『横山健の別に危なくないコラム vol.67』



「年始の挨拶」

 遅れまして甚だ恐縮ですが、今年も変わらぬお付き合いを宜しくお願い申し上げます。

 我が家では、アナログに年賀状を送る。年に一度だけでも思い出してもらえたり、逆に一筆書くことでその人への想いが心の中に広がったり。実は毎年妻にケツを叩かれつつ面倒くさがりながらやるのだが、自分で書くというコトは結構大切なコトかもしれない。
 今年は Ken Yokoyama の4枚目のアルバムをリリースする。気持ちがそのアルバムのコトに向かっている。…逆にそのせいか、1枚目のアルバム「The Cost Of My Freedom」の時のレコーディング・メンバーとのやり取りがやけに嬉しい。
 ベースの Low IQ 01、キーボードの堀江君とは頻繁に会うのだが、ドラムの Jah‐Rah 君とゲスト参加してくれた古市コータロー兄貴とは久しく顔を合わせていない。彼らからの年賀状を受け取ると元気でいてくれているコトへの喜びと、また一緒に音を出したいなという…なんともいえない恋しいような、甘酸っぱいような、そんな気持ちになった。
 なにしろ「今年は目一杯やりたいです」モードのオレに、Ken Yokoyama としてスタートした時の気持ちを呼び起こしてくれる。ふんどしがケツの割れ目にガッツリと挟まるくらい絞まった。
 彼らが惜しみなく力を貸してくれたから、今のオレがある。
 柄にもなく、感謝の正月だった。

 さて前回のコラム、いつもと違って内容が独特だっただけに反応もかなり独特だった。自分の環境と政治の現状を照らし合わせて報告を下さった方々が多くいらっしゃって、凄く勉強させていただいた。
 皆さんから異口同音に発せられたコトは、「是非、民主党の人とも話をしてコラムにして欲しい」。
 オレも純粋な動機で民主党の方とも話をしてみたい。
 ただ…それには強烈な「ご縁」が必要だ。前回の細田氏へのインタビューは野津・松江市議という信頼できる人間がセットアップしてくれた。オレも、恐らく細田氏も、彼のセットアップだから気持ち良くできた。だから、民主党の人なら誰でも良いから話したい、というワケでは全然ない。オレが政治記者なら使命感をもってそこに挑むのだろうけれど、そんな気はない。
 リクエストは多かったが「ご縁」待ちというコトで。

 オレの本分は音楽。なんだかんだいろんなコトをしつつも、結局は音楽漬けの一年にする。
 
 重ねてお付き合いを宜しくお願い申し上げます。




「Ken Band」

 来たる3月10日、Ken Yokoyama の4枚目のフル・アルバム「Four」をリリースする。

 前作の「Third Time's A Charm」から2年半の間に2度のメンバーチェンジがあった。1年くらい新曲創りに着手できない時間があった。今回収められた楽曲達はミナミちゃん、ガンちゃん、そして Jun さんというラインナップになってからの1年半の間に、あーでもないこーでもないと言いながら書いたものだ。
 漠然としたイメージだけは、オレの頭の中にあった。どんな楽曲とか具体的なイメージは無く、ただ「凄く強い、強烈な」アルバムを創りたかった。「激しい音楽」とか「歪んだ音」とかそういった強さじゃなく、一本筋の通った強さとでも言おうか…そんなアルバムをイメージしてた。
 聴いた人がどう感じるかはもちろん分からない。自分では、持っていたイメージ通りのアルバムが出来た、と思っている。

 今まで自分が関わってきたアルバムの中で、自分にとって一番強烈で、一番好きなアルバムができた。Growing Up を創った時も、Good Bye To Your Punk Rock を創った時も、Nothin' But Sausage を創った時も嬉しかったのをよく覚えている。Hawaiian6 の Souls を一緒に創った時もそうだった。
 アルバム全体の手触りはどのアルバムもそれぞれに独特の良さがあるが、…変な言い方だが、今回のアルバムが一番かわいい。決して「オレ一人で創った」という意味じゃなく、「オレのアルバム」って気がする。
 おかしなモンで、Nothin' But Sausage なんかはドラムとコーラス以外は全部オレ一人で録った(もちろん曲創りはサージとやったのだが)。今回は初めて Ken Band 全員で録った。今まで自分以外のギタリストに任せるのに抵抗があったが、なんと今作のギターの左チャンネルはミナミちゃんのギターだ。それにも関わらず、今までで一番「オレのアルバム」って気がする。

 良きパートナーであったサージを失った今回、曲創りを始めた当初は一人でアイデアをひねり出す勘が戻らず、どこから手をつけてよいのやら分からなくなったりもした。
 サージの存在は、特に Third Time's A Charm に於いて非常に大きかった。積極的に曲や歌詞の元ネタになるアイデアを持ってきてくれて、ほぼ全曲を共作した。横山健個人としての純度は薄まったが、作業自体はすごく円滑だったし、楽しい経験だった。しかしそこにオレが甘えていたのも事実。
 切羽詰ったオレは初心に戻り、曲のネタが思いついたらカセットテープに録音し、歌詞のアイデアが出たらノートに書きとめるコトを始めた。そんな作業も久し振りだった。妙なフレーズがいっぱい浮かんではお蔵入りになった。しかしこの地味な作業が曲創りの勘を取り戻すのに大いに役立ち、メンバーにも「ネタだけはいっぱいあるんだよねぇ」と言えるようになってきた。当時加入したばかりの Jun さんが「ビビっないでネタを持って来い」的なコトを言ったので、少しずつスタジオで披露し始めた。何曲かはすぐに形になった。その中の1曲が、昨年5月にリリースした The Best New-Comer Of The Year に収録した「You're Not Welcome Anymore」だった。
 曲の元ネタを全部自分で持っていかなければ何も生まれない状況…これは逆説的に言うと、1st アルバム以来の「横山健としての高い純度を持つ楽曲達」を揃えたアルバムを創れるわけだ。しかも今度はパーマネントなバンドと一緒に。最高の状況じゃないか。
 そしてオレ達は日々の暮らしに追われながらも数々のツアーをくぐり抜け、フェスシーズンを駆け抜け、着々と曲を創り上げていった。

 なぜ「Four」というタイトルをつけたか…Ken Yokoyama としての4枚目のフル・アルバムだからだ。それから、オレが好きなクラシック・ロックの先人達が4枚目のアルバムにその数字を冠したタイトルをつけているのも大きな理由の一つだ。Led Zeppelin の通称「W」、Black Sabbath の「Vol.4」、Foreigner の「4」…、どれも名盤と誉れ高い。オレ達のアルバムもその名を冠するに遜色ないものだという自信もある。
 それから、オレは Ken Yokoyama としてのアルバムをズーッと出していきたい。やっていく自信がある。そうなるとここで「Four」と名付けたアルバムがあるコトで、「あれが4枚目ってことは…これは6枚目か」と、後々大きな指標にもなる。
 そして、初めて「4人」で創れたアルバムだ。
 もう「Four」しかあるまい。

 ここで改めて、初めてフル・アルバムを一緒に制作したミナミちゃんと Jun さんについて触れたい。「横山健としての高い純度を持つ楽曲達」とは言っても、バンドで楽曲を組み立てていく段階で彼らの感性と才能無しでは、ここまで納得の行く形にはならなかったハズだ。インタビューやいろいろな媒体で今後アルバムの話をする機会があると思うのだが、この二人の貢献を一番伝えられるのは恐らくこの場所だろう。二人に若干引かれるコトを覚悟で、語っておきたい。

 ミナミちゃんは2008年1月に Ken Band に加入した。サージが去って以来すっかりオレの相棒、良き相談相手になった。ちなみに Ken Band の練習が終わるとオレが車でミナミちゃんを送るのが習慣となっているのだが、…つまり必ず二人で会話する時間がある。バンドの話、オレの子どもの話、最近の友達の話などなど(お喋り頻度はオレ8:ミナミちゃん2)。彼はオレの大体のコトを知っている。こういう時間が曲や歌詞を書くのにどれほど良い方向に作用したか想像に難くない、というより事実そうだったのだ。
 ミナミちゃんは帰国子女(10歳までニューヨークで育っている)なので、英語を日本語と同じレベルで話せる。今回は歌詞を全曲ミナミちゃんと共作した。元ネタは全部オレが持っていった。今回はオレ自身も初めてのコトだったのだが、ほぼ全曲日本語を先に書いた。この時点でオレはすいぶん楽だった。それをミナミちゃんに英訳してもらって、修正していく作業だった。その合間に、オレのアイデアの基になっている気持ちや経験、背景なんかを充分に説明して英訳に取り組めた。だから今回の歌詞には、オレ的には「行間」がいっぱい存在する。充分自分の持ってる風景と愛情を詰め込めた。その背景にはミナミちゃんの語学力と、人としての理解力がある。
 曲も思いつくとまず車の中でミナミちゃんにそれとなく話してみて、話したコトで自分自身がその気になってスタジオでの披露にもっていけた、なんてコトも相当あった。
 ミナミちゃんには、「人の話を聞く能力」が多くある。フンフンうなずいてるだけじゃなく、話した相手をやる気に向かわせる能力があるのだ。多分本人はそれに気がついていないと思う。こういう人は、何人かで物事を組み立てようとする際、とんでもなく必要とされる。いなくても物事は成立してしまうが…出来の良し悪しが違ってくる。
 これには彼の周りの多くの人が同意してくれると思うのだが…彼は自分が中心になって「やってやろうぜ」っていうタイプの人じゃない。オレにとってミナミちゃんは「サイドマンとして突出した能力を持つ人」だ。
 今はミナミちゃんがパートナーだ。いてくれて良かった。

 Jun さんは2008年10月に加入した。しかし Jun さんの場合「助走」が長かった。サージから脱退の旨を伝えられた直後にもう一緒に練習を始めた。もちろんこれはサージの了解あってのコトだ。半年くらいオレ達がツアーで出たり入ったりするのを、黙々とトラックのハンドルを握りながら待っててくれた。お陰でキャラの立ったサージが抜けた穴をすぐに埋め、ライブやツアーに突入できた。40代半ばの男にとっては忍耐の要る、相当長い時間だっただろうと、今更ながら思う。
 ベーシストとしての Jun さんは、…ハッキリ言って、彼のベースが Ken Band を変えた。ライブを変え、新曲の出来を変え、バンドの体質そのものを変えた。それくらいの変革をもたらした。とんでもない人だ。
 普段は飄々としてて、人の話を聞いてるんだか聞いてないんだか分かんないような様子なのだが(実際聞いてないコトが多い)、ベースを弾くと本性を現すとでも言おうか。
 彼の弾くベースはうねっている。これは長年弾き込んだ経験から来る、スライドを絡めた「独特のタッチ」がうねっているように聴こえさせる。そしてベースラインは、それだけでも充分成立してしまうほど歌ってる。決して歌の邪魔をせず、決して引っ込まず。これは相当のスキルとセンスがないとできない。こういうタイプのベーシストは以外と元々ギタリストだった人に多いのだが、Jun さんは違う。恐らく元ギタリストだったら、もうちょっとだけ派手に…言い方を変えるといやらしくなってしまいがちだが、Jun さんのベースラインは絶妙のところに位置を取る。弾くこと全てを「あぁ、Jun Gray だなぁ」と感じさせる力量を持っている。そして恐らく、メンバー内で一番楽器に興味があり、一番音楽好きだろう。
 「職人」と呼ぶに値すると思う。いてくれて良かった。

 二人の性格をもの凄く端的に表す光景がある。一緒に作業していると「ミナミちゃんはこういう人で、Jun さんはこういう人だ」と言える光景を見るコトができる。オレが新曲を披露して、バンドとしてその曲に取り掛かる瞬間がそれだ。
 オレがコードを弾きながらメロディーを「ラララ」で歌う。部分的にしかできてない時がほとんどなのだが、別でリフがある時や、ハッキリとはしていなくてもなんとなくの全体像がある時は、それらを順次説明していく。大体ミナミちゃんは「なんだ、そのコード展開は?」というような微妙な半笑いともなんともつかぬ表情をして、オレの指板をジーッと見つめる。Jun さんは表情一つ変えずにオレが弾いたコードをなんとなく聴き取りながら、ベースの指板に指を這わせる。
 一通り説明が終わると、…まず、眉間にしわを寄せた表情に変えたミナミちゃんからの質問の時間が始まる。「コード展開はわかったが、欲してる雰囲気が例えるとどんなものなのか」とか、「そのリフはバーコードで弾くのか、パワーコードで弾くのか」とか、オレもそこまで考えてないというところまでいきなり掴もうとする。Jun さんは…ミナミちゃんがそうしている間にも「健そのさ3個目のコードさそれどこ?D?A?まどっちでも合いそうだなとりあえずそんで2番はさちょっと変えてんの?」とか早口でまくし立て、曲の全体像も分かっていないのに、いきなりベースラインを大音量で作り始めてる。その大音量にさらに眉間のしわを深めつつミナミちゃんは質問を続け、自分が納得すると「あぁ、あぁ」と大きくうなずきギターに向かい始める。
 ミナミちゃんって人は着地点をしっかりと把握して物事に取り掛かって納得する人だ。Jun さんって人はさっさと取り掛かりはするが全体の中で自分がどういう役割をするのかを最後まで探って納得する人だ。
 ちなみにこんな時ガンちゃんはどうしてるかというと、…黙って聞いている。これもガンちゃんらしい。
 やっぱり曲創り、というか何事も本気が必要とされる場面で人柄ってものは良く出る。取り繕えないほど人柄が出てしまう、それくらい彼らも本気でこのバンドに取り組んでいるのだろう。

 アルバム全体の話や曲について、特別ここで伝えたいコトはない。今いろんな取材を受けている最中なので、そちらの雑誌媒体や映像媒体を参考にして欲しい。
 まぁありきたりではあるけれど、…一回聴いてもらえばわかる。響く人には響くし、響かない人にはただの騒音にしか聞こえない。

 これもすでに告知されているが、4月から長い「Four ツアー」に出る。今作からの曲をメインに据えて…据えざるを得ない。それほど実際に演奏するのが楽しみな曲ばかりだ。
 その前に、アルバム発売直後にも関わらずアルバムとは全然関係ない 「Twitter, Not Twister ツアー」を Garlic Boys とやる。オレにとってはこんなムチャクチャなタイミングでツアーを組めてしまうのも、ある意味「Four」に対する自信の表れだ。

 オレは「今鳴らしたい音、言いたいコトはこれだ」と叩きつける。

 ご縁がある方、どこかで会おう。


 




「気持ちの温かさ」

 現在アコギ・ツアーの真っ最中だ。札幌・博多・大阪・名古屋・仙台の各都市を回っている。
 単発のアコギ・ライブは数箇所でやったことはあるが、ツアーという形でやることはオレのここ最近の念願だった。
 アコギのライブは小さな会場でやる。バンドでライブする時よりももっとグダグダで、…曲順もろくに決めずに、お喋りも多めだ。しかしその分観に来てくれた方々とより密なコミュニケーションがとれる。そしてアコギ1本とオレの声だけ、逃げ場はない。全力で自分を晒すしかない。それだけに得るものも大きい。

 今回のアコギ・ツアーは熱血イベンターのアイデアで、「葉書を送ってもらって、内容に目を通させていただいた上での抽選」という、ちょっと手の込んだことをさせてもらった。お陰で本当に観たいという熱を持った方々が来れたと思うし、冒頭の年賀状の件とも重なるが、こんなデジタルな時代だからこそ「一手間をかける」ことの大事さを痛感させられている。

 ツアーと平行して、各地での取材を積極的にブッキングしてもらった。業界内では「キャンペーン」と呼ばれるものだ。テレビ、ラジオ、地方誌…、いままで15年も作品を出し続けているのも関わらず、ズーッと避けて通ってきたことを、今初めてやっている。
 デジタルで便利な時代になったことと関係しているのだが、…どんな情報でも東京からインターネットを通じて、一発で日本全国に発信することができる。しかし「これでいいんだろうか?」という素朴な疑問があった。効率は良いが、…良すぎるのだ。無味簡素なのだ。もっと人と顔をあわせて知ることや感じること、この先変わってくることが必ずあるはずだと思った。
 そして実際いろんな街の媒体の方々とお会いしてお話しをさせていただく中で、オレの考えは間違えてなかったと確信になってきている。
 各都市でそれぞれの視点で音楽を考え、地元を考え、独自の方法で情報伝達をされている方々には、東京で感じるそれとは質感の違った情熱を感じる。これも繰り返しになるが、今のオレに必要なのは、その「熱」なのだ。便利な時代だからこそ、アナログに自分の足を使ってそれぞれの街に出向き、歓迎されて互いの情熱を交換する。そこから得るものは何にも変えがたい。
 実際に嬉しい出会いがいっぱいあった。温かい気持ちをいっぱいもらった。今後の自分の考え方や在り方に大きな影響を与えてくれる、大きな出来事だ。

 これが芸能人なら全国ネットの番組に出れば事足りるのだろう。東京からのトップダウンでいいのだ。しかしオレがやっているのはロックだ。
 オレには分かっているのだが、日本には極一部の限られた音楽、チャートの上位に挙がるような音楽しかない地域がまだまだいっぱいある。しかし一度オレの音楽に触れれば、この先オレを必要としてくれる人はいっぱいいるはずなんだ。そんな人の視界に入るには地元の方々の力を借りて、自分から行くしかないんだ。ツアーもそうだが、自分で足を使って山を越えて「おれが街」にこちらから行くのだ。
 本当にやれて、「今だからこそやれて」、良かったと思っている。

 そんなことをしていると、日本の様々な事柄の在り方にも疑問は及ぶ。例えば企業。効率化を図るためにカットされるのは「営業職」だ。日本の高度成長は、今の「団塊の世代」によって成し遂げられた。生産力も然ることながら、日本人独自の「営業職」の力も大きかったのではないか。癒着の温床とも揶揄される部分ではある。しかし人情が失われたことは確かだ。
 もちろんこんな不景気な世の中、企業も生き残りを懸けて効率化を進める。現状を見れば仕方のないことかもしれない。しかし一度、「そこに気持ちや情熱が介在すること」の大事さを、一息ついた時点で考え直すのも決して悪い事ではないだろう。

 日本を小さい国などと思ってはいないか?
 デジタルを過信してはいないか?
 一人一人の情熱を見過ごしてはいないか?

 問題提起をするとともに、オレはオレ自身にも問いかける。



「大阪のFM 802で偶然斉藤ノブさんと再会。奥様の夏木マリさんとともに。全国を周ってるとこんな嬉しい偶然もある。」




「2010年」

 1969年生まれの男は今年数えで42歳になる。「本厄」なのだ。アコースティック・ツアー前に必ずやっておきたいコトの一つだった「厄除け」に行ってきた。
 お参りに行くと心が落ち着く。ただの気休めかもしれないが、…気が休まるのなら大事なコトだ。
 オレと家族は、なにかっちゅーとお参りに行く。お賽銭だけする時もあれば、ちゃんと本殿に上がってお祓いをしてもらう時もある。オレと家族には、こういった「日常レベルでの信仰」が大事なのだ。

 お参りをすると日本古来の文化に触れる。日本人が土着的に大事にしてきたもの…日常の信仰心が自分の血の中にあるのを感じる。そうすると「郷土愛」としての愛国心に目覚める。大それた思想とは無縁で、日本の原風景に想いを馳せるだけだ。「日の丸がどうだ」とか「君が代がどうだ」とかいう話じゃない(決して嫌いじゃないが)。ただ「生まれた土地を愛し、自分が日本人なんだと自覚する」というのが、オレにとっての郷土愛であり、オレなりの愛国心だ。今ではビルが立ち並ぶ自分が生まれた土地から、時間を越えて勤勉で慎ましかった古き良き日本の息吹を感じる。ただそれだけのコトだ。オレは歳を重ねるごとに、その風景がどんどん見えるようになってくる。

 おかしな話だが、オレは「紛れもなく西洋文化」であるロックで生きている。おまけに英語で歌っている。そんなオレが…もしかしたらそんなコトをして生きてるから、郷土愛が強いのかもしれない。

 ちょっと話は飛ぶが、厄除けに行った前日、三代目彫よし氏による「水滸列伝図」の原画展を見に行ってきた。原画は言うまでもなく、素晴らしかった。しかしオレがもっと素晴らしく感じたのは、彫よし氏の「日本人としての精神性」だ。
 墨で描かれた原画には落款(らっかん、と読む。書道や絵画にみられる作者によるハンコ)が押してあり、そこに氏の精神性がよく顕れている。
 
 「愚拙」と押してあるのだ。
 「おろか」で「つたない」と自分を顕しているのだ。
 水滸伝の登場人物全てを画でまとめるという行為そのものが身の丈に合わず「愚か」で、画と呼ぶにはあまりにも「拙い」というのだ。

 もちろんそんなワケはない。世界中どこを探しても、これを成し遂げられるのは三代目彫よし氏以外にはいないはずだ。
 じゃあなぜ自身をそう顕すのか、…死ぬまで修行だという「慎ましやかな心」だ。この感覚は日本文化そのものだろう。自身を卑下しているワケじゃない。そうありたいという精神だ。
 他にも、原画展を開催するにあたり激励してくれた人に対して、「百拝千伏」と顕してあった。最上級の感謝の心だ。
 この姿勢がオレの心と激しく共鳴する。

 自分の中の「郷土愛」と、彫よし氏に激しく揺さぶられる「日本人としての精神性」…。

 オレは想う。

 オレがロックをして生きていく上で柱となっている精神は、それらとはかけ離れているように思うであろう。180度違うように映るであろう。
 しかし恐らくそれは、生き馬の目を抜く現代社会を生き抜くために身につけた処世術であり、本来持つべき、人に見せるべき姿勢は「日本人然とした慎ましやかな自分」なのだろうと分かっている。
 柱となっているのは身勝手な精神だが、床には慎ましやかな自分がちゃんと敷いてあるコトは、自分でも見えている。

 よし、今年は新作を引っ提げ、うるさいロックを鳴らし英語でまくし立て、日本中にツバを吐いてまわろう。どんどん問題提起もして、いろんな人を悩ませよう。考えることを促そう。
 そして同時に、感謝の気持ちと少しの希望をもってそれらをしよう。

 矛盾していると言うのなら、あんたには用はない。

 そんなコトをぼんやりと考えていた2010年の年明け、忙しくなりそうな1年の始めの柔らかく晴れた冬の日の午後だった。
                  



2010.2.4