『横山健の別に危なくないコラム vol.61』



「Ciao Baby ツアー」

 あぁ、終わった。本当に終わってしまった。
 まだ実感は全然ない。
 多分、今後のライブで、今までサージと顔を見合わせて弾いていたフレーズなんかを弾く時に、「あ、もうサージはいないんだ。」って気付くのだろう。

 3週間に亘る Ciao Baby ツアー、疲れたけど、本当に楽しかった。
 このツアー前、オレとサージは「しんみりしたライブには絶対にしない」、そう誓った。
 「サージ最後のツアー」と打ち出し、サージを支えてきてくれた人達に別れを告げるツアー、本来なら神妙にやるのがスジだ。
 しかし、オレ達は腐っても「パンク」だ。格好悪いコトはしたくない。
 「涙、涙のツアー」、こんな格好悪いコトは、絶対に無しだ。
 まぁ…しかし、寂しい気持ちを結構抑えてる自分がいたコトも確かだ。だから逆に、妙にはしゃいでたりした日もあったなぁ。

 サージは最高の男だ。最高の仲間だ。
 一番最初に Ken Band を結成した時にサージがその場にいてくれたコト、オレはそのコトに言葉では表し切れないくらいの大きな感謝をする。
 同じ時代に生き、偶然にも出会えて、5年間一緒に音を出せて、一緒に旅をできて、いろんなコトを共感できて、時には激しく口論して、…本当にオレはラッキーだと思う。

 人生いろいろある。人は一人じゃ何もできない。どんなに凄いと思われてる人だって、その人だけの力じゃ生きちゃいない。いろんな人に支えられている。自覚はなくとも支えてるし、支えられている。
 いろんな人の人生が複雑にからみあって、いろんな人の想いが反応し合い、オレの、そして誰かの人生は創られていく。
 オレとサージは、5年前は一緒にバンドをできる状況にあったけど、5年後の今は難しくなった。ただそれだけのコトだ。
 誰の人生も必ず変わって行く。
 目に見えないなにかに翻弄され、時には長いものに巻かれ、時には流れに逆らい、笑って、泣いて、怒って、悩んで、出会ったり別れたりする。
 だから人生は艶っぽいのだ。

 今回のツアーで起こった、幾つかのコトについて話そう。
 まず1つ目にフラッグ。各地でサージのために寄せ書きのフラッグを作って渡してくれた。フラッグについてはいろんな意見があった。「馴れ合い」だの、「パンクじゃない」だの…。
 オレもどこかのライブで「寄せ書き、嬉しいけど…パンクバンドとしてはちょっと、って感じはする」といった主旨の発言をした。
 本心ではある。バンドのメンバーが辞めるので寄せ書きとは…中学生の転校じゃあるまいし。
 しかし。しかし、だ。
 その発想をし、行動に移し、気持ちを一生懸命に形にして伝えてくれようとする人を笑う権利が誰にある?
 彼らの想いを前に、パンクうんぬんなんぞ、馴れ合いうんぬんなんぞ、どうでも良い。
 重ねて言うが、寄せ書きなどパンク的では決して無い。むずがゆい気持ちもあった。しかし人として彼らに、オレの仲間にしてくれた好意に、感謝したい。
 なにしろ、サージが一番喜んでいたコトを、この場で伝えておこう。
 
 2つ目は大阪でのライブ。オレは予定していた曲を全部やらずに、「あなた方はパンクスじゃない。気持ち悪いよ。」と言って途中で帰った。そのライブを観に来ていた方々から、説明を求めるメールもいっぱいもらった。じゃあ説明しよう。
 バンドはお客さんを選べない。選ぶ権利などない。しかしあの日の気持ちを正直に話すと、「何が悲しくて、こんな連中の前で、必死こいて歌わなきゃいけないんだ?」…こんなところだ。…極一部の、何か勘違いした、実はオレと縁の無かったはずのお客さんがまぎれ込んでいたんだと、全力で思いたい。
 
 「『Stay Gold やって!』という一言に怒ったんですか?」、違う。ツアーの初日から Stay Gold を演奏してて、ネット上で話題になってるのは知っていた。リクエストされるコトも重々予想していた。だから、それは違う。
 「『なんでやねん発言』で怒ったんですか?」、それも違う。「なんでやねん発言」を気にしてらっしゃる方々も多くいるようだが、実はオレはその発言を覚えていない。と言うより、知らない。まぁオレが言った何かに大声で「なんでやねん!」と叫んだ人がいて、それが周囲の人に違和感を持たれたようだが、もう一度、オレはそのシーンを知らない。だから、それも違う。

 具体的な事柄は、特に無いのだ。ただ、最初から妙な雰囲気が会場内に立ち込めてたコトは、オレの感触に残ってる。結局今回のツアーの全公演中、Stay Gold を演奏しなかったのは、この日だけだった。
 一応セットリストの後半には入っていた。しかしこの曲を演奏する頃には会場の雰囲気は明らかにおかしく、オレはステージ上で「今日はやめよう」とメンバに告げた。一番納得してくれたのは、他ならぬサージだった。
 話は前後するが、「馴れ合い」という言葉について…いろんな意見や、オレの見解を求めるメールがいっぱい来た。ライブハウスという場所で仲間を作って、そこにみんなで集まったり、お互いに声を掛け合ったり。これを最近では「馴れ合い」と称するようだが、…全然悪くないじゃないか。
 「馴れ合い」はもっと恐ろしい。オレがステージで感じたのは、予定調和に対する期待だ。パンクマインドとは180度、正反対なものだ。
 ここまで言って分からない人とは、もう縁など無いと思いたい。迷惑だからどこのパンクバンドのライブにも行かないで欲しい。

 本当に楽しみにしてくれていた方々には、あんな結果になって申し訳ないと思う。しかし事実雰囲気はおかしかったし、もしあの日少々我慢して予定曲を全部やっていたなら、オレは間違いなく自分のアイデンティティを失っていたであろう。
 だから謝罪などしない。後悔も反省もしていない。少しだけ残念なだけだ。
 オレは万人に好かれたいとは、微塵も思っていない。もうこれで Ken Yokoyama には愛想を付かした、もう観に行かない、そんな人がいたって全然構わない。
 まぁいいじゃん。気持ちをぶつけあったんだから。
 
 別に大阪が嫌いになったワケでもない。大阪は友達も多いし、数ヶ月の自由な時間があるなら住んでみたいくらい好きな街だ。ただ残念なコトに、あの日の雰囲気が明らかに変だった、ってだけだ。
 大阪だから起こったコトというワケでも、断じて無い。実は今までにも数回、他の街で、あまりの妙な空気に戸惑い、最終的には予定の曲を演り切らずに帰ったコトは何度かある。Stay Gold の様な大きなトピックがなかったから、その場の人が気が付かなかっただけだ。
 これからも大阪ではプレイし続ける。

 最後にこのツアーでなんで Stay Gold を演奏したか。
 特別な理由はない。

 今になって思えば、実際に人前でプレイするまでに5年間かかったけど、それで良かったんだと思う。
 単純に演奏するのが楽しかったし、再び演奏できた事実が嬉しかった。あの曲に新しい命を吹き込むことができて嬉しかった。やっぱり死んじゃいない。
 今後も機会があったら演りたいし、他の曲も演るのも良いかもしれない。

 さて、これからサージのいない Ken Band、サージと距離を置いたオレの音楽人生、一体どんなものになるのか…。

 今はもう「新たな可能性」しか見えない。



「別れを惜しむオレとサージ@どこかのサービスエリア」




「新ベーシスト」

 Ciao Baby ツアー中にもずっとステージで話し続けたコトだが、もう既に Ken Band の新ベーシストは決まっている。サージが脱退の意思をオレに伝えた数日後には、オレはもう新ベーシストを探し始めていた。オレもバンドをストップさせたくなかったし、ストップさせないコトはまた、サージの希望でもあった。

 早速ここで新ベーシストを発表したい。

 オレと同世代か、少し上くらいの日本のパンク、ハードコアのリスナーなら知っているであろうが、このコラムの読者のほとんどの方は彼を知らないと思う。
 なので彼の経歴を、ここでザラッとではあるが紹介したい。

 高橋ジュン、通称 Jun Gray。
 年齢はオレより5歳年上で44歳。仙台で生まれ、そこでハードコアバンドをやっていたが、20歳の頃に当時 The Stalin のギタリストの誘いを受けて上京。そのギタリストとバンドを組むもすぐに消滅。そして21歳くらいで加入したのが「Kenzi & The Trips」だ。時期で言えばインディーで出した「Bravo Johnny は今夜もハッピーエンド」をリリースした直後だ。
 オレがジュンさんを知ったのは、この Kenzi & The Trips 在籍時だ。オレは、インディー好きの友達にいろいろなバンドを教えてもらい、音源を聴き、当時インディー情報が豊富だった「宝島」という雑誌を読み漁り、「いつかオレもこんな華やかな世界の一員に…」と想いを馳せる高校生だった。当然 Kenzi & The Trips も聴き、ギターをコピーしたものだ。ジュンさんは、そんな憧れの世界の人だった。

 しかし彼は、メジャーでの1st「フロム ラビット ハウス」をリリース直後に The Trips を脱退。その直後に、元 Blankey Jet City の中村達也さんと意気投合し「新バンドやろう」という計画が持ち上がり一旦はスタジオ入りするが、残念ながらギタリストがあまり達者ではなく、1度限りのリハで終了…その後お互い違う道を歩む、というエピソードもあったらしい。

 達也さんは Blankey Jet City を結成、ジュンさんは88年か89年頃、現 SA のタイセイさんとハードロック寄りのバンド、Bad Messiah(バッド メサイア)を結成。メジャーに進出して94年の解散までに4枚のフルアルバムを残した。
 この時もテレビで流されていたビデオで、ベースをブリブリ弾きまくるジュンさんをオレは何度も見ている。ミナミちゃんに至っては、インディーでリリースしたアルバム(ちなみに、かなりレア)を所有している。

 その後一時 The Trips に戻り2000年頃まで活動を共にするが、99年 元 Cocobat のボーカルのリュウジさんと Dessert を結成。結局 The Trips は再脱退、Dessert に専念することになるのだが、オレとジュンさんが知り合ったのはこの頃だ。
 BBQ CHICKENS が Dessert の企画に呼ばれたり、当時ガンちゃんがやってた Toast が一緒にライブしたりと顔を合わせる機会があり、会えば話す間柄になった。
 第一印象は、キャリアがあるのに年下の連中とも話せる、気さくな兄さん、といった感じだ。
 考えてもみて欲しい。自分が高校生の頃に憧れてた世界の人だ。だから当時のオレは「…話せて嬉しいっす!」という感じだったのを覚えている。
 高飛車なところがなく、とっつき易い人だ、と思った。

 ジュンさんは2004年に Dessert を脱退。
 その後はいくつかのバンドを経て今に至る。

 Ken Band のライブにもよく顔を出してくれて、時にはリュウジさんと、時にはギターのカスガさんと連れ立って、「The 先輩」な厳しいメンツで来てくれるのだが、ライブ後はいつも気さくに「良かったよー。」と声をかけてくれた。
 昨年の Third Time's A Charm ツアーの初日の初台にも来てくれた。この時は決して出来の良いライブではなかった。別の初対面の先輩にはボロクソに言われた(それはそれで有り難いのだが…)くらいだ。ジュンさんはいつもの様に「良かったよー。」と言うんじゃないか、と思っていたら、「まぁ…ツアー初日だからね。難しい部分もあるよ。」なんて、やっぱりイマイチな時はそうコメントしてくれるんだ、と思った。
 今年1月の武道館にも、家族連れで観に来てくれた。
 まさか、…数ヵ月後にはそのバンドから誘われるとは想像もしていなかったハズだ。もちろん、オレも誘うことになるとは想像していなかった。これだから人生っておもしろい。

 サージから脱退したいと話された夜から数日後、オレはもう新ベーシスト探しに着手し始めていた。先述した通り、バンドの活動をストップさせないコトは、サージの希望でもあった。
 とりあえず頭の中でいろんな人を勝手にリストアップしてみた…何度考えてもジュンさん以外いない。いろんなベーシストを知ってはいるけど、「この人とやったら楽しそうだ」と思えるのは、ジュンさんだけだった。
 思いついてから一晩だけ考え、次の日にはガンちゃんに連絡先を訊いて、電話した。

 ミナミちゃんの時と同様、オレとジュンさんはそんなに近い間柄じゃなかった。ガンちゃんにも「ジュンさん誘いたいんだけど、どう思う?」って聞いたらかなりビックリされたくらい、意外性のある人選なんだと思う。
 皆さんからみても、恐らくそうだろう。
 またきっと、無名の若手とか、そこそこ活動して知名度のあるバンドのベーシストを連れてくると思ったであろう(ちなみに「Kenzi & The Trips」も、「Bad Messiah」も、オレ達世代での知名度は凄いものだが…)。
 まさか、自分より年上の先輩を連れてくるとは思っていなかっただろう。
 …オレ自身も思っていなかった。

 まだ春先のある夜、オレはジュンさんの家の近くまで車で行き、これまたファミレスでミーティングした。それまでにも何度も電話で話し、今のバンドの事情なんかは把握してくれていたので、話はやはり早かった。オレも「ベーシスト候補」なんて感じじゃなく、もう「次のベースの人」というギラギラした目で行ったし、閉店までの時間、ほとんど子供の話をしてたような気がする。
 そしてそこからまたさらに数日後、試しに4人でスタジオで音合わせしてみた。これまたミナミちゃんの時と同様、1曲演奏し終えたらもう「ようこそ。Ken Band へ!」という感じだった。

 もちろんサージを失った穴は大きいと思う。しかしオレはサージの影をジュンさんには全く求めない。ミナミちゃんが最近「独自色」を強めてキャラ立ちが激しくなって来ている様に、ジュンさんもすぐ馴染んで「ジュンさん色」を出してくるだろう。
 もちろん自分のバンドなのだから「Ken Band、解散」なんてナンセンスにも程がある。しかし、「同じ曲を演奏はするものの、全く違うバンド」という意識を持ってやっていこうと思う。前にも言ったが、オレは誰と組む事も恐れない。
 
 今、もうスタジオで練習を開始し、新曲も創っているが、とにかく楽しい。手応えもバシバシある。
 その空気をそのままライブ会場に持ち込み、新曲を録っていけば、またオレ達は別の風景に出会えるような気がしてワクワクする。

 そして Ken Band はもう、今年の年末には皆さんの前に、ライブの場に戻る。



「新 Ken Band。右から2人目が Jun Gray。」





「楓太通信」

 お陰さまで9月で3歳になった。
 だいぶ書いてないから…どこから話そうか。
 うーん、全然まとまらないから、また今度話すことにしよう。




2008.11.7