Ken Band の2011年は激動の1年だった。
まず年の始めにドラマーがガンちゃんからまっちゃんに代わった。バンドにとってはドラムが代わることだけで一大事だ。数ヶ月の猛練習でバンドが固まってきた実感を得たオレ達は、4月に東北地方を含む9本のツアーを組んだ。「まっちゃんお披露目ツアー」のはずだった。しかしツアーまで1ヶ月を切ったところで、東日本大震災が起こった。
西日本はまだそのまま公演可能だったが、計画停電の地区にライブハウスがある厚木と渋谷は延期せざるを得なくなり、盛岡と青森は開催そのものが一時保留になった。
結局厚木と渋谷以外はそのままの日程でできたのだが、既にツアーの意味合いは変わってしまっていた。一応「お披露目」の性格は残しつつ、「音楽に出来る支援、復興」を考え、それを西日本にしっかり伝えることが一番の目的になっていた。オレ達 Pizza Of Death は「We Are Fuckin' One (オレ達はひとつだ、の意味)」と背中にプリントされたTシャツの販売を開始した。
そして迎えた盛岡でのライブ、震災後初の被災地でのライブだった。そんなに必要以上に意識せずにやるつもりだったが、曲が進むにつれてオレは得も言われぬ気持ちになり、ライブ終盤、パンクからもらった未来や希望を歌った歌"Punk Rock Dream"を歌いながら、歌詞がそのまま自分に跳ね返ってきて、目の前のたった1ヶ月前に恐ろしい経験をしながらも必死に音を求める会場内の雰囲気が一気に自分の中に入ってきて、オレは人目もはばからず号泣してしまった。
最後にやった"Let The Beat Carry On"は「続けていこう、繋いでいこう」と歌うのだが、感情が高ぶって嗚咽で半分も歌えなかった。
自分で予想もしてなかった感情にうろたえたが、抑えることが出来なかった。
しかし、この日の経験が自分を大きく変えたと、今では思う。「傷ついた人達を前に音楽を鳴らす時は生半可な気持ちじゃできない」と痛烈に教えられたし、逆に腹も括れた。
その後、SLANG の兄弟 KO が企画した、宮古市でのフリーライブ「POWERSTOCK in 宮古」では、既に前のコラムでも書いた通り、容赦のない現実を背負った人々が放つきらめく笑顔、飾らない涙、不安や感謝の気持ち、それらが織り成す美しい光景を、しっかりと受け止められた。
初夏から晩夏にかけてオレ達は幾つかのフェスに参加させてもらったり、「新ドラマーお披露目ツアー第2弾」を西日本方面で敢行しつつも、「We Are Fuckin' One Tシャツ」を売り続け、来たるべき日に向けて資金を貯めていった。「売上資金を持ってオレ達が被災地にフリーライブしに行く。そうすれば現地でライブどころじゃない連中が、2〜3時間だけでも楽しくてフワッとした時間が持てる。何かしたいと思っても何もすることが見つからない、そう思っている人は是非買って協力してくれ」、ステージ上からそう呼びかけ続けた。多数の人が賛同してくれて、大きな資金ができた。オレ達に託してくれた気持ちが嬉しかったけど、それよりも西日本にも『なにかしたい』と思ってる連中がこんなにいることが嬉しかった。
8月、「We Are Fuckin' One ツアー」と銘打って、7箇所(水戸、いわき、福島、郡山、仙台、八戸、久慈)のライブハウスでフリーライブを開催した。趣旨についての詳細はコラムのバックナンバーを参照して欲しいが、7本中3本が福島県内だった。この時期は「放射能問題」が実に大きくクローズアップされていた時期でもあり、「震災被害」よりもむしろ「放射能問題」と正面から向き合ったツアーになった。実際、この時期の郡山や福島は放射線量が高い「ホットスポット」だった。目に見えぬ恐怖の中で暮らす街で音楽を鳴らすと…自分の中で、みんなを鼓舞したい気持ちと、音楽の無力さが同時に湧き上がってきてゴチャゴチャになった。
もちろんライブ自体は毎日楽しく、たくさんの「ありがとう」をもらった。絶望やいつまで続くのか分からない恐怖の中で、希望を鳴らし受け止めてもらう場所を作れたことは大いに意味がある。このツアーに参加してくれたバンドとスタッフ達、BRAHMAN、MEANING、GARLICBOYS、HAWAIIAN6、SLANG、Razors Edge、F.I.B、dustbox、彼らはオレのヒーローだ。各地に無償で参加してくれた。
この8月のフリーツアーで知ったことがある。それは、やはり音楽には限界がある。音楽じゃ人の腹は満たせないし、電気も作れない。ましてや、放射能に立ち向かえるわけがない。しかし、音楽を人前で鳴らす者としての行動には限界などない、ということ。「元気出そうぜ」でも「原発はいらない」でも、人前で発信することは誰にも制限されないし、やる者の心持ち次第では音楽家は音楽を飛び越えることができる。場合によっちゃ、本当に日本中の原発だって止まるかもしれない。
さらに SLANG には、移動日を利用して直接被害を受けた地域に物資を届けに行くのに同行させてもらった。まず、原発問題が大きく生活に打撃を与えている福島県南相馬町に行った。「水道水に放射線物質が混入したので飲めない」地域だ。なので KO ちゃんがミネラルウォーターを大量に集めた。オレも窓口になっている人を KO ちゃんに教えてもらい、東京から水を送った経緯があるところだ。
道中、原発事故で全域が計画的避難区域になっている福島県飯舘村を通った。建物はあるのだが人の気配がしないのが、不気味ですらあった。街の佇まいは普通なのに、命の気配がまったくない。映画のセットと言うのもまた違う、異様なムードだった。原発事故がなければきっと笑顔や笑い声が溢れてたはずだ。若者はまだ良いかもしれない。しかしお年寄りで「この土地に骨を埋める」と思ってた人も多かっただろう。もしかしたらそれは叶わないかもしれない。ほんのちょっと前までのささやかな希望や幸せは、もう戻ってこないかもしれない。しかも人災によって。…オレには彼らの本当の気持ちは、到底窺い知ることができない。
福島第1原発から20qの地点にある、立入禁止の検問のあるところも通った。オレ達は車を降り、「立入禁止」の看板のところまで行った。もちろん警備員が立っていて、その先に入ることは許されない。彼ら警備員は、一体どのくらいの目に見えない放射線を浴びているのだろう…。それとも浴びてないのだろうか…?
南相馬では、震災で営業が停止したパチンコ屋が物資の受付及び配布場所になっていた。中に入ると、少し前に BRAHMAN が持ってきたミネラルウォーターが壁を埋め尽くしていた(およそ20トン分あったらしい)。しかし現地の人が言うには、「まだまだ足りない」とのこと。この少し後の話だが、同地域では学校給食に使う野菜にも影響が出て、従来使っていたものが使えなくなったらしい。そこで野菜も集めようという話にもなりかけたようだが…そうなると、もはや民間レベルじゃない。なぜ行政主導でこんなことすらできないのか?そういったことがオレたちの間での論点だった。
相当状況は混乱していて、南相馬でも生まなくてもいいはずの衝突があちこちで生まれていたようだ。原発推進派、反原発派…行政派、民間派…。
逃げるなら政治や行政が責任をもって情報公開して、しっかり逃げるよう強制力のある通達をすべきだし、そうしないのなら残っている住民のためにしっかり物資の受け入れと配布をすべきだった。ヨウ素剤も配布すべき地域はいっぱいあったはずだ。国や自治体は、全くといって言い程、指導力を発揮しなかった。
続いて、津波により壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町に向かった。途中スーパーで食料や物資を追加購入し、南三陸町の中学校の校庭にズラリと建てられた仮設住宅に荷物を届けた。SLANG の KO ちゃんとオレはある部屋にあげてもらった。入り口があってすぐにキッチン、その奥に4畳半から6畳程度の部屋が2つ並んでいるだけだった。通された部屋の隣ではお婆さんが寝ていて、枕元には簡単な仏壇があった。逃げる時に「せめてこれだけは」と必死で手にした位牌なのだろう…。お婆さんはただ横になっているだけなのだろうが、なにかを忘れたくて黙って横たわっているといった様子だった。そこの家の人は、「逃げるのが3分遅れてたら、ここにはいなかった」と話していた。笑ってそう話していたのが、逆にリアルさを増幅させた。
通された部屋で、KO ちゃんが主催する「NBC作戦本舗 自立支援プロジェクト」に参加しているお母さん達が、サイトで売るためのアクセサリーの編み方を
KO ちゃんから教わっていた。(「NBC作戦本舗 自立支援プロジェクト」に関しての詳細はhttp://www.nbc-sakusen.com/まで)
その後別の集落の物資受け取りの窓口になっているお宅にも行った。ちょっと高台にあったから流されるのを免れたお宅で、そこより下にある家は全部流された。なにが生と死を分けるのか、なにが被害の大小を分けるのか…。オレ達は逆にもてなされたりして、ツアーの合間の、物資を配る一日の、良い一休みをとることができた。そのお宅の子どもが小学校中学年くらいで、元気そのもの。ISO とキャッチボールしたりして快活に遊んでいた。こんな信じられないような被害を幼くして体験して、それでも強く、逆に強く成長していってもらいたいと強く願う。
最後に老人ホームに物資を届けて、この日の配布作業は終わった。自分の目で様々な風景、被害、事情を見れて、人として良かったと思う。そして SLANG の、KO ちゃんの人としての温かさと凄みを存分に味わった一日だった。
ツアーそのものも最後まで楽しく、いろんな出会いもあり、たくさんのありがとうをもらった。
「兄弟分 KO とオレ。福島第1原発から20q地点にて。」
オレ自身が9月は Air Jam、10月は BBQ CHICKENS のツアーもあり、なかなか Ken Band に集中できなかったが、いくつかのフェスに参加させてもらって Ken Band 独特の結束力を軸にした「代えの効かない」ライブをそれぞれキチンとできたと思う。どのフェスでも言いたいことはしっかり言えたし、中でも8月の仙台近郊での荒吐ロックフェス(当初4月だったのもが8月に延期された)や9月の盛岡音楽フェスは、やはり東北ということもあり、自分でもしっかりと伝えたい目的や参加する意味を捉えた、最高のライブができたと思っている。
11月、FACTとの東名阪ツアーに出て、久し振りに「いつもっぽい」ツアーを味わえた。「The Rags To Riches ツアー」、これは Ken Band の名物企画ツアーで、大都市で大きい会場と小さなライブハウスの2本のライブをするものだ。「被災地、被災地」と気が行ってたオレ達を辛抱強く待ってくれていた連中が集まり、FACT との相乗効果もあり、すごく楽しくて手応えのあるツアーだった。
正直ツアーに出る前は、Hi‐Standard、BBQ CHICKENS、Ken Band 被災地ツアーなど、それぞれはっきりとした目的がある活動をしていた中で、このツアーに取り組むモチベーションを見つけ出すのに苦労した。ぶっちゃけよく分からないままツアーに出たのだが、オレ自身は待っててくれたお客さんから得た「マジで待ってたよ」っていう質のリアクションと、FACT とつるむ楽しさがオレを救ってくれた。東京での久々の新木場 Coast でのライブは、ここ最近の Ken Band のフェス以外でのライブの中ではベストだったんじゃないだろうか。結果的に「やって良かった、やっぱやるべきだったんだ」と思えるツアーになった。
「Ken Band@新木場COAST」
そのツアーが終わった直後、「We Are Fuckin' One ツアー 第2弾」を、前回よりもより沿岸部の街で行った。大船渡、石巻、宮古の3箇所に行ったのだが、全箇所 SLANG に同行してもらった。
今回はやはり津波被害が甚大だった街なだけに「街の復興」というテーマと向き合った。実はこの3つの街では、ライブハウスを作る計画が進んでいる。「東北ライブハウス大作戦」というもので、サウンドエンジニアチームの「SPC」を中心に、現在も着々と進行中である。元々SPC とは縁が深い仲なので、少しでも彼らの手助けになれば、とその3つの街でライブすることにした。
宮古こそ、音響設備があるライブハウス(というよりカフェ)でやったのだが、大船渡はキャバレー的な飲み屋さん。石巻にいたっては元パチンコ屋で音響も照明もないところに、自分達で様々な機材を手配しライブを手作りした。音響は盛岡のライブハウス Club CHANGE に貸してもらい、運搬まで手を貸してもらった。そして3箇所とも、ライブハウスを作って街で稼働させるために動こうとしている人、東北ライブハウス大作戦のスタッフ達が良く働いてくれた。(「東北ライブハウス大作戦」に関しての詳細はhttp://www.livehouse-daisakusen.com/index.htmlまで)
どの場所もステージからは、とても感動的な風景が見れた。オレ達の曲も今までとは違った意味を持ち、みんなはそれに熱狂で応えてくれた。このツアーほど「希望を歌ってて良かった」と思ったツアーはなかった。
津波で傷ついた街には、こういったイベントというか祭りというか、そういったものが一つでも多くあったほうが良い。どの街も飢えている。「ここには未来がある」と、オレには思えた。その未来は「地元をどうにかしてやろう!この街でいっちょやってやろう!」っていうエネルギーを持った人の手の中にあるはずだ。
この2回目のツアーでもやっぱり KO ちゃんには驚かされた。石巻でのこと、この日は300余人の人が来てた。そのステージ上で KO ちゃんはみんなに向けて、「困ったことがあったら言ってくれ。Twitter もやってるから、そこでもなんでも言ってくれ」と言った。KO ちゃんにも限界というものがあるだろうから、どこまでリクエストに応えられるかは本人にも分からないところだろう。でもその心意気というか、温かさがオレにも響いた。一体どこのどいつが、見ず知らずの人達を前に「困ったことがあったらなんでも言ってくれ」って言える?そんな強くて優しいハートを持ったヤツが一体どれだけいる?オレには少なくとも言えない。そのくらいのことを、サラリと言ってのけた。KO ちゃんっていう男はそういう男だ。こういう出来事は周りの者が伝えないと本人は誰にもいちいち言わないだろうし、オレ自身が覚えておくためにも「こんなことがあった」と書き記しておく。
今年 Ken Band のライブは1本も決まっていない。それについては後で詳しく書くが、でも「We Are Fuckin' One ツアー」は、思い立ったらすぐに組んで、行きたいと考えている。できれば「まだやってんの?もう東北はいいんじゃね?」って思える時期が来るくらいまで細々とでもやっていきたい。
そのために、資金源となる「We Are Fuckin' One Tシャツ」の通販も、いよいよ開始したい。元々通販で販売を希望する声は多かった。でも昨年内のライブ活動が活発だった時期は、Tシャツの趣旨をしっかりとステージから説明して、オレの考えに賛同してもらった人に買ってもらう、つまりライブの現場で売ることにこだわりがあった。「みんながみんな、ライブに行けるわけじゃないんだよ」と言われそうだが、オレの意固地を理解していただけると嬉しい。
オレは KO ちゃんのようなことは言えないし、それどころかひとつひとつのメールに返信すらできないだろうが、オレに話すことで気が収まることがあったらいくらでも話してくれ。メールでも
Twitter でもいい、話してくれ。
「We Are Fuckin' One」
「2012年」
そんなこんなで2012年の Ken Band のライブ活動を、全てストップさせてもらった。(現在決まっている自分のライブは、秋の東北 Air Jam のみ)
完全にガス欠した。
情けないけど、本音だ。
11月の FACT とのツアーが始まった時にはもう決めてたので、これから書くことは11月以降の Ken Band のライブでのステージ上から皆さんに話したことであり、すでにいくつかの媒体でも話していることだが、やっぱりここでもキチンと知っておいてもらいたい。
過去にアルバム4枚出しているし、いろんなオムニバスに参加した曲もあるので、ライブを続けていくには充分な曲数はある。いくらでもツアーを続けられる。でも「震災後」に、オレは1曲も書いていない。震災を受けた後の自分の気持ちにピッタリとくる曲がないのだ。
もちろん先に書いたように「Punk Rock Dream」や「Let The Beat Carry On」、他にも「Believer」、「Running On The Winding Road」、「Ten Years From Now」…意味を変えながらもズシッと迫ってくる楽曲は多くある。でも、それを繰り返すだけじゃ、今は自分の気持ちが済まない。もっとピッタリ来る新曲があった上で、それら過去の曲を重ねてプレイしていきたい。つまり、今ある曲を、手を変え品を変えライブを続けていくことに疑問を感じ始め、オレ自身が満足しなくなって来たのだ。
今まで Ken Band はツアーしながらも曲が書けるバンドだった。でも昨年はどうしても書けなかった。現にまっちゃん加入以降にできた新曲はまだ1曲もない。Jun Gray が昔やってた Kenzi & The Trips の「ダイアナ」のカバーのカバーだけだ。
震災以降、自分達で足を運んで顔を見せることにばかり気が行ってた。遮二無二ツアーを重ねていったので、自分の気持ち…「オレは今なにをするべき、なにをしたいと感じてるのか?Ken Band の次をどうするのか?」と自問自答する時間も、気持ちの余裕もなかった。そこに小さな音楽的な迷いも重なって、ちょっとどうしようもない時期が続いた。何も次が見えてこない。オレにしては珍しい状態だった。ライブ自体は楽しいワケだから、家にいる時間などで逆に焦りが大きくなっていった。そこで「ちょっと全部をストップさせないとこのままじゃ危ないなぁ」と思って、ライブ活動ストップを決断したわけだ。
この1月から Ken Band は新曲作りの体制に入った。まだ1曲も出来上がってないのだが(猛爆)、なんとなく自分の中で曲を書く上でのいろんなバランスが取れてきて、作品としてのビジョンも見え始めたので、理由のない自信も湧いてきている。モノを作る人間は、自分の中で辻褄があってしまった時が一番本領を発揮するもんだ。よく分からないが、今オレはそれの端っこを捕まえられてるような気がする。
できれば何か作品…アルバムでもミニアルバムでもシングルでも、なにか作品にしてそれを持ってツアーを再開したい。自分達がそこまで待てないようだったら、最低でも新曲の2つや3つはライブで披露できる感じのツアー、「Ken Band の次」を見せられるようなツアーにしたい。
もちろん現在目処はまったく立っていないが、バンドが「もうツアー再開だろ!」と思った瞬間にブッキングし始めるので、春には出来るかもしれない、初夏あたりになるのかもしれない、…皆さん辛抱強くライブ欄などをチェックしていて下さい。
キッチリとやることをやって、スッキリして、なるべく早く皆さんの前に、オレ達は戻ります。
そして、その日が来るのを一番楽しみにしているのは、他ならぬ Ken Band のメンバーなんだってことも覚えておいて欲しい。