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フリーライター石井恵梨子の
酒と泪と育児とロック

Vol.8

気づけば随分更新が遅れてしまいました。忙しかったというよりは、特別なネタがない日々だったのかな。このコラムのタイトルが「育児とロック」であるように、普段はライター業よりも二児のオカン業務がメイン。主婦8割、文筆業2割みたいな生活をしています。

だから、実際のところパンクロックを聴くよりもアンパンマンの歌を聴いている、あるいはドラえもんの歌を一緒に歌わされている時間が長い。これはどうかなと思って「アンパンマンのマーチ」のソウル・フラワー・ユニオン・バージョン、あとSNUFFバージョンなんかも聴かせてみたけど、娘はキッパリと「うるさいね」。5歳女児、まだまだロックとは無縁です。

仕事は子供たちが寝ている時間に限られるので、爆音浴びながらウハウハ頭振ってる姿とか、鬼の形相でパソコンをバチバチやってる姿は、そんなに見せていないつもり。私とて自称・良妻賢母ですから、なるべく子供といるときは仕事モードをオフにしています。もちろん本当に締め切りに追われているときは別になりますが。

たしか、2歳を過ぎて言葉がいろいろ出てきた頃かな。大量の締め切りに追われてカリカリカリカリ原稿を書いているとき、寝起きの娘から言われたことがあります。
「おかーさん、パソコン見てんの?」

見てんじゃねぇよ、書いてんだよ! 今日締め切りだよ! 思わず怒鳴りそうになったけど、考えてみればこれ、見たまんまの事実なんですよね。

まず納得して、次第にだんだん笑えてきました。どんなに忙しいビジネスマンでも、数億単位の円や株を動かす財界人でも、傍から見ればだいたい「パソコン見てる」。私がテンパりながら必死に原稿の締め切りを守ろうとして、あなたが本当に重要な企画書を練っている最中で、そのときアホなバンドマンがエロ動画見ながら下半身を触っていたとしても、それはみな、広義で「パソコン見てる」だけなんですよ。あはは。

以来、本気で忙しいときほど考えるようになりました。ずっとパソコン見てんなぁ!と。ちなみにこれを書いているのは出張の移動中。朝8時の新幹線ですが、周囲は「朝イチで仕事仕事!」という感じで、スーツ姿の男性たちが忙しそうにPCをパチパチやっています。余裕なんてない感じ。忙しい=デキる男って本当かしらね。こんなとき「わぁ、みんな揃ってパソコン見てんねぇ!」と思うと、ちょっと肩の力が抜けて楽しくなります。

2歳の頃「パソコン見てる」だった娘は、いま5歳になって「おかーさんのお仕事は、音楽を聴くことだよね」と言えるようになりました。ただ、それ以上のことはよくわかってない。彼女自身が幼稚園で新しい歌を教わるように、「最近のお仕事で、どんなおうたを習ったの?」と聞いてくる程度。まぁ、新しく知る=習う、という意味では間違ってないんだけど。

数ヶ月前、夜中に長文の原稿を書いていたら、数時間前に寝たはずの娘が隣に立っていました。彼女にとっては「音楽を聴いていない=仕事じゃないでしょ」となるのが当然で、一緒に寝よう、おかーさんが隣にいないと嫌だ、と騒ぎ出す。だけど私だって今日中に原稿を仕上げたいし、ちゃんと寝かせたのに再び起きたことが腹立たしく、はっきりいえば娘の相手をするのが非常にめんどくさかった。なので乱暴に言ったんですね。「お母さんがこれ書かないとゴハンも食べれないよ!」と。娘はキョトンとして、数秒思案して、そのあとパァッと顔を明るくしました。
「あぁ、スーパーに行くときにメモするやつ、いま書いてるのね!」

自称・良妻賢母の私は、よく買い忘れをします。買い物から帰ってきた瞬間、あ、マヨネーズ買うの忘れた、片栗粉もなかった、今からまた買ってくるわ、みたいな。だから忘備録としてメモにリストアップしてから出かけるのですが、それを毎日見てきた娘が、私の発言を受けて「ちゃんとゴハンを食べるために書く=買い物前のメモ」を想像するのはまったく正しい。これまた笑えてきたので、その夜はもう仕事中断。「うん、ちゃんとゴハン食べたいから明日も書こうねぇ」なんて言いながら一緒に眠りましたよ。

なお、そのとき書いていたのはドキュメンタリー映画『横山健 疾風勁草編』のパンフレットに寄せたライナーノーツ。けっこうシリアスな、じっくり読ませる3000 字だと自分では思っていますけども、書いてる途中に本気で爆笑しました。ひとりだけカリカリ仕事に追われている気分が霧散して、一気に脱力、そして納得。その原稿のギャラは、本当にマヨネーズとか片栗粉とかそういうものになって私や娘の体の中に戻っていったわけですよ。

労働の対価としての賃金。もちろんカネがすべてと納得できるほど人間は単純じゃないし、どんな仕事にもプライドや充実感、やり甲斐は必要でしょう。私にだってもちろんそれはある。ただ、そういうスピリットの部分を全部取っ払ってしまえば、基本的には食うための労働。生き様云々という言葉を持ち出さず、ヘラヘラっと最低限の生活費を稼ぎ、パソコン見てる時間がいずれマヨネーズになるんだぜ、くらいの考え方もいいのかもしれない。それはそれで人生気楽になるんだなぁと初めて考えたのでした。

音楽に関してきわめて許容範囲が狭く、このパンクロックはいいけどあのパンクは嫌、こっちは夢中だけとこれは興味ナシ、などと言っている私ですが、子供に関してはどこまでも寛大になれるという不思議。君がそう言うなら何だっていいんじゃない? 元気で生きてりゃなんでもいいよ、という感じですね。親になって社会の複雑さを知り、なのに子供に対してここまで単純になれること。それが自分では一番の驚きかもしれない。

そして、使い古された言い方だけど、親をそこまで変えるのは子供の素直さなんですよね。見たまんま、感じたままのことしか言わない視点には、いつも感服しています。ただの親バカと言われても上等ですけどね。

『Best Wishes』を何度か聴いた娘は、「この音楽、好きだなぁ」と好感触。「ケンくんっていうのかぁ、いい曲だねぇ」などといっぱしの感想めいたことを言いながら、お気に入りはラストナンバーのみ。しょっちゅう「♪イヒュラーミぃリーリラぁーミー」と歌いながら「これが一番いい曲だと思うよ。これに比べると、ほかのは、あんまりかな」とも言ってました。

あのエディット・ピアフと比較するか! お前、この曲の歴史に比べたらハイスタだってただの新人だぞ! そこ一緒にしたらいろいろイカンだろ!

笑いながら、やっぱり、この素直さはすごいと思った。言えませんもの、私には。

2014.01.17

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