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フリーライター石井恵梨子の
酒と泪と育児とロック

Vol.6

吉村秀樹さんが亡くなりました。享年46歳。

あまりに早すぎる死。知らせを聞いてしばらくは現実感が全然なくて、その後はただ涙が溢れてきて。公式発表の後にはいくつもの思い出をツイッターにアップしながら、久々に過去のインタビューの記録も読み返しました。そしたら吉村さん、こう言っているんですね。
「(どうしてこの音になったか)言葉で説明しづらいわけですよ。音でやるのが一番早くて。石井さんとか昔から知ってるし、どっちかというと書き表してくれないかって感じ(笑)」。

混乱する頭を、スパーンと笑顔で殴られた気分でした。

そうだった。私は書く人だ。言葉にできないものを音にしている、そんな人の表現を、あえて言葉にして伝える仕事なのだ。ただ嘆いてる場合じゃないね。最も多くライヴに通ったバンドのひとつでありながら、好きすぎてうまく言語化できなかったブッチャーズ。吉村秀樹の魅力について、今回は真正面から取り組んでみたいと思います。書く前から長くなりそうですが。

多くのミュージシャンが彼の死を悼んでいたから、吉村秀樹は愛すべき人だった、という事実はもう十分に浸透しています。ただ彼が聖人君子のような男だったかというと、ちょっと、いやだいぶ違っていて。一言でいえば、本当に幼児のまま生きていた人。オモチャを見つけると興奮して遊びだし、遊び方をレクチャーしようとすると「自分でやるからいい!」と怒り出す。上手くいかないとイーッとなって、どこにそんな力があるのかオモチャごと破壊してしまう。ひっくり返ってスネた直後、別の面白そうなものを見つけてケロリと笑う。……まぁこれは二歳二ヶ月になるウチのボウズの毎日なんだけど、吉村さんってまさにそういう人でした。我慢を知らず、できないくせに何でも自分でやりたがる、手のかかる2歳児をなんと46年も貫いた人なんです。

そして、意外かもしれないけれど、いつも何かに怒っていた人。笑っているとき以外は常に口が「への字」だった。ブッチャーズ以前にやっていたバンド名が「畜生」だった、というのはファンなら周知の話だけど、畜生、って冷静に考えると凄い言葉ですよね。この二文字に込められた怒り……っていうほどシンプルじゃないな。猛烈な悔しさがあって、自分の惨めさや不甲斐なさも認めたうえで、イーッと歯噛みするようなイライラが爆発寸前まで膨らんでいる。そして、絶対ここから立ち上がる、と歯を食いしばる姿までが見えてくる。そういう「畜生」の気持ちを、46年ずっと抱えてた人でもあると思うんです。

畜生の気持ちがデカいと、どうなるか。音も声もデカくなる。バカみたいだけど、これ、ことパンクスにとっては真理ともいえる話です。本気で悔しい時にファルセットで歌う? ウィスパーボイスで囁く? まさか。全力で叫ぶでしょう。メロディだけを取り上げれば繊細で美しいのに、吉村さんはいつもびっくりするほど大きな声で歌っていた。怒鳴るように、吠えるように、あの美しいメロディを大声で歌っていました。

「東北ライブハウス大作戦」のアコースティック・ライヴを見た人は印象に残っているんじゃないかな。他のシンガーがアコギの繊細さを意識してそうっと歌い出すのに対して、吉村さんはいつもどおり大声のまま。おおきく息を吸い、キッと前を見て、「うぉー!」という感じで歌い出すんです。ちょっと笑っちゃうくらいジャイアンっぽい姿。でも、だからこそ無敵だった。細かいピッチ、ブレスのタイミング、どんな余韻を残して歌い終えるか、などのテクニックをすっ飛ばし(本当に歌の上手い人って、ひとつの音程を歌い終えるとき、どんなふうに音を切るのか。そこが素人とは全然違うのです)、ただ、吉村秀樹ここにあり!という押しの強さで迫ってきたんですから。

歌のテク、という話のついでに。ブッチャーズを他人に薦めると「歌、下手じゃない?」とミもフタもない反応を返す人は少なくなかった。冷静に判断すれば私もそうだと思う。そしてそのことを吉村さん自身がよくわかっていた。取材で何度か話してくれたものです。「それでも、他にいないんだから、やるしかない」って。他に上手なボーカリストを立てて、自分の脳内にあるメロディや言葉のニュアンスを説明しても、何かが違う。自分で歌っても決して理想どおりにはならない。それをわかってもなお、臆することなく毎度全力で歌っていた吉村さん。歌う姿そのものが「畜生!」の叫びでもあった。優しいのに力強く、歌詞は怒っているのに心が泣いているみたいな、そういう感情がごちゃまぜになって迫ってくる歌でした。

あと、歌声以上に凄まじかったのはギターの音。あれほど巨大な音の壁をひとりで作り上げたギタリストを、私は吉村さん意外に知りません。鼓膜どころか脳みそがグワングワン揺さぶられるようなエレキのうねり。これが生まれた秘密を、私より彼らをよく知るライターの中込智子さんから教えてもらったことがあります。いわく、吉村さんは違うメーカーのギターアンプを二台使い、同時にモノラルで出したのだそう。爆音を求めるギタリストが「マーシャル四段積み!」などと物量作戦に出るのは昔からあった話だけど、違う種類のアンプを二台使うことで、エフェクターを踏まずとも、かつてない音響効果を生みだすことができた。これは札幌時代の吉村さんのオリジナル。スタジオも少なく金もなければ先輩もいない。そんな環境で、畜生、自分でなんとかするしかない、という想いだけがあったのでしょう。

中込さんは「アンプの二台使いなんて、今では珍しくない手法だけどね」と前置きしていました。当時は発明のようだったその手法は、すぐ地元のバンドに波及し、東京のバンドマンにも多大な衝撃を与えたそうです。そして多くのギタリストが同じことを真似しはじめた。私が気に入っているのは、そのことを吉村さんがまったく意に介さず、オレが第一人者だと吹聴することもなかった、というエピソード。その器の大きさが本当に彼らしい。いつも怒ってるくせに、やたらとおおらか。小さなことでスネたりイライラしたりするくせに、肝心要のところで笑っちゃうくらい開放的。書けば書くほど、この人柄がそのまま音に鳴っていたのだと、今更ながら思い知るのです。

ところで、吉村さんは何に対していつも「畜生」だったんでしょうね。ドキュメント映画『Kocorono』には、赤裸々なカネの話や、バンドが思うほど認められない状況に彼がイライラしている姿が映っていますが、それだけじゃないはず。吉村さんが本当に闘っていたものって、なんだろうな、しいて言うなら世の中。あたりまえとされる常識や風潮。そういう、大きくて漠然とした何か、だった気がします。

2000年のインタビューで、興味深い話を訊いたことがあります。その年の春、西鉄バスジャック事件が起こり、17歳の少年が逮捕されたのですが、事件の一部始終はテレビでも生放送されていました。
「この先はわかってんだよ、やめろよ、って思いながらテレビ見てて。見たくないから買い物とか行くんだけど、でも、捕まったかな?ってまた見ちゃう。そのうち深夜になって……だんだん、みんなあまりにも酷い見方でこの事件を楽しんでるんだなぁ、とか考えちゃって。で、オレはこいつの味方になるって思ったの。こんな世の中だし、それこそオレだったら醒めちゃってこの場で捕まるよ。それか死ぬよ。でも、それくらい先がわかってんのに、なんか知らないけど泣けるなぁって」

あの事件をそんなふうに語った人を初めて見ました。そして彼は、こう続けるのです。
「オレあーくま、っていうか、きっと天使じゃない。悪魔側っていうか、あくまで自分が悪いんですけどぉ、っていう側にいるの。良い事ばっかり言いたくないし正義仮面になりたくない。悪者のほうが魅力的だな。カッコいいんだけど情けなくて、結局やられちゃうんだけど。でも、諦めじゃなく『そんなもんか? みんな同じなのか?』っていう感覚はある。わかりやすいものに真実味ないでしょ?」

オルタナティヴと呼んでもパンクと呼んでもいいけれど、これ、吉村秀樹という人間の魂が凝縮されている発言だと思います。何かに巻かれたくなくて、自分を殺すことができなくて、結果的にマジョリティに負けることを知っていながら、何か自分だけのやり方があるはずだと足掻き続けたミュージシャン。そしてまた、いくらでもカッコつけて語れる人生観を「オレあーくま」の一言から語り始めるところが最高だったな。まるで小学生が戦隊ヒーローごっこで「オレなんとかマーン」と言うように、吉村さんは「オレあーくま」と言ったんです。子供みたいに目をキラキラさせて。

ちなみに、このバスジャック事件を見ながら世の中のカオスについての本を流し読みし、一気に書いたという歌詞が『yamane』収録の「−100%」です。ブッチャーズの名盤といえば『kocorono』がまず語られますけど、私は『yamane』、大好きだなぁ。約8分におよぶこの曲の、中盤のギターソロ。崩壊した涙腺のごとき轟音の洪水に、本当に何度も救われてきたから。

彼について何か書こう、書き残そう、という気持ちだけで書き始めた今回のコラム。やっぱ上手く書けないな。面白さとか期待してた人にはごめんなさい、今はただ追悼の気持ちしかないです。最後まで読んでくれた人、ありがとう。

そして、あなたがもしブラッドサースティ・ブッチャーズの音楽を知らないのだったら、ぜひ、聴いてください。音楽は生き続けています。

Photo by : Tsukasa MIyoshi(Showcase Management)

2013.06.03

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