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KUZIRA 1st Full Album [ Superspin ] Code: PZCA-93 / Release: 2021.05.26.wed / Price: 2,750yen(taxin)

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2021.5.26(wed) Release Ken Yokoyama [4Wheels 9Lives] / KUZIRA [Superspin] 同時購入特典: P.I.Z.Z.A.O.F.D.E.A.T.H. Key Chain

5月26日(水)発売
Ken Yokoyama『4Wheels 9Lives』(CD+DVD:PZCA-91/CD:PZCA-92) と、KUZIRA『Superspin』(PZCA-93)を下記対象店(online shop含む)で同時にお買い上げの方に、先着で「P.I.Z.Z.A.O.F.D.E.A.T.H. Key Chain」を特典として差し上げます。

※online shop では特典付き商品を選んでご購入ください。
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KUZIRA 1st Full Album [Superspin] Trailer

KUZIRA SUPERSPIN TOUR Season1

KUZIRA 1st Full Album [Superspin] Official Interview

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なにも取柄のない人間が作った曲を、いいねと褒めてくれる。自分にも褒められるものがあったんだと、すごく嬉しかったんです(末武竜之介)

メロディックパンク好きの間で話題となっている期待の新星、岐阜出身の3ピースバンド、KUZIRAの1stフルアルバム『Superspin』が完成。耳馴染みのよいハイトーンな歌声、一聴すればすぐに口ずさめるメロディ、ジャンルの扉を軽々と開いて自由自在に行き来するサウンド展開、それらが混然一体となった楽曲で楽しませてくれる。先人たちが築き上げてきたメロディックパンクという世界線に、新たな領域を展開する作品の登場だ。メンバーの末武竜之介(Vo/Gt)、熊野和也(Ba/Vo)、新加入のシャー:D(Dr)が、前身バンドの結成秘話からKUZIRAの誕生、ライブ活動や作品についていろいろ語ってくれた。

-- まずはみなさん、どういった経緯で集まったバンドなのですか?

末武竜之介: 最初は大学の軽音サークルで出会いました。大学のOBにFucking Bitch Girl、略してFBGというバンドがいて。そのバンドはHi-STANDARDやBBQ CHICKENS、WANIMAのコピーバンドで。自称WANIMAのコピーを日本で4番目、岐阜では最速でやった、と言っていたバンドなんです。

熊野和也: 今までパンクロックを聴いたことがなかったので、そのバンドが衝撃的にカッコよくて、自分も3ピースバンドをやりたいなと。それで竜と前のドラムのふちを誘って、3ピースのコピーバンドを結成したのが始まりです。

-- それまでバンドの経験はなかったのですか?

熊野和也: 誰もバンド経験がなくて、軽音部でしか活動していなかったですね。

末武竜之介: 僕は高校生のときにアコースティックギターを買って、家で弾いていました。他にも親のエレキギターを弾いたりしていましたね。バンドをやりたかったけど、誰かを誘ってやる勇気がなくて。ずっと一人で弾いていました。

-- その頃はどんなバンドの曲を聴いたり、弾いたりしていましたか?

末武竜之介: アメリカの西海岸のポップパンク、Green Dayやblink-182、SUM41とか好きだったので、そういったバンドの曲を一人で弾いていました。

熊野和也: 俺もバンドはまったくやっていなかったですね。軽音部に入るまでは普通にコブクロとか好きでした。あとアニソン。ミーハーなんですけど、「けいおん! 」や「涼宮ハルヒの憂鬱」とかのアニメが好きで、そのへんの曲は死ぬほど聴いていましたね。

-- シャー:Dさんは2021年3月から加入しましたが、それまではどんな活動をしていたのですか?

シャー:D : 家にアコギがあったのでギターから始めたんですけど、全然弾けなくて。そこから姉のベースを借りて弾いたんですけど、なんか違うなと。最後に行きついたのがドラムでした。高校ではコピーバンドを組んで活動していて、大学に入ったタイミングで地元のライブハウスに出演するようになりました。そこで先輩からバンドをやらないかと誘われて、19歳のときにオリジナルのバンドで活動を始めたんです。そこから4年くらい活動していたんだけど、そのバンドが活動休止になって。ちょうどそのタイミングでKUZIRAのドラムだったふち君が抜けて、ドラムを探しているという連絡が、共通の先輩の伝手で連絡が来たんです。元々、対バンをしていて面識があったので、紆余曲折を経て加入することになったんです。

-- なるほど。話を戻しますが、バンドを結成して、どんな曲をコピーしていました?

末武竜之介: 一番最初にやったのはGreen Dayの「Basket Case」でしたね。

熊野和也: そうだったね。人生で初めて弾いた曲なので忘れもしませんね。あとMONGOL800「小さな恋のうた」と10-FEETの「その向こうへ」、Nirvana「Smells Like Teen Spirit」もコピーしました。全てベースがすぐに弾ける、という基準で選曲したので、すごく覚えています。

-- 楽器はなぜベースをやろうと?

熊野和也: 竜とふちとよく遊んでいて、バンドを組むならこいつらだなと思っていたんです。そして竜がギター、ふちがドラムをやっていたので、じゃあ俺はベースをやろうと。自然とベースにおさまりました。絶対に3ピースがよかったので。

-- 3ピースという編成にすごく憧れがあったんですか?

末武竜之介: そうですね。最小の人数でシンプルだけど、めちゃくちゃカッコイイ。そういう憧れがありました。

-- コピー曲の上達は結構早かった?

末武竜之介: いや~、めちゃくちゃ下手でしたよ(笑)。

熊野和也: わはははは(笑)。その時期にWANIMAがピザオブデスから1stミニアルバム『Can Not Behaved!!』をリリースして。そのアルバムは僕が人生で一番聴いた作品ですね。全曲弾けましたから。軽音部のみんながずっと聴いていました。

末武竜之介: 大学の構内に軽音部のプレハブ小屋があったんですけど、授業を受けていても、その小屋からずっと「BIG UP」のベースのイントロが流れてきていましたからね。熊野がずっと練習で弾いていたんです(笑)。

熊野和也: 授業に出ずに練習しないとライブに間に合わなかったので。初心者には難しかったですね(笑)。

-- バンド名も最初は違ったんですよね。

末武竜之介: そうなんです。わけわかめボーイズという名前でした。

熊野和也: 三カ月くらい悩んで付けたバンド名だったんですよ。英語でカッコいいバンド名にしたかったんですけどね(笑)。岐阜県に岐阜タンメンというお店があるんですけど、そこでバンド名についていろいろ話していたんです。そのときにトッピングのメニューにわかめを見つけて、以前のドラムのふちが、「ラーメンにわかめってありえないよね。絶対にないわ、わけわかめや」と言い出して。そのフレーズがピンときて、わけわかめボーイズになったんです(笑)。

末武竜之介: ちょうど名古屋で「パンクスプリング」を観た帰りの出来事で。RANCIDとか観て、インスピレーションが膨らんだ結果ですね。

-- (笑)。それでわけわかめボーイズとしては、どのような活動をしていたのですか?

末武竜之介: 純粋にコピーバンドでした。

熊野和也: それこそ俺らも学園祭に出たくて結成したので。名古屋MUSIC FARMというハコがあるんですけど、ブッキングしている人が僕らのことを知ってくれて、出演しませんか、というDMをくれたんです。それでノルマがないときだけ出演していました。

末武竜之介: お客さんいないのに、ひたすらカバー曲をやっていましたね。

-- でもスタッフからの評価は上々だったんですよね。

熊野和也: そうなんです。それで竜の歌声がいいし、オリジナル曲を作ってみたらと言われて。それで1年かけて1曲を完成させたんです。その曲も褒められて、30分くらいのライブをオリジナル曲だけでやってみなよと言われてデモを作ったんです。

末武竜之介: やっぱり曲を作って聴かせる、という行為自体がめちゃくちゃ恥ずかしくて。曲を作ろうとなってから1年くらい後に、こういう曲ができたとみんなに送ったんです。

熊野和也: 俺はいいねと軽い感じで返信したんだけど、面白かったのが、前のドラムのふちが、「これ、なんてバンドの曲?」って(笑)。

-- すでに名前のあるバンドの曲だと思うくらいの完成度。

末武竜之介: その曲が僕らの1stミニアルバム『Deep Down』に入っている「The Weak」という曲の原型だったんです。でも、もっといい反応をくれると思っていたんですけど、めちゃくちゃ冷たい反応だった(笑)。一年かけて作った渾身のメロディだったのに……ちょっと寂しかったですね。

熊野和也: 僕は純粋にいい曲だと思って、いいねと伝えたのに反応が薄いと思われていたんですね(笑)。

-- もっと熱い反応がほしかったと(笑)。

末武竜之介: そうなんです(笑)。聴いてもらうまでめちゃくちゃ怖かったですから。

-- ゼロからイチを作り出す人の苦労って、まわりにはなかなか伝わらないですからね。

末武竜之介: 特に音楽理論を知っているわけではないですし、自分の聴きたい曲というか、いいメロディの曲ということを大前提として作ったので。

-- 生みの苦しみを乗り越え、その後はオリジナル曲がどんどんできていきましたか?

末武竜之介: そうですね。1曲作ってからはポンポンできて、すぐに5~6曲くらいはできました。

-- オリジナル楽曲を初めて人前で演奏したときを覚えていますか?

末武竜之介: 最初の1曲ができたときに、ライブで他のコピー曲の中に紛れ込ませて演奏したんですよ。そうしたら観に来てくれた人に、「あの曲めっちゃよかったよ!」と言われて。僕らの曲が褒められたと喜んだんですけど、何曲目かをよくよく聞いてみたら、dustboxの「Jupiter」だった(笑)。

熊野和也: それは間違いなくいい曲だわって(笑)。

シャー:D : あはははは(笑)。

-- そういえばシャー:Dさんはその頃、みんなとの接点は?

シャー:D : いや、その頃はまだ出会っていなかったですね。

-- いつ頃出会うのか、ちょくちょく聞いていきますね。そしてオリジナル曲を始めて、バンド名もKUZIRAに改名しましたが、これはどういった経緯で?

末武竜之介: これには諸説あって。前のドラムのふちのおじいちゃんがクジラ漁をしていたとか、いつもスタジオに9時に入っていたのでクジラという説もあります。一番はドラムがクジラのことが好きだった、という説が有力です(笑)。

-- あれ?他のインタビュー記事を読んだら、ちょっと説が違っていましたよ。

熊野和也: 嘘つきなんです、竜が(笑)。

末武竜之介: ……他のバンドもいろいろな説があるじゃないですか?例えばTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの名前の由来がいくつかあったり、名前も知らない人たちが小屋に集められて結成したのがArctic Monkeysだった、というエピソードとか。本当かどうか分からないけど、いいなと。

-- バンドって、そういうストーリー性がほしいですものね。すぐにKUZIRAというバンド名の候補が出てきたんですか?

熊野和也: これが大変だったんです。なんか略せないバンド名がいいね、とだけは決めていて。例えばWANIMAって略せないじゃないですか?そういうのにこだわるのが前のドラムのふちだったんですけど、アルファベット6文字で3語のバンド名を考えて。”TOKAGE”という候補もありましたし、”MOMO”というのも竜が推していましたね。

末武竜之介: それは……桃が好きだったから……。

シャー:D : ……KUZIRAでよかったね(笑)。

一同 : (笑)。

-- それでめでたくバンド名がKUZIRAに決まりまして、本格的に活動を始めたのが2017年だったと。

末武竜之介: そうですね。その年に初めて1stデモCDを作って、オリジナル曲だけでライブをやったんです。

-- そのデモCDがかなり評判になったらしいですね。

熊野和也: そうですね。名古屋のパルコの中に入っているタワーレコードに置かせてもらったんですけど、早耳のお客さんってやっぱりいて。そういう人たちが口コミで広げてくれたのかな。それまでライブでも自分の彼女くらいしかお客さんがいなかったのが、栄で最初にライブしたときには40人くらい来てくれましたからね。

-- 1発目のライブなのに、それはすごいことですよ。その頃から定期的にライブをやるようになったんですか?

熊野和也: 月に平均7~8本のライブを名古屋や岐阜でやっていました。地方に遠征できるようになるまでに半年くらいかかりましたね。僕はちょうど社会人になった年だったんです。

-- その時期は、そろそろシャー:DさんがKUZIRAと出会った時期じゃないですか?

シャー:D : 惜しいです、もう少し先です(笑)。

一同 : (笑)。

-- (笑)。そして働きながらライブの本数をこなすのは、相当大変だったんじゃないですか?

熊野和也: はい。最初は土日に、月1~2本くらいのペースでやっていこうという話だったので、「じゃあ俺、就職するわ」となったんです。

末武竜之介: 大学を留年もしていたしね。

熊野和也: そ、そうだよ(笑)。でも正社員になった最初の月から6本とかライブがあって。あれ?話と違わない?と。最初の1年はかなり大変だった記憶があります。

-- 竜之介さんは看護師をしながらバンドをやっているんですよね。

末武竜之介: そうですね。2017年はまだ大学4年生の頃なので、看護師の国家資格を勉強しながらライブをやって、という生活でしたね。

熊野和也: 竜にとって看護師になる、というのは絶対に譲れないことだったんです。

末武竜之介: バンドで食っていけるわけないじゃんと思っていたので。

-- すごく現実的だったんですね。

末武竜之介: そうですね。病院で働いていくと決めていて、内定をもらっていましたから。

熊野和也: と、言っていたんですけど、なにかのきっかけで心変わりをして。内定をけったんですよ。

末武竜之介: バンドが楽しくて、気付いたら内定をけって、ニートになっていましたね。でも、なんかすごく楽しかったんですよ。

-- ライブの数こなしていくうちに、バンドって人生をかけられるものなんだと、実感したんですかね?

末武竜之介: そうですね。なにも取柄のない人間が作った曲を、いいねと褒めてくれる。自分にも褒められるものがあったんだと、そういう経験がなかったのですごく嬉しかったんです。自分もライブキッズだったので、そういう人たちの気持ちも分かるし。自分の演奏で盛り上がってくれる、そういうのがすごく嬉しくて。気付いたらバンドにどっぷりでしたね。

Vol.02へ続く...
Interview By 中沢純

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ツアーファイナルをソールドアウトできたとき、ようやく胸を張って「俺たちは岐阜のバンドだ」と言える、そういう気持ちになりましたね(熊野和也)

“自由律メロディックパンク”というべきマインドの宿ったフレーズや展開、そして美しいハイトーンな歌声で、新世代のエネルギー漲るサウンドを高々と響かせる3ピースバンド、KUZIRAの1stフルアルバム『Superspin』が登場。耳聡いリスナーを唸らせるナンバーが揃い踏みで、日本のメロディックパンクの未来を担うバンドであることを証明する作品だ。メンバーの末武竜之介(Vo/Gt)、熊野和也(Ba/Vo)、シャー:D(Dr)に、出身地である岐阜への想いやここ数年の劇的な飛躍、シャー:Dの加入秘話など、いろいろ語ってくれたインタビューの第2回目をどうぞ!

-- 2018年8月に名古屋のレーベル・TRUST RECORDSからミニアルバム『Deep Down』をリリースしましたよね。どういった経緯でリリースすることになったのですか?

末武竜之介: 名古屋のライブハウスに出演するようになったきっかけも、TRUST RECORDSのボスの綿谷"wata"剛さんが僕らをYouTubeで見て、発掘してくれたのがきっかけなんです。2017年の暮れくらいに、「レーベルから作品を出さない?」と言われて。でも最初、TRUST RECORDSに入りたくなかったんですよ。

-- 随分とストレートな物言いを(笑)。

熊野和也: これ、書いてもいいですよ(笑)。本当に渋ったんです。

末武竜之介: なんかTRUST RECORDSに入ると日本語で曲を作らなくてはいけない、というイメージがあって。

熊野和也: ライブハウスにいたバンドたちは、みんなそういうイメージを持っていたと思うんです。

-- 自分たちのやりたい方向性でバンド活動ができないと。

熊野和也: そう思っていたんだけど、綿谷"wata"剛さんが岐阜まで足を運んでくれて。一緒に飲んで、話していくうちに、「KUZIRAの自由にやっていい、それをサポートしたい」と言ってくれたので。前のドラムのふちが最後まで渋って、サシで飲んで話をつけて、TRUST RECORDSからリリースすることになったんです。

-- KUZIRAにとって英語詞のパンクロックをやる、というのは譲れないこだわりなんですね。

末武竜之介: そうですね。やっぱりこういうジャンルをやる上で、英語詞にこだわりたい、というのがめちゃくちゃありますね。

-- 『Deep Down』のリリース後の反響はどうでしたか?

末武竜之介: タワレコメン(タワーレコードのスタッフが、世間で話題になる前のいち推しアーティストをピックアップする企画)になりましたからね。

熊野和也: 一時期、ライブのMCでも「タワレコメンのKUZIRAです」と言っていましたから(笑)。

-- タワレコメンをバンドの売りに(笑)。

末武竜之介: でもなんか、売れるとかそういう感じではなくて、楽しかったからやっていた感じですね。

-- 純粋に楽しむ、という姿勢が、バンドをいい方向に進ませてくれたのかもしれませんね。

末武竜之介: そうですね。誰にも媚びずに、自分たちのやりたいことをやっていたら認めてもらえた、という感じです。

-- 『Deep Down』をリリースした2018年は80本ほどライブを行い、2019年は全国のライブハウスをまわるようになりましたよね。その頃からKUZIRAの存在が、いろいろなところで徐々に浸透してきたな、という実感はありましたか?

熊野和也: そうですね。でもそこに到達するまで大変だったんです。すごくお世話になっているDUB4REASONというバンドの亀さん(master K)は、岐阜のライブハウス・柳ヶ瀬アンツのオーナーでもあるんですけど、僕らは柳ヶ瀬アンツよりも名古屋ミュージックファームや栄のライブハウスに多く出演していたので、最初は岐阜のバンドシーンの人たちからよく見られていなかったんです。

末武竜之介: あいつら、名古屋でばっかりライブやっているから、岐阜のバンドじゃねえじゃんって。

熊野和也: そんな感じのことを言われていたんですけど、俺らとしては岐阜のバンドたちの仲間に入りたかったんです。ライブも名古屋だと観客を呼べるのに、岐阜だと観客が入らないという状況が続いている中、地方のいろいろな場所に行くようになって。行く先々で、「俺たちは岐阜のバンドです、いつか岐阜までライブを観に来てください」と言い続けていたんです。その結果、『Deep Down』のリリースツアーのファイナルの会場が柳ヶ瀬アンツだったんですけど、初めてソールドアウトできたんです。そのときにようやく胸を張って、「俺たちは岐阜のバンドだ」と言える、そういう気持ちになりましたね。

末武竜之介: 俺らがコピーバンドで初めて出演したライブハウスも柳ヶ瀬アンツだったんですよ。演奏も下手過ぎたし、熊野は歌詞を覚えていなくてスマホを見ながら歌っていましたから。

熊野和也: ライブの日まで演奏する曲が全然決まらなくて、歌詞を覚える時間がまったくなかったので(笑)。

末武竜之介: その日に出演していた他のバンドはみんなオリジナル曲をやっていたんです。俺らのときだけ観客が前のほうに来てくれなくて、前がぽっかり空いていた。その光景がめちゃくちゃ悔しかったんです。

-- 柳ヶ瀬アンツは苦い経験のあるライブハウスだったんですね。

末武竜之介: そうなんです。

熊野和也: ライブが終わった後、泣いていたものね。

末武竜之介: いや、泣いてはいない。

熊野和也: いや、泣いていましたね(笑)。

-- でもツアーファイナルでしっかりリベンジできたと。

末武竜之介: そうですね。「俺たちは岐阜のバンドだ」と言い続けてよかったです。

熊野和也: あと2019年は京都大作戦にも出演できたんです。バンドを始める前に行ったことのあるフェスに出演する、というのは目標の一つだったんです。それが達成できた年でしたね。

-- もうその頃はシャー:DさんもKUZIRAの存在を知っていましたか?

シャー:D: その頃は知っていましたね。僕は元々、Kids Returnというバンドをやっていたんです。

熊野和也: シャー:D君は他のバンドのサポートもめっちゃやっていて。サポートバンドでも対バンしたことがあったんです。

シャー:D: 一番最初の出会いもそのサポートバンドで。『Deep Down』のツアーのときに、群馬で初めて一緒になって。その後はちょいちょい対バンしていたので面識はありました。

-- 対バンをしたときは、KUZIRAというバンドにどのような印象を持っていました?

シャー:D: 風の噂で、すごいニューカマーが出てきたと聞いていて(笑)。それで最初にライブを観たときに、本人たちも言っていたけど、「うわ……全然演奏できていないじゃん!」と思った(笑)。

一同: (笑)。

シャー:D: でも歌だけはめちゃくちゃ良かったんですよ。メロディも曲もすごくいいし。普通、音が良くなかったりすると、最後まで観る気になれないじゃないですか?それがまったくなかったんですよ。

末武竜之介: それはうれしい!

熊野和也: めちゃくちゃうれしい!

シャー:D: 曲がめちゃくちゃいいな、それはこれだけ観客を集めることができるわな、と思っていましたね。

-- その後、まさか自分が加入するなんて思いもよらないですよね。

シャー:D: もちろん。思ってもいないですよ(笑)。

-- その後、Ken Yokoyamaのツアー「Still Age Tour Ⅱ」に参加したり、コンピレーションアルバム『The Very Best Of PIZZA OF DEATH Ⅲ』に「Less The Best」が収録されたりと、KUZIRAの活動の幅がどんどん広がっていきましたよね。

末武竜之介: 自分がバンドを始めるきっかけになった人だったり、コンピに参加しているのがキッズのときに聴いていたバンドばかりだったので。そこに自分たちの名前があるのが不思議でならなかったです。

-- 2019年4月からは注目バンドがナビゲートするJ-WAVEのラジオ番組『THE KINGS PLACE』のパーソナリティにも抜擢され、約1年半ほど担当していましたよね。すごくいい経験だったんじゃないですか?

末武竜之介: 選ばれたときはなんで俺らが?と思いました。

熊野和也: しかも英語詞のバンドが選ばれる、というのが大抜擢だったらしくて。

末武竜之介: でも俺ら以外のパーソナリティ、全員売れていましたからね。

熊野和也: 俺ら以外の全員、何かしらかのタイアップをしていましたから(笑)。

-- (笑)。ラジオで知ってくれたファンもたくさんいるんじゃないですか。

末武竜之介: そうですね。でもメッセージを送ってきてくれるのは、いつも同じ人ばかりでしたけどね。

熊野和也: 毎週、同じリスナーからのメッセージを読んでいました(笑)。

末武竜之介: もうレギュラーメンバーみたいな感じで(笑)。

シャー:D: わははははは。レギュラーリスナーだ(笑)。

末武竜之介: そのラジオネームを言った瞬間に笑いが起こる、という雰囲気になっていたので。またこの人だって(笑)。

-- (笑)。でも、そういう熱狂的なファンを生むことがバンドとして大事ですからね。

末武竜之介: そうですね。僕らの独特な空気感についてきてくれるというか。ラジオの企画でFOMAREというバンドと対バンをやったときに、すごく反響が大きくて。FOMAREとも仲良くなれたし。そういった経験は嬉しかったですね。

熊野和也: ラジオを聴いてファンになってくれた人もいると思うので、やってよかったなと思います。本当に貴重な経験でしたね。

-- そして2021年1月に前ドラムのふちさんが脱退しまして、3月に新ドラマーとしてシャー:Dさんが正式加入することになりました。これはどういった経緯で加入することになったのですか?

熊野和也: 前のドラムのふちが抜けるタイミングで、ちょうどKids Returnが活動休止すると聞いて。兄弟レーベルみたいなところに所属していたので、共通の先輩に繋げてもらいました。

-- 最初、話が来たときの印象は?

シャー:D: めちゃくちゃビックリしましたね。3人でずっとやっていくものだと思っていたので。最初、ビックリし過ぎて、あまり頭まわっていなかったですね。何回か聞き直しましたよ、「え~と……どういうことでしょうか?」って(笑)。理解するまで時間かかりました。先輩から、「KUZIRAがドラムを探していて、推薦したいんだけど。スタジオに入ってみて決めたいらしいよ」と。それで連絡先を聞いて、やりとりして、一緒にスタジオに入ることになったんです。僕は加入してくださいと言われれば、「こちらこそお願いします!」というつもりで行ったんですけど、2人の認識は少し違っていたようで。

熊野和也: 僕らからしたら加入してほしいなんて申し訳なくて、「サポートでいいので協力してもらえないでしょうか?」という気持ちだったんです。

末武竜之介: シャー:D君のプレイに惚れていたので。

シャー:D: 僕は加入したい、2人は加入してほしい、という、なんか気まずい雰囲気がずっと流れていて(笑)。スタジオ中、お互いがずっとせめぎ合っていたんです。

熊野和也: 両想いなのに告白できていないみたいな(笑)。

-- もどかしいすれ違いが続いていたと(笑)。

シャー:D: 曲を演奏しても、「今のよかったですね」と言ってくれるけど、確信はついてこないみたいな(笑)。

末武竜之介: 最後の言葉をお互い言わない、という。

シャー:D: それで「俺はバンドに入れてもらうつもりで来たんだけど」と言ったら、「えっ?マジですか?本当にいいんですか?」って。僕も「逆にいいの?」と。そこでやっと一致したんです。

熊野和也: 「もう本音を言っちゃいますよ、加入してほしいんです!」とか言って(笑)。僕らはシャー:D君の演奏を何度も観ていて、正直、東海地方の同世代で一番カッコいいドラマーだと思っていたので。「いいの?本当に入ってくれるの?」という気持ちでしたね。

シャー:D: 加入が決まったその日に、「フルアルバムを録るんですよ」と言われて、焦りましたね(笑)。10曲以上、急ピッチで録音しなくてはいけないと。次の週にはスタジオに入ったんです。

末武竜之介: スタジオに入ることが決まって、音源を渡したら全部覚えてきてくれたんです。

シャー:D: 一週間くらいで全部覚えましたね。

熊野和也: やらないデモ曲まで覚えてきてくれて、流石だなと思いましたね。

-- 誘って間違いないドラマーでしたね(笑)。そして2020年はコロナ禍でライブができないなど、ライブバンドにとって最悪の状況でしたが、その間、ひたすら曲を作ったりしていたんですか?

末武竜之介: いや、なかなかうまくいかなくて。僕らはライブをやったり観たりして刺激を受けて、インスピレーションを得たり、モチベーションを上げて曲作りをするバンドなので。昨年は刺激もなにもないので、本当に曲が作れない状況が続いていたんです。

-- インプットするものがなければ、アウトプットもできないと。

末武竜之介: 歌詞も曲も作れなくて。本当に病んじゃう感じでした。音楽をとったら自分には何が残るんだろう、というところまでいっちゃって。すごくスランプでしたね。

熊野和也: コロナ禍で、しかも竜は看護師、ふちは理学療法士だったので、スタジオにも入れていなかったんです。作品を作る気持ちはあったと思うんですけど、現実的にできなくて。それがよくない方向に向かって、病んじゃった感じです。

末武竜之介: パンクロックとはなんだろう、音楽とはなんだろうと悩んで、負のスパイラルにおちいって。正解を見つけられないし、何もできなかった時期だったんです。でもある日、ふと吹っ切れて、自分の好きなようにやろうと。自分の聴きたい曲を作って、自分のなりたいものになろうと思えたら、スラスラと曲ができていったんです。それが2020年の夏の終わりの頃でしたね。

Vol.03へ続く...
Interview By 中沢純

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様々なジャンルを入れ込んでもグッドメロディという核があれば、それはKUZIRAの音楽になるんです(末武竜之介)

閉塞感しか漂っていない現在の世の中を、心地好い浸透性のあるメロディとハイトーンな歌声、多種多様なジャンルを内包させたサウンドで突き破る3ピースバンド、KUZIRAの1stフルアルバム『Superspin』が登場。唯一無二のメロディックパンクを武器に、音楽シーンという大海原へと果敢に飛び出す作品の誕生だ。3回にわたるインタビューも今回でラスト。メンバーの末武竜之介(Vo/Gt)、熊野和也(Ba/Vo)、シャー:D(Dr)に、アルバム製作中のエピソードや今作に込めた想い、今後の展望について、いろいろと話してもらった。

-- 今回、コロナ禍という未曽有の状況を乗り越え、1stアルバム『Superspin』が完成しましたね。以前に製作した作品と、どこか今までと変わったなと思う部分はありますか?

末武竜之介: 歌詞の面でいえば、コロナ禍で自分の内面を見つめる時間が多かったので、自分の気持ち、想いがすごく反映されていると思います。

-- 歌詞はシンプルな言葉で綴られているけど、その奥に深い喜怒哀楽を感じさせる、というか。熊野さんとシャー:Dさんは客観的に見て、今作の歌詞をどう感じましたか?

熊野和也: 「Spin」はリード曲になるんですけど、その曲はKen Yokoyamaさんと対バンしたときの思い出が元になった曲で。KenさんがMCで、「KUZIRAよかったでしょう?」と僕らの名前を出してくれて、「Let The Beat Carry On」をやったんです。その”ビートを繋ぎ続けろ”というメッセージに感銘を受けたんです。そして竜に、「「Spin」はどういう歌詞なの?」と聞いたときに、「「Let The Beat Carry On」へのアンサーなんだよね」と言っていて、すごくシビれたんです。すぐにこの曲がリード曲だなと確信しました。

-- そのくらい強烈に惹きつけるものがあったと。

熊野和也: 関係者もこの曲だなと、満場一致でリード曲になりましたね。

-- 他の曲の歌詞もすごく身近な出来事をテーマにしているなと感じましたが。

末武竜之介: 例えば”俺についてこい、頑張ろうぜ”みたいな歌詞は得意ではなくて。う~ん、なんて言えばいいんだろう……誰か助けて(笑)。

シャー:D: ”俺はこうするけど、みんなはどう?”みたいな?

末武竜之介: そうそう!そのニュアンス。

熊野和也: 無責任に背中を押すのではなくてね。

シャー:D: 頑張れと言っても、頑張っている人はいっぱいいるものね。

末武竜之介: 自分が思ってもいないことを歌詞に書いてもつまらないし、歌う意味がない。例えば人への怒りや押しつけより、人が悪いことをしても許す、というか。歌詞にもそういう寛容さがあったほうが、心にグサッときますね。

-- その感受性が歌詞の表現にもいい影響を与えているんでしょうね。そしてサウンドは爽快かつポップな印象です。

末武竜之介: 僕はメロディが命より大事なものだと思っているので、メロディから作っていきます。それから曲構成を考えて、最後に歌詞、という流れですね。

-- 竜之介さんが作るメロディの特徴はどんなところだと思いますか?

熊野和也: メロディの哀愁感ですね。竜は常日頃から、「心がギュッとなるようなメロディが好きだ」と言っていて。KUZIRAの曲は、まさにそういったメロディのものが多いです。今作だと4曲目の「Sad(Regrets)」、9曲目の「Bye For Now」は特にギュッときますね(笑)。

-- 聴く人の心をわしづかみにしてくれると。

熊野和也: そういうメロディになっていると思います。

シャー:D: 元々、好きな音楽が90年代~00年代のポップパンクがすごく好きで、そこはみんな共通しているので。KUZIRAの楽曲も、そういったポップパンクに通じるギュッとなる感じのメロディラインが詰まっている。そこがみんなの心に突き刺さる部分なのかなと思います。

-- メロディの軸はしっかりとしつつ、曲展開はかなり自由でフレキシブルですよね。「Together Forever」なんかはアコースティックの音色からスローで入っていき、跳ねたサウンドや途中でスカのリズムに変わっていきますよね。なぜこういう自由な発想の曲を作れるのでしょうか?

末武竜之介: 僕自身が音楽理論を知らなくて、例えばどのジャンルの音と音を繋ぎ合わせたらいいのか、よく分かっていないんです。自分がやりたいこと、好きなことを詰め込んでいる感じで。やっぱりメロディックパンクって、リズムがずっと2ビートとか似たような曲になっちゃうけど、そういうのはつまらないなと思っているんです。僕自身もポップパンクはもちろん、最近だとEDMも聴きますし、RAGE AGAINST THE MACHINEやSublimeなどのミクスチャーも聴きますし。そういった様々なジャンルを入れ込んでもグッドメロディという核があれば、それはKUZIRAの音楽になるんです。

-- なるほど。曲の中で自在に変化していく展開は、自分たちで演奏していても楽しいんじゃないですか?

熊野和也: そうですね。竜のセンスをメインに、自由な感じでアレンジしていった曲ばかりですから。

-- レコーディング中に意見がぶつかることはなかったのですか?

熊野和也: あまりないです。竜としては曲に対して何も言ってこないことに、物足りなさがあったみたいですけどね。「この曲どう?」って聞かれても、俺は「いいね」と言うだけだから、「本当に聴いているのかこいつ?」と訝しがって(笑)。

シャー:D: 「本当にいいと思っているのか?」って(笑)。

-- もっと熱い反応が欲しかったと。それは初めて曲を作ったときから一緒ですね(笑)。

末武竜之介: そうなんですよ(笑)。

シャー:D: 本当にいいと思うから、いいと言っているんですけどね。

熊野和也: 本当にいいと思ったからの”いいね”だったので、これ以上言いようがない(笑)。

シャー:D: 逆に3人で、「ここのフレーズはどうなんだろう?」というのはありましたね。

-- 1人だけ反対意見ではなく、3人で大きなクエスチョンが浮かぶときがあったと。

シャー:D: それが多かった気がする。結構悩んだものね。

熊野和也: それで削ぎ落した部分もたくさんあったので。

末武竜之介: 確かに引き算というか、どんどんシンプルにしていきましたね。曲の1番と2番で同じことをやるなら、2番を無くしちゃおう、みたいな。

-- それはすごく大胆なですね。

末武竜之介: だから曲も短くなって、3分台の曲がなくなっちゃった。以前は3分台の曲ばかりだったんですけどね。今作はシンプルに、いらないと思うところは削っていきました。

-- なぜシンプルな方向に向かっていったのでしょうか?

末武竜之介: 元々、そういう短めの曲が好きだったんです。例えばWANIMAの1stミニアルバム『Can Not Behaved!!』って、全体を通してめちゃくちゃ短いじゃないですか?もう少し聴きたいけど終わっちゃった、というお預け感があって、そのほうがまた聴きたくなるし。短い曲のほうがライブでも多く演奏できるので。曲をポンポンポンと連続で、疾走感のあるライブをやる、というのが僕らのスタイルなので。だからこのアルバムはライブを意識して作った作品ですね。

-- ライブは常に意識して作っているんですか?

末武竜之介: そうですね。でも前のドラムのふちが音痴だったので、以前はシンガロングが少なかったんですけど、今作から3人とも歌えるようになったので、自然とシンガロングが増えましたね(笑)。

-- それは大きな進化です(笑)。

シャー:D: それもライブでの一体感が欲しかったからなんです。

末武竜之介: それこそKen Yokoyamaさんのツアーに同行して北海道に行ったときに、今までの僕たちの持っていた常識が覆された出来事があって。僕たちは前のほうに来てくれる観客とだけライブをすればいいじゃんと、尖っていた時期もあったんです。

熊野和也: パンクってそういうものだろうと、勝手にイメージで思っていたんだよね。

末武竜之介: そうそう。来れるやつだけこいよ、みたいな。でもKen Yokoyamaさんは前から一番奥まで、会場に来ている全員と一体になってライブをしていたんです。すごくピースな雰囲気を感じられて、自分たちの常識が覆されましたね。

-- バンドとして、ライブをやる上での視野を広く持てた瞬間だったんですね。

末武竜之介: そうですね。なので、今回はシンガロングな曲も増やしました。例えばシンガロングのパートを曲の題名にして、よりキャッチーにしたり、簡単な英語を使ってみんなが歌えるようにしました。ライブハウスのイメージだけではなく、大きなフェスの会場とかもイメージできるような曲も増えたんじゃないかなと。

熊野和也: 「Together Forever」はまさにそういったイメージで。カラッとした天気のいい日に、野外のフェスでやりたいですね。

-- 確かにフェスにピッタリのイメージの曲ですね。そしてアートワークやブックレットにもこだわっているんですよね。

熊野和也: そうなんです。いつも僕らの作品のジャケットデザインやTシャツなどを作ってもらっているMARBLE RECORDSの江口友章さんに、今回もお願いしました。単なる歌詞カードに収まらないような、今の時代にこんなにこだわるバンドはいないだろう、というのを見せつける内容のブックレットが完成したので。どんな内容なのか、実際にCDを手に取って確認してほしいです。

末武竜之介: 僕らは最後のCD世代だと思うので、物として持っていたい気持ちがすごく分かるんです。歌詞も和訳を見ればメッセージが伝わりやすいと思うし、曲の感じ方もまた違うと思うので、ぜひ買ってほしいですね。

-- 今作でさらに多くの人たちに知られる存在になると思いますが、このアルバムはリスナーにとってどのような作品になってほしいですか?

末武竜之介: 完成してから何回も聴いているんですけど、聴くたびにどんどん味が出てくる、というか。スルメという表現じゃ足りないくらいで、”貝ひも”みたいな味の濃い作品です。

-- 聴くほどにめっちゃ味が出てくると。

末武竜之介: めっちゃ濃いアルバムになったんじゃないかなと。

熊野和也: ……あの、”貝ひも”っていうのは、竜が東京に来る車の中でずっと温めていた回答なんです。リスナーにとってどんなアルバムになってほしいか、という質問に対して、「”貝ひも”は絶対にハマる、パワーワードだ」みたいなことを言っていたんですけど、ここまで何本か受けたインタビューで一回もウケなかったんです(笑)。

シャー:D: 俺らも話の流れから推測して、”貝ひも”が来るぞと構えていましたからね(笑)。

熊野和也: 一つ前のインタビューのときなんかは、もう”貝ひも”というワードすら言わなかったものね(笑)。

末武竜之介: 何度か不発だったのでピリピリ感がすごくて。”貝ひも”という言葉が出てこなかったんです(笑)。

-- プレッシャーで硬直してしまったと(笑)。

末武竜之介: でも本当に聴けば聴くほど味わい深くなる、そういうアルバムだと思います。

熊野和也: アルバムができたときに友達に聴いてもらったんですけど、俺はこの曲が好き、俺はこっちだとか、本当にバラバラで。MVにする曲を決められないくらい、いい曲が揃いましたね。リスナーのみんなはどの曲が好きなのか、反応を楽しみにしています。

シャー:D: 本当にいろいろなキャラクターの曲が揃っているし、どの曲にもKUZIRAらしさがしっかりと凝縮されていると思います。1曲目から最後まで通して聴いても、もう一回聴こうとなるような作品だと思います。

-- それではKUZIRAとしての今後の展望を教えてください。

熊野和也: 10年後、20年後も自分の体がもつ間はライブハウスを機材車でまわって、毎年ツアーをやっているようなバンドになりたいですね。

シャー:D: ライブハウスに立ち続けて、泥臭くずっとパンクロックをやっていきたいです。そして大きな舞台に立つようなバンドになって、地元に帰って恩返しを。今までお世話になってきた人たちに、大きくなった姿を見せられる存在になりたいです。

末武竜之介: Green Dayと対バンしたいです。Green Dayを岐阜の柳ケ瀬アンツに呼んで、そこで2マンをしたい。

-- それは実現したら本当にすごいですね。確実にキャパオーバーになりますよ(笑)。

末武竜之介: でも今までも夢だと思っていたことが、結構叶っていて。叶わないかもしれないけど、夢は大きく持ちたいなと思います。

Interview By 中沢純

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