Hi-STANDARD Pizza of Death OFFICIAL INTERVIEW Part.2

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――震災後、お2人は比較的すぐにコンタクトを取られてましたよね?

横山 そう。震災があって、2週間後くらいにミーティングしたんだけどさ。ナンちゃんから急に呼び出されて。

難波 いつも突然だから(笑)。

横山 それで、1発目の会話が「ハイスタやらない?」、「いいよ!」でしょ。で、話すべきことも話して、ミーティングの最後に、何かいますぐ2人だけでできる事ないかなって考えた結果、俺たち2人ともツイッターやってるから写真撮って同時投稿しようよってなって。

難波 みんな喜ぶでしょ? 「あの2人仲良くなったんだ!」、「解けたんだぁ」みたいな、そこを写真がすごく表現してたよね。あれは健くんのアイデアだったんだけど。

横山 やっと被災地でもツイッターにログインできる人が出てきたりして、そこで「何がいちばんみんなを元気づけられるかな?」と思って。あの時は、それがいちばんじゃないかと思って。あの頃ツイッターって、いい情報源だったでしょ? 震災に関して。デマもいっぱい飛んだけど、いい情報収集のツールだったから。

難波 いちばん“今”を伝えられるからね。「それがハイスタでしょ?」っていう。ハイスタがどれくらいの規模なのか自分たちでもわかってるんだけど、こういう感じがハイスタだからね。

横山 自分たちで言うと野暮だけど、でっかいバンドで、メンバーだけで物事を決められるバンドってないと思うのね。10何年とか時間経っちゃうと、それぞれ事務所通してとかさ、大ミーティングになっちゃうだろうし。

――組織的な了解が必要になりますよね。

横山 そういう部分では、俺はパンクでよかったなって思うの。これが利権が絡んだ、政治的な部分が裏にある、ちょっと言い方悪いけど、メジャーに飼われてるようなバンドだったらマジでできないよ。会って話すのに大人挟まなきゃいけないから。結局、みんな背負えなかったりするわけよ。だから大人を挟むんだけど、俺たちはムキ出しでやってたから、傷つきもするけど、こういうときに反射神経をいちばん発揮できるわけ。

難波 そうだよ。それをパンクって言ってんの。ラウドな音楽だからパンクじゃないの! そういうことがパンクなの。

――だからこそ、5ヵ月っていう通常じゃありえない短期間で開催にこぎ着けられたんですよね。

難波 そうだよ。たった5ヵ月でこれをやったっていう、それは見てもらいたいよ。「Hi-STANDARD復活!」っていうものを起爆剤にして、本当にいいものをみんなに届けないと復活した意味ないじゃん? だから、スゴいみんなで考えたよ。

横山 いっぱいミーティングしたしね。まずツネと3人で話して。ツネちゃんが間借りしてるちっちゃい事務所があるんだけど、そこに3人で集まって。俺はそん時に、「やっぱり東北の方に『AIR JAM』を持ってこう」って話しをしたんだけど、そこでいろんなアイデアが膨らんで、最終的にはナンちゃんがやろうとしてた9月のフェス、そこに場所があるわけだから、そこでやろうって。

難波 場所は押さえてたからね。

横山 ツネもふたつ返事で「うん、今だと思う」って。

――その後、3人同時に「9.18 ハイスタンダード AIR JAM。届け!!!」のツイートがあって、大騒動になって。

横山 そうだね。最初にスタジオ入ったのは5月くらいだったと思うんだけど。

――復活後、最初のスタジオはどんなムードでした?

横山 ムードはね、すごくよかったよ。なごやかで。ちょっと「昔よりヘタクソになったかな?」って思うところもあったけど、そこは昔みたいにぎゃーぎゃー言ってさ、「俺、ここ弾けなくなっちゃったんだよねー!」って(笑)。

難波 弾けないのは俺なんだけど(笑)。で、健くんに教えてもらうの。全部覚えてるから、フレーズを。

横山 俺、だいたい覚えてんだよね。

難波 1曲目に「STAY GOLD」演ってね。あの「STAY GOLD」はヤバかったねえ。

――復活の動機はみんなを元気づけるってことですけど、本人たちにとっても再びHi-STANDARDができるってことは無上の喜びだったという?

横山 そりゃもちろんそうよ。俺は、あんまり表には出したくないんだけど、やれて嬉しいに決まってるでしょう。

難波 そう思えてよかったよなー。とにかくハンパないのよ、3人が集まっちゃうだけで。ちょっと音が鳴るだけでウルウルしちゃったりだとか(笑)。俺たちがまずアガってるってことは、みんなにもそれを届けられるわけだから。

横山 俺もHi-STANDARDを3人でやってみて改めて思ったけど、演奏なんて上手くないしさ、曲だって、90年代中頃は新しかったかもしんないけど、今や手アカにまみれた音楽なわけよ。もう音楽的に特別じゃないわけ。でも何がスゴいって、それは“人”がスゴいんだよね。自分で言って変に伝わっちゃヤだけど(笑)、俺たち3人――それが実を結んでるか結んでないかは別として、やっぱり頭ん中が普通じゃないのよ。それが集まったのがハイスタでさ、そりゃエネルギーないわけないと思う。

――なるほど。とにかく時間が限られていたなかで、それぞれどんな役割で事を進めていったんですか?

横山 フェス自体はナンちゃんに預けてて。バンドのチョイスとかは、みんなで話し合ったけど。

難波 かなり任せてくれたよね。だからスピーディだったのよ。それが大事っていうか、それが俺らの方法だったわけじゃん?

横山 昔から俺ら反射神経っていうか、思いつきのバンドだったから(笑)。

難波 こういうやり方がいいんじゃないのって提示してるわけじゃん? ツイッターとかも、思いつきでやってるように見えて、どれくらい影響あるかとかも考えてやってんだから。

横山 まず自分らに対してウソがないようにっていうのがあるけど、その先には、俺らの行動を通じて想いが届きゃいいなっていうね。「パンクとは何か?」ってことを俺たち先人に教わって生きてきて、自分たちの考え/やり方を作ってきたわけで。ある人にとっては『AIR JAM』も他のフェスと変わんないかもしれないけど、アンテナ立ててるヤツにすれば「やっぱ『AIR JAM』は違う!」って絶対キャッチしてくれると思うから。

難波 これってもう“表現”だと思うんだよね、全部が。

――まさにそうですね。パンク・ロックっていうもののパワーには、改めて感じ入りました。パンクって破壊的なもののように思えるけど、実はすごくフェアネス(公平性)を重視するもので。

横山 うん。

――震災で途方もないアンフェアが生じちゃったからこそ、パンクスが率先して動いたのはある意味で必然だったというか。

難波 そうだね、あまりにもフェアじゃなかったよね。

横山 パンクスって、正義感だよね。今回のことを通じて、すごいそう思った。パンクって正義感のカタマリだし、優しいやつがパンクだなって思った。

――パンクスがいちばん良識的だなあと思ったりもして。

横山 そうそう。世の中って広いもんでさ、音楽を全然聴かない人もいるわけじゃない? そういう人たちに直接俺たちのパワーを届けるのは難しいけど、音楽好きなヤツには届くんじゃないかと思って。

難波 きっと届くよ、みんなに。

――そうですね。震災後しばらく経っても余震だったり原発/放射能の問題があったりして、不安要素はたくさんあったと思うんですが。

横山 ナンちゃんが、「野外で放射能浴びてずっとやるのどうだろう?」って悩んでたのは覚えてる。

難波 その理由はね、原発を肯定してしまうんじゃないかって思ったんだよね。主催して、そこにたくさんの人を集めちゃうと……あるいは中止しちゃうことで、「状況はヤバいぞ!」ってことを言うべきなのかなって思ったりして。それはホント悩んだよ。でも、「やろう!」ってことに踏み切ったのは、それをも超越するくらい、「今は元気を生み出さなきゃいけない!」と思って。

横山 そうね。

難波 そこにいるにしても、逃げるにしても、とにかくエネルギーがいるし、とにかくやる!ってことを選んだんだよね。

横山 ツイッターとかで「ロック・ミュージシャンで電気使ってるくせに原発反対なんですか?」って言われたんだけど、それってものすごくミスリードだし、ナンセンスな議論だと思って。

難波 それだけみんなナーヴァスだったんだろうけど。

横山 すごくナーヴァスだったよね。でも、原発の電気は勝手にきちゃうわけでさ、選べるんだったら選ばないよ、それは。

難波 止められないもんね。ホント、今ある原発は全部止めてもらいたい。こんな事故起こしちゃって、まだ原発運営してるなんてめちゃくちゃだよ!

――その“反原発”っていうメッセージは、次の『AIR JAM』でも引き続き訴えていきたいことですか?

横山 もちろん。でも『AIR JAM』は、やっぱりポジティヴなものを打ち出していきたいから。一度話しはしたんだけどね。(横浜スタジアムの)隅っこの方でシンポジウムみたいなものを開いたりだとか、そういった要素入れようか?って。けど、やっぱりボヤけちゃうんだよね。やるんだったらちゃんと別の場を設けてやるべきで、俺たちは次も反原発っていう気持ちを持ってやるけど、全面には打ち出さないと思う。

難波 反原発イベントにしちゃうと、それだけになっちゃうでしょ? もちろん、今いちばんっていうくらいものすごい重要な問題だけど、伝えたいのはそれだけじゃないんだよね。

横山 うん、そうだね。

難波 考えてることはみんな一緒だよ。それを、俺たちはちょっと目立って言えるだけで。だから、俺たちが言うことで、「あぁ、言っていいんだ、反対していいんだ」って思ってもらえるというか。だって、最初は「No!」なんて言えなかったじゃんね?

横山 そうだね。反原発で言ったら、若かったころのブルーハーツがデカかったのよ。

難波 「チェルノブイリ」ね。

横山 「チェルノブイリ」って曲を歌っててさ、それにニューエスト・モデルの人やラウドマシーンの人とかみんなで、“アトミック・カフェ”っていう活動やったりしてたのよ。

難波 あった、あった。

横山 それを俺は「宝島」なんかで見て、原発問題ってものを知った。広瀬隆さんの『危険な話』――チェルノブイリの本を俺まだ持ってんのね。どんどん処分してるけど、その本だけまだ持ってんのよ。その本と出会ってなくても、こんな事態を目の前にするなら原発は危険だって思ってたと思うけど、そうして先人に教えてもらったわけ。やっぱり、そういった役目でありたいよね。だから、特に感受性豊かな若い子たちに感じ取ってもらいたいな。

――中身もそうだけど、そういう異議申し立ての手段があるんだってことを伝えたいと。

横山 そうそう。

難波 今は違うから。みんな結構声あげてるよ。だから、音楽は頑張ったんだよ。そこは功績だよ。

Part.3 に続く

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