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フリーライター石井恵梨子の
酒と泪と育児とロック

Vol.11

前回、アイドルブームのことを書き、それを読んだ元ピザオブデス・スタッフのDAくん(以前このHPで連載されていたコラム「何聴き」の人、屈指のアイドルヲタ)と対談しよう!という流れになりました。ツイッターでのやりとりを見て、待っていてくれた奇特な方もいるかもしれません。

えーと、実際に対談したんですよ。司会進行役を立て、ウチでビール飲みながら、ざっくばらんに本音を話し合って。しかし完成した原稿を見たDAくん、長い沈黙を経たあと、一言。「炎上しまくる恐れがあるのでお蔵入りにしてください……」。ええーっ? そういうフィニッシュなのっ?

うん、思った以上にDAはヘタレである。という結論でした!

というわけで急にテーマが飛んでいく当コラムですが、この前、マキタスポーツさんに取材しました。テーマはレジャー化していく夏フェスについて。(http://ure.pia.co.jp/articles/-/23509)

J-POP批評家としても知られる彼の話は、語彙が豊富なうえに比喩も的確、本当に冷静な洞察力を持っているんだなぁと感心するものでした。多岐にわたる話の内容はどれも興味深かったけれど、特に印象的だったのはレコーダーを止めた後、彼がボソッと言ったこの一言です。
「石井さんって普段は音楽畑の仕事でしょ? だったらわかると思うけどミュージシャンの目ってキラキラしてますよね。お笑いは全然違う。死んだ魚とは言わないけど……ほんと、石みたいな目してるヤツばっかりなんですよ」

あ、うん、と思わず頷きました。お笑いに詳しいわけじゃないけど、Vol.4で書いたとおり、ラジオの仕事を手伝っていた時はよく芸人さんと会いました。言うまでもなく話が上手だし、必要のない場所でもサービス精神で周囲を楽しませてくれる。だけど、みんな目の奥が冷静というか硬質というか、とにかく「無邪気」とは程遠い不気味さを放っている。もちろん全員がそうではないだろうけど、私が見た限り、それは確かに不思議な特徴でした。なりたくてなった職業だろうし、根っから面白いことが大好き、実際に人より面白くて売れているはずなのに。でもね、それはマキタ氏に言わせればこういうこと。
「お笑い芸人って必ずリミッターがあるんですね。人に笑ってもらうのが先だから、自分は馬鹿になっちゃいけない」

ほほー。言われてみれば。そして彼は続けます。
「でもアーティストってそれができるんですよ。僕が自分でバンドやっているのもそういうことです。そのほうがすみやかに馬鹿になれるから」

なんのこっちゃ? と思われそうなので、掲載原稿から漏れてしまった話も含め、改めて書きましょう。彼も出演しているテレビ番組「ゴッドタン 芸人マジ歌選手権」ってありますよね。音楽好きが高じて、本気で作詞作曲をして歌う芸人さんが登場。審査員のパネラーたちは口に牛乳を含み「笑ってはいけない」と思いながらそのマジな姿を見つめる。マジゆえの熱唱が結果的に爆笑を生む…という進行です。もちろんバラエティだから面白ければいい、楽曲クオリティは二の次ですけど、マキタ氏は真面目に考えます。これは音楽の世界にも当てはまる、と。
「たとえば長渕剛さんとか、究極的な『マジ歌』ですよ。自分が本当にカッコいいと思うものを突き詰めて、ものすごい熱狂を生み出せる。本人もお客さんも本気で気持ちよくなってますよね。でも、同時に笑える。牛乳含んで『笑ってはいけない…』という気持ちで見たら、あれは大変なことになりますよ。感動することも、笑われることすらも含めて、本気の発信ができるのがアーティスト。それは、お笑いにはできない表現なんですよ」

マイク一本で人前に立ち、自作のポエム、ときには使命感までを掲げ、堂々とステージに立つミュージシャンは、リミッターなんてあっちゃいけない、誰よりも本気で熱くならないと他人を感動させられない、そんな職業でしょう。「ステージでは真っ白になっている」と語る人も多いけど、すなわち馬鹿になっているのと同じこと。この姿を他人がどう思うか、誰かから笑われるかもしれないぞ、などと考えていては絶対にステージなんて立てないと思います。そういえば横山健さんもアジカン・ゴッチとの対談で「ミュージシャンなんて、もともとイタい人種だ」と断言していましたね。頼まれもしないのに人前に出て、自分の歌を聴いてくれ、という発想。これ自体が「笑える」と言うことも可能です。

事実、誰もが認める大物ミュージシャンって、みんな爆笑できることをやっています。キヨシローやE.YAZAWA等のロック・レジェンドを出さずとも、ミスチル桜井和寿の熱唱顔だって角度を変えて見れば笑えるだろうし、EXILEファミリーの本気すぎるダンスも「笑っちゃいけない…」という気持ちで見れば印象は変わるでしょう。パンク・バンドだって「え? それ本気で叫んじゃってんの? なんでなんで?」みたいなツッコミを入れてみれば、すべて大爆笑の対象になる。でも本人はそんなこと考えていない。本当にこれが最高だと思って自分の道を邁進している。だから、その本気度が感動と興奮を呼ぶ。こんなふうにミュージシャンを分析して楽しむ人がいるのかと、ちょっと驚く発想を教えてもらいました。

翻って、芸人さんは「笑ってもらえるか」「スベらないか」という配慮なしでは成立しない職業。本人が率先して笑っていてはダメなんでしょうね。ツッコミを入れるポイントを判断し、それがどういう反応を呼ぶか予測して発言する。無邪気な目をしていられないのは、考えてみれば当然でした。そして、まったく同じとは言わないけれど、私も似たような思考回路で生きている人種だなぁと改めて感じるのでした。

取材の際は「あえてこの方向に突っ込んでみよう」とか「この発言を膨らませるために、どんな質問が必要だろう」とか、まぁそこまで計算してないけど、たぶん無意識でずっと考えている。レビューを書くときも「この魅力を伝えるにはどんな文体が最適か」「ここはあえて乱暴に言い切る必要があるな」とか、あと「これは反感を買ってしまうなぁ」とか、アタマの片隅で常にゴニャゴニャ考えているんですね。冷静である、といえば良いことのようだけど、どこかにリミッターをかけて自分と対象を客観視してしまう。それはもう、ミュージシャンの「全力で本気」な爆発力に比べて、どれだけちっぽけなことかと思うわけです。

ちっぽけだけどね、アレコレ考えないと文章なんて書けません。ごくたまに「あんた面倒くせぇよ。パンクがどうのってうるさすぎ」という批判をもらいますが、それはライターに投げる言葉じゃない。「パンクが好きだ!この道を行くんだ!」だけで突っ走れる熱量を持ってないから私は音楽批評をやっているんだし、いらんことまでアレコレ考えてしまう。何を聴いても「カッコいい!最高!オールライト!」で許されるなら、それはもうライターではなくミュージシャンですよ。CDの推薦コメントでそういうふうに書くミュージシャン、実際にいますからね。すっげぇなぁ。笑いと賞賛の入り交じる気持ちで、それを見つめる私です。

全力でバカになれないからツッコミに回るしかない。「一億総批評家時代」と言われるように、みんなネットで人を批判するのが大好きですよね。見られるよりも観察する側になって、笑われないよう自分を守る。これって「人前に立って爆笑されながら感動も与えられる本気の人」=ミュージシャンみたいに生きられない小ささの裏返しなのかな、と思います。私もそのひとりだから気持ちはよくわかる。ただ、一応プロとして書いてる人間なので、批評するときに絶対忘れちゃいけないこともわかっています。言葉って投げたぶん自分に返ってきますからね。誰かを少しでも批判するなら、自分が炎上の対象になることも覚悟しておけ、と。

実際、よくあるんですね。炎上とまでは行かなくても、勢いで怒りをぶつけてくる人は想像以上に多いもの。それが建設的な意見だったり、読み応えがなくて残念だ、というものなら素直に受け入れますが、「このライター何なの?死ね」とか「知らないくせに書くな、クソが!」とか言ってくる人は、こちらの仕事分野を知らず全体の論旨もよく読まないまま、勢い任せに叩いてきますから。ツイッターは可視化のメディアなんだから、その罵倒が本人の目にも入るってこと、考えてないのかしら? ストレートに返信したらアワ食って削除するとか、急に「失礼しましたm(_ _)m」と弱腰になっちゃう人、実はけっこう多いです。なんだ、その覚悟のなさは? って思っちゃいますよ。

評論文でも、ちょっとしたコラムでも、140字のつぶやきでも、基本的には同じ。実名あげて批判するなら責任は取れ。本人からクレームが来ても堂々と反論できるくらいの覚悟で出せ。つまり、消すくらいなら書くな。書いたら逃げるなってこと。あとは、DAのように世に出す前に逃げろ!ってことです。あはは。

ツッコミに回るよりもヘタレとして逃げる。これも立派かつ賢明な判断だなぁと思わされた今回の顛末でした。おしまい。

2014.06.25

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