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フリーライター石井恵梨子の
酒と泪と育児とロック

Vol.14

3月8日、ミーニングのツアーファイナル@リキッドルームを観てきました。

素晴らしかった。サウンドの「かたち」はいわゆるハードコアと少し違います。でも、そこにあった「精神」はまさにハードコアだった。誰になんと言われようが大切で、何があっても信じている、多少の妥協が多い人生の中でこれだけは譲れないと言える本質=その人間の「核」だけが全身全霊で表現されていた。腹の底から震えるくらい格好よかったな。

このライブが特別なものになったのは、初共演したenvyの存在も大きいはず。願い続けた対バン。ようやく叶った邂逅。当サイトにある貴重なインタビュー、みんなもう読んだよね?

このあとに続く話となると、ちょっと、いやかなりインパクトは薄れますが。でも私と彼にとってはとても大事な出来事がありました。

私がツイッターを始めたのは約5年前。なかなか会えない知人や好きなミュージシャンの近況を知るのは楽しかったけれど、一番嬉しかったのは、読者の声がダイレクトに届くことでした。もちろん「このライターの記事は最悪」みたいな意見も含めてですが、どれだけの人に届いているか、自分の仕事の成果を可視化できる。それってSNSがない時代にはまったくわからなかったことなんです。

もちろん、悪く言われるよりも「この原稿が良かった」と言われたほうが百万倍嬉しい。その単純さで、好意的な意見をくれる人、書いたものについて熱心なリプライをくれる人をフォローしたくなります。そのひとりがKさんでした。愛知県在住の20代。私が寄稿する記事を本当に細かくチェックして意見をくれる。意見せずとも「この石井さんの原稿は自分にとってこう感じるものだ」などと毎度しみじみ呟いているのでした。

え、ストーカー? キモくない? と思う人もいるかもしれない。でも違います。私自身がそういう読者だったからよくわかる。音楽雑誌を熟読していくと、このインタビューはいい、これはそうでもない、このレビューは刺さるけどこっちは何も感じない、ではこれを書いた人は誰なのか……と興味の矛先が書き手に向かうんですね。最初はミュージシャンの声を知りたくて読んでいたのに、気づけば全力で書き手を追っている。そのうち一行目だけで「あ、これは◯◯さんの原稿だ」とわかるくらいになる。マニアックな話ですけど、ほんとうに好きな人ってそれくらい夢中になって音楽雑誌を読むんです。もちろん、Kさんも、そのひとり。

音楽の話はもとより、しょうもない育児ネタにも頻繁にリプライをくれるので、SNS上の対話を続けていくと、Kさんは保育士である、ということがわかりました。私も初の育児に翻弄されていた時期だから、パンクと赤子の話を並列にできる相手がいるのが嬉しかった。勝手に同じタイプの女性だと思い込み、実は男だと知ってビックリしたのはいつ頃だったかな。Kさんはenvyが、そしてミーニングが大好きなパンクキッズなのでした。

そのenvyのライブのため東京に行くというツイートがあり、会場がウチからさほど遠くない場所だったので、よければライブ前にちょっとお話しませんか、とメッセージを送ったのは2012年。Kさんは緊張しながら本当に来てくれました。私が期待したのは、もちろん音楽の話もしたかったけど、「プロの保育士が子供の相手をしてくれる、その間ラクできるぜ」という一点。実際Kさんはさすがプロの技、瞬時にチビたちのハートを掴んでいましたね。

小一時間ほど遊んでもらい、いや助かったわサンキュー、という別れ際、彼に手紙を渡されました。長い長い文章は要約するとこんな感じ。
「10代の頃に出会った石井さんの原稿がきっかけで、音楽ライターを志すようになりました。どうしていいか全然わからない。でも僕は今の仕事を辞めてでもいい、本気でやりたいんです」

SNS上の交流とはいえ、知らんがな、と突き放せる関係では、もうなくなっていました。彼の些細な意見が私の活力になったのは事実だから、私も少しくらい彼の力になりたいと思ったのかな。とにかくあらゆる音楽誌を読め、真似でもいいから書き続けろ、書いたら自己満足で終わらず誰かに読んでもらえ、書きたい雑誌に送り続けていれば編集者は必ず読んでくれる……。そんなことを伝えました。でもそれはCDバブルだった1997年に私がやった手法。不況下の2012年、キャリアなきライター志望者を育てていく余裕はほとんどの出版社にありません。「とりあえず今の仕事は辞めないで」の一言は付け加えました。自分でも「……無理だろうなぁ」という気分は拭えなかったから。

でも、そこからKさんは本気でやりました。保育士の仕事を続けながら、とにかく見たもの、聴いたものを記していく。音楽誌が主宰する「ライター養成講座」が開かれれば足繁く通い、「編集スタッフ募集」を見かければ渾身の作文を書いて応募をする。たまに私にも送ってくれました(「なってねぇ!笑止!」とクソミソに言ったこともあるけど)。そのうち、知り合ったライター志望仲間たちとローカル音楽サイトを立ち上げ、地元のイベントをレポートしたりインタビューに挑戦するようになる。これは私が知る限りの活動だから、その奥にはもっといろいろ苦労があっただろうと思います。

メールで、あとはたまに上京したとき、何度か話しました。「プロの方に読んでもらったんですけど、僕の原稿は主観が強すぎると言われました」「一次審査は通ったんですが、最終面接での編集長の質問に何も返せなかった……」などと落ち込んでいる姿を見ても、私にはどうすることもできない。だってあなたの原稿は、あなたの手でなんとかするしかない。私が何か書き加えたら、それはもうあなたの文章じゃなくなるでしょう。偉そうなことを言いながら、これってみんな一緒だなと考えました。先人に影響を受けまくるのはいい。でも、そこから自分のカタチを見つけなきゃ意味がない。どんな仕事も核は一緒なのかもしれないですね。

先日Kさんと久々に会いました。冒頭に書いたミーニングのリキッドルーム。envyですでに汗だくになっていた彼は、興奮のさなかに私を見つけ、なんだかよくわからないハイテンション。すごい勢いで近況を語ってくれました。
「立ち上げたサイトで書き続けながら、いろいろあって、一年前に保育士を辞めたんです。先のことは何も見えなかったけど、偶然『ぴあ中部版』から声がかかりました。今はその編集部で音楽と演劇の記事を担当しています。すぐにお知らせしたかったけど、これはメールとかツイッターじゃなく、自分の口で直接伝えたいと思っていたんです」

うお、やったぁー! まさかの夢かなってんじゃん! で、今、楽しい?

「楽しいっす!」

さらに印象的だったのはこの話。
「このまえOAUでTOSHI-LOWさんに取材して、俺、堂々と『石井さんが師匠なんです』って言ったんですよ。『なんか暗–い感じで始まって、いきなり本質突いてくるところは一緒だね』って言われました!」

暗いのか、私のインタビューは! ほんでキミそんな言葉で喜んでんのか! 笑いながら、でも嬉しかったなぁ。師匠と呼ばれるようなこと、何もしてない。つうか彼は弟子じゃない。でも出版業界にKさんという若手が生まれた。私の文章を好きな人がいるのは単純に嬉しい話で、そこに憧れる人がいるのは少々むず痒い話だけど、そのあとに新たな結果が出るというのは、本当に誇らしいことなんですね。初めての感覚でした。

憧れ続け、願い続けて、諦めることなく10年バンドを続けて、ついにミーニングはenvyとのツーマンをやりました。両者を心から愛しているKさん、彼のその晩のツイートはこんな書き出しで始まっていました。
「願い続けて、行動し続ければ、夢はあちらから降ってくる」

信じれば夢は叶う、なんて言いませんよ。気持ちわるい。だけど夢のためなら自分から動けます。動かないと変わらないし、動き続けていればいつか想いが届く。今ならそう素直に言えるなぁと思えた3月8日。私にとっても特別な日になりました。ハヤトくん、そして菊池くん、ありがとう。 

2015.03.11

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