すごく「あー、ライブしてぇなぁ!」とはなるが、とても充実した良い時間、必要な時間になっている。

全ては「いきなりトップフォーム」の最高のスタートを切り、今後の Ken Band をさらなる高みへ持っていくためだ(人から見た相対的高みではない、自分達が見たことない風景という主体的高み)。

ここで2つ目の宣言。

「Ken Yokoyama」というのは「バンド名だ」と改めて宣言する。

オレひとりでも便宜上 Ken Yokoyama を名乗ってしまう時がある。例えばなにかで紹介される際に、どうしても横文字じゃなければカッコウがつかない時。しかしこれを機会に、そういった際にも努めて名乗らないようにしていく。

ややこしい話だが、オレは「Ken Yokoyama の横山健」なのだ。「Ken Yokoyama の Ken」であり、「Ken Yokoyama の Yokoyama Ken」なわけだ。

これはもしかしたら皆さんには直接関係ないことなのかもしれない。「それでなにが変わるの?」「なにが違うの?」「なんでも好きにしたらいいじゃないですか」と思う方々もいよう。しかし去年1年のオレの心の機微を少しでも汲んでくれている方なら、なぜオレがいまさらこんなことを言い出すのか理解してくれるはずだ。

この部分は「今後のバンドの精神性」に深く関わる、必要なことなのだ。

Ken Yokoyama はオレのソロではない。4人で Ken Yokoyama というバンドである。

そう改めて認識してもらいたいとハッキリ公言したくなった。こんな宣言をしても、いまさら皆さんに捉え方を変えてもらいたいとお願いするのも、無理があるかもしれない。定着しないかもしれない。しかし徒労に終わろうが、どうしてもいま宣言したくなった。

なぜなら、まっちゃんが Ken Band を抜けたくなった理由の一端もそこにあったような気がしてならない。だったらなおさらえっくんを迎えたいま、改めて宣言しておく必要を感じる。

さて宣言はこれくらいにして話を変えよう。3月末からの「New Age ツアー」、チケットが争奪戦だと聞いた。オレのところにも何通も泣きのメールが入った。「ツイッター覗いてくださいよ!」と怒り混じりのものもあった。見るとまぁ確かに。えっくんとの初ツアーにしてはサイズが小さかったのだろうか。

しかしこれは今の時期だけだ。じきにチケットは取りやすくなる。

新メンバーが加入して最初のツアーを観たいという心理は理解できる。でもオレ達は今年はツアーをバンバンやる。そして恐らくしばらくの間は、ライブのたびにバンドは良くなっていくだろう。だから焦らなくても良いのではとも思う。観たい人の心理とはそういうもんじゃないというのも理解はするが、くれぐれも高いお金を出して転売屋から購入なんてことはやめてもらいたい。

定価の何倍もの値段でチケットを転売する、いわゆる転売屋。どのようにして早々にチケットを手に入れているのか、その手法はオレ達にもわからない。商売(小遣い稼ぎ)としてはみみっちいなぁとは思うが、まぁやるのは彼らの自由だ。市場というものは需要があるから供給も発生する。売りたきゃ売ればいいし、買いたきゃ買えばいいとも思う。

しかしなんで「転売屋から買うのはやめてもらいたい」と言うのかというと、オレ達はチケット代を適宜なものだとして設定しているからだ。高い金出して観に来られて、ヘボいライブをして「あんな大枚はたいて必死でチケットをゲットしたのに」なんて感情になられても、オレ達は知らんよ、ということだ。感情の責任がこっちに回ってくるのは勘弁して欲しい。価値はオレが決めるものではないが、オレ達のライブにそんな価値はない。

こうは書いたが、Ken Band は「New Age ツアー」初日から、とんでもないライブをするつもりでいる。どうとんでもないかはわかんない。理由や理屈など存在しない。いきなり世界一のロックンロールを、ただただ圧倒的なロックンロールを(たまに下ネタを)見せつけてやる。

そうやってライブをしながら新曲をバンバン作り、Ken Band は7枚目のアルバム制作へと向かっていく予定だ。

皆さん、これから日本各地でたくさん会おう。

 


「軽く小芝居できるほど余裕の Ken Band。絶好調ずら。」

 

「Solid Bond」

今年2月1日、Solid Bond (ソリッドボンドと読む)という楽器ブランドが立ち上がった。オレはこのブランドの商品開発に大きく関わることにしたので、他のギターブランドとの住み分けに対する考えも併せていろいろと話したい。

オレにはギター業界で恩人と言える人が何人かいる。彼らがいなければ横山健モデルのギターなど世に放てなかったし、今のようにギター開発にのめり込んでいなかった。そういった意味ではオレを「無類のギター好き男」にさせてくれた人達だ。

そんな中のひとりに、今回 Solid Bond を立ち上げたオーナーがいる。30年以上も楽器業界で活躍している50代後半のオーナー、様々な理由や気持ちを抱えての独立。その話がオレの耳に入ったのが去年の夏頃。正直、血が騒いだ。方向性に迷っていたオーナーの話を聞き、これはオレが関われると感じた。物事の立ち上げから関われるチャンスなどそうそうない。そりゃ血が騒ぐ。

 


「Solid Bond オーナーの重田さんと」

 

オレの性分は「やれることがあったらなんでもするから言ってくれ」ではない。「やれることがあったらズカズカと土足で上がり込んで、やる」のだ。もちろんその対象の人との関係性がそれを許すものでないと通用しないのだが、オレは意識して、覚悟を以って、ずーっとそうやってきた。

それが結果的に裏目に出ようが、相手を引っ掻き回すことになろうが、まぁそれもいいじゃないか。人間は引っ掻き回し合って生きていくもんだ。

去年の夏に新しくブランドを立ち上げたいと話を聞いて、オレは自分が日頃から使っているギター用品を作ってもらいたいと思った。例えばギターを拭くためのクロスとか、ギターとアンプを繋ぐコード(これをシールドと呼ぶ)とか、ギターをかけるためのストラップとか。せっかく作るのであれば「横山健モデル」として発売してもらいたい、と申し出た。

オレは特別自分の周りのギター関連グッズを自分モデルで埋め尽くしたいとは思っていなかった。しかし作れるチャンスがあるのならばそれも楽しいだろうと感じてしまったのだ。感じてしまったからには動きたい。そしてそれが物事の立ち上げに関わることになるなら、なおさらやりたい。血が騒ぐどころか、沸騰状態だ。

それからオーナーと毎日連絡を取り合い、頻繁にミーティングし、あれやこれやと興奮しながら物づくりに取り掛かった。

ある日、オーナーに「ブランドの名前を決めてもらいたい」と言われた。あまりのオレの鼻息に決めさせようと思ってくれたのだろう。オレは「固い絆」を意味する「Solid Bond」と命名した。我ながらシブいと思う。

命名したら、今度はそれに引っ張られるようにコンセプトも見え始めた。あくまでもオレが勝手にひらめいただけだったが、オーナーはそういう部分を買ってくれているのか、ほとんど全部採用してくれた。

いろんなものを自力で描いてみた。もちろん他の方達の力も借りているが、ブランドのロゴだったり、商品タグのデザインだったり、商品にのせるイラストだったり……「描く」などあまり今までにしたことがないようなことも自分でやってみた。やってみりゃできるもんだ。めっちゃめちゃ燃えた。

そういった助走期間を経て、今年2月1日 Solid Bond は東京都北区田端に路面店をオープンした。オーナーの人徳で多方面から協力を受け、立派な店になった。横山健モデルのギターグッズはまだクロスとフレットガード(ハードケースにギターをしまう時にフレットや指板を守るためのもの)しか置いてないが、入荷予定の商品がたくさん待っている。ギターも販売用に置いてある。ESP も Woodstics のギターを卸してくれた。珍しい Kay Guitar が充実している。そして T.S. Factory のギターやベースがまたユニークで楽しい(オレも危うく1本買いそうになった)。ダイナ楽器が展開するブランド Dyna も10本ほどある。そして音を出すための防音室も併設。

さらに特筆すべきは、ギターのリペアマンが常駐していること。経験豊富なリペアマンがパーツ交換はもちろんのこと、修理も請け負ってくれる。これは結構ギタリスト/ベーシストにとっては嬉しい話だと思う。どこにリペアに出すべきか悩むことも多々あろう。大掛かりなパーツ交換や改造からちょっとしたメンテナンスまでいろいろやれると思うので、是非相談してみて欲しい。オレも早速 ES-355(通称 Freddy) のネック調整とナット交換、同じくES-355(通称パトリック)のピックアップ交換、さらには Kenny Falcon のネックバインディング部の塗装剥がれ、ナット交換などをしてもらった。

 


「防音室からバァずら!」

 

そして!近々 Solid Bond に「横山健モデルのギター」を作ってもらおうと思っている。始まった当初はあくまでも「ギターグッズのブランド兼リペアショップ」と当事者みんなが考えていたが、オレが突然ギターヘッドのデザインを思いついてしまったのだ。それを商品タグにも堂々と描いてしまったので、もう引き返せない。作ってもらう。良いものができあがったらライブで弾くし、当然ライブで弾けるほど良いものなら売ると思う。楽しみにしていて欲しい(オレが一番楽しみだが)。

Solid Bond の横山健モデルのグッズは全国の有名楽器店/小売店に流通されるので、どこの地方に住んでいても購入は可能だと思う。しかし店舗でなければ買えないアイテム(例えばTシャツ)なども進行中。田端に寄る機会があったら店を覗いてみてもらいたい。

興味がある方、商品やお店の情報を知りたい方は solidbondguitar.jp/ にてチェックしてみて欲しい。

さて、こんな状況になってくると「健って Woodstics もやってるし、Gretsch でもモデル出してるし、今度は Solid Bond でギター作るって言ってるし……どうなってんの?」ということを説明したい。

早速結論だが、全部やる。

ギターを弾かない方にはチンプンカンプンな話だとは思うが、一応説明しよう。

Woodstics のギターは「ソリッド」、いわゆるボディーが木の塊でできているもの。これは比較的わかりやすい。きっと皆さんが「エレキギター」と聞いて一番にイメージするものは、こういったソリッドのギターだと思う。オレのギターだと Woodstics の「Eye」とか ESP の「Honey」とかを想像してもらえるといい。

Gretsch は「箱モノ」。Gretsch にもソリッドのギターはあるが、オレは箱モノを使っている。「箱モノ」というのはソリッドとは違い、文字通り木の箱のような形状になっている。アコースティックギターとエレキギターの中間的存在といえばわかりやすいか。表面に「Fホール」と呼ばれる穴が2つ空いているのがベーシックなものだ。箱なので片方のホールからタバコの煙を流し込むと反対側から出てくる。しかしエレキギターなので、こういったタイプを「フルアコースティックタイプのエレキ」、つまり「フルアコ」と呼ぶ。オレのギターだと、Gretsch の「Kenny Falcon」がこれ。

さて今後 Solid Bond に製作してもらおうと画策しているギターは「セミアコ」と呼ばれるタイプ。ぱっと見はフルアコと見分けがつかないが、Fホールから煙を流し込んでも、反対側から出てこない。つまり箱の内部に木が敷いてあるのだ。ややこしいが「ソリッド」と「フルアコ」の中間のエレキギター。オレのギターで言うと Gibson の「Freddy」がこれにあたる。

オレはこの3つのタイプのギターを使い分ける、Ken Band のライブでは Gretsch のフルアコで通してしまうことも多いが、ハイスタではかなりこまめにこの3種類のギターを持ち替え、使い分けている。レコーディングでは Ken Band でもソリッドやセミアコを頻繁に使う。

つまり今のオレには「3つのタイプが必要」、いや「3つのタイプを弾きたい」のだ。

そして各ブランドから「横山健モデル」をリリースするわけだが、こんなにいろんなタイプのギターをいろんなブランドからリリースするギタリストを、オレは自分以外に知らない。いるといえばいるのだが、日本のギタリストではいないような気がする。前例がないのだ。

しかし前例がないからと言って、やってはいけないわけでは当然ない。ならばオレはやる。なぜならギター開発は楽しいからだ。

ここで重要なポイントになってくるのが、各ブランドとの信頼関係。「やっちゃいけないわけではないんだからやるでしょ!」という気持ちだけでは、そうは問屋が卸さない。

オレは90年代なかばから20年弱に亘り ESP の専属ギタリストとして ESP、あるいは ESP 内のブランドの Navigator を弾いてきた。自分が好きで買ったギターだけ弾くギタリストならどこのブランドのギターを弾こうが問題はない。オレは ESP からスポンサーを受け、一緒に開発もする専属ギタリストだった。これは契約事なので守るし、人と人の信頼関係の上に成り立っていることでもあるので大事にしたし、現にオレは満足だった。しかし突然箱モノのギターを人前で弾きたくなった。そしてその時に、なにも言わずに勝手にそうするのではなく、しっかりと ESP と話し合い、専属契約を解除してもらった。

こういったことはビジネスであり、しかも人の気持ちでもあるので、話し合って理解し合い、あらぬ感情的な方向にいかないようにすることはとても大切だ。オレは20年に亘る貢献を評価してもらい、今後ギタリストとして進んでいきたい方向を ESP がフルで理解してくれた、と受け止めている。実際、専属契約は解除したとはいえ、ESP 内部に Woodstics を立ち上げさせてもらって、いまだに一緒になってキャッキャと仕事している。極めて良好な関係だ。

Gretsch に関しては、横山健モデルをリリースさせてもらったが、専属契約という形ではない。好きな時に使ってくれという、非常にギタリストにとっては優しい契約だ。ただ好きなギターが出来上がったのでどうしても使ってしまう。今も新しいフルアコ製作を計画中だ。

Solid Bond とも当然そうなるだろう。そうなりたいと期待している。

つまり上記のことを通してなにが言いたいかというと、各ブランドとオレはしっかりとした信頼関係に基づき、しっかりと連携しているということ。

「結論として、全部やる」という発言の根拠だ。

Gretsch にはいちギタリストとして自分のギターを開発する権限しか与えられていない。しかし素晴らしいギターを作ってくれる。 Woodstics は自分のブランドだ。Solid Bond は自分のブランドではないが、片足突っ込んでいる。

そうなると「全部全力でやりたい!」と思うのがオレの思考回路だ。

そしてオレが享受しているこの素晴らしいギター開発の環境を、周りのギタリストにも少しずつ分けていきたいし(つまりスカウトマンとして暗躍する)、楽しみに待ってくれているギターフリークの方達にも、それぞれのブランドからエキサイティングなモデルとして提案していきたい。

「無類のギター好き男」として、自分が空中分解してしまうまでやっていく。

 


「サンプルでゲットした Solid Bond ステッカーと横山健モデルのストラップにつけられた商品タグ。頭を悩ませて時間も手間もかけて考えたものがこうして形になって手元に来る。この喜びは何事にも代えがたい」

 

「ここまで書いて」

一体自分がなんの人なんだかわからなくなる時がある。前項の話だけ読むとまるで楽器業界の人みたいだが、一番最初の項を読むと Pizza Of Death の社長として20年経過したと書いている。そして2つ目の項では Ken Yokoyama について書いている。

しかし人前に出てギターを弾いて歌う自分が中心にいなければ、Pizza Of Death のオレもギター開発するオレもいないのだろう。

オレは幸せな男だ。やりたいことをやって生きている。しかもそのやりたいことが山のようにある。一体誰に感謝すればよいのかわからないが、ここはひとつ母親に感謝しておこう。

オレの人格は母親に依る影響はさして大きくないと思う。しかし最近になって、自分が音楽で生きていこうとこの道を進み始めた頃、母親によく言われてた言葉を突然思い出した。

「アンテナだけは常に張っていなさい」

10代のボンクラからしたら「アンテナ張るって、どうやって??」ってなもんだったが、考えてみたらずーっとそうしている。張り方などない、気持ちの問題なのだ。「機を見るに敏なり」のことなのだと思う。

しかも息子がとても不確かな、親からしたらとても危ない世界に身を投じようとしている時に、これが母親の口から出ていたかと思うと、なんだかすごい人だなぁと思う。

母親はいつでも、どんな局面でも、良い時でも悪い時でも、そして今この瞬間も、いつもオレの味方だ。もしかしたらバケモンかもしれない。だとしたら母親に依るオレの人格への影響はとても大きい。

そんな母親の息子も、今年50になる。以前より「男の50代は楽しい」と一般論として聞いてきた。「ホントかよ、50代なんて初老じゃんか、なにが楽しいことがあんだ」と思っていたが、なんだか本当に楽しくなりそうな予感で満ち溢れている。

Ken Yokoyama の立て直しに成功どころかすごいことになりそうな予感がしているし、Hi-Standard もタイミングを見てまた何かやるだろう。

Pizza Of Death でいろんなバンドを世の中に紹介して、バンドとつるんで、社員たちとつるんで、地元の仲間とつるんで、新曲書いて、ギター開発して、近くにいてくれる連中みんなに感謝して、人を好きになって、守って、守られて、そしてステージの上でカッコウをつける。こんな良い生き方あるか?

オレは昔から「人生60年」と思って生きてきた。つまり60で死ぬんだと理由もなく考えていた。だから45になった時に「おっと、これは最終コーナーをまわったかも」と強烈に感じたものだ。

しかし今は違う。こんな良い人生、手放したくない。

こればかりはいつお呼びがあるかわからないのでなんとも言えないが、しがみついていこうと思う。

人生、全ては気持ちからだ。

2019.02.25

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