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フリーライター石井恵梨子の
酒と泪と育児とロック

Vol.1

初めまして。石井恵梨子と申します。今回からピザのHPでコラムを書かせてもらうことになりました。

まず、おまえ誰?という質問に対して。フリーの音楽ライターです。ピザ所属バンドの取材も多数やっているから、音楽雑誌をよく読む方は名前くらい記憶してくれているのかも。雑誌を全然読まない方も、Ken YokoyamaのDVD『DEAD AT BDOKAN』かレイザーズ・エッジ『SONIC!FAST!LIFE!』が自宅にあるならパカッと中を開けてみて。そこでライナーノーツを書いているのが私です。あと7/11からはSLANGの新譜と一緒に大判のフライヤーがバーンと置かれる予定。そこでも原稿書いてるのが私です。

では、音楽ライターって何?という質問について。ミュージシャンに話を聞いて記事にする人、という認識が一般的だと思います。直接本人に会えるなんて羨ましい、という声もあるかもしれないですね。ただ、ちょっとだけ想像してみて。大好きなミュージシャンを目の前にして、さてその瞬間あなたに何が言えますか? 興奮して「お、応援してます!」。さらに余裕があれば「今度のライヴ行きます!」とか「あの曲で人生変わりました!」と伝えることもできるけど……まぁそんなもんじゃない?と思うんです。実際私がそうだった。ハタチの頃死ぬほど好きだったKORNが初来日し、ホテル近くのサブウェイでメシ食ってるメンバーを偶然目撃し、居ても立ってもいられず店内に侵入し、ものすごい勢いで言ってやったもの。「あっ、あっ、アイム……ユア・ファン!」「……サンキュー」。以上、オシマイって感じだったね。遠い目になったあげく白目を剥きたくなるような昔話です。

要するに、大ファンのままではミュージシャンから話を引き出すなんて到底ムリということ。そして当然ながら嫌いなミュージシャンに話を聞くことも不可能。好きじゃないと興味持てないですからね。だから重要なのは「音楽は大好き、だけど相手に対してはものすごく冷静」という意識です。なぜ、この人から、この音楽が生まれたのか。その本質を探るための真剣トーク。真正面から切り込んだり、音楽とは関係のない話を振ってみたり、時には失礼な愚問をぶつけることも。まぁ、どんな人間も嫌いな奴には心を開かないし、「こいつイヤだ」と感じた瞬間から会話はしぼんでいきますよ。だから相手から嫌われたらやっていけないけど、ただ好かれようとするだけでは何も生まれない。そのバランスの中で行うのがインタビューという仕事です。

でね、その匙加減でミュージシャンの言葉って面白いくらい変わるんです。「今回のアルバムは…」から始まる会話の、どんな発言に食いつくか、どんな質問を重ねていくかで、同じ作品のインタビューがまるで違うものになる。喋る人は同じだから、これは聞く側の力量というか、れっきとしたライターの個性なんですね。もちろん長い対話をズルズル垂れ流しても読み物にならないから、どれだけ端的にまとめるか、どの発言をメインにして構成するかもテクニックのひとつ。記事はいわば自分の作品でもあるのです。アーティストさまの言いたいことを拝聴し、今回の作品も素晴らしいですよと宣伝してあげる、そういう仕事では全然ないと私は考えています。

もっと乱暴にいいましょうか。私、アーティストがとにかく一番、本人の口から語られた言葉がすべてだとはあまり思ってないのです。いや書きながら訂正するけど全然思ってないわ。話は冒頭に書いた「ライターって何?」の答えにつながっていきますが、この仕事はインタビュアーとイコールではなく、ただの新譜紹介屋でもない。音楽ライターって、音楽について評論するのが本来の仕事なんです。なぜこの音楽が良いのか。その価値、その魅力をあらゆる語彙で語ること。音の生まれた背景を探り、ひとつの歌詞やメロディに行き着いた必然を見つけ、作品をより深く理解する道筋を作ること。また、シーンや時代を俯瞰で見て、この音楽がいったいどんな意味を持つのかを提示すること。……と、偉そうに書くと毎回それができているか不安になるけど、私がやっている、というか、やりたいのはそういう仕事です。

なんだかんだ言っても評論つーのは机の上でこねてる屁理屈だろ、と思う人もいるでしょう。でも、屁の匂いのしない文章にズカーンと心を打ち抜かれる快感って絶対あるんです。本当に強い音楽評論は、音楽そのものの良さを超えたところで、読者に強烈な印象を与えるもの。ときには感動や勇気まで与えるかもしれない。これ、逆の言い方のほうがわかりやすいか。なんでこの音楽こんなにつまんねーの、というやつは誰にでもありますよね。「クソだな」で切り捨てればミもフタもないけど、その面白くなさを説得力ある言葉で解明し、徹底的に喝破していけば、音楽はクソだけども文章としてはめちゃくちゃ面白いものになる。つまり評論は、題材になった音楽とはまた違う価値を持ち、読む人の心に深く響いていくんですね。

きっちり文章化して何かを語る、あるいは、ひとつのテーマの文献をじっくり読む、という行為は、音楽雑誌が売れない時代にもう古いのかもしれません。わざわざ音楽雑誌なんて買わない、ブログとツイッターで充分との声もよく耳にします。私自身もツイッターを楽しんでるし情報もガンガン入手してるから、悔しいけど事実だと思ったりする。でもそれだけで終わるのは嫌だ。音楽が好きだから、ネット上で浮かんでは消えていく話題のひとつ、で終わらせたくないんですね。自分のためにも、リスナーのためにも、ミュージシャンのためにも。そうやってジタバタしている昨今です。

こういう自分の姿勢に、最も理解を示してくれるミュージシャンのひとりが横山健さんでした。このコラムがなんで始まったのよ?という話を最後にしておくと、さまざまな雑誌でインタビューを受けながら、彼は、ライターという職業、もっというとその存在理由について考えたのだと思います。もちろん自分でコラムを書く人だから、文章を書く面白さと、伝える難しさや伝わった時の喜びも知っているのでしょう。突然電話がかかってきて、ピザのHPでコラムを始めてみないか、と言われたのはひと月前の話。もちろん私はピザ専属のライターではないし、何かの契約を交わしたわけでもないけれど、ただ、その時の言葉はとても印象的でした。
「俺、レーベルオーナーとして、まだ知られてないバンドを世の中に紹介する仕事もしてるでしょう? 同じようにライターさんの存在をもっと知らせたいんだよね。雑誌を読まない若い子が、憧れたり、夢を持ったりするような場所を作る意味で、なんか書いて欲しいんだよね」

快諾。そういうわけで私のコラムが始まります。今んとこ不定期だけど、いざ書き始めたら楽しくなってくる職業病、今後はガンガン連投するようになるのかも。あと私、ライターやりつつ育児もしている34歳二児の母なので、そういう日々のことも出てくるかもしれません。堅苦しい自己紹介はたぶんこれが最初で最後。ツイッター140字では伝えきれない音楽ライター生活、あれこれ披露していきたいと思います。以後、よろしく。

なお、連載のタイトルは、私の師匠である小野島大氏のHPで連載していた「酒と泪と男とロック」に由来するものです。

ハタチそこそこの時に酒飲みながら書き散らかしてた文章、読み返すと死ぬほど恥ずかしい。これ知ってるという奇特な方がいれば、またあのくだらない話が読めるのかと思ってください。ちなみに「今の時代、評論家なんて言うと拒否感があるのはわかる。しかし、この仕事はあくまで評論家であれ」と言ってくれたのも師匠なんですよ。その言葉を胸に刻み、さて、明日はどっちだ。

2012.07.18

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