BBQ CHICKENS I.S.O の
「謝謝 朋友」



コラムを書くといっても、凝り性とは程遠い俺には、はっきりいってネタがない。
こうやって、せっかくの場を頂いたのだから、何か発信してみたいと思いながらも、何もないんじゃん、どうしよう と迷子になりまくった。
これを機によーく自分を振り返ってみたところ、周囲のひとに本当に恵まれてきたということを痛感したので、これを軸に書こうと思う。

という訳で、身近なひとに教えてもらった「おもしろいこと」に的を絞って書いてみようと思う。

十代の頃までは、俺にとって「兄」の存在が本当に大きかった。色々とおもしろいものを教えてもらった。

自分にとってのルーツになる音楽はほとんど兄の影響だった。ロックを教えてくれたのも兄。音楽だけでなく服も兄の真似というか、兄の服を勝手に着てよく怒られてた。映画もビデオだけどよく一緒に見てた。よく憶えてるのが「アウトサイダー」。チーマーが流行った切っ掛けの映画だったはず。

当時、兄が高校生で、当時は知らなかったんだけど兄もチーマーだったらしい。この事実は本人的にはちょっと痛いらしく、大人になってから兄に「お兄ちゃん、チーマーだったらしいじゃん、チーマーで何してたの?」と質問したら「渋谷のコンビニの前に溜まってアイス食ってたんだよ」と。ノンバイオレンスチーマー、おしゃれの延長でチーマーになったんだと知り、面白かった。

スパイクリーとかタランティーノとか十代のころは毎日のようにいろんな映画を兄と一緒に見てた。なんかこのころの映画って「ジュース」がDJで、「ハートブルー」がサーファーで、「トレインスポッティング」がドラッグで、今って情報が早いから、一般にもカルチャーがダイレクトに入ってくるんだろうけど当時だと、それをモチーフにした映画をやってから一般的に流行るみたいな。

情報を掘る人はもちろん別だけど、一般層に対し、映画がカルチャーに今よりダイレクトに影響を与えてたのって90年代までのおもしろさかもと思った。

ライブハウスの楽しさを教えてくれたのが、実は FUCK YOU HEROES のどっちゃんだ。高校の時にライブハウスで知り合った。どっちゃんは隣の中学出身で、(ちなみに横山さんとホンゴリアンの母校)当時どっちゃんは UNDER HIGH WELL っていうバンドをやっていたんだけど、彼らのライブで、はじめてライブで暴れる楽しさを知った。

こういうのって普通は名立たるPUNK/HARDCOREバンドがあがってくるのだろうけれど、俺の場合は友達のバンドだった。ほんとに衝撃的だった。音楽に身を任せて暴れたおす。なんちゅう興奮かと。

ちなみに、この頃はレコ屋に足繁く通っていた時期で、FATだ!EPITAPHだ!LOOK OUTだ!って、友達と大騒ぎしてた。そこへきてハイスタがFATから出すと聞いた時の衝撃はすごいものがあった。それまで洋楽しか興味がなかった俺が、日本にも沢山かっこいいバンドがいることを知る切っ掛けになった。こういう人は当時多かったんじゃないかと思う。

あとホンゴリアンにもいろいろないいバンドを教えてもらった。一緒にピザ屋でバイトしてた頃に「HONGOLIAN LOUD MUSIC」ってタイトルで、いろんなバンドが入ったイラストジャケ付きテープを作ってくれて、それが今考えると相当いい内容だった。

その後といえば、横山さんと出会ったことが大きすぎて。

同じピザ屋のバイトの先輩だったのだけれど、俺が入った頃には、横山さんはハイスタが忙しくてバイト先には専用ロッカーと籍だけ残っている状態だった。バイト先には横山さんが残して行った足跡が沢山あって、その中でよく憶えているのが「PHG(Pizza Hat Girls)ノー ト」と呼ばれるノート。

ノートを開くと、みんなが可愛い女の子へ配達に行った思い出が書いてある。裏表紙には、「共に働く仲間と、かわいい女の子に配達した喜びを分かち合うために」と筆ペンで、でっかくそのノートの目的が書かれていたのが印象的だった。もちろん書いたのは横山さんである。

このノートは悪ふざけでしかないが、「仲間と喜びを分かち合うために」というところはピザオブデスも一緒。リーダーはいつでもリーダーらしかった。

横山さんと出会わなかったら、俺は今はなにをしてたんだろうとつくづく思う。10年近くになるピザオブデスで、沢山のおもしろい経験をすることができたのも、この人が「ピザで働かない?」って声を掛けてくれたからだ。ピザでのことを書き出したら、迷惑な文章量になってしまうので、思い出宝箱の蓋は開けません。

最近ではピスト。まんまと流行りに乗っかっている状態だが。これもピザオブデスのFTCから。

兄が数年前からやっていたので存在は知っていたんだけど、なんか一歩ひいてた。高校の時に仲間内でスケボーが流行ってて、うまくできなくて、あえなく挫折した苦い経験から、ピストは絶対俺には向かないと思ってた。そんな一歩ひいてしまっている俺に FTC が半ば強引に勧めてくれた。しかも「ほしいなぁ」とちょっとこぼしただけで、2週間ほどでパーツを集めて、さらに FTC はツアーに出てしまうからとわざわざ組み上げをカムバックのゴローちゃんに託し、迷う隙もなくあっと言う間に組み上げてくれた。

いざ始めてみると、そのおもしろさはこれまた衝撃的だった。物としての魅力もあり、乗り物としてのおもしろさがあり、基本的なトリックもわりと簡単で楽しくなるまでが早い早い。なんせ自転車だから練習しなくても乗れるし、乗ってるだけで楽しいし。それに音楽以外のことで、みんなであーだこーだ話せるのもまた楽しい。30歳過ぎてこんなにハマルものに出会わせてもらった。特に同世代の人でちょっとでも興味があるなら、これだけは絶対にやったほうがいいと思う。俺みたいに流行ってるからって敬遠する人がいるとすれば、ほんとに勿体ない。面白いよ。

そーいや、ベース!!これも中学校に入ってから、ギターをやってた友達が「バンドやりたいからベースやんない?」って誘ってくれたのが切っ掛け。ちなみに当時GUNSのスラッシュ(ギタリスト)が好きだったから、ベースなのに Rockoon のレスポールの形をしたベースを買った。なんじゃそれ!!恐れ多くも原爆のエディさんから回してもらったバトンなのに、エディさんほんとにごめんなさい!こんなんで!!バンドはコピーバンドをやっていたくらい。特に書くこともなく。しかしながら、楽器を弾くのは好き。下手の横好きではあったと思う。

そのままBBQ CHICKENSに。

つくづくこの調子だ。トロイんだな。

最後はやっぱり子供。子供はほんとにおもしろい!日々の成長する姿を見れるのは本当にすばらしい。あと月並みだが、ほんとに子供に教わることは多い。面白くは無いけど、親になってリアルに親の気持ちが分かる。「お父さん、お母さん、今までリアルにごめんなさい」と最近つくづく思う。

ここまでダラダラと思い出にふけってみて思ったが、公共の場をお借りして「人との関わりを大事にしろ!感謝を忘れるな!」と自分自身で再確認させてもらった。申し訳ない。

振り返ってみても、また今の状況を考えても、沢山のおもしろいことを経験できていると思う。どれをとっても、出会った人に恵まれてきたと思う。おれの下の名前は「友宏」。良き友にたくさん恵まれるようにと母がつけた。その願いは届いているかも、と思う。

振り返りの文章になったから、昔の写真。


小学6年生の時の写真。自転車繋がりで。BMXにチョッパーハンドルというナイスさで選びました。しかし、ステムっていうハンドルがついている所が逆さになってる。そこもナイス・・・か?

次は今年で最後の MOGA THE \5 Yukke で。


BBQ CHICKENS I.S.O


2008.10.24