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*F.I.Bとのダブルレコ発

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1st アルバムを振り返って

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――デビュー作で、自分は初めてMEANINGを聴いたんだけど、「メタル? ハードコア? それともパンクロック?」っていうのが第1印象(笑)。感覚的には音楽を演るマインド、音楽を作るアティテュードはパンクロック、ハードコア的で、それでメタルという音楽を演ってるっていう。だってハードコア、パンクロックにしちゃ1曲の楽曲の尺が長いもん(笑)。

HAYATO「スゴい的確な表現ですね(笑)。そう言われて1番嬉しい。楽曲はずっとそういう感じだったんで。ライヴハウスのブッキング担当の人って、同じ系統の音楽を演るバンド同士で一日を揃えたがる傾向が強いんです。当時スクリーモが超流行ってて。若い子たちはそういうバンドばっか。そこにMEANINGを入れるには無理があって、かと言って“ど”メタルの日にブッキングするのも違うし、って。じゃハードコアの日って言われても違うって。だからブッキング担当の人が困っちゃうのが、俺たちで(笑)。また呼ぶねって言われたものの、2度と呼ばれないっていうことも普通にあって。だけど、俺たちは別にどこでもよくて。スクリーモバンドとやれと言われたらやるし、ハードコアバンドとやれって言われればやるし。なんでもよかったんすけど、俺たちのなかでスゴく印象に残ってる会話が、音楽ジャンルとしては、たとえばハードコアバンドって言われてもいいし、メタルバンドって言われてもいいけど、マインド的にはパンクロックバンドって言いたいよねってこと。だから今言ってもらったことは、自分たちが1番意識し、強い部分なので」

――第1聴時にすぐそうピンときたよ(笑)。

HAYATO「本当ですか、嬉しいです」

――MEANINGって音楽スタイルひとつをとってもスゴく特異なバンドだと思う。日本にはあんまいないタイプ。マインド、アティテュードがパンクロックとハードコアだし、ジャパコアが好きっていうのもわかる。話はそれるけど、2枚目の新作『Shine Our Journey』には、“MEANING to be here…”1曲だけ日本語詞の楽曲があるじゃない。あの楽曲を聴いたとき絶対ジャパコアを通ってるって思ったの。そのマインド、アティテュートでメタルを、っていうMEANING流儀になにか深い意図ってあるの?

HAYATO「単純にこのメンバーで音楽を作ってたらこうなってたっていう。たとえば楽曲をKAWAGUCHIくんが書き、ヴォーカルパートを膨らませ、それからみんなで肉づけをしてっていう普通の作業をすると、自然とみんなの趣味が出て、混ざり合う。たとえばギターソロはちょっとハードロックっぽいゾ、とか。デビュー作んときはそれが俺たちのエッセンスのひとつで」

――つまりKAWAGUCHIが楽曲の基本を書き、それからほかのメンバーの音楽的趣味が混ざり合った結果だと?

HAYATO「そうかもしれないけど…すべてをあまりに自然にやってることなんで、あんま意識したことないですね」

――楽曲を形にしてる最中、ほかのメンバーが出してきたアイディアにダメ出ししたりするとかってたまにある?(笑)

KAWAGUCHI「たまにそう思うことはあっても、言っちゃうとそれでそのメンバーの才能を潰しちゃう気がするんで。可能性っていうか。たまには言っちゃいますよ(笑)。だけどなんでもかんでもダメダメって言っちゃうと、俺自身の思い描いた楽曲しかできないっていうか。みんなのエッセンスが入るから面白い楽曲になるわけで」

――INOMAN(ds)ね、一時期ヒップホップやブラックミュージックにハマってたって言ったじゃない。ドラマーってヒップホップとかエレクトロミュージックにハマる人ってけっこういるよね。そういう人のリズムって、跳ねるような感じで展開していくっていうか。そういう前の異音楽経験が、今のINOMANのドラミングとかビートに影響してるとか、もしくはYUICHI(b)と一緒にリズムを作っていくときに出るって実感することってある?

INOMAN「たぶん、そういうのをやってた部分とか好みで作ってるビートが、無意識にはあると思うんです。キックの位置だったりとか。だけど基本的には、楽曲の基になるギターリフや、その時々で1番前面に出る部分を際立たせるドラムっていうのを叩きたいんで、なるべくリズムは合わせるようにしてます。ビートをちょっと跳ねさせることで、ギターがよく聴こえたりとか、歯切れよく聴こえたりとかするときとかってあるんで、そういうときは自然とそういうのが出てるかもしれないですね」

――かつて6作ものデモ音源を作ってきたわけだから、デビュー作んときのレコーディングってわりとスムーズにいったんじゃない?

YOKKUN「僕、MEANINGをやり始めて、レコーディングっていうのを自分自身でも始めたんです。普段仕事でPAをやってるんですけど、レコーディングに関しては全然素人で。MEANINGの音源を録るっていうんで、じゃ始めてみようって。だからデモ音源はすべて僕が中心になってやりました」

KAWAGUCHI「だけど、さすがにデビュー作の方はほかの人にお願いしましたけど(笑)」

HAYATO「デモ音源を自身で録ってるときは、自分たちの空いてる時間に録れるわけじゃないですか。締め切りもないし、だからホントに気楽にやってたけど、デビュー作んときはまったく違う環境で録るわけで。ここからここまでの間で、ガッツリ作業を終わらせるっていうことになる(笑)。まぁYUICHIは当然経験あるし(元ELLEGARDEN)、俺も違うバンドでヴォーカルだけだったんですけど本格的なレコーディングっていうものを経験してるから、なんとなく現場の雰囲気はわかってたんですけど、YOKKUNはけっこう辛そうだった(笑)」

YOKKUN「自分でやると、納得がいくまで何回も何回もやり直せるわけじゃないですか」

KAWAGUCHI「ゴールがないんだよな(笑)」

YOKKUN「そういう環境に慣れちゃってたから、当然のごとく本格的なレコーディングとなるとすべてが違うわけで」

KAWAGUCHI「締め切りを切られてる環境でそれをやっちゃうと」

HAYATO「緊張する(笑)」

YOKKUN「そう、全然…」

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HAYATO「できなくなる(笑)」

KAWAGUCHI「ヘンな話、レコーディングが1番苦手なのはYOKKUNなんです。だって、作ってこないから。それまでにちゃんと自分のパートを」

YOKKUN「現場いきゃなんかできるだろ、みたいな感じでいつもいっちゃう」

KAWAGUCHI「そういうのって、インプロビゼーション志向があるとも言えるけど(笑)」

HAYATO「イヤ、ただの準備不足でしょ」

全員「(笑)」

KAWAGUCHI「なにしろ甘えん坊なんで(笑)」

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――今、『BRAVE NEW WORLD』を振り返ってどう捉えてる?

KAWAGUCHI「この間新作を作ったばかりで、かつ俺的にはけっこう満足のいくものが1枚できたんで、今思うととっても可愛い子だなって(笑)。新作を録るとき、デビュー作を改めて最初から最後まで聴いたんです。もうなんか、とにかく可愛くて、またこの楽曲やりたいとか、ちょっと思っちゃいました。そういう印象ですかね(笑)」

HAYATO「当時、デビュー作をPizza Of Deathから出すっていうことで、多くの人たちが一斉に聴くっていうお膳立てができてて。出す前からそれがわかってたし、ちゃんとやんなきゃなっていうのが、俺んなかでスゴいプレッシャーになってた。だから相当集中してやってたよね、レコーディングっていうものに対して。あのときやれることはもうすべてやったと。けっこうギリギリまでKAWAGUCHIくんと2人でスタジオで寝泊まりして…」

KAWAGUCHI「宿舎になってたから、スタジオが(笑)」

HAYATO「そう。それででき上がって、まぁやれることは全部やったし、満足いくと思ったんですけど、今聴くとその可愛いっていう表現スゴくよくわかる(笑)」

KAWAGUCHI「正直言うと、もうちょっとできたんじゃないかなっていうところもあるけど。だけど、そこがまた可愛い(笑)」

YOKKUN「なんかホントにバタバタで録ったんで。自分が悪いんですけど(笑)、準備不足だったんで。勢いとか気合いとかそういうのは、初めての公式作品的にはスゲえ入ってる。ああいう感じは、また同じのを録ろうとしても絶対出せない」

HAYATO「あの空気感は確かに2度と出せないだろうね」

――言葉で言い表すことができない特殊なものだよね。

KAWAGUCHI「そうそう、そういうのってある」

INOMAN「やっぱ初めて経験することが多かった作品となりますね、自分的には。だからスタジオ入りする前日までスゴく不安で。準備とかフレーズとかやったつもりだったけど、だけど今聴くと全然できてなかったことがわかるんですよね。しなきゃいけないという基準がまだわからなかったっていうか、低かったんで。だけどその状況下で、当時できる最大限のものを録りたかったっていう気持ちは強かったですね。単純にドラムがよくなかったらノレないじゃないですか、聴いても。それはもう俺しかできない。絶対当時できる最高のものを録ろうって頑張ったんですけど、上手くいかなくてスタジオの外で帽子投げたりしてましたね。“なんだよ、うまくいかねえよ!”って(笑)。どのバンドでもそうだと思うんですけど、デビュー作収録楽曲のなかでもライヴでやるのとやらないのって分かれるんですね。やるのは単純にみんなが好きな楽曲っていうか。で、やらない楽曲っていうのは別に嫌いなわけじゃないんですけど、やる楽曲と比べてたぶん理由が少ないんだろうなと思うんですけど。担当楽器が違うから目線が違うのかもしれないんですけど、そういう楽曲とかってやらないぶん、けっこう恋しくなるっていうか、たまに聴きたくなる。車んなかとかで自分で聴いたりして。思い入れあるんですよね」

YUICHI「当時みんな本格的なレコーディングって初めてだったわけで。そういう意味じゃ、素人なりによくやったなって」

全員「(笑)」

――目線が上ですよ(笑)。

HAYATO「プロですから」

YUICHI「デモ音源を録ってたとき悪いというわけじゃなかったけど、みんなジャッジが…」

HAYATO「緩かったよね」

YUICHI「キメとか明らかにズレてるじゃないって言っても、そうですか?みたいな」

全員「(笑)」

YUICHI「まぁだけどそれ以上強く言ってもしょうがないし(笑)。ただ、デビュー作んときはエンジニアさんもちゃんといて、ジャッジもあったんで、まぁよくできたかと。あの当時できる範囲でできたなっていう」

photo by Terumi Fukano

Vol.3へ続く

PROLOGUE「MEANINGのバックグラウンド」

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——髪の色、抜いてるし、前は赤だったけど今はショッキングピンクと入れてる色違うし。なんか意味あんの?

HAYATO(vo,g)「全然意味ないです(笑)。一通り試したうえで、単純に1番長持ちするっていうだけでこの色に落ち着いたっていう」

INOMAN(ds)「僕は前は赤だったんですけど、それだと似ちゃうんで。次になにかって考えたとき青ぐらいしかなかった」

——自分も若かりし頃、ずっとブリーチしてていろんな色入れて遊んでたクチなんで(笑)。

HAYATO「なんでやったんだろ…20歳くらいでやりだしたとき、カジュアリティーズとかのストリート・パンクロックにハマってて。あのへんけっこう髪の色とかスゴいじゃないですか。ちょうどその頃アメリカに住んでて。あっちだと手に入りやすいじゃないですか、ヘアカラーとか。で、やり始めたらなんか止まんなくなり、それ以来ずっとやってる(笑)」

——アメリカにどのくらい住んでたの?

HAYATO「合計で9年ぐらい。小学校んときニューヨーク郊外に5、6年いて、1度帰ってきて、また高校3年間はあっちで、ミシガン州郊外に。両方とも親の仕事の関係です」

——今回初めて話を聞くので、まずは基本的なことから。影響を受けたバンドは?

KAWAGUCHI(art,g)「1番最初はミッシェル・ガン・エレファント、ブランキー・ジェット・シティとか。それをきっかけにいろいろ聴くようになり、友達と初めてライヴハウスにニュースクール系ハードコアバンドや、ハードコアバンドを観にいき、それでどっぷりハマって。しかもライヴハウス通いをしてた幼馴染みがメタル博士で(笑)。毎日のようにCDを買い漁ってくるんです。ジャケ買いとかガンガンしてて。週1回彼の家にいき、前回借りたCD3枚を返し、また借りるってことをずっとしてました(笑)。初めて借りたのが、エヴァーラストのCDと、コンヴァージの『JANE DOE』でした」

——いきなりディープなところに(笑)。

KAWAGUCHI「俺、2枚ともめちゃめちゃハマっちゃって。スッゴいって。コンヴァージに至っては殺し屋だと思いましたもん(笑)。そのぐらい、絶対この人たちとはまともに話せないと。まぁそれでいろいろハマって。海外のメタルバンドとかもたくさん聴いたし。だけど結局そのなかで1番ハマったのは、メロスピ(メロディック・スピードメタル)。やっぱ北欧系が1番ツボでしたね。ギターソロが好きなんで、単純に」

HAYATO「4つ上の兄がいて、その影響でちっちゃい頃ブルーハーツを聴いてて。それでいろいろ聴くようになり、ライヴにもいくようになり、高校生になってからいわゆるHi-Standardとか日本のメロディック・パンクロック系を聴き出し、そのときちょうどアメリカにいたので、その流れでグリーン・デイやオフスプリングとかにハマり、それからどんどん深い方に入っていった。そのときが1番いろいろ聴いてた時期ですね。スカコア、ストリート・パンクロック、アイリッシュ・パンクロックまで。だからメタルとかは逆にMEANINGをやってからKAWAGUCHIくんとかに教えてもらった、みたいな感じです」

——じゃ根っ子は完全にパンクロックだと?

HAYATO「僕はもう、思いっ切りそっちです。あとは80’sハードコアパンク。メタルはいまだに全然詳しくないです(笑)」

YOKKUN(g)「ギターを持ったきっかけは、中学校んときにB’zのTAK MATSUMOTOが好きだったから。そこから洋楽好きになり、Mr.BIGとかガンズ・アンド・ローゼズとか。僕も高校生んときにメタル博士がいたんで(笑)」

KAWAGUCHI「ま、各地にいますよね(笑)」

YOKKUN「そのメタル博士のおかげで聴く音楽がどんどん激しくなって。メタル…デスメタル、ブラックメタルとかまで。結局メタルに落ち着いて。そのメタル博士はドラムが上手だったんで、高校生んときに文化祭でスリップノットをやろうって。マスクを自分たちで作ったはイイけど、オーディションみたいなのがあったんですね。実はそういう激しいのはNG。だからオーディションんときは全然違うヤツをやって出られることになった。で、本番じゃスリップノットやろうぜ!って(笑)。3曲、4曲ぐらいやり、まだあったんですけど、“カーテン閉めて!”ってなって(笑)。悪いとこばっか影響され、いろいろ物を壊し、ダンボールを引きち切ったりとか(笑)。演奏もちゃんとしてなかったもんなぁ。ハードコアとかパンクロックとかは全然通ってなくて。周りはHi-Standardを聴いてましたけど、自分はまったく(笑)。その後MEANINGに入り、みんなに教えてもらい、メタルからパンクロック、ハードコアを20歳過ぎぐらいに聴き始めました」

INOMAN「音楽に興味を持つきっかけになったのは、僕にも兄がいて、兄の影響でHi-Standardとか、あの時期AIR JAMに出てたSCAFULL KINGとか、そういうバンドたちからの影響が1番デカいですね。それこそいっぱいCDを聴き、いろいろ勉強して。だけどそれ、楽器を始めるきっかけじゃなかった。そのあと高校にいき友達とヒップホップをやってたんですけど、ブラックミュージックとかも好きで。大学受験がヤだったんで、音楽をやることにしますと親に言い(笑)、ドラムをちゃんと始めたんです。どうせやるなら、ちゃんとライヴハウスで働いた方が経験値は稼げるかなと。働き始めたライヴハウスでみんな同僚だったんです、ここ4人(YUICHI/b除く)が。MEANINGはもともと5人とも同僚だったんですけど、途中でベースが代わっちゃって」

——ライヴハウスで働いてた同僚同士?

YOKKUN「渋谷のDESEOで。って僕今でも働いてるんですけど」

HAYATO「まず、謝ることあるでしょ」

YOKKUN「あそこでGrindHouse night(DJクラブイベント)やってたじゃないですか。僕、そのときシフトで入ってて。GrindHouse nightの最後にプレゼント大会あったじゃないですか。仕事中だったんですけどめっちゃほしくて、普通にジャンケン大会に参加しちゃったんです」

HAYATO「しかも勝ったんでしょ?」

YOKKUN「勝っちゃった(笑)。そのときもらったのがフーバスタンクのサイン入りCD。フーバスタンク好きだったんで(笑)」

——関係者は没収だよ、普通(笑)。

HAYATO「ですよね(笑)」

全員:「(笑)」

YOKKUN「すいません(笑)」

——実はスゴく近いところにいたと(笑)。

YOKKUN「ここ4人は」

HAYATO「だから僕たちは勝手に身近に思ってたんです(笑)。ラジオ番組(GrindHousefm)も同じビルの4Fの収録スタジオ(STUDIO MAP)で録ってますよね?あのスタジオの真横がDESEOの事務所で、僕たちあの辺よくウロウロしてたので」

——身近どころか、近過ぎ(笑)。

INOMAN「で、話を戻すと(笑)、DESEOで働き始めたとき、まだ今やってるような音楽やバンドは知らなくて、上司がそういうのが好きだったんでCDを貸してくれて。ピッグ・デストロイヤーやナイルとかを(笑)。スゴいなあって聴いてて、気づいたら一緒にバンドをやってたって感じです」

——で、途中参加の…。

YUICHI(b)「ええ、僕は後から入ったんで…」

——なにしろみな同じ職場の同僚だし、MEANINGとしてしばし活動した後でのことだったからすでにバンド内の空気やメンバー間の関係値ってでき上がってたと思うのね。最初感じなかった?、携帯電話で言うところの“圏外”感みたいなのって。

全員「(笑)」

YUICHI「あ〜、なんかそう…」

HAYATO「いまだにねえ(笑)」

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全員:「(笑)」

YUICHI「溶け込んでるような空気を出してましたけど、やっぱなんかおかしいなとは感じてました(笑)」

——音楽はどのへんから入ったの?

YUICHI「中学生んときはやっぱ南野陽子とかしか聴いてなくて。だけどそれは誰もがそうじゃないですかね」

全員「(笑)」

YUICHI「アレ、違います?だって小中学校ぐらいんときってなにも起きなければ、メタル博士とかいなければ、TVからしか情報が入ってこないでしょ。で、紅白歌合戦にX-JAPANが出ててそれを録画し何回も観たり、そこからLUNA SEAとかを聴くようになって。Yoshikiを崇拝してたんで、Yoshikiの2万字インタビューを読み、メタリカって言ってたからメタリカを聴いたとか、そういうつながりでどんどん洋楽も聴くようになっていった。モトリー・クルーとかもそのへんから出てきた」

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——4人はもともとは同僚なわけだけど、音楽的背景はみなバラバラなんだね。

HAYATO「そう、バラバラ(笑)。たぶん共通して好きなのってない」

KAWAGUCHI「X-JAPANかLUNA SEAぐらい? それともNOFX?」

HAYATO「イヤ、NOFX通ってない人いるでしょ」

YOKKUN「ユウちゃん、NOFX好きじゃない?」

YUICHI「ベスト盤は持ってる」

全員「(笑)」

KAWAGUCHI「ま、いっか。確かにみんなが好きっていうバンドってないね」

HAYATO「うん、ひとつもないかも。バンドをやり始めてから互いに教え合い好きになったっていうバンドはあるけど」

——そうも音楽的背景が違うのにバンドを結成し、その後もちゃんと活動してるってけっこう稀なんじゃない?

HAYATO「結成のきっかけは、NO USE FOR A NAMEのパッチをつけてたかなんかだよね?」

KAWAGUCHI「そうそう」

HAYATO「それで仲よくなり、バンドやろうぜっていう話に。さっきも言ったとおり、前任のベースも職場にいたし、ドラムできるやつもいて…」

KAWAGUCHI「最初はホントに遊びというか、みんなでガチャガチャ音を合わせたかっただけなんで(笑)」

HAYATO「ホントにそういうレベル」

KAWAGUCHI「最初はコピーやったもんね」

HAYATO「DESEOやKINOTOやSTUDIO MAPが入ってる、あの岡崎ビルにはリハスタもありますから(笑)」

KAWAGUCHI「だから俺たちは基本あのビルで育ったんですよ(笑)」

INOMAN「ホントに岡崎ビルに入り浸ってましたから(笑)」

——で、前任ベースを含めた5人で2004年にMEANINGをスタートするわけだけど、バンド名の意味とは?

KAWAGUCHI「ずいぶん昔の話なんで明確には思い出せないんですけど(笑)。仕事終わりだったかな、みんなと一緒に渋谷駅に向かってるとき俺はけっこう燃えてたんで、このバンドをやりたい!やりたい!みたいになってた(笑)。だけどバンド名が決まってなかったし、それでもライヴは決まってたっていう状況で」

HAYATO「そう、コピーバンドで(笑)」

KAWAGUCHI「コピーバンドのままライヴが決まってたんで、じゃバンド名も決めなきゃってなって。で、なにがイイかって話してたもののなにも思いつかなくて。意味がある方がいいのかなって話してたとき、その“意味”って英語でなんていうのって。で、この名前になったんです。MEANING、イイじゃんって」

HAYATO「響きがイイねって。忘れもしない、歩道橋のところで。しかも仕事帰りに(笑)」

KAWAGUCHI「なんでその会話になったかはイマイチ覚えてないけど、その場所は」

HAYATO「よく覚えてる、歩道橋の上でだったのは確か(笑)」

KAWAGUCHI「駅までの、ものの徒歩5分で決まったんです(笑)」

HAYATO「そう」

——最近のポスト・ハードコアバンドとかスクリーモバンドとかって、やたらバンド名が長いじゃない。

HAYATO「ボクたちがMEANINGを始めたとき、ちょうどストーリー・オブ・ザ・イヤーとかが流行ってて。そういう長いバンド名はちょっとねぇみたいな意見は最初からあった」

KAWAGUCHI「バンド名が長いと、なんだっけ?みたいな感じになり、覚えられないし、覚えてももらえない(笑)」

HAYATO「特に“ファースト”とか“ストーリー”とかってていう言葉を使うバンドが多いよね(笑)」

KAWAGUCHI「だから、MEANINGのように簡単に思いついちゃうヤツの方がイイのかなって(笑)」

photo by Terumi Fukano

Vol.1.へ続く