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フリーライター石井恵梨子の
酒と泪と育児とロック

Vol.32

「やる気、行動力、実行力。そういうものを使って生きている人たちの話です。彼らが生きている限り完結することはなく、さらなるスピンオフが生まれていく。東北ライブハウス大作戦とは、きっとそういうものでしょう」
2015年に出た書籍「東北ライブハウス大作戦-繋ぐ-」のエピローグに書いた一文です。それを本当に目の当たりにしたので、ここに紹介したいと思います。舞台は東北からだいぶ離れた鹿児島県。地元でWALK INN STUDIO!を経営する野間太一さんが始めた日本一小さなフェスティバルの話を、安田潤司監督が『素晴らしき日々も狼狽える』という一本の映画にしたのです( https://www.walkinntv.com )。作品の内容については後編に譲るとして、まずは「野間太一さんって誰?」という基礎的な話。私にとっては昔から顔見知りのPAで、彼の名は書籍にもチラリと出てくるのですが(P.51)、ちゃんと話を聞かせてもらうのはこれが初めて。太一くん、安田監督、こんにちは!

一一監督の安田さんは、今なぜ鹿児島にいらっしゃるんですか。

安田潤司:10年くらい前に政府が地方創生を言い出して、各地方が自主的に活性化を図るようになった……まぁ国が匙投げて、地方にお金だけ渡してやらせる形になったんです(笑)。で、僕がお世話になってた鹿児島の方が国や行政からの依頼で動くことになって「一緒にやってくれないか」って言われて、2012年に鹿児島に来たんです。結局5年間やって、その仕事を辞めてからは東京に戻るつもりだったんですけど、地元の若い子、バンドマンとかの縁で太一とも知り合って、居心地最高でそのまま10年住み付いてます(笑)。仕事自体は東京のほうが多かったりするから、今は実家の横浜と鹿児島を行ったり来たりの生活ですね。

一一住んでいるうちに、地元に面白いものを見つけちゃった感じ。

安田:そうです。50歳で鹿児島に来たけど、その歳で知らないところに住むのも大変じゃないですか。先を考えると不安になるから、その時にもう流れで生きていこうって決めたんです。できるだけ目の前の面白いことだけをやっていこうって。で、2017年に太一と出会ってめっちゃ面白かったんで、そこからはWALK INN FES!も映像で参加させてもらってます。遊んでもらってる。

一一太一くんが帰郷したのは2011年の1月。最初はイベント主催なんて想像できなくて、子育てのためなのかと思ってました。

野間太一:なにも説明してないもんね。上京したのが2001年で、音響会社に行って、そのあとSPC行ったんだけど、当時からいずれは鹿児島に帰る前提だったの。東京にいる間にいろんなことを学んだり、友達いっぱい作るつもりだった。ちょっと鹿児島は良くないなぁって10代の頃から思ってたから。

一一「ちょっと良くないな」というのは?

野間:中学の頃からあんまり学校も行かずにバンドばっかりやって、そのままローカル・コミュニティの中でライブハウスに通い出すんだけど、当時の先輩とかの話を聞いてると……なんか薄いなって。それは子供ながらに違和感があったんですよ。「この人何もやってないのに、なんで偉そうなこと言うんだろう?」「こうはなりたくないな」ってずっと思ってた(笑)。だからもっと外の世界を見ていかないと、この街に僕みたいにイライラする子がどんどん増えていくだろうなって。

一一ボスみたいなのがいて、取り巻きがいて、でも実は何をやってるわけでもなかったりする。それって音楽シーンに限らない話ですよね。

野間:そうそうそう。

安田:自然とか環境の違いはもちろんだけど、仕事とかクリエイティヴなことに関して、地方と東京ってスピード感が全然違うんですよ。東京の人は打ち返すのが早いし、自分に合う感覚の人って思ったら一緒に動くのも早い。だけど、こっちの人たちはとてもシャイな部分があって、人の話にホイホイ乗らないんです。たとえ面白いと思っても「じゃあやろう」ってバーッと動くかって言ったら、そうならない。僕は「明日にでもやろう!」ってつもりなんだけど、気がつくと自分の一人相撲になってて。「あれ? なんか違うなぁ」ってことが慣れるまではありましたね。

一一前例のないことに身構える人が地方には多い。それはわかります。

安田:そう。でもその両方のテンポを知っていれば、両方を合わせ持てる。太一はこっちで育ってるけど東京のスピードもわかってる。なんなら太一は東京の人よりもせっかちだから、余計に面白い。二人で何か作る時はトップスピードでやればいいし、地元の人たちと一緒にやる時は太一と相談しながらやることが多いですね。

野間:うん……でも俺、地方だの都会だの、その違いってあんまり関係なくて。どっちも日本だなってずっと思ってる(笑)。

一一すごくフラット。差は感じないですか?

野間:もちろん安田監督が言ってることもわかるんですけど。鹿児島から上京した時、いろんなバンドと一緒にツアー周りながら思ったのは「みんなけっこう視野狭いなぁ」っていうことで。これ偉そうな意味じゃなくてね。良くも悪くも2000年代前半のパンクシーンって、ちょっと違うコミュニティとは線を引いたり、よく知らない人を近寄らせない空気を作ってたから。それによってエネルギーが増すことの大事さもわかるのだけど、新しいものは生まれないなぁって。あんまり、鹿児島の先輩たちと変わらないと思ってた。

一一確かに、みんながみんなオープンなシーンではなかった。

野間:そう。僕は人の少ない田舎で育ってるし、東京ではできるだけ友達作りたかったんですよ。みんなとたくさん話したかった。そう思って人と接していくと、これってもう東京も鹿児島も変わらない、日本という土地の中にいろんな人がいるだけだなって。それはいまだに思ってる。場所の違いじゃない。それよりは人だな、人がそれぞれ違うんだなって。

一一そういう考えの人が、地元にスタジオを作って〈support your local〉を掲げていくのは、少し不思議な気がします。

野間:最初はそこまで思ってなかったですよ。でも、帰ってすぐに震災があった。2011年の1月に帰ってきて、3月11日に地震があって、第一子が3月の13日に生まれて……。すごく変な感じだった。今までチームだったSPCとかバンドはすぐ東北に向かうんだけど、僕はなんか寂しかったんですよね。東北はほんと悲惨なことになってましたけど、変な言い方すると、動いてる人たちがすごく羨ましかった。「俺このチームにいたんだよな……」って思えるのは、誇らしいことなんだけど、鹿児島から見ていると疎外感しかなくて。しかも鹿児島では僕はまだ異物、邪魔者扱いですからね。

一一地元からの歓迎というか、「ぜひ、スタジオ作って鹿児島を盛り上げてくれ」みたいな声は、そんなになかったですか?

野間:……微妙ですね。スタジオを始めてみたら浦島太郎状態。僕的には「ウェルカム、みんな来てくださーい」って感じなんだけど、実際は近寄りがたい空気出してたんでしょうね。たぶん僕の方のチューニングが合ってなくて空回りしてたんだと思う(笑)。

一一最初から順風満帆というわけにはいかなかった。

野間:うん。最初は大変だった。でも、いざWALK INN STUDIO!を動かしてみたら(横山)健さんが「フェスやんないの?」って食い付いてきたり、「面白いことやってるね!」って言ってくれるツアーバンドも増えてきて。住んでる街の人よりも外の人に評価してもらえるようになったんです。「これ面白いんだ? そんなふうに見えるんだ?」って。その反応を見ながら、地元、ローカルへ伝わるようにブランディングし始めたんです。

一一地元に根を張れた実感が生まれるまで、どれくらいかかりました?

野間:4年? でも熊本地震(2016年)が一番大きかった。やっていくうちに熊本で地震が起きて、その瞬間「……キたな!」。

一一めっちゃ笑顔で言ってる(笑)。

野間:「今なら俺が動ける! 俺の番来た!」くらいの感じ(笑)。「SPCのみんながやれないこと、これは九州に住んでる俺しかできないことじゃん!」って。それで被災地支援を始めると、当たり前のようにいろんな人が付いてきてくれたんです。WALK INN STUDIO!の話じゃないから。震災で困ってる人たちのためならすぐみんな賛同してくれた。いろんな企業の人、お店の人、音楽関係以外の人たちが一気に手伝ってくれて。それで動いてると、東北の時に支援に動いてたみんなの気持ちがわかってくる。もちろん東北を救いたい気持ちが一番だけど、自分のためになった人もいっぱいいたんだなって。少なくとも僕は自分のためになってたし。そこでいろんなものがバーンと弾けて、ようやくいろんな人と話ができるようになった。

一一あぁ、なるほど。

野間:安田さんが言ってたようなこともようやくスンナリ入ってきた。地方創生なんて言葉、僕は知らなかったし、行政や国がやることって、僕レベルがやれることとは全然違うと思ってた。でもやってることは変わんないって、今は言えるんですよね。街づくりと、ライブハウスを作ってシーンを作ることは、どっちも人の居場所を作ることだから。あと、地元の人たちと話をしてるうちに「これすごく簡単なことに見えるけど、行政って意外とすぐ動かないんだな」「だったらここは自分たちが指揮を執るほうが早いかも」とか思うようになったし。

一一そこからは自然に〈僕らの街は、僕らで創る。〉というWALK INN FES!のテーマも出てきた。これは太一くんの言葉ですか?

野間:そう。恥ずかしい! はははは! 俺PAなのに!

一一いや、いいと思います(笑)。

野間:僕、もともとフェスアンチ派なんですよ。今まで地方のイベント行っても「これもう全部同じ型じゃん」としか思わなかった。イベントの特色って、結局そこに住んでる人たち、地元バンドだったりイベンターだったりのキャラがあってこそ生まれるものじゃないですか。あとはもうステージもタイムテーブルもほとんど一緒で。毎週末全国を飛び回りながら「これってほんとにいいのかな?」って思ってた。

一一もっと、そこにしかない土地の匂いが欲しかった?

野間:そう。たぶん大きかったのは大船渡で。the band apartと一緒に動いてて、彼らの友達が震災前から地元でイベントやってて、何度も行ってたんですよ。最初に大船渡ロックフェスがあって、のちのKESEN ROCK FESになるんですけど。あれはめちゃくちゃ刺激を受けた。東北ライブハウス大作戦で大船渡にライヴハウスを建てる時も何回か行きましたけど、そこの土地の人たちが動かないと何にもなんないんだって、強く思った。支援する側の熱い思いと、それを受ける側の気持ちがうまくハマってないとか、そういう瞬間も目の当たりにしたから。やっぱそこに住んでる人たちが主体で動いてないと。「東北ライブハウス大作戦を利用して、自分たちの街を復活させる!」くらいの気持ちがないとどうにもならないんだなぁと。そういうものを見せてもらいながら鹿児島に帰ってきて……ちょっと怖くなったんですよね。リアルな震災の話とか、九州には全然届いてない。僕は東北から熱い気持ちをもらって、今から鹿児島の音楽状況を良くしたいと思ってるけど、こんな温度差でやっていけるのか? って。あと、鹿児島には川内原発があって、震災の話は届いてないのに原発反対運動は起こってて。それ見てもなんか違うよなぁとしか思えなくて。

一一どんなところに違和感が?

野間:僕も音響でたくさん手伝わせてもらいましたけど、声上げることはすごく良いことなのに、僕ら世代の人たちは本当に原発のこと考えてるのかな? 群れたいだけなんじゃないか? って。現に一年でいなくなりましたからね……。それを経験して、あんまりひとつになって目的を掲げすぎるのも違うだろうし、上辺ではなく本当の中身を知ってもらうには? って考えて。「WALK INN FES!やります。ここから鹿児島を盛り上げようぜ!」とか言い出すの、逆に危ないなと思った。勢いで集まってもすぐいなくなるんじゃないかと。もっと柔らかい感じで、100年後でも、音楽に触れたこともない人たちにも伝えられるような言葉はないかなと思って。そこに住む人たちにしたら当たり前のこと。それが〈僕らの街は、僕らで創る。〉っていう言葉だった。

一一結果的に始まったことって、居場所づくり、街づくりですよね。

野間:……そう、ですね。10代の頃から思ってたこと、ずっと言葉にはならなかったけど、いろんなこと経験させてもらって「あ、そういうことだったんだな」って今は思います。

2022.09.15

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