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映像作家MINORxUの
ビー・カインド・リワインド

Vol.01

「憧れ」って、皆さんにとってどんなものですかね?

これは「横山健~疾風勁草編~」を撮影し始めた際にふと頭をよぎった疑問です。
今回はそれについて自分なりの考察を展開してみようと思います。

というわけで、申し遅れましたが映像作家のMINORxU(ミノル)と申します。

初めまして!

このページに辿りついてるということは、なんとなく知ってる方もいるかと思いますが、冒頭で申し上げたとおり2013年に公開されたドキュメンタリー映画「横山健~疾風勁草編~」を監督したメガネ野郎、もう少しコアな知識をお持ちの方はBBQ CHICKENS辺りのライブでカメラをまわしてたオムツ野郎として、界隈をウロウロしている映像作家です。

「仕事の依頼がないと発信出来ないなぁ、辛いなぁ」「2週間の便秘ってこんな感じかなぁ」と悶々とした日々を送っていたところ、それを知ってか知らずか横山さんからの入電。
「ピザのHPでコラムを書いてみない」と、非常に願ったり叶ったりなお誘いが。

常日頃クライアントワーク(依頼仕事)を生業としていることが多く、自分のタイミングで何かを発信する場所がなかなか持てない、ましてや映像というのは非常に時間やお金がかかるもので、なかなか気軽に自己発信出来ないことにもどかしさを感じていた最中でした。
横山さんは恐らく今まで書いていた俺の文章を多少なりとも読んでくれており(映画のパンフレット等にも何かしら書いています)、「コラムパークに応募してみない?」ではなく、恐れ多くも「コーナー持って書いてみない?」と直々に連絡してくれたのでした。
ヤりたい気持ちとヤラセてみたい気持ちのタイミングが上手く合致して、今日ここにこの場を設けて頂くことが出来たわけです。

事件等を起こして迷惑をかけるような事態が起こらない限り、もしくはそんな場合でも獄中記を書かせてくれる限りは続けていきたい所存なので、よろしくお願いします!

あ、あと、このコラムのタイトル「ビー・カインド・リワインド 」(Be Kind Rewind))とは、英語で「巻き戻してご返却ください」という意味です。
ビデオテープの時代のアメリカのレンタルビデオ店によくあった表記で、ミッシェル・ゴンドリー監督の映画「僕らのミライへ逆回転」の原題でもあります。
語呂や「貸し出したら返ってくる」というコミュニケーション的な意味あいも含めて、なんとなくピンと来て拝借させて頂いた次第。

 

そんなわけで、映像作家MINORxUの「ビー・カインド・リワインド 」、遠い昔の冒頭で投げかけた疑問。
「”憧れ”って何ですか?」なんですが(韻&照)、これって横山さんのドキュメンタリーを撮影していて色々と考えるようになったことなんです。

やはりKen Yokoyamaのライブに行くと、横山さんに憧れてるであろうキッズが沢山いるわけです。
髪型や格好を真似してるキッズ達。
なかには横山さんモデルのギターを背負って見に来るツワモノもいたりします。

いやオレもかつてはそうでした。自分にとってのヒーローに憧れて、格好や髪型を真似したものです。
古くは”岬太郎”くん。

え?それ誰?
てか、二次元?
昭和っていつ?

あのですね、その昔「キャプテン翼」という漫画がありまして、主人公”大空翼”の相方として活躍したサッカー少年がいたんです。それが”岬太郎”くん。

その岬太郎に憧れるあまり、岬太郎みたいになりたくなるわけです。
格好を真似してみたくなるんです。
ただ彼は二次元の人です。平面です。絵です。
そうすると少し弊害が起きてくるんですね。

岬太郎くんの髪型は恐らく三次元の人でいう真ん中分けの髪型だったのです。
大人になるとわかるのですが、その髪型を漫画という平面に落とし込むと、おデコに三角のスペースを作るような髪型に描かれるわけです。

しかしミノル少年(オレ)、当時若干5歳の頭の中には髪を真ん中で分けるという概念がそもそも存在しない。前髪は全部前に下ろしてる状態が常態化(韻&照)。
なので、その岬くんの髪型が「真ん中分けを平面に描き起こしたもの」という考えに及ばないんですね。

すると、どういうことが起こるかというと、平面のまま解釈して「おデコに三角スペースが空くように髪を切ればいいんだ」というふうに閃くんです。

わかりやすくいうと、前髪を全部前に下ろした状態で真ん中分けに見える髪型にカットすればいいんだ、ということを思いついたんです。

そして5歳のオレは、前髪を下ろした状態で、おデコの生え際の真ん中を頂点とし、そこに向かって両サイドからハサミを斜めに入れ、真ん中分けを平面で解釈した斬新な髪型に落ち着くのです。

これなら分け目を入れなくても常に真ん中分けをしているかのような髪型になるので安心(そもそも髪を分けるという概念がない)。
岬くんみたいになった。
嬉々として母親に見せに行ったオレ。
母絶句。

ともあれDIY精神が新しさを産む好例ですよね。今にして思えば(PMA)。

話がだいぶ逸れましたが、オレもかつてはそうやって誰かに憧れたりして真似をしていたりしたもんです。

横山健と岬太郎(二次元の人)を並列で語るな!というクレームもあるかと思いますが、俺の心のなかの「そーですね(スタジオアルタ)」を発動させて対処!あしからず。

で、”憧れる”って、先ず真似をするところから入るよなぁ、って思い出したんです。

でも、その先は何だろう?どうなるんだろう?と。

オレはその昔、先ほどの話にも出た漫画「キャプテン翼」の影響でサッカーをやっていました。

サッカーをやるのも好きだったのですが、サッカーについて調べたり見たりするのも好きで、海外のサッカーの試合をテレビで見たり、選手についての本を読んだりして見聞を広めていました。

そんな中、自意識過剰なオレは、当時のサッカー少年達がこぞって憧れていたマラドーナではなく、他のみんなにはあまり知られていなかったオランダ代表のエース”ヨハン・クライフ”という選手を見つけて、その人に憧れを持つようになります。

当時活躍していたマラドーナより一世代前の選手。情報はかなり限られてました。インターネットもない時代です。
好きになった理由はそのルックスと、エースナンバー10番ではなく14番という異質な背番号を付けたオランダ代表のエース、ということだけでした。

とにかく何でも見た目から入るタイプだったので、わかりやすく他とは違うその風貌に夢中になりました。

それをキッカケにクライフのプレーを意識的にビデオ等で見るようになり、自分が想像していた通りのプレースタイルだったことも相まって、更に憧れを増幅させていくのです。

また更に、更に調べを進めていくと、クライフが背番号14を選んだ理由には彼なりの考えがあったことを知ります。

サッカーでのエースナンバーは10番。サッカーの神様ペレしかり、エースと呼ばれる選手は大抵10番をつけていました。
しかしクライフは、そういった既存のイメージのエースナンバー10番ではなく、エースが誰も付けたことがない番号14番を背負って、今までの誰にも似ていないエースになることを選んだのです。

幼な心に「超カッコいい考え方だなぁ」と感心したオレは「オレも背番号14を付けて、クライフみたいなプレーがしたい!」と、チームのみんなが選ばない売れ残りの背番号14を嬉々として付けながら、ヨハン・クライフへの道をひたすら邁進する日々を送っていました。

ただ、あるとき、自意識過剰のピークを極めた思春期のシチメンドクサイ時期。
どうでもいい自問自答を繰り返してたあの頃。
矛盾なんて大嫌い、理不尽は敵、大人になんてなりたくない、etc。

その流れで、「待てよ?」と。
クライフに憧れ、思春期に少年から大人に変わる道を探していた(©壊れかけのラジオ)オレは思うわけです。

背番号もクライフと同じ14番にした。
プレースタイルも研究した。
クライフターン(クライフの代表的な技)も覚えた。

でもそれは表面的な模倣に過ぎないのではないか?

もちろんクライフは見た目もプレースタイルも華麗で格好良かった。
だから憧れた。
それに加えて、背番号14を選んだ理由にも感銘を受けたのではないか?
今まで誰にも似ていないエースになりたいという、その考えに。

そう。
その時点ではまだクライフの魂や哲学まではコピー出来てない、ということに気づいたのです。

本当の意味でクライフに憧れているのならば、クライフのような選手になりたいのならば、クライフのその考えまでも模倣するべきではないのか?と。

クライフは誰の真似もしないプレーヤーだった故に、その哲学や魂に触れ、それをコピーすることは、クライフのようにはならないという考えに行き着く、というパラドックスが生まれるのです。

矛盾や曲がった事が大嫌いな純粋無垢な童貞少年ミノルは突き詰め過ぎてそこまでに至った。
そして最終的には少年ミノルは、エースナンバーでもストライカーの番号でもない12番という背番号を選んだのでした。

「オレはこの背番号12を背負って他の誰にも似てないエースになる」

それがヨハン・クライフへの憧れを突き詰めた末辿り着いた、ミノル少年の出した答えでした。

 

さて、ここまで本当に哲学的で良い話が出来たと自分でも思います。
自分で自分を褒めてあげたい(©有森裕子)

ただよく考えて欲しい。

最初の方にも言ったけど、オレは今、映像作家です。

この「憧れること」「その人に近づこうとすること」の矛盾を突いた哲学的かつウィットに富んだ話の結末の正解は「そしてオレは日本代表のエースを掴んだ。背番号12を背負って」です。

けれどオレは映像作家になっちゃった。

申し訳ない。

本当に。

「ほら、やれば出来るさ、希望を持って」的な歌詞を、なんの説得力も持ち合わせてない駆け出しの新人バンドが歌っちゃうくらい大問題。

わかってます。

なので、皆さんも知ってるであろうこのエピソードを拝借しようと思います。
ご存知、オレにここで書く場を与えてくれた横山健さんの話。

横山さんもかつては誰かに憧れていたバンド少年だったといいます。
そしてバンドをやる上で最も影響を受けたのはブルーハーツだったと。

彼らに憧れてブルーハーツを意識したバンドを始めるも、ライブハウスの人に「日本にブルーハーツは二ついらない」と言われ、そこから数年の末にハイスタンダードという唯一無二のスタイルが生まれたのです。

そしてドキュメンタリーの中でも言っていた
「オレは横山健という人間でそれ以外にはなりえないし、それ以外にもなりたくない」
という生き方を体現し続けているわけです。

横山さんと話していても、自身にとってブルーハーツは特別な影響を与えていた存在だったことがわかります。

ここからは推測だけれども、横山健少年もかつてブルーハーツに憧れた末に、その矛盾に気づいたのだと思います。

誰にも似ていなかったそのブルーハーツというバンドへ最も近づき理解を深める方法は、そのバンドの魂や哲学を模倣し理解した上で、他の誰でもないオリジナルな存在になることなのだと。

憧れて近づけば近づこうとする程、唯一無二のオリジナルにならなければいけない必要があるという存在。

人の多くは唯一無二のモノに憧れるのだから、突き詰めた末にそういったパラドックスに陥るのは当然ですよね。
でもコレが真理なのではないかと思います。

憧れのその先の。

これらはあくまでも仮説なので、横山健ファンの皆様も、横山さんも怒らないで聞いて欲しいです。
聞いてください。

大風呂敷を広げたものの、オレがサッカー選手ではなく映像作家になってしまったばかりに説得力がなくなってしまった考察。
その正当性を実証するため、横山さんとブルーハーツという好例を仮説を含めて実証してみた次第。
わかって頂けましたでしょうか?

で、つまり何が言いたいかと言うと、唯一無二の存在への憧れを突き詰めると、その存在から遠ざかっていかなければならないから、ぶっちゃけ格好よくいれるかは一か八かだよね!
でも、見た目やスタイルの模倣を突き詰めて魂までもコピー出来たら、そこから先はクソオリジナルなんじゃないかな?
憧れで憧れを終わらせるなよ、キッズ達、かまいたち。

ということです。

そんなわけでヨハン・クライフから遠く離れて、なぜか映像作家に辿り着いた、いまでも折角コピーするなら魂までもコピーする派のオレが、今後ここでコラムを書かせてもらうことになりました。

面倒臭い奴ではありますが、こういった類の考察や日々思うことに、目や耳、五感を、シックスセンスを傾けていただけたらと思います。

以後お見知りおきをー。

MINORxU / 2015.10.29

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