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KUZIRA 1st Full Album [ Superspin ] ジャケット画像

KUZIRA 1st Full Album [ Superspin ] Code: PZCA-93 / Release: 2021.05.26.wed / Price: 2,750yen(taxin)

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同時購入特典

2021.5.26(wed) Release Ken Yokoyama [4Wheels 9Lives] / KUZIRA [Superspin] 同時購入特典: P.I.Z.Z.A.O.F.D.E.A.T.H. Key Chain

5月26日(水)発売
Ken Yokoyama『4Wheels 9Lives』(CD+DVD:PZCA-91/CD:PZCA-92) と、KUZIRA『Superspin』(PZCA-93)を下記対象店(online shop含む)で同時にお買い上げの方に、先着で「P.I.Z.Z.A.O.F.D.E.A.T.H. Key Chain」を特典として差し上げます。

※online shop では特典付き商品を選んでご購入ください。
※数には限りがございますので、予めご了承ください。

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KUZIRA 1st Full Album [Superspin] Trailer

KUZIRA SUPERSPIN TOUR Season1

KUZIRA 1st Full Album [Superspin] Official Interview

  • Interview Vol.01

なにも取柄のない人間が作った曲を、いいねと褒めてくれる。自分にも褒められるものがあったんだと、すごく嬉しかったんです(末武竜之介)

メロディックパンク好きの間で話題となっている期待の新星、岐阜出身の3ピースバンド、KUZIRAの1stフルアルバム『Superspin』が完成。耳馴染みのよいハイトーンな歌声、一聴すればすぐに口ずさめるメロディ、ジャンルの扉を軽々と開いて自由自在に行き来するサウンド展開、それらが混然一体となった楽曲で楽しませてくれる。先人たちが築き上げてきたメロディックパンクという世界線に、新たな領域を展開する作品の登場だ。メンバーの末武竜之介(Vo/Gt)、熊野和也(Ba/Vo)、新加入のシャー:D(Dr)が、前身バンドの結成秘話からKUZIRAの誕生、ライブ活動や作品についていろいろ語ってくれた。

-- まずはみなさん、どういった経緯で集まったバンドなのですか?

末武竜之介: 最初は大学の軽音サークルで出会いました。大学のOBにFucking Bitch Girl、略してFBGというバンドがいて。そのバンドはHi-STANDARDやBBQ CHICKENS、WANIMAのコピーバンドで。自称WANIMAのコピーを日本で4番目、岐阜では最速でやった、と言っていたバンドなんです。

熊野和也: 今までパンクロックを聴いたことがなかったので、そのバンドが衝撃的にカッコよくて、自分も3ピースバンドをやりたいなと。それで竜と前のドラムのふちを誘って、3ピースのコピーバンドを結成したのが始まりです。

-- それまでバンドの経験はなかったのですか?

熊野和也: 誰もバンド経験がなくて、軽音部でしか活動していなかったですね。

末武竜之介: 僕は高校生のときにアコースティックギターを買って、家で弾いていました。他にも親のエレキギターを弾いたりしていましたね。バンドをやりたかったけど、誰かを誘ってやる勇気がなくて。ずっと一人で弾いていました。

-- その頃はどんなバンドの曲を聴いたり、弾いたりしていましたか?

末武竜之介: アメリカの西海岸のポップパンク、Green Dayやblink-182、SUM41とか好きだったので、そういったバンドの曲を一人で弾いていました。

熊野和也: 俺もバンドはまったくやっていなかったですね。軽音部に入るまでは普通にコブクロとか好きでした。あとアニソン。ミーハーなんですけど、「けいおん! 」や「涼宮ハルヒの憂鬱」とかのアニメが好きで、そのへんの曲は死ぬほど聴いていましたね。

-- シャー:Dさんは2021年3月から加入しましたが、それまではどんな活動をしていたのですか?

シャー:D : 家にアコギがあったのでギターから始めたんですけど、全然弾けなくて。そこから姉のベースを借りて弾いたんですけど、なんか違うなと。最後に行きついたのがドラムでした。高校ではコピーバンドを組んで活動していて、大学に入ったタイミングで地元のライブハウスに出演するようになりました。そこで先輩からバンドをやらないかと誘われて、19歳のときにオリジナルのバンドで活動を始めたんです。そこから4年くらい活動していたんだけど、そのバンドが活動休止になって。ちょうどそのタイミングでKUZIRAのドラムだったふち君が抜けて、ドラムを探しているという連絡が、共通の先輩の伝手で連絡が来たんです。元々、対バンをしていて面識があったので、紆余曲折を経て加入することになったんです。

-- なるほど。話を戻しますが、バンドを結成して、どんな曲をコピーしていました?

末武竜之介: 一番最初にやったのはGreen Dayの「Basket Case」でしたね。

熊野和也: そうだったね。人生で初めて弾いた曲なので忘れもしませんね。あとMONGOL800「小さな恋のうた」と10-FEETの「その向こうへ」、Nirvana「Smells Like Teen Spirit」もコピーしました。全てベースがすぐに弾ける、という基準で選曲したので、すごく覚えています。

-- 楽器はなぜベースをやろうと?

熊野和也: 竜とふちとよく遊んでいて、バンドを組むならこいつらだなと思っていたんです。そして竜がギター、ふちがドラムをやっていたので、じゃあ俺はベースをやろうと。自然とベースにおさまりました。絶対に3ピースがよかったので。

-- 3ピースという編成にすごく憧れがあったんですか?

末武竜之介: そうですね。最小の人数でシンプルだけど、めちゃくちゃカッコイイ。そういう憧れがありました。

-- コピー曲の上達は結構早かった?

末武竜之介: いや~、めちゃくちゃ下手でしたよ(笑)。

熊野和也: わはははは(笑)。その時期にWANIMAがピザオブデスから1stミニアルバム『Can Not Behaved!!』をリリースして。そのアルバムは僕が人生で一番聴いた作品ですね。全曲弾けましたから。軽音部のみんながずっと聴いていました。

末武竜之介: 大学の構内に軽音部のプレハブ小屋があったんですけど、授業を受けていても、その小屋からずっと「BIG UP」のベースのイントロが流れてきていましたからね。熊野がずっと練習で弾いていたんです(笑)。

熊野和也: 授業に出ずに練習しないとライブに間に合わなかったので。初心者には難しかったですね(笑)。

-- バンド名も最初は違ったんですよね。

末武竜之介: そうなんです。わけわかめボーイズという名前でした。

熊野和也: 三カ月くらい悩んで付けたバンド名だったんですよ。英語でカッコいいバンド名にしたかったんですけどね(笑)。岐阜県に岐阜タンメンというお店があるんですけど、そこでバンド名についていろいろ話していたんです。そのときにトッピングのメニューにわかめを見つけて、以前のドラムのふちが、「ラーメンにわかめってありえないよね。絶対にないわ、わけわかめや」と言い出して。そのフレーズがピンときて、わけわかめボーイズになったんです(笑)。

末武竜之介: ちょうど名古屋で「パンクスプリング」を観た帰りの出来事で。RANCIDとか観て、インスピレーションが膨らんだ結果ですね。

-- (笑)。それでわけわかめボーイズとしては、どのような活動をしていたのですか?

末武竜之介: 純粋にコピーバンドでした。

熊野和也: それこそ俺らも学園祭に出たくて結成したので。名古屋MUSIC FARMというハコがあるんですけど、ブッキングしている人が僕らのことを知ってくれて、出演しませんか、というDMをくれたんです。それでノルマがないときだけ出演していました。

末武竜之介: お客さんいないのに、ひたすらカバー曲をやっていましたね。

-- でもスタッフからの評価は上々だったんですよね。

熊野和也: そうなんです。それで竜の歌声がいいし、オリジナル曲を作ってみたらと言われて。それで1年かけて1曲を完成させたんです。その曲も褒められて、30分くらいのライブをオリジナル曲だけでやってみなよと言われてデモを作ったんです。

末武竜之介: やっぱり曲を作って聴かせる、という行為自体がめちゃくちゃ恥ずかしくて。曲を作ろうとなってから1年くらい後に、こういう曲ができたとみんなに送ったんです。

熊野和也: 俺はいいねと軽い感じで返信したんだけど、面白かったのが、前のドラムのふちが、「これ、なんてバンドの曲?」って(笑)。

-- すでに名前のあるバンドの曲だと思うくらいの完成度。

末武竜之介: その曲が僕らの1stミニアルバム『Deep Down』に入っている「The Weak」という曲の原型だったんです。でも、もっといい反応をくれると思っていたんですけど、めちゃくちゃ冷たい反応だった(笑)。一年かけて作った渾身のメロディだったのに……ちょっと寂しかったですね。

熊野和也: 僕は純粋にいい曲だと思って、いいねと伝えたのに反応が薄いと思われていたんですね(笑)。

-- もっと熱い反応がほしかったと(笑)。

末武竜之介: そうなんです(笑)。聴いてもらうまでめちゃくちゃ怖かったですから。

-- ゼロからイチを作り出す人の苦労って、まわりにはなかなか伝わらないですからね。

末武竜之介: 特に音楽理論を知っているわけではないですし、自分の聴きたい曲というか、いいメロディの曲ということを大前提として作ったので。

-- 生みの苦しみを乗り越え、その後はオリジナル曲がどんどんできていきましたか?

末武竜之介: そうですね。1曲作ってからはポンポンできて、すぐに5~6曲くらいはできました。

-- オリジナル楽曲を初めて人前で演奏したときを覚えていますか?

末武竜之介: 最初の1曲ができたときに、ライブで他のコピー曲の中に紛れ込ませて演奏したんですよ。そうしたら観に来てくれた人に、「あの曲めっちゃよかったよ!」と言われて。僕らの曲が褒められたと喜んだんですけど、何曲目かをよくよく聞いてみたら、dustboxの「Jupiter」だった(笑)。

熊野和也: それは間違いなくいい曲だわって(笑)。

シャー:D : あはははは(笑)。

-- そういえばシャー:Dさんはその頃、みんなとの接点は?

シャー:D : いや、その頃はまだ出会っていなかったですね。

-- いつ頃出会うのか、ちょくちょく聞いていきますね。そしてオリジナル曲を始めて、バンド名もKUZIRAに改名しましたが、これはどういった経緯で?

末武竜之介: これには諸説あって。前のドラムのふちのおじいちゃんがクジラ漁をしていたとか、いつもスタジオに9時に入っていたのでクジラという説もあります。一番はドラムがクジラのことが好きだった、という説が有力です(笑)。

-- あれ?他のインタビュー記事を読んだら、ちょっと説が違っていましたよ。

熊野和也: 嘘つきなんです、竜が(笑)。

末武竜之介: ……他のバンドもいろいろな説があるじゃないですか?例えばTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの名前の由来がいくつかあったり、名前も知らない人たちが小屋に集められて結成したのがArctic Monkeysだった、というエピソードとか。本当かどうか分からないけど、いいなと。

-- バンドって、そういうストーリー性がほしいですものね。すぐにKUZIRAというバンド名の候補が出てきたんですか?

熊野和也: これが大変だったんです。なんか略せないバンド名がいいね、とだけは決めていて。例えばWANIMAって略せないじゃないですか?そういうのにこだわるのが前のドラムのふちだったんですけど、アルファベット6文字で3語のバンド名を考えて。”TOKAGE”という候補もありましたし、”MOMO”というのも竜が推していましたね。

末武竜之介: それは……桃が好きだったから……。

シャー:D : ……KUZIRAでよかったね(笑)。

一同 : (笑)。

-- それでめでたくバンド名がKUZIRAに決まりまして、本格的に活動を始めたのが2017年だったと。

末武竜之介: そうですね。その年に初めて1stデモCDを作って、オリジナル曲だけでライブをやったんです。

-- そのデモCDがかなり評判になったらしいですね。

熊野和也: そうですね。名古屋のパルコの中に入っているタワーレコードに置かせてもらったんですけど、早耳のお客さんってやっぱりいて。そういう人たちが口コミで広げてくれたのかな。それまでライブでも自分の彼女くらいしかお客さんがいなかったのが、栄で最初にライブしたときには40人くらい来てくれましたからね。

-- 1発目のライブなのに、それはすごいことですよ。その頃から定期的にライブをやるようになったんですか?

熊野和也: 月に平均7~8本のライブを名古屋や岐阜でやっていました。地方に遠征できるようになるまでに半年くらいかかりましたね。僕はちょうど社会人になった年だったんです。

-- その時期は、そろそろシャー:DさんがKUZIRAと出会った時期じゃないですか?

シャー:D : 惜しいです、もう少し先です(笑)。

一同 : (笑)。

-- (笑)。そして働きながらライブの本数をこなすのは、相当大変だったんじゃないですか?

熊野和也: はい。最初は土日に、月1~2本くらいのペースでやっていこうという話だったので、「じゃあ俺、就職するわ」となったんです。

末武竜之介: 大学を留年もしていたしね。

熊野和也: そ、そうだよ(笑)。でも正社員になった最初の月から6本とかライブがあって。あれ?話と違わない?と。最初の1年はかなり大変だった記憶があります。

-- 竜之介さんは看護師をしながらバンドをやっているんですよね。

末武竜之介: そうですね。2017年はまだ大学4年生の頃なので、看護師の国家資格を勉強しながらライブをやって、という生活でしたね。

熊野和也: 竜にとって看護師になる、というのは絶対に譲れないことだったんです。

末武竜之介: バンドで食っていけるわけないじゃんと思っていたので。

-- すごく現実的だったんですね。

末武竜之介: そうですね。病院で働いていくと決めていて、内定をもらっていましたから。

熊野和也: と、言っていたんですけど、なにかのきっかけで心変わりをして。内定をけったんですよ。

末武竜之介: バンドが楽しくて、気付いたら内定をけって、ニートになっていましたね。でも、なんかすごく楽しかったんですよ。

-- ライブの数こなしていくうちに、バンドって人生をかけられるものなんだと、実感したんですかね?

末武竜之介: そうですね。なにも取柄のない人間が作った曲を、いいねと褒めてくれる。自分にも褒められるものがあったんだと、そういう経験がなかったのですごく嬉しかったんです。自分もライブキッズだったので、そういう人たちの気持ちも分かるし。自分の演奏で盛り上がってくれる、そういうのがすごく嬉しくて。気付いたらバンドにどっぷりでしたね。

Vol.02へ続く...
Interview By 中沢純