『横山健の別に危なくないコラム』
Vol.112
やっとだ。
ようやく言える。
Hi-Standard の活動について話せる。
ボク達は新しいドラマーを見つけた。
The BONEZ で活躍している ZAX を正式メンバーに迎え入れた。
そして2025年11月26日に、全6曲入りのミニアルバム「Screaming Newborn Baby」をリリースする。
これをアナウンスできることが、心の底から嬉しい。
ボク達は9月24日の YouTube での生配信にてこれを発表した。アーカイブが残っているので、是非観て欲しい(本文と映像の内容の重複はご容赦いただきたい)。いろんな気持ちを文字にしてみようと思うのだが……上手く書き表せるだろうか。
「不安と希望」
ナンちゃん、ZAX、そしてボクにとって長い長い、なかなか先が見えない、苦しい2年間だった。止まった時計をもう一度動かすには、現実と向き合って、乗り越えなければならなかった。
ツネちゃんが亡くなった時、正直なところ「もうこのままでいいのかもしれない」という気持ちもゼロじゃなかった。ボク達は奇跡のトライアングルだった。3人でしか鳴らせない音があって、その「後任」なんて……。それでも時間は止まってくれない。様々な迷いが問いになり、静かに胸の奥を刺してきた。そしてナンちゃんが言った「オレ、このままじゃ終われないよ」、悪いなツネちゃん、ボク達は進むことを選ぶよ。
少しずつ動き出した。でも動けば動くほど、それが逆説的にツネちゃんがいない事実を突きつけてきて、なおさら心細く感じた。阿吽の呼吸は消え失せた。またハイスタを鳴らせる喜びと、二度と戻ることはない3人だけの呼吸。感情を整理するのは難しかった。人間はそんなに簡単にはできていない。
ドラマー探しは、想像よりずっと難しかった。知っていると思うけど、オーディションもやった。ありがたいことにスキルも経験も申し分ないドラマー達ばかりだったけど、どうしても違った。
結局ボクもナンちゃんも「ツネちゃんを探してた」のだ。お互い口々に「ツネちゃんを探すわけじゃないんだよね」、「ツネちゃんは二人いないんだから」と確認し合っていた。それにも関わらず、だ。
そしてオーディションは失敗に終わった。でもそれで良かったのだ。失敗して良かったのだ。それは後になってやっと実感できることなのだが……失敗して良かったと、今はそう思える。
当時は気が付かなかった。オーディションが失敗に終わった時、ボクはかなり落ち込んだ。もうさすがに無理だとも思った。モチベーションが落ちたが、同時に少しずつ気づいていった。
このバンドを終わらせたくない。形は当然変わる。出す音も変わる。それを腹の底から認めよう。そうしないと、同じことを繰り返す。どうなろうと恐れない。待っている人達にボロボロのハイスタを見せることになったとしても、それでいいじゃないか。ハイスタを殺すなら自分達の手で殺す。そんな気持ちだった。誰がそんな姿を見たいと思うだろうか。
それでも、やる。
だから YouTube の生配信の企画も、自分で背負った。誰に頼まれたわけでもない。ただ、ハイスタがまた前に一歩踏み出す瞬間を、ちゃんと自分で企画し、3人だけでやり切りたかった。その責務を誰かに任せたくないと思った。
あの日の放送の前、車で現地に向かった。どこかソワソワしていた。
全く新しい音を、新しい3人で鳴らすことへの不安、未知の領域に足を踏み込む不安を抱えていた。しかし不安よりも希望のほうが少しだけ勝っていた。
「ZAX」
ツネちゃんがいなくなった日からは、同じ風景を見ていても、違うもののように感じた。事実をうまく理解できていない、そんな感じだった。
ツネちゃんを失ったことは、ボクの理解を超えてしまった。ハイスタは仲間を超えた「家族」だった。
「ツネちゃんのドラムがないと、ハイスタじゃない」、そう思う人は多いと思う。そりゃ納得できる。だってボク自身もそう感じる。
2023年の夏、Satanic Carnival。ツネちゃんと出演の約束をしていた唯一のライブ。どうしてもやりたかった。ボクとナンちゃんは、えっくん、ナヲ、そして ZAX という3人のドラマーの力を借りて、出演を果たした。その難しい時期の説明を果たし、表向きはいったん区切りをつけることができた。そんな気がした。
しかし翌2024年の3月、NOFX がラストツアーで日本に来る。ボクとナンちゃんはその場にいたい、いや、いなければならない。依然としてドラム不在のままだが、ボク達は Hi-Standard として出演しなければならない。ヘルプをお願いしてでも参加しよう。できなくて後悔するより、その場にいられるように考えよう、そう決めた。
ZAX にヘルプをお願いすることにした。ZAX と二人でちょいちょいスタジオに入っていたナンちゃんは、どうやらそのまま ZAX に加入して欲しいと思っていたようだが、ボクは彼に対して疑いを持っていた。ZAX とボクは10年くらい前に知り合いにはなっていたが、まともに会話したことがなかったというのも一因かもしれない。その疑いとは……ZAX が良いヤツ過ぎたことだ。サタニック出演の頃に3人でスタジオ入りし、ちゃんと会話をして初めて彼の人柄を知るのだが……とにかく優しくてビッとしていた。実は、それが少し怖かった。自分があまり触れ合うチャンスがなかったタイプの男だった。こんないい奴っているんだ。バカみたいだが、本気で疑った。
ついに NOFX のラストツアーを迎えた。ツアー初日の名古屋、バックステージで会った NOFX のメンバーの向こうに、ツネちゃんの姿が浮かんでは消えた。しょうがない、みんなで同じ道を歩いてきたんだもん。もういないツネちゃん、解散する NOFX、ボロボロのボクとナンちゃん……どうしようもない感覚に襲われる。なんて人生だ。
久しぶりのライブがスタートして、ZAX のドラムは素晴らしかった。いや、ドラミングが素晴らしいとか、そんな局所的な問題ではない。
ZAX の表情、動き、ドラミング……存在全てがボクに語りかけていた。
「こういう時、頼っていいんっすよ」
この感覚ほど嬉しいものはない。それが答えの全てじゃないか。技術がどうとか、もちろんバンドなんだからそれも大事だけど、もっと大事な何かが見えた気がした。やっぱりステージという究極の場所では、正体が剥き出しになり、普段見えないものが見える。これでやっていけるじゃないか、そう感じ始めていた。ライブ終了後、ボクは ZAX を抱きしめた。
もうひとつ気付いた点があった。NOFX のラストツアーに Hi-Standard がいるわけだ。当たり前のようにボク達は昔話をして懐かしみ、旧交を温め、別れを惜しんだ。たぶん、そこに入り込める人など、誰もいない。ボク達の友情や歴史は、それほどのものだ。ZAX は……入り込もうなんてしなかった。ただ、しっかりとその場に寄り添ってくれた。難しい立ち位置だったと思う。その中でしっかりと役目を果たし、裏ではボクとナンちゃんに寄り添って、チームの一員として逃げずに立っていた。正直その立ち振舞いには感心するほどだった。嬉しかった。「本当にいい奴」だった。
ツアーが終わりしばらくして、ボク達はおつかれ会をした。そこでボクとナンちゃんの二人で、ZAX に Hi-Standard の正式加入をお願いした。
もしかしたら、ボク達は本当にまた一歩踏み出せるかもしれない。
止まってしまった時計を、再び動かせるかもしれない。
そうだ、ボクはその日の夕方に Fender の紫色のテレキャスターを買ったんだ。買ったギターを車に積んだまま集合場所に向かって、二人に「ここに来る前に買ったんだ」って言って見せたんだ。
初夏の夜、2024年5月21日のことだ。
「新曲」
ボクには決めていることがあった。こういう融通の効かないことを言い出すのは大抵ボクだ。これはボクの心の中の、一体どこから来るのだろうか?意地の部分なのだろうか、カッコウをつけたい気持ちからなのだろうか?自分でも不思議だ。
「次に人前に出る時は、新しい曲を持って出ていく」
音楽を演る者としては当然のことなようだが、スキップしようと思えばできる。過去の曲がいっぱいあるのだから、それを演るライブをどんどんやっていけばいい。その選択もある。悪いことではない。
でも、なんかそれではイヤなのだ。
自分がハイスタを続ける理由は、義務感からでも、責任感からでもない。やりたいからやる。誰かに頼まれてやるわけじゃない。だから自分に正直にあって、ベストを尽くさなくてはならない。濁りがあってはならない。文字にするとバカみたいだが、ボクはこういう当たり前のことをギュッと握りしめる性分なのだろう。
時間と手間はかかるが、このメンバーと鳴らした今をしっかり持って出ていきたい。新曲だ。新しい音源が必要だ。
新曲作りは難航した。曲作りを始めたばかりの頃、2024年の秋頃から2025年の年明けにかけてくらいだろうか。ナンちゃんが「ZAX と二人で新曲の骨組みをバッチリ作っとくからさ!」、とスタジオに入り始めた。その時期がしばらく続き、おそらく4~5曲はボク抜きで作った曲の欠片が並んだ。新曲を iPhone で録ったものを送ってくれるのだが……どうギターを乗せて良いかわからないものばかりだった。ボクはかなりうろたえた。
どうしたら良いかわからないなんてことは初めてだった。二人でスタジオに入り始めたのも、ナンちゃんが Ken Yokoyama の活動に気を遣ってくれた、というのが多分にある。ボクも多忙なスケジュールを言い訳に、それをやってもらった。もうひとつ、ナンちゃんには「吐き出したい新曲のネタ」がいっぱいあったのだ。正確な数は把握していないが、ものすごい量なのだ。吐き出す場所と相手を必要としていた。そういったことも、ボクは痛いほどわかっていた。
その欠片を完成させることを目的に、たまに3人でスタジオに集った。そこで考えてきたギターを弾いてみるのだが、どうも自分の色が上手くだせない。ナンちゃんにどういうギターが欲しいか尋ねても、そのイメージとボクのカラーがどうも噛み合わない。しかしナンちゃんは「なにもかも、健くんの好きなように変えてくれていいからね」、そう伝えてくれたし、ボクのアレンジ力にも期待してくれていた。だからボクも、その欠片達にギターを乗せて、ハイスタの曲として完成させることしか考えていなかった。
過去ハイスタは、そういう曲作りをしたことがない。「その作り方に慣れてないからか?」、「ちょっといまアイデアが出づらい時期なのか?」、いろいろ考えて、気がついた。ボクが二人のしてくれたことを尊重しすぎたのだ。ナンちゃんと ZAX が忙しい日常を縫って練習スタジオに入り、いろんな背景と気持ちを持ってここまで形にしたアイデア達だった。どんなタイプの楽曲だとしても、とにかくギターを乗せて形にするのが誠意だ。その考えに支配されていた。
悩んだ末に、ボクは3人で話す場を設けて、こう話した。「2人がここまで作り上げてくれた事実、そこには最大級の敬意を払っているのだが……アイデアに一番最初に手を付ける瞬間から自分がその場にいないと、ボクは入り込めないわ」、思い切って、正直にそう伝えた。
自分でもこれはすごく二人に対して失礼なことだと、わかっていた。しかし、もし自分が100%入り込めないものが曲になってしまったら?それは絶対に「濁り」として曲に出てしまう。誰にも気づかれないとしても、それは存在してしまう。二人の努力を尊重するあまり、濁りに目をつぶってしまったら?それが物作りをする者として、一番してはいけないことだ。
ナンちゃんも ZAX も、ボクがそこまで悩んでいるとは気づいていなかった様子だったが、ボクの気持ちを全部受け止めてくれた。
そんなつまずきの時期もあったので、最初の曲の完成はおそらく2025年になってからだ。まず「Moon」が出来上がった。あまり今までのハイスタっぽくはない曲調だが、すごくカッコいい曲だと思う。しっかりボクの意見も反映され、ボクにしか弾けないようなギターを封じ込めた曲に仕上がった。お気に入りだ。
この曲には、ちょっとした逸話がある。ボク達は昔から歌詞はボクかナンちゃんが書く分業だ。「Moon」はナンちゃんが書いたのだが……前もって「ツネちゃんのことを書こうかと思うんだ」と聞かされていた。そして完成したものを初めて読んだ時、記憶の扉がガタッと開いた。
ハイスタを結成したばかりの頃、若かったボク達はいつも練習終わりにつるんでいた。ナンちゃんのアパートに集まってウダウダするか、ツネちゃんのボロい車でドライブに行くか。ある夜ナンちゃんのアパートで、「いまここで、それぞれが歌詞を書いてみよう」となって、歌詞など書いたことがないツネちゃんにも無理やり書かせた。しばらく唸りながら紙に向かっていたツネちゃんは、完成させられずにギブアップしたのだが……途中まで書かれた日本語の詞は、月がテーマになっていた。正確には覚えていないが、たしか「月が恋人なら 毎晩会えて 寂しくないのに」とか、かなりロマンチックな内容だった。ボクとナンちゃんは、そのロマンチックさに爆笑した。ずいぶん長い時間笑った。ものすごく朗らかな時間だった。
ナンちゃんの「Moon」を読んだ時、「……これ、ツネちゃんだよ。覚えてない?みんなで歌詞書いた時のこと?」と聞いた。ナンちゃんはすっかり忘れていたようだが、ボクの思い出したエピソードを聞いて、全身に鳥肌を立てた。歌詞を読んでいただければわかるが、ナンちゃんが書いた「Moon」にも、おそらくその時期の風景が入り込んでいる。
ちょっと不思議な話だ。ボクは「Moon」の歌詞は、ナンちゃんとツネちゃんが書いたんだと思ってる。
曲作りの感覚を掴んだボク達は、すごい勢いで新曲を作っていき、ついに7月からレコーディングに突入した。少しずつ形になっていく新曲達、毎晩ワクワクした。もっとピリピリするかと思いきや、ものすごくリラックスした、楽しいレコーディングになった。ボクは作業を早めに切り上げて、すぐ麻雀を打ち始めてしまう。ナンちゃんも ZAX もそんなボクを見て笑っていた。風通しの良い現場だった。
ギターの話になってしまうが、ボクは今回自分が弾いたギターを、すごく誇らしく思う。いままでのハイスタの焼き直しではない、自分自身で「もしかしたら新章に突入したかも」という手応えがあるものが弾けた。いまこういうギターを弾けたなら、きっとボクはまだまだできる、そんな自信にも繋がった。
レコーディングでは、近年弾いている新しいギター達を使ってみた。その中に、今年の頭に手に入れた Gibson SG がある。キレイな「ペルハムブルー」と呼ばれる青をまとった SG。「スティラコ」と名付けている。ボクは最近まで、SG を本気で弾いたことがなかった。しかし何気なく買ったスティラコをめちゃめちゃ気に入ってしまい、今年に入ってからの Ken Yokoyama のライブでは結構弾いている。ただスティラコがレコーディング向きかどうかは不確かだった。音を当ててみなければわからないが、ボクは大事な、かなり印象的なパートでスティラコを試してみた。
そしたらスティラコがめっちゃ良い音を出した。なんか体験したことがないような、レコーディングで聞いたことがないような、強烈な音だ。言うなれば「超スクリーム」しているような音。ボクはブースを飛び出し、ロビーで「『スクリーミング・新しい・赤ちゃん』だー!!!」と絶叫した。その後ギター録りの間はずっと「スクリーミング・新しい・赤ちゃん」が楽しいキーワードになった。
ある時、突然思った。「スクリーミング・新しい・赤ちゃんを英語でいうと……Screaming Newborn Baby??」、降りてきた。ちょうどその頃、音源のタイトルの相談を始めていた。今回はなかなかパチンと来るものが浮かばない。「『Screaming Newborn Baby』はどう?」提案してみた。ボクは「新生ハイスタの一発目の音源に合うんじゃない?スクリームしてるし、新生児のハイスタだし!」、みんな気に入ってくれた。
そして発売日が決まったのだが……11月26日になった。年が明ける前に新作をドロップできるなんて、忙しい中、みんな本当に良くやった。1年前じゃ想像もつかなかったところまで来ている。
そして改めて発売日を見たら……The Birthday のチバくんの命日じゃないか。実は「Screaming Newborn Baby」ってタイトル、ミッシェル・ガン・エレファントっぽいな、とは感じていた。ミッシェルはもっと語感がスタイリッシュというか、意味があるようでない、実はあるのかもしれない、そんなようなタイトルが多かった。「チキン・ゾンビーズ」とか「カサノバ・スネイク」とか。「Baby」もなんかチバくんらしい。もしかして、ツネちゃんだけじゃなくて、チバくんも手を貸しに来てくれた可能性もある。きっとボクが「スクリーミング・新しい・赤ちゃんだー!!!」と絶叫してる時、近くにいて「健さぁ、それ英語にしてみ?」って耳打ちしたかもしれない。
レコーディングが終わり、「じゃあこれを、どうやって待ってくれている皆さんに届けよう?」そういった話にもなってくる。
いろんな選択肢がある中で、ボクは前々から考えていた企画を発表した。YouTubeでの生配信だ。これにはポイントがあって、それは「全てを3人でやり切る」こと。当然スタッフさんは大勢いてくれるが、そういうことではない。「自分で発想し、自分で流れを決め、出演者はハイスタの3人だけにして、全てを3人でやり切る」、これが主眼になった。
全体の流れは……おそらくハイスタを待ってくれている人達は、2023年のツネちゃんの死、そして「I’m A Rat」のあたりから、ボク達の気持ちを知らないんじゃないか?ならば、そこからの2年半をナンちゃんとボクで直接全部を話そう。途中で ZAX にも出てきてもらって、新ドラマーに決定したことを伝えよう。そして新曲もそのまま生演奏しよう。初期の代表曲もいくつか ZAX と一緒に鳴らしている姿を観てもらおう。ということになった。
そして2025年9月24日、YouTube 生配信の日を迎えた。
「生配信」
都内某所、ハイスタとして初の試み。集まったボク達の顔には、緊張と希望が入り混じっていた。ピザオブデスクルーにナンちゃんの会社の人、ZAX のマネージメントをしている人。楽器チーム、音響チームも当然揃っていたし、この日はカメラクルーや照明さんもいっぱいいて、ものものしさすら漂っていた。
しかし画面に出るのは、メンバーの3人だけ。カメラの前で何を語るか、どこまで流れを外すか、誰にも予想できない。ボクは「一応の進行案」を紙に書き、監督さんに渡しただけ。まさにハイスタらしいラフさだ。司会を立てることも考えたが、自分達だけで完結させることにした。D.I.Y. だ。
ついに生配信が始まった。カメラの向こうに観てくれているみなさんを感じた。視聴者数がグングン上がっていくのが、手元に置いたスマホで確認できた。ボクは「この機会に伝えるべき」「直接自分達の言葉で伝えたい」と思っていたことを話題にし、拙いながらも少しずつ進行していった。
もちろんドラマーが決まったこと、新しい音源ができたこと。それは伝える。しかしボクには、それとは別の、大きなポイントがあった。それは、ナンちゃんのここ数年の苦悩を、ナンちゃん自身の言葉で、みなさんの前で話をさせてあげたい。自分の言葉でリアルタイムで語ることは、ナンちゃんにとってきっと大きな意味を持つことになる。
ここ数年、ナンちゃんに降りかかったハードシップは本当にすごかった。コロナで NAMBA69 は活動停止し、ハイスタではメンバーを亡くし、ご両親も相次いで亡くなられた。それだけでも充分しんどいのに、ラーメン屋「なみ福」の件でネットにいろんなことを書かれて、正直、見てて胸が痛かった。
思うのだが、SNS などで「難波は音楽やめてラーメン屋になった」とか言う必要あるか?バンドやってるナンちゃんが見たいって思うなら、素直にそれを本人にぶつければ良い。否定したり、茶化した言い方をするのは正しいこととは思えない。「だったら音楽で見せてくれればいい」、ナンちゃんだって、そんなことわかってる。本人が一番、音楽をやっている姿を見せたいのだ。しかし「いま新曲作ってるよ」「ハイスタでレコーディングしてるよ」なんて、いちいち言わない。言わないことで、ナンちゃんはハイスタを、ボク達の時間を守っていた。だからこそ、フラストレーションはどんどん溜まっていったと思う。
ボクは人前に出ることが多かったから、自然とガス抜きができていた。しかしナンちゃんには、その場所がなかった。だから今回の生配信で、自分の言葉で話して欲しかった。全て伝わるとは、ボクも思っていない。「話す姿」を見せること自体に意味があると思った。それが、いまのハイスタにとって大事なことだとも感じてた。
配信では、この数年の流れを振り返りながら、ナンちゃんに気持ちを話してもらい、ボクも語った。結果的に2時間のうちの半分くらいをその話に費やしてしまったが、それで良かったと思う。
そしてついに、新しい正式メンバーを呼び込む時がきた。観てくれてる人達は、まだ誰が出てくるか知らない。ZAX も、ハイスタに正式加入することをずっと黙ってた。ナンちゃんと同じで、言いたくても言えない日々を過ごしてたんだろう。その緊張が伝わってきた。しかし同時に、やっと解放される感じもあった。ZAX の登場の瞬間、空気が変わった。チャット欄も追いつけないほど、皆さんの喜びのコメントが流れた。ZAX の少し寡黙な姿にツネちゃんを重ねた人もいたと思う。
そしていよいよ演奏、これがしっかりできれば話なんてグダグダでも良い。今回の配信の核だ。ボクは最近メインで弾いている Gibson Les Paul の「RR」を構えた。スティラコ同様、今年に入ってからずっとライブで弾いていて、絶対の信頼を置いている。今回のレコーディングでもメインで弾いた。すごくフィットするのだ。「こいつを鳴らせば全部フッ飛ぶ」、そう思っていたのに、演奏が始まると不思議とギターが手につかなかった。どうやらボクが緊張していたようだった。ライブなんかは全く緊張しないのに、やっぱりこういう場だと違うんだな。
ナンちゃんと ZAX だって、緊張はしているに違いない。しかし ZAX は、想像もしていなかった場所でしっかり叩き、持てる力をフルに発揮していた。ナンちゃんに至っては緊張どころか、水を得た魚のように活き活きとしているように見えた。実際に声がものすごくよく出ていた。90年代を超えていた。とにかく嬉しそうで、やっとなにかから解き放たれたかのようで……その様子を見れただけでもこの場を設けた意味があった。
ボク達はその場に相応しい3曲、ハイスタが一番最初に作った曲「Maximum Overdrive」、新曲の「Song About Fat Mike」、そして待っていてくれた皆さんとツネちゃんに向けて「Dear My Friend」を演奏した。
生配信は成功に終わった。個人的には司会進行も覚束なく、おまけにギタープレイもコケたが、大きな「やり切った感」を覚えた。ナンちゃんと ZAX が誇らしかった。楽屋に戻りナンちゃんと固い握手をし、ハグをし、大きな出来事を共に乗り越えたことを喜んだ。
帰り支度が始まり、ボクはフロアに戻った。ギターテックが忙しそうに機材を片付けてくれている。ケースにしまわれる前のスティラコを何気なく眺めた。そしてこいつが、レコーディングでスクリームした瞬間を思い出した。
そうか、あの叫びは産声だったんだ。
「最後に」
生配信をやって1ヶ月たった。「やり切った」と思ったのに、終わってから数日は落ち着かなかった。それくらい反響が大きかった。皆さんに教えてもらったことは、「ハイスタは4人になったんだね」ということ。そう、その通り。姿が見えるのは3人だけど、ボク達は4人組だ。ツネちゃんの場所は誰にも埋められない。
「ツネちゃんが亡くなった時に、ハイスタは解散すべきだった」と思う人がいるのも、よくわかる。ツネちゃんがいないハイスタなんて、想像もしていなかった。「ハイスタはあの3人じゃなきゃ」、そういう想いを持ってくれている方がたくさんいるのはわかっている。その気持ちはちゃんと受け止める。
ボクとナンちゃんが続けていくと決めたのは、ツネちゃんを忘れるためじゃない。ツネちゃんも連れていくためだ。ハイスタが元気にやっていれば、それだけツネちゃんを思い出してくれる人も増える。それでいいんだと思う。
もしこの先、本当にボロボロになるとしたら、それも見届けて欲しい。
ボクとナンちゃんは、過去に10年間も仲違いした時期があった。しかしいまになって「もしかしたら必要な時期だったのかな」とも思う。あの頃に傷つけてしまった方がいたなら、本当に申し訳なかった。ボク達はガキ過ぎた。いまはいろんなことを乗り越え、友情とも信頼とも違う、全く新しい絆が存在していることがわかる。もう誰かの信用は取り戻せないかもしれない。しかしボク達は「お互いが代えの効かない存在なんだ」ということを、ちゃんとわかってるつもりだ。
とはいえ、人生はなにが起こるかわからない。そして自分の人生は自分のものだ。誰も責任を取ってくれない。だったら、やると決めた以上やるしかない。たとえ「彼らは晩節を汚した」といわれたとしても、自分が納得していればそれでいい。たとえまたナンちゃんと仲違いしたとしても、ZAX が突然辞めることになったとしても、それでもボクは「今を生きたい」と思う。先のことは誰にもわからない。
ZAX を迎えたいま、大きい声で言えることがひとつある。
「いまハイスタを止める理由はない」。
ボク達は「Screaming Newborn Baby」を持ってツアーに行く。
いろんな気持ちを抱えて、会いにきてくれたら嬉しい。
ボク達は、続いていく。
いずれ止まる時がくるなら、その時まで。
2025.10.27

