COUNTRY YARD Best Album [ Greatest Not Hits ] Code: PZCA-87 / Release: 2019.10.16.wed / Price: 2,000yen(+tax)

Track // 1. Don’t Worry,We Can Recover / 2. I’ll Be With You / 3. Far Flower / 4. Turn Up The Sun / 5. Seven Years Made My Now / 6. Starry Night / 7. Quark / 8. I’m Alright You’re Alright / 9. In Your Room / 10. Alternative Hearts / 11. Bed / 12. Orb / 13. Before I Crack / 14. Smiles For Miles

Buy

  • tower records
  • HMV
  • amazon
  • disk union

MV: Seven Years Made My Now

TOUR

OPEN 18:30 . START 19:00 / ADV 3,000yen . DOOR 4,000yen

INTERVIEW

COUNTRY YARD Best Album [ Greatest Not Hits ] RELEASE INTERVIEW

  • Interview Vol.01
  • Vol.02 »

-- せっかくの機会ですから、改めて結成当初のことから、根掘り葉掘り訊いていきたいと思います。

Sit 覚えているかなー、あの頃の気持ち(笑)。

-- 2008年結成ですが、そもそも、このバンドを立ち上げたのは?

Sit 俺と、最初のドラムのAkiraですね。そして、結成からいるのはHayatoです。

-- バンド名もヴァインズの曲名に由来していますし、最初からメロディックパンクとは一線を画した意識があったことが伺えるんですが、どういうバンドをやろうと思っていたんでしょうか?

Sit 俺はもともと、明らかにメロディックみたいなバンドをやっていたんですね。だけど、自分が作っているものは他と違うなって気付いて、もうちょっとそういうものを堂々とやれるバンドにしたいと思って結成したんです。ただ、こういう感じで行こう、こういう曲を作ろうとかは、一切考えていませんでした。特にテーマもなく、あくまで自然に作りたいものを作ろうってはじめたんですよね。

-- 当時と今と、音楽性を比べてみて、どうですか?

Sit 全く変わっていないですね。新しいものがプラスαで入ってきているだけで、自分が聴くものもそんなに変わっていないですし。

-- バンドの雰囲気や状況はどうたったんでしょうか?

Sit 楽しかったですよ。

-- ある種「楽しい」を追求して、数年は過ぎていったというか。

Sit そうですね。

-- 活動の規模感というのは?

Sit ブッキングとか、自分たちのイベントとかですね。ただ、バンドのスタートが何たるかは把握していたから、最初のイベントからデモCDやTシャツを作って、イキがってやっていましたね。

Miyamoto back numberとも対バンしてたじゃん。

Sit それは、もうちょっと後。2年後ぐらいだね。

-- そんなMiyamotoさんとの出会いは?

Sit 彼がやっていたバンドと対バンしていたんです。

Miyamoto COUNTRY YARDをやる前から(Sitのことは)知っていたんです。Hayatoは、俺が働いていたスタジオの、別の店舗で働いていたっていうのもあったんですけど。八王子RIPS……地元のライブハウスに出ていて、知っていた人たちが一緒にバンドをはじめたな、最初から人気っぽいなって(笑)。注目されていたもんね。

Sit 最初だけね!(笑)。いやいや、そんな自覚はなかったですけどね。どっちかっていうと、周りの同世代は、俺たちがどさまわりしている時はリリースをしていたし……でも、それを見ていて、自主でやってナンボって思ったから、リリースが目標っていうよりは……たぶん目標ってなかったんだろうね。

Hayato すげえ文句言ってたもん。

Sit そうそうそう。「なんであんなんでCD出してんだよ」とか。そういうものに対してヘイトな気持ちがありました。俺らは馬鹿なりに、自分たちが出すタイミングは把握していたのかなって思います。

Miyamoto みんなリリースまでが早かったんだよね。

Sit だから、自分たちも出せばいいのに。(レーベルから)声が掛かっていたし。でも「ないっしょ」って、全部断っていました。多分、ちょっと突っ張っていたんだと思いますよ。

-- 音楽的にもメロディックど真ん中じゃなかっただけではなく、活動のスタンスでも一線を画していたという。

Sit うん。どこいっても、フィットしてねえな俺たちって感じていました。メロディックのブッキング、歌モノのブッキング、どこ行ってもフィットしないかんじがあったっすね。

-- でも、だからって路線を変えるとかは……。

Sit 特になかったです。

-- 独自の道を突き進む中で、遂に2010年9月、STEP UP RECORDSから1stフルアルバム『Modern Sounds』がリリースされます。ここに至った経緯を教えていただけますか?

Sit 2009年にSPACE BOYSとスプリット(『WONDER GROUND』)を出したんですよ。それがすげえよくって、もう俺たち次のステップ行けるんじゃないの? これが次のリリースのきっかけになればいいねって話していて。それで、2010年の1月にリリースされたTIGHT RECORDSの『KNOW FUTURE』っていうオムニバスに、1曲目をスペボが狙って、俺らが大トリを狙おうっていう意気込みで参加したんです。そっから某メジャーレーベルと話をしたり、RYOSUKEさんと話したり、いろんな人と話すようになっていったんですよね。

-- 某メジャーレーベルというキーワードが出てきました。

Sit そう。行こうって決めたタイミングで、ツクタンツクタンツクタンツクタン……(笑)。

-- RYOSUKEさん登場、っていう(笑)。そのへんは、Miyamotoさんが入った時期でもありますよね?

Miyamoto 前任のギターの人が抜けるタイミングで、自分のバンドが解散するってなって。初めてその時にSitと話して……対バンしているぐらいだと、そんな、ちゃんと話さなかったから。で、じゃあCOUNTRY YARDやろうって。

Sit やりたいって言ったんですよ。俺はすごい意外だった。

Miyamoto (スペボとの)スプリットを出すまでは、人気あるバンドだなあって思って八王子にいただけだったんです(笑)。でも、スプリットがめちゃくちゃかっこよくって。うわあ、全然違うバンドになったって思ったんですよね、傍から見ていても。で、自分のバンドがなくなって、もっと真面目にバンドをやりたいって思っていたタイミングだったんですけど、(Sitは)真面目だったんで、そういう人がこういう曲を作れるんだなって思って、COUNTRY YARDをやりたいってなったんですよね。自分がバンドをやっている時より、遥かに熱心な作曲家だ、俺はこんなふうにはなれないって。

-- しょっぱなからリスペクトがあったと。

Miyamoto もちろん、そうです。それに、自分と全然違うバックボーンだったし。(Sitが好きな)UKロックも、俺は全く聴いていなかったから。そういう人とバンドをやるのも面白いもんだろうなって。

-- 違ったバックボーンの人とやることについて、不安より興味が勝ったんですか?

Miyamoto んー、気にしていなかったかな。

Sit まあ、メンバーみんな違うんですよ。Hayatoも違うし。でも、どっかしら音楽の好きなポイントが被っていて、自分が作る曲をいいんじゃない?って言ってくれる人が集まったんじゃないかなって思っているんですけどね。

-- そしてRYOSUKEさんとの出会いですね。

RYOSUKE 初めて観たのは……LUSHで僕がブッキングした時のライブですね。COUNTRYの前のドラムの奴は、ファッキュー(FUCK YOU HEROES)のお客さんで、昔っから知っていて、目立っていたんです。そいつが「新しいバンドはじめたんでデモ聴いてください」ってくれた中に、何曲か入っていたんですけど、特に俺が「うわ、いい曲だ!」と思った「MY OTHER SIDE」があって、ライブを観たいなって思ったんです。で、僕がLUSHでブッキングをやっていた時期だったから、出てみる?って。まだギターはミヤモじゃなかったんだよね。で、正直、ミヤモのポジションに前いた彼だけ完成されていなかったから、おや?って。

Sit その時、すでに「(前のギターが)もう辞めるんです」って言っていたんです。

RYOSUKE だから「辞めるんかい!」みたいな。ミヤモの存在は何で知っていたのかな? RIPSで見たのかな? で、入るって聞いて、いいじゃんいいじゃん!って。で、ミヤモが入ったライブを(下北沢)シェルターで観たんだよね。そうしたら、いきなりミヤモがハマっていて、かっこいいなって思って。でも、なんか、その頃はそれくらいで。さっきSitも言っていたけど、当時COUNTRYの周りは簡単に音源を出しているバンドばっかりだから、出していなくてもライブが良いバンドの方がかっこいいって言っていて。たしかに、音源を簡単に垂れ流ししている時代に対して、俺も嫌だなって思っていたから、COUNTRYにもそんなに(リリースを)焦んなよって言っていたんだよね。でも、いよいよツバをつけられているんだなっていう空気が出てきて、どうしよっかな?って。(STEP UP RECORDSから)出したいなって思ったけど、焦んなよって言っているもんだから、ね(笑)。でも、今、俺がツバつけて、1年後にうちのレーベルでリリースするのはどう?って言うのも、すごい嫌だなって思っていた時に、知り合いから「NO USE (FOR A NAME)のトリビュートを作るんだけど、いいメロディックのバンド知らない?」って言われて、COUNTRYが浮かんだんだよね。それで、STEP UP RECORDSに所属はしていないけれど、すげえかっこいいバンドがいるから紹介できるよって言っていたの。で、COUNTRYにその話を振ろうとしたら「某メジャーレーベルから……」って言われて、マジかよ!?って(笑)。そっから俺、横槍を入れまくったんだよね。「それだったら言うけど、本当はSTEP UP RECORDSから出したかったんだよ!」って(笑)。もちろん選ぶのはバンドだけど、気持ちを伝えないまま終わるのはなんか、ね。で、そういう話をAkiraにしたら「マジすか、考えさせてください」と。そこから道を間違えちゃったんだよね(笑)。

Sit でも、若造ながら、わかっていたんですよ。自分たちが今やることは、某メジャーレーベルでリリースして、サマソニ出ることじゃないなとか。そういう明るい場所に行くのは今じゃないと。だから、(RYOSUKEとは)がっちり話し合いもせずに「ああー……ウッス!」みたいな(笑)。心境的にはすっと選べましたよ。

-- 本当に若造なら、某メジャーレーベルを選んでいる気がしないでもない(笑)。

Sit ああ、そういった人間がやってて、今こういった状況になっているんでしょうね(笑)。

3人 (笑)。

Sit やっぱそういうところ、行けないんですよ。嫌なんでしょうね。

-- 未だに一貫していますよね。旨味を選んだり、近道に行かないところ。

Sit そうかもしれない。

Vol.02へ続く...
Interview by 高橋美穂

  • Vol.02 »
  • « Vol.01
  • Interview Vol.02
  • Vol.03 »

-- そして、晴れてSTEP UP RECORDSから『Modern Sounds』がリリースされます。

RYOSUKE いや、その前に一枚シングル(2010年5月リリースの『TURN UP THE SUN E.P』)があるんです。まず自分たちで(自主で)出して、完結させてから、うちから出そうってなったんですよね。

Sit ただ、音源を出したからどうなるっていう期待すら持っていなかったんですよ。STEP UP RECORDSから出して何が変わったかっていうと、いろんな人と出会えた。「1997」に出たり、先輩と出会ったり、先輩が気に入ってくれたり。そういう方がデカかったんじゃないんですかね。音源が広げていったっていうよりは、RYOSUKEさんの周りの人たちとSTEP UP RECORDSで知り合って、そういう人たちがまたいろんな人たちと繋げてくれたっていう。その一連の流れが、今の自分たちを作った気がします。その頃に参加したSTEP UP RECORDSのツアーは、RADIOTS、チェリコ(THE CHERRY COKE$)、MEAT BUNS、エレサマ(ELECTRIC SUMMER)が一緒で、俺らが一番年下だったから、めちゃくちゃ緊張しました(笑)。

RYOSUKE マジ、喋らなかったからね。

Hayato 楽屋使わなかったよね。

RYOSUKE チェリコの女の子二人にビビってたからね。「バンドに女の人がいる!」って(笑)。楽屋にもいないし、打ち上げも「ウス……」みたいな感じで、行けよ!って(笑)。

Sit 自分的には、普段話していなかった人たちと、いきなり接するようになったんで、勘ぐっていましたね。

-- STEP UP RECORDS以前は、同世代やローカルの仲間が多かった?

Sit そうですね。

-- RYOSUKEさんは、COUNTRY YARDの扉を開け放ちたかったからこそ、いきなりハードなツアーに誘ったんですか?

RYOSUKE COUNTRY YARDはポンってそこに投げても、ライブがはじまったらできるって思ってた。対バンの経験値がないだけで、ライブの経験値は、俺ら世代と変わらなかったと思うし。だから「1997」や、STEP UP のツアーに参加して、対バンする相手さえ変えていけば、勝手に彼らは成長するだろうなって。Akiraに言っていたのは、こういうことはそっち(某メジャーレーベル)にはできない。でも、うちはできる。むしろ、それしかできないかもしれないけれど、そこが俺は大事だと勝手に思っちゃってるって話していて。例えばあの頃、300円CDとかも流行っていたけど、俺らは、そんな安く売っちゃうの?って話をしていて。COUNTRYは自主の『TURN UP THE SUN E.P』を2曲入り1,000円で売るってなって「高くないですか?」っていう意見もあったんだけど、よきゃ売れると思ったし、そもそも、どっかのレーベルに所属しないとやれないみたいな感じもどうなの?って。みんな、レーベルに所属するために必死になっていたじゃん。どんどんCD-Rを渡してくれるバンドもいて……いや、嬉しいけど、その前に(バンド自身が)やれることはあると思うよって思っていたんだけど、COUNTRYは自分らでそれを整理してやれていたんだよね。ただ、地盤がないバンドだったと思うから、CDっていう名刺は作って、まず横の友達を……言い方変だけど、つぶしていきましょうと(笑)。で、次にCDを出す時は俺ら世代、ちょっと上もつぶしていくっていう。そういう段階を踏むうえで、STEP UP のツアーは都合がよかった(笑)。COUNTRYのために組んだような感じだったから。YOSHIYAさん(RADIOTS)にも「面倒見てください」って言ったら、「オッケー!」みたいな(笑)。KAT$UO(THE CHERRY COKE$)も「いいじゃんいいじゃん!」って言ってくれて。

-- 制作に関しては、どうだったんですか? お話を伺っていると、音楽的な信頼はそもそもあった感じがしますけど。

RYOSUKE うん。チェリコとか、ホル(HOLSTEIN)は……途中からなくなったけど、音源出す前にプリプロ聴いたり「この曲どうしましょう?」とか話すこともあったんだよね。でもCOUNTRYはポンって(任せる)感じだった。Sitも、よっぽど困った時じゃないと俺に訊いてこなかったし。俺もどんな曲ができるかはわかんなかったけど、全然心配はなかった。

-- 改めて、STEP UP RECORDSに入ってよかったところって、どこでしたか?

Sit STEP UP にいたから、今めちゃくちゃ仲いいOVER ARM THROWにも会えたし、突然locofrankのツアーに誘ってもらうようなこともあるし。そういうふうに、自分たちのことを口コミで広げてくれる人や、ツアーに引っ張り出してくれた人と出会えたところですね。やっぱり、間違ってなかったんだなって思います。

Miyamoto 某メジャーレーベルは、今は他のメジャーレーベルでやっているバンドがいたところなんですよ。そのバンドを観ていた人が、声をかけてくれて。誘い文句に「サマソニ」とか「ランシド」とか「エピタフ」っていう名前も出ていたけど、その会社は結果すぐになくなったんです。あっぶねえー、って。声をかけてくれた人も、いい人だったけど、今どこにいるんだろう?って感じだもんね。

Sit いろんな海外のバンドと自分はつながりがあるから、対バンできるかもしれないよって言われたんだよね。だから若干悩んだんですけど、結局STEP UPに入って、しこたま海外のバンドともやれたんで。ここでよかったじゃん、って。

-- そこからのバンドの岐路を象徴する楽曲となると、やっぱり“Starry Night”ですよね(2012年リリース1stミニアルバム『Heart Island』収録)。この楽曲のMVはドラマ仕立てで、その続編として映画『眩しくて見えなかったから 長い瞬きを繰り返した』が制作されるという、かなり大規模なプロジェクトになりました。この展開を、当時のみなさん自身は、どう思っていたんでしょうか?

Sit そのへんから、JMSや、RYOSUKEさん以外の人たちがバンドに関わってくれるようになって。俺は正直、映画とか、ああいう流れに関しては、やりたいもやりたくないもなかったんですよ。こういう言い方はあれかもしれないけど、俺は音楽ができればよかったんで。やりたいもやりたくないもないけど、でもこれって何のためにやるんだろう?って。例えば、そのドラマ仕立てのMVだけじゃなく、ライブMVも作って、MVがふたつになるとか、自分たちが発信したことでそうなったわけじゃなかったし。バンドを楽しんではいたけど、奥の方では窮屈に感じていた時期だったかもしれないです。

-- “Starry Night”は大きなきっかけでしたけど、派生したところにバンドの意思はそこまでなかった、という?

Sit そうですね。むしろ、“Starry Night”がここまでフォーカスされるとは、曲を作っている時も思わなかったんです。

-- 「いい曲できたな」ぐらい?

Sit いや、そこまでの手応えもなかったよね。

Miyamoto うん。いい曲感もそんなになかった。

Sit だからこそ、戸惑ったというか。これなの!?って。

RYOSUKE そう。MVをこれにするって言った時も「“Starry Night”ですか!?って」。

Sit 俺的には“Don’t Worry,We Can Recover”だと思ったから。でも“Starry Night”がフォーカスされて、外の人たちが客観的に求めるものと、自分がいいと思うもののギャップを感じました。

RYOSUKE まず、『Heart Island』から(流通が)JMSになるところが、バンドにとってデカかったんだよ。そもそも、STEP UP RECORDSが10何年やってきた前の流通会社から熱を感じなくなっていて、どうしようかな?ってなっていた時で。その頃、COUNTRYはたしか(JMSが企画・制作する)「RED LINE」に誘われていて。COUNTRY YARDが好きな人がJMSっていう流通会社にいるって話は聞いていたんだよね。噂だと、俺とそりが合わない奴かもしれないって(笑)。ミヤモが「RYOSUKEさんイラついちゃうかもしれないです」って(笑)。で、COUNTRYがEGGMANでやった時に、そいつが来てるって言うから見たら、YOYO系の奴が歩いていて、あいつか!って(笑)。でも、『Heart Island』を出す時に、そのJMSの鈴木と話して、偉そうに「COUNTRY YARDをどうしたいの? 好きなところを言っていってくれ」って、1時間半くらい尋問したの(笑)。そうしたら、自分と同じだったのね。それに、前の某メジャーレーベルみたいにニンジンみたいな話をぶら下げるんじゃなく。こういうふうにしたら、こうなって、こうなるって、ちゃんと話してくれたのね。だから、こいつと一緒にやりたいなと思ったの。で、今まで自分とメンバーで考えてきた、MVどうする?っていう会話に鈴木が入ったことで、“Starry Night”が出てきたのね。ただ、俺としては、迷ってたの。たしかに、メンバーが選ぶと“Don’t Worry,We Can Recover”だろうなって。例えば、その昔HAWAIIAN6がMVを“MAGIC”で撮った時に、本当だったら違うでしょって思ったもん。でも、レーベルとして、一般的に売りやすいものは“MAGIC”だったんだよね。そういう判断って、メンバー発信では難しいじゃん。本当にかっこいいと思っているのは別の曲だけど、広げるためにはこの曲っていう。そういうことを俺一人でプレゼンすることが難しかった時期に、鈴木が入ったの。だから、Sitが「わからなかった」って言ったのは、俺らが勝手にハンドリングしていたから。でも、Sitはずっとブレずに「俺は歌えればいいです」って。だからMVは“Starry Night”にしようと。でも、最初に作ったドラマ仕立てのものだけだと、それだけのバンドじゃねえんだよなって。だから、こういう曲でもダイブが起こるっていうことを……。

Miyamoto 外国のバンドのライブのハードな景色を観て、こういうのかっこいいねって言ったのを、あの曲で自分たちなりにやってみたっていう。

-- そもそも、ドラマ仕立てのアイデアは、どこから生まれたんでしょう?

Sit 監督です。

RYOSUKE 俺も、任せるって言って。

Sit そのMVをもとに、出演していた少年たちのその後を観るために、映画を作ろうってなったんですよね。

Miyamoto そのテーマソングとして作ったのが“I’ll Be With You”。

Sit でも、当時って本当にパンクロックだったから、そんな自分にとって映画化とか「なんだこれ!?」みたいな。やらなきゃいけないことじゃないけど、やってる自分に歯がゆさがありましたね。まあ、少しつらい時期ではあったけど、あれがあったからいろんなものを取り入れられるようになったと思います。

-- 凝り固まったものを柔軟にできたんですね。でも、そのための刺激としては強かった。

Sit うん。あとはメンバー個々、思いはそれぞれだと思います。そんなに一致団結していた時期ではなかったから。ある者は、もっと上を目指したい。ある者は、別にそんなことやりたくないっていうふうに。

RYOSUKE その時期、ドラマーもいなかったしね。

-- RYOSUKEさんにとっても、映画と関わるなんて未知だったんじゃないんですか?

RYOSUKE やったことないから、それこそSit側の考えだったよね。パンクって言葉に収めちゃいけないけど、バンドマンとしてもFUCK YOU HEROESばっかりやっていた頃だったしさ。俺も凝り固まっていたけれど、鈴木の広げ方も面白いと思ったし。そもそもMV観ててさ、俺が「この子の引っ越した先はどうなったんだろうね?」って言ったら、鈴木が「続きを作っちゃいましょうよ」ってなったんだよ。監督もやりたいって言って。ただ、鈴木がちょい役で映画に出たかっただけじゃねーかとも思うんだけど(笑)。

-- こちらが思う以上に、JMSの影響が大きかったんですね。

Sit そうですね。

RYOSUKE そういうテコ入れをしないと、こういう感じでバンドをやってきている人たちだし、俺もバンドの意見を重んじちゃうから……挑戦していたよね。抵抗がある人(Sitを指す)、みんなが幸せであってほしい人(Hayatoを指す)、突き進みたい人(Miyamotoを指す)。それは、いいバランスだったとは思う。それに俺は、こういうやり方をしても、バンドの曲は負けないと思ったから、別にそれはいいんじゃね?みたいな。

Miyamoto そん時ぐらいから、メロディックでもないし、もっといろんなところに行ったり、いろんなことができるんじゃない?って言われ始めたんじゃないかな。だから”Starry Night“がいいんじゃないか?って推された時も、へえー、そうなんだって。

Sit 鈴木さんには、この時に一回チャンス逃しているって言われるんです。自分が「映画楽しいぜ! みんな広げようぜ!」ってなっていれば、もっと違ったんじゃないか?って。

Miyamoto ラジオに出るのとか、全部断ったからね。

Sit こういうのじゃない!って。今の自分に、そういう考えは全くないけど(笑)。まあ、その時に、自分の中で行きたい場所がはっきりしていたら、また違ったのかもしれない。でも、あの時期がああだったから、こういうことに気づけるし、今話せるとも思う。それに今“Starry Night”も、ただのポップソングになっていないから、俺たちの中で。いろんなことを振り返りながら演奏できるし、深みを増している気がします。

Vol.03へ続く...
Interview by 高橋美穂

  • « Vol.01
  • Vol.03 »
  • « Vol.02
  • Interview Vol.03

-- 次の大きな変化が、独立ですよね。STEP UP RECORDSから移籍し、自分たちでArt & Soul Recordsを設立。2016年に2ndシングル『COLORS』をリリースします。

Sit STEP UP RECORDSにいた期間は……6年? 「別に仕事しないで、音楽だけやっていきたい」「かっこいい自分たちとは?」「もうひとつ上を目指したい」とか、いろんな会話をバンドでしていて、次にどうしていこう?ってなった時に、STEP UP RECORDSでやれることって、もうやったよねって、それに、やってきてもらったよねって。年齢も中堅っぽくなってきて、後輩のバンドをツアーにフックアップしたり、RYOSUKEさんがやっていたようなことを、自分たちがバンドに対してはできるようになってきた。だから、まず自分たちの基地を作って、思いっきりやりたいことをやってみない?っていうはじまりだったと思います。だから、STEP UP RECORDSがどうこうじゃなく、俺たちがこれから何やっていきたい?の方が、あの時の俺たちには大事だった。

-- そういう話は、RYOSUKEさんにしたんですか?

Miyamoto いや、俺らも、ざっくりしていたと思いますよ。

Sit バーミヤンで話した時って、その話をしましたっけ?

RYOSUKE バーミヤン……でしか話してないから(笑)。いや、キレイな話じゃないよ、はっきり言って。ドロドロしていたよね。でも、バンドなんて大きくなっていったら、考えも変わるし。そもそもSTEP UP RECORDSって、うちからステップアップしてほしいっていう考えで出しているから、HAWAIIAN6も『FANTASY』出して、PIZZA行って。ジュニモン(Jr.MONSTER)も、うちから出して、TIGER HOLE行って。チェリコもうちから徳間ジャパン行って。ま、ホルだけなんだよ、ずっとうちにいたの。まあエレサマとMEAT BUNSもいるけど(笑)。そういう中で、COUNTRYに対してできることに、俺の限界も感じていたから。その頃、自分はバンドをやらなくなって、ずっとCOUNTRYについていたけど、マネージャーにはなり切れていなかった。志田ちゃん(現マネージャー)みたいにずっと横にいて何かするとか、ステージでシールド巻くとか、それは俺はやりたくなかったし。だから、俺のポジションがよくわからなくなっていたんだよね。今までレーベル業としては、ぽんってCD出して、さあやってきなさい、俺はバンドやってますからって感じだったけど、バンドやんなくなった自分がCOUNTRYにできることって……2年ぐらいは運転して、一緒に寝て、何やってって、一緒に回ったと思うけど、これはCOUNTRYのためになってるのかな?とは思っていて。とは言えマネージャーを入れる資金もないし、どうしよう、じゃあ鈴木に相談しようと。チェリコの時みたいにメジャーからの話もあったからね。でも、その裏で今の(自主レーベルの)話は進んでいて、急に言われたから、え!?何それ、知らねえしってなったよ。まあ、そん時は面白くなかったけど、でも、俺がバンドだったら、上を目指す時にこういう考えはあるなって。ただ、言い方は悪いけど、この4人で整理整頓をできるとは思っていなかった。外からの視点があって成り立つ人たちだと思うから「自主はめっちゃナンセンスだお前ら」とは言った。誰かつけろって。でも、それが俺じゃなきゃダメって言うのじゃない。なぜなら、俺の限界が見えていたから。COUNTRYは大きくなったし、俺も全部、バンドも何もかもやめてCOUNTRYのマネジメントもするわっていう気持ちにもなってなかった……っていうかそもそもそういうレーベルのスタンスだしね。でも、次にどこ行く?っていう時に、いやあその選択は……とは思ったよ。だから、裏では鈴木に頼むわとは言っていたの。俺の説明は聞いてくれないから、お前しかいないと。で、なんとなーく鈴木から(JMSが)マネジメントをやると聞いて、よかったなって。その時は俺たちお互い……。

Sit そうですね。

RYOSUKE 7は言えるけど、残りの3は言い合える仲じゃなかった。

Sit RYOSUKEさんが、とある事務所から話があるから訊いてみようか?って言った時も、俺たちは自主でやろうって決め始めていたし。

RYOSUKE まあ、でもバンドが絶対だから。

Sit あと、俺らも仲良くなかったですからね。

-- 2016年にインタビューした時に、「解散も考えていた」って言っていて驚いた記憶があります。自主レーベル作って、新たな船出っていうタイミングだったから。

Miyamoto STEP UP RECORDS抜けて、自分たちでやろうかってなって、JMSのマネジメントがつく前に、ドラムが抜けたんですよね。じゃあ終わりだと。『COLORS』は作っていたんだっけ?

Sit 作っていたと思う。

Miyamoto それは出した方がいい、でも、そのあとはどうしようって。気持ち的にはこれ(『COLORS』リリースツアー)がラストツアーかもね、っていう気持ちでやっていた記憶はある。それが2016年。

Sit DAZE(Yamazaki)が入る前、Taiちゃん(Taihei)が抜けた時、上を目指している者と、別に上に行きたくない者がはっきりしていて、バンド内がギクシャクしていたから。俺は後者で、そういう目標って特になかったし。目標がないままずっとやっているから「やろうぜ」って言われても、「……頑張ってやろう」みたいな心境。自分が行きたいからそこに向かうわけじゃなくって、ケツを叩かれて「ああ……」みたいな。その中でTaiちゃんも、自分の人生を考えて辞めていったし、そのタイミングで俺も辞めたいと思ったし。そっからみんなで休みを設けた中で話をして、んー、もう一回やってみようかって。

-- 話を聞けば聞くほど、今、PIZZA OF DEATHに移籍して、バンドが前向きに進んでいることが、しみじみよかったなあと思うのですが……ここに至るまでに、何があったんでしょうか?

Sit そこに関してのことじゃないかもしれないけど、本当に、俺は音楽で食べていけなくてもよかったんです。でも、いろんな生活をしてきて、30代になって、好きな人もできて、母も年を取って、って考えた時に、バンドの4人で幸せになりたいし、音楽だけをやってみたいっていう気持ちが、ようやくバコっと出てきたんです。だからこそ、(横山)健さんに「何かあったら(PIZZAに)来いよ」って言ってもらった時、チャンスは今しかないって思ったんです。

Miyamoto あと、Shunちゃんが入って空気が変わったんですよね。俺が一番もっともっと(上へ)ってなっていたけど、Yamazakiが抜けたりTaiちゃんが抜けている時点で、そういう考えだけじゃなくなったっていうか。Yamazakiが抜けた原因は、多分俺に多くあると思うし。かっこいいことをやり続けるためには何が必要かって考え始めていて。そっからShunちゃんがサポートしてくれて――付き合いは長いんです、10年くらい。それからバンドが上に行くだけじゃない時間になったんですよね。Shunちゃんは、演奏面も嵌ったし、人間的に独特な空気感も持っているんで。そこからKEN BANDに(対バンを)誘われるまでの時間もよかったんです。結成10周年を迎えて、ワンマンツアーもShunちゃんが叩いてくれて。決して売れるためや、何かのためだけにバンドをやっているんじゃない意識も芽生え始めたというか。

Shunichi Taiちゃんが辞めた時にバンドがピンチだったのは知っていたけど、自分は自分のバンドをやっていたんで、どうすることもできず。ただ、心配はしていて。このバンドを止めてしまったら、日本の音楽シーンがヤバいんじゃないか!?って。そのあとに入ったドラム(Yamazaki)は、技術も申し分なくて、今までのCOUNTRY YARDにない渋さ、アーティスティックなところが出て、これはキたな、ああよかったなって思っていたら、すぐ辞めちゃって。なんだよ! ああ、やっぱり自分が叩いてみたいなあって思っていたんです。そうしたらサポートの話が来て、やったぜ!っていう。最初のサポートは岡山かな?

Miyamoto locofrankやHAWAIIAN6と一緒だった?

Hayato あれ、Shunちゃんだった?

Shunichi おいおいおい!(笑)。でも、やってみて気持ち良かったんです、単純に。音楽って……ドラムもそうですけど、こんなに楽しいんだなって。もう40になるんですけど、改めて思えた。バンドをやること自体も、さっき言った通り、ただやれればいい人もいれば、上に行きたい人もいて。そういうふうに、いろんな考えの人がいるのは当たり前。でも大前提として、バンド自体はチームで、家族みたいなもんだから、全員がわかり合えなくても、まとまってやっていける雰囲気を作る人が絶対に必要だと思う。それはメンバーだったり、スタッフだったり、周りの人だと思うんです。そういう感じで、サポートではありつつ、一緒に時間を過ごしていくうちに……ちょっとおこがましいですが、メンバーでいいんじゃない?俺って思ったんです。

Sit へえ~。

Hayato ウゼェ(笑)。

Shunichi (笑)。でも、自分のバンドもあったんで、すぐにどうこうはできなかったんですけど。今はみんなのおかげもあって、バンドの活動自体に意味を持たせられるような状況になってきたとは思いますね。自分自身も、この年になって、こういう環境にいられるのは、すごく嬉しい。バンドをやっている中で、自分の音楽人生の中で、今が一番楽しいです。

-- Shunさんが入るまでの状況を、Hayatoさんはどう見ていたんですか?

Hayato まー、仲悪かったっすね。だから、全然変わったと思うっす、多分(笑)。

-- 多分(笑)。Hayatoさんが持ち堪えたところも大きいとは思うんですけど?

Hayato いや、触れずっていうところもありました。まだだな、って。でも、今がこうだから、いいんじゃないすかね。それも、このおじさん(shunichi)が入ったのがデカかったんじゃないかな。

Sit だし、Shunちゃんが言っていたみたいに、COUNTRYがいなくなったら日本のシーンが危ないんじゃないかって、自分でやっていても思うんですよ。いろいろやっていて、見ていて……守るっていう言葉じゃないけど。別に守らなくたっていいしね。でも、なんか、こう、見過ごすことができない感覚というか。自分たちみたいなバンドが、もっともっと広がっていけたら、もうちょっと違った音楽シーンが待っているんじゃないかな?って……そういうのも今までなら、どうせずっとこんな感じでしょって思っていたけど、年齢も年齢になってきて、見過ごせなくなってきた。シーンのふわふわした感じとか。今は自分たちがなんとかしなきゃ、って感じています。だから、上昇志向っていうよりは、自分たちきっかけでなんとかしたいっていうところなんですよね。

-- RYOSUKEさんとしても、誰かがついていなきゃいけないバンドだと思っていたわけだし、PIZZAに入ったことでホッとしたんじゃないんですか?

RYOSUKE めっちゃホッとしてるよ(笑)。まず、Shunが入ったのがめっちゃデカいと思う。サポートの時から空気が違ったし、そこでよかったなって。そのあとにPIZZAからってなって、そりゃもう、嬉しかったよね。俺が好きなレーベルだからね。そこにいるのは、嬉しいことだよね。

-- COUNTRY YARDって、もちろん飛躍はしてきたんですけど、正直、まだまだ届くべき人に届いていないと思うんですよ。それが、この移籍をきっかけに広がっていくんじゃないかな?と思うと、ワクワクしますね。

Sit ライブでもようやく俺たち、外に向けて放てるようになったんですよね。今まで、前の仲間にしか投げていないような感じだったから。まだやれることがいっぱいあるなって思いますよ。

RYOSUKE 俺もPIZZAは、自分ができきれなかったことをできるレーベルだと思う。昔のPIZZAはパンク色が強かったけど、メディアの露出の仕方とか今は外に向けての放ち方が変わってきているから。PIZZAが持っている、海外に発する力もそうだけど、ハイスタがFAT(WRECK CHORDS)から出しているし、俺は勝手にそういうことも考えてくれているのかな……とは(PIZZAのスタッフを見る)(笑)。俺もまだ本当に届いてほしいところまで全然届いていないと思うのよ。それは、今まで届くチャンスをメンバーが潰したっていうのとは違うけど……まあ、今の先に行くなら、PIZZAは国内外においてCOUNTRYに適していると思う。何よりバンドを尊重してくれるレーベルだし、最初の某メジャーレーベルみたいに、ガッと来ることもないだろうしね。ガッと来ると、嫌になっちゃう人がいるからね(笑)。だから、すごくいいと思う。ほんと、めっちゃ大きくなってほしい。

Miyamoto 俺は、後から入ったメンバーなんで、接していると、例えばCDを出した時……曲を俺が作っていないからわかんないんですけど、やっぱり何枚売れたとか気にすると思うし、時折気にしている姿を見ると、別に売れたいというだけではなく、上昇志向な意味として、売り上げが何千枚から何万枚になった方がいいだろうとは思ってきたんです。ひとつの評価のかたちとして、お金もついてくるし。それはやっぱりメンバーとしても、あとから入った側としても、どうにかなった方がいいところじゃないですか。バンドの評価のひとつとして、枚数や景色が変わることは絶対に必要だし、そこは考えなきゃいけないと思っていたんです。でも、Shunちゃんが入って、バンドとしてちゃんとカッコいいことをやって、セールスじゃないことも考えなきゃいけないってなったら、PIZZAが目を向けてくれて。こういうバンドで……言ったら売れてないのに、PIZZAに所属したっていうのは、バンドとして認めてもらえたからなんだっていう。それがひとつの、すごく大きい評価だと思った時に、COUNTRYがPIZZAにたどり着くって、ヤバい話だねって。変にセルアウトしなかったのもよかったと思うし。仲が悪かったけど、留まったことは正解だったかもしれないと思うし。まだ、あんまり先のことは考えられていないんですけど、この10年を経て、ここにたどり着いたから、間違ってはいなかったんだなって思っています。

Interview by 高橋美穂

  • « Vol.02