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Ken Yokoyama 3rd EP [I Won’t Turn Off My Radio

Ken Yokoyama 3rd EP [I Won’t Turn Off My Radio
Ken Yokoyama 3rd EP [I Won’t Turn Off My Radio] Release: 2015.07.08  / Code: PZCA-71 / Price: 1,200yen(without tax)
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Ken Yokoyama [DEAD AT BUDOKAN Returns] 2016年3月10日(木)日本武道館 特設サイト

Ken Yokoyama 6th Album [SENTIMENTAL TRASH] リリース特設サイト


ken yokoyama [I Won’t Turn Off My Radio] Release Interview

Interview Vol.02 / Ken Yokoyama 熟考する人生とロックンロール

30年ギター弾いてるけど、今までにない感覚----

--今回のシングル『I Won’t Turn Off My Radio』。特に表題曲は、もともとの横山健らしさと、今のロックンロールへの興味がうまく交じり合った一曲ですよね。

「うん。これは昨年の秋に作ったんだけど、曲自体はすごくシンプルなコードの組み立てで。サビもね、実際は4つ使ってるけど、弾き語りでやるならコード2つだけで歌えちゃう曲。でもそういうシンプルな……ロックンロール欲っていうのかな? そういうのが出てきちゃった曲だと思う」

--パンク・アティテュードは常にあるとして、そこに入ってきたロックンロール欲は、自分をどのように変えるものでした?

「難しいな……。まずね、自分のパンク・アティテュードっていうのは、ジョー・ストラマーの真似をしてるわけじゃないの。やっぱり東京で生まれた40代の男として等身大のことを、なるべく歪められることなく出す。それが結果的にインディペンデントで、ユニークであれば理想だけど、ともかくそれが俺のパンク精神だと思っていて。だからパンクパンクと言いつつ、別にオリジナル・パンクの人たちの思想を借りてるわけでは全然ない。たまたま似てるなって思うだけで。でね、話したことはないんだけど、たぶんエルヴィスも似てるんだと思うの」

--ほう(笑)。

「なんでクラッシュがああいう音を鳴らしたか、ピストルズがああいう音を鳴らしたかを、好きだったら考えるでしょ? で、ピストルズ、クラッシュ、ダムドあたりのアティテュードをパンクと呼ぶようにはなったけれども、ビートルズだって、その前のエルヴィスだって、ジョニー・キャッシュだって同じようなものは持ってたと思う。パンクっていう言葉は、ある年代に、わかりやすくひとつの形に落とし込まれたもの。でもいつの時代も尖ってる人はいて、そこに影響を受けてさらに尖ったものを作る人たちがいた。その単純な構図を、ロックンロールを聴くことによってすごく考えるようになったかな」

--なるほど。パンク・アティテュードは突き詰めれば自分自身に行き着く。でもロックンロールを見つめることは、先人の音楽と、そこにあった生き方を想像することになる。

「そうそう。なんでこの人はこうしたのかってね。エルヴィスが50年代にギター持ってテレビに出て、腰をクネクネさせることがどれだけ卑猥だったか」

--下半身は絶対テレビに映せなかったそうですね。それぐらい衝撃的で問題視されたのがエルヴィスだった。

「そう。どれだけタブーだったのか。ほんとに型破りだったんだと思う。だから袖にフリフリつけてラスベガスで歌ってたオジサンじゃないんだよ(笑)。そこを汲み取りたいし、そこから派生したフォロワーや文化にも魅力を感じる。……これ俺が話すよりも、音楽ライターさんが原稿で歴史を説明してくれたほうがよっぽどわかりやすいかもね。自分でも説明つかないの。俺のロックンロールとは、っていう感覚」

--でも、楽しいでしょうね。そこは想像できる。

「そう! もう今までにない感覚なの。45年間生きてきて30年ギター弾いてるけど『うわっ、俺はなんでここに気付かなかったんだ!』って思うことがほんとに多い。それはこの箱モノギターを持ってから感じたこと。でもこのギターにハタチの時に出会ってたら今の俺はいなかったわけだし、もっとベタなロカビリーおじさんになってたかもしれない。そしたら自分の魅力は発揮できなかっただろうから、これはこれでいいんだな……っていう自問自答をね、夜な夜な換気扇の下でタバコを吸いながらやってる(笑)」

--あの、不躾なこと言っていいですか? ギタリストって単純ですよね。

「あはははははは!」

--モノ言うパンクスとしての横山健、ピザオブデス代表の横山健は、今の世の中とか自分のポジションを確認しながら常にいろいろ考えている。でもギタリスト横山健っていうのは……。

「ものすっごく単純(笑)。確かに。モノ極める人って単純なのよ」

さぁ、どこまで存在意義はあるんでしょうか----

--曲調の変化については納得ですけど、歌いたいこと、伝えたい主張っていう意味ではどうでしょう。たとえば一曲目の「Dance, Sing, Then Think」は、昨年の取材でも話していたことですよね。

「そうそう。だいたい歌詞って物事の本質がどこにあるかわからないまま書いて、後から気づくことが多いんだけど。でもまず今回は、自分が今まで取材やステージで言ってきたことをそのまま書きゃいいんじゃないかと。それはひとつあったかな」

--ただ、鋭い主張もなるべくユーモラスに伝える、っていうことは意識したんじゃないかと。

「確かに。伝わり方もあるし自分でも残したい形はあるから、お説教みたいな曲にはしたくなくて。一曲目は確かにそうかもしれない。すっごい真面目に考えてることをちょっとユーモラスに書いた曲。やっぱり『Best Wishes』はヘヴィだったし、そういう明るさを俺自身が欲していたんだと思う。別にそこまでポップに見られたいとも思わないんだけど。でもまあ、シリアスの一歩手前で、まだジョーク言える余裕もあるぐらいの精神状態で」

--次の「~Radio」は、さっき言ったロックンロールの歴史と、自分の現在と、最初に話したロックシーンの現状がいろいろ詰まっている歌詞で。

「そう。ここには自分のノスタルジーがすごく入ってる。僕、ラジオっ子で、AMもFMもよく聴いたし、毎週ヒットチャート記録してたぐらい。そういう自分の風景と、あとは自分とラジオという存在を重ねあわせて、さぁ、どこまで存在意義はあるんでしょうか、っていうことを擬人化して書いてみたり」

--はっきりと“ずいぶんボロボロになったな”とか“いつまでも人に必要とされるのは難しい”って書いてますけど。

「はい(苦笑)。それもね、この2年半のライブで感じたことのひとつ。日の丸を掲げてギョッとされるのと同じくらい、自分の年齢を考えた。世の中では本当に責任ある世代だけども、音楽家としてはだいぶ古くなってきてるんだなっていう。実際ね、必要とされるかどうかは結果論で、意外と必要とされてないんじゃないかって思うこともあるし」

--コラムでも最近は自虐的に書いてますよね。それは、今までずっと一線を走り続けてこれたから感じることだとも思いますが。

「うーん……でも振り返ってみると一線じゃない。二線かもよ? 一線っていうのは、北野武さんとかのライン。俺はあくまでもライブハウスとか、パンク/ラウド系の一線であって。それってすごく小さなことなの。そこを最近は考えてるのかもしれない。これはさっきの、ロック自体がすごく小さいものになったっていう話にも繋がるんだけど。だから自虐になるのかな」

やってやるよ、やれること全部----

--でも諦めてないですよね? 表向きはネタにしつつ『いやいや、やってやるでしょう』って気持ちが裏にはあるはずで。

「うん。やるよ? それはもう、やれるチャンスがあるならとことんやるし。やってやるよ。やれること全部、思いついたこと全部やってやろうって思う。だから実は、昔よりもモチベーション高いかもしんない。特に自分は若いうちにいい時期を過ごしたわけだから、こうやって40半ばにもなって……鳴らす音楽スタイルも感性も凝り固まってしまったと思う。今の10代20代の子が新しく鳴らすような音は、俺にはまず鳴らせない。で、それを甘んじて受け入れるのが普通なのかもしれないけど、俺はどうやったらそいつらの視界に入ってやろうか考えてる(笑)。どうやったら若い子たちの隙間に、自分のこのキャラのまま入っていけるかなぁって」

--入りたいですか、10代20代の隙間に。

「入りたい入りたい! 入りたいよ(笑)。入りたいと思わなかったら、少なくとも人前に出ていかないと思う。音楽はやってるかもしれないけど、こんなにツアーしたりフェスに出たり、インタビュー受けて自分の考えを発信してもらうなんてこと、やってないと思う。もっと細々と作品出して横山健アーカイヴみたいなものを作ってるかもしれない」

--そういうアーティストも実際いますよね。ファンクラブ限定に近い活動だけど、そこでお互いが満足できる。たとえば氷室京介さんは、今更フェスに出ないし雑誌のプロモーションも必要ない。でもコンサートは毎回ファンで満員になるし、高い物販も売れるから興業として立派に成立すると。これはまったく不幸ではない話だから。

「あぁー……それはまだやりたくないな。まだ、じゃなくて、俺のやりたいことじゃない。もちろんコアファンに向けての発信って、受け取るアイテムとしてはすごくいいと思うんだけど。でもまだ、広げる作業はしたいな。そこの熱は衰えないし、むしろ昔よりも必要とされてないぶん……っていうとまた自虐的だけとも。旬じゃない……っていうのも自虐ネタっぽいけど(爆笑)。でもね、たとえばSEKAI NO OWARIだとか、どう考えても存在感で負けてるわけでしょう。俺は負けてるなんてこれっぽっちも思わないけど(笑)、一般的にね。明らかに彼らのほうが若い子の感性に引っかかる。そんな中で、2つも3つも上の世代である俺が何をするのかって、それはここからやり甲斐になっていく気がする。それはメロディとかサウンドの話じゃなくて、どんな人間であるかっていうことが重要なんだろうし」

45歳の男として、自分が残せるものを伝えていく----

--今回のシングルからの横山健は、今までと違うタームに入ったなと思います。何かに対してアゲインストする時期ではない。もうやるべきことが完全に見えているし、ただ自分の生き方を伝えることだけが勝負だっていう。そういう意味では最終章だとも感じたんですよ。

「………どうだろう? まだ自分ではわかんない。たまたま今そういう時期で、この先また変わったり、ワケのわかんない闘いをするかもしれないけど。でもね、自分が残せるものを全力で伝えるっていうのは確かだと思う。誰もが年を取って古くなっていく、引退して死んでいくのはみんな平等なわけだから。だったら若い世代に対して……若い世代っていうよりは、自分に子供がいるっていうことが大きいのかな? この子たちが大人になった時にどういう世の中を残せるか、どういった音楽を残せるか、どういった表現を残せるか。それを考えるのはやっぱり45歳ならではだと思う。3曲目の「Never Walk Alone」なんて、まさにそういう曲で」

--これは、いつか大人になる君へ、っていう手紙のような曲ですね。

「うん。夜中に換気扇の下でタバコ吸っててふと思ったの。俺が今死んだとして……今長男が10歳で次男坊が6歳なんだけど、もし俺が死んだらどう思うかなって。それを書いてみた。その思考には今20代でウケてるバンドが誰だとか、そういうことはまったく関係なくて」

--ただ、親として残せるものを精一杯考えるだけ。

「そう。親として、45歳の男として、君らの人生に僕から言えることはこうだよっていう。で、すごくこだわったのは“Bedroom window”っていう言葉。ただのルームウィンドウじゃなくて、ベッドルーム。部屋から出るんじゃなくて、寝室、自分のちっちゃい部屋から飛び出すんだよっていう」

--あぁ、その違いは大きい。

「これは自分が見た風景で、だからここにもノスタルジーは入ってる。自分が子供の頃に理解できたとは思わないけど、もしかしたら俺が子供の時、大人に言って欲しかったことなのかもしれないし」

--やっぱり表現のスケールは変わりましたよね。今回のサウンドの明るさ、しいて比較すればセカンドやサードに近いんだけど、中身の深さが違う。やっぱりこれは『Best Wishes』以降の音だなって思いますね。

「うん、それは俺も思う。繋がりはすごくあるかな」

--最後に「Smile」のカバーについても訊いておきましょうか。

「うん、このカバー、歌詞の世界観は「Never Walk Alone」とちょっと似てて。すごく優しい曲、辛い時こそ笑わなきゃダメだよっていう優しいポジティヴさに溢れた曲だから。それをパンク・カバーしたら面白いじゃんっていう、そういうきっかけなんだけど。あとはド頭にあのギターを弾きたかったっていうのもある」

--あぁ、なるほど(笑)。

「箱モノのね。あれはグレッチで弾いてるんだけど、とにかく箱モノのギターでやりたかった(笑)。それもデカいね、今回の曲全部。レコーディグは15曲をまとめて録ったんだけど、先にシングル用に作るとかじゃなくて、2年半の間に作った新曲たちを一気に録って振り分けたのね。だからどの曲もマインドは一緒だと思う」

--じゃあ、この4曲がまさにアルパムの伏線。期待してますね。

「はい。楽しみにしててください!」

INTERVIEW BY 石井恵梨子

Interview Vol.01 / Ken Yokoyama ロックンロールの入り口にて

背を向けるんじゃなく、ブチ壊したい----

--まずは前作『Best Wishes』以降の2年半が、健さんにとってどういう季節だったのかを教えてもらえますか。

「うん。遡って話をすると、2011年3月11日に起こった東日本大震災を受けて、自分はどうするか、俺たちもっとこうすべきじゃないか、こういう考え方があるんだよっていうのを伝えたのが『Best Wishes』で。その曲を持ってライブを回るうちに、また別のことに気づき始めたの。たとえば日の丸を掲げてライブをすることへの反応だったり。敢えてこの言い方をするけど……アウェイになっちゃうことが時々あって」

--アウェイ。どういう意味で、でしょうか。

「もちろん自分たちのツアーなら、僕たちを観たい人が集まってくれるからお互いに盛り上がれる。僕も毎晩を一夜限りのものにしようと思うから、ほんとに充実感のあるライブができるけど。でも何かの企画だったりフェスの場に出ると、ギョッとされてるなっていう感触がすごくあった」

--まぁ初めての人は「え? なんで国旗?」って思うかもしれない。

「そう。『こいつウヨクだろ!』って思うでしょ(笑)。で、それについて毎回説明をしなきゃいけない。なんで日の丸を掲げてるのか。『日の丸掲げたらウヨクって言われて脱原発って言ったらサヨクって言われて、右でも左でもねぇんだ、そんな簡単じゃねぇぞ!』と。そこで俺のこと知ってくれる人はワーッてなるけど、初めての人は『なにこのオッサン……面倒くさいわぁ』みたいな(笑)。どうでもいいからもっと踊りたいんだけどって、そういう人も実際いるわけ。でもね、そういうところを俺は見逃すべきではないと思うし、ウケてくれる人だけでいいんだって言うつもりもなくて。そういう人の存在が逆に手応えを感じさせてもくれるし」

--毎回ファンが一杯で常に順風満帆だったら、気づけないこと。

「そう。そこで、ロックを人前でやるっていう、その根本的なところを考えるよね。特にフェスとかイベントでは。たとえば今、マイク持って暴れるようになったのもそういう理由で。ヴォーカルっていつも真ん中で動かないもんじゃないぞ、ギター持ってたって動けるんだよって言いたくなったり。やっぱりね、こういうイベントが催されます、ラインナップの中にKen Yokoyamaがいます、他にもこういうバンドがいます、当日はバンドが順番にステージ出ます、どのバンドもだいたいここで盛り上がります、ちゃんちゃん♪……っていうのがもう嫌で! 嫌だって背を向けるんじゃなく、ブチ壊したいって気持ちがある」

--その違和感は、4枚目の「Your Safe Rock」でも歌っていたものですよね。その安全なロックと一緒にすんじゃねぇぞ、っていう。当時の感覚と今の気持ちは、また違うものなんですか。

「基本的には実は変わってないけども、日によって違うかな。「Your Safe Rock」そのままのマインドの時もあるし、もうちょっとマイルドに、もっとこっちに来いよって言いたい時もある。だって現状がこうなってるのはしょうがないもんね。『4つ打ちがあって、照明パーンと当たって、ここで火柱が上がって盛り上がります……っていうのばっかりあんたたち見てるでしょ?』って思うもん(笑)。今、日本の8〜9割の子どもたちは、それがロックのライブだと思ってる」

どんな客層であろうと、生身の人間として訴えかけていく----

--ロック好き=フェスを楽しむ人たち、みたいな風潮は定着しちゃいましたね。しかも、そのロックファン自体がものすごくマイノリティになってしまったのが現状。

「そうそう、パンクはおろかロック自体がほんとに小さいものになってる。いらない人が圧倒的に多いんだろうなぁ。で、必要な人たちがせいぜい集まるのがフェスになってる」

--そのフェスに「なんだよ」って背を向けてライブハウスにいる我々、ほとんど居場所ないですよね(笑)。

「首くくりもんですよ、みんな(爆笑)」

--私もこうやって笑ってるけど、打開策が見つからないっていうのが本音で。ここからシーンが劇的に変わるイメージも正直なかったりします。

「うん……確かに。でも変えようって気がないと。俺は変えたいな。少しでも。徒労に終わるかもしれないけども。やっぱり自分たちのいるライブハウスってすごい文化でしょう? それは3・11の時に実感したの。何を頼りにするかって、俺は日本全国に散らばるライブハウス仲間を頼りにした。それが形になったのがライブハウス大作戦だし、気が付かせてくれたのもライブハウス大作戦の人だった。西片(明人/SPC代表)だったりTOSHI-LOWだったり、あとは宮古のオオタキン(太田昭彦/カウンターアクション宮古代表)であったり、ずっと西のほうのライブハウスの店長であったり。日本全国のライブハウスのネットワークって本当に凄くて、小さいけども確かな力だなと思った。こんな素晴らしい文化があるんだったら、もっと広めないとなぁと思うし」

--しかもフェスとライブハウス文化は相容れないものじゃない。ライブハウス同士が協力しあってフェスを作ることも今はあって。

「そうそう。俺、そういうのは大好き。やっぱりフェスに出演するときの基準ってすごくあって。たとえば盛岡の、いしがきミュージックフェスティバル。あれはフリーライブなんだけど、ライブハウスの店長が行政と一緒になってスポンサーを募ってやってるもので。店長はもともとパンクスだから、頭下げたり、苦い想いもしてると思う。ていうか『なーんで俺がこんなことしなきゃいけないんだよ』ってブツクサ言いながらやってるんだけど(笑)。でも素晴らしい光景を作ってくれる。毎年ね。だからこそ毎年呼ばれなくても出たいと思うし、もうやらないって言うなら『やれよ!』って言うと思う。そうやって地域に根ざしたフェスとか、作り手の想いが感じられるフェスにはなるべく俺も出ようとしたかな」

--なるほど。ただ一方で「商業的なフェスにだってKEN BANDは出てたじゃないか」って言われると、その通りでもあり。

「それはね、やっぱり自分たちを望んで観に来てくれる人たちだけを相手にしててもしょうがないから。進んでアウェイに突っ込んでいかないと」

--フェスも、必要なマーケットとして考えていますか。

「うん。ドライに言うとマーケットだし、なきゃないでいいのね。他のこと考えるから。でもあるんなら、そして声を掛けてくれるんだったら、俺たちも出ていきたい。Ken Yokoyamaを見たことない人に見せる絶好の機会だし。で、俺も毎回『俺は何にもぶら下がってないよ』っていう気持ちを持って、それがどんな客層であろうと、ひとりの生身の人間として訴えかけていく。それが響くかどうか、毎回けっこう真剣にやってきたかな」

明確なものがあるなら、ロックンロールの存在----

--閉じないですよね、健さんは。どこでも楽しそうに出ていく。

「うん。拗ねるとか閉じこもるって意外と簡単なの。オープンになるほうがすごくエネルギーを使う。ことパンクスの場合はね。パンクスっていうのはもともと思考が逆でしょう。誰とも共有できないし、仮に共有してたとしても、それを信じられないから一人で閉じこもってしまう。だから自分から『こっちに来いよ!』って広げていく作業は、もともと10代の時に感じてたこととは真逆……真逆とは言わなくても、すごく異質なことで。ほんとにエネルギーが要るのね。でも震災以降の俺はそれを受け入れなきゃいけなかったし、今は受け入れたいんだってことにも気がついた。今もそれが自分のアティテュードの一部に組み込まれてるんだと思う。俺はその役目をしたい、だったら閉じちゃダメでしょう、っていう気持ちはあるかな」

--『Four』の頃のアンチ精神を180度変えることで、『Best Wishes』ではユナイトや愛を提示できた。でも今は、どちらも自分の中に組み込まれている。自分の人生や音楽観の中でどちらもひとつの線になっている、みたいな感覚でしょうか。

「うん……うまく言えないけど、言葉にするとそうなんだと思う。今はきっと」

--これまでのKen Yokoyama作品って、何かの出来事に対して自分の立場を表明するところから始まったものだと思うんです。ひとつの事象に対して、どう主張をするかが重要だった。ただ、今回は違いますよね。

「俺も思う。そういう明確なものが……確かに今回はないなぁ。やっぱりファースト・アルバムは、最初のソロキャリアをおっかなびっくり始めたことが最大のテーマになっていて。セカンドは、それをバンドに昇華させたっていうところ。で、サードは意外とコンセプトは何もないの」

--しいて言うなら、日常の喜怒哀楽でしたね。

「そう。だからあんましいいアルバムじゃなくて」

--そうですか? なんてことを(笑)。

「ははは。曲はいいかもしれないけど、アルバムのパッケージとして俺はあんまし好きじゃなくて。で、4枚目はやっぱり『ロックはこんなもんじゃねぇ』っていうのを強く言いたかったし、評判はあんまり良くないかもしれないけど、今もすごく好きなパッケージなの。で、もちろん5枚目は震災を受けてどうするかがあった。でね、今回は……明確なものがあるとしたら、ひとつはロックンロールの存在ってことかな」

--おお。大きいテーマ。

「これミュージシャン的な話なんだけど、この2年半の間に使用機材が変わったの。箱モノのギターを弾くようになって」

--箱モノって、グレッチとかが有名だけど、中が空洞のやつですよね。構造としてはアコギに近い。

「そう。エレキとアコギの中間、エレキ的奏法ができるアコギっていうか。で、俺は家でアンプ鳴らしたりしないからレスポール弾いててもそんなに面白くないの。でもこれを家で弾いてたら思考が変わってきて。今まで聴き流してたものが俄然輝いて見えるし。それこそエルヴィスとかチャック・ベリー、オールディーズとか、もっと古いジャズであったり。なんとなく好きだったものがもっと好きになっちゃって」

--つまり純粋な音楽的探究心ですね。何かに対する主張から出てきたものではなく、ただこのギターが楽しいっていう。

「そう。だからロックンロール!(笑)」

なるべくメロディック・パンクから離れたところへ----

--そういう気持ちで曲作りに取り掛かるのは、初ですか。

「初めて。だから自分でもどう説明していいのか去年すごく悩んだなぁ。今は古い音楽が気に入ってることは自分でもわかってて、でも『Best Wishes』の後にいきなりロックンロール・アルバム出したら、この人どうしたの? って思われるだろうし、そうするつもりもなかったの。ただ、なるべくメロディック・パンクから離れたところを意識したし、結果的にもこれはメロディック・パンクじゃないなぁっていう路線の曲がたくさんできあがって。ここに自分の名前を冠して出すなら……っていう腹を括ったのが去年の夏ぐらいかな」

--メロディック・パンクから離れるというのは、『横山健〜疾風勁草編』のDVD特典映像でも話していたことですけど、かなりの衝撃発言だから確認しますね。ギターを買ったのが先ですか? それとも離れようという意識があったから機材を変えたのか。

「いや、ギターが先。新しいギターが先で、それが面白くなっちゃったっていう流れなんだけど。ただ……日本のメロディック・パンクはもう形骸化してるなって、それは昔から思ってた。どれだけ美しいメロディをどれだけ組み合わせたことのないコード進行で鳴らすか。もちろん若手なりの悩みとかチャレンジはあるだろうけど、結局はどれだけ美メロかの勝負になっちゃってる気がする。でも俺はそこじゃないなぁと思っていて」

--少なくともハイスタや健さんは、メロディの美しさだけを求めてこのスタイルを鳴らしたわけじゃなかった。

「そうそう。エッセンスのひとつとして美メロがあるのはいいんだけども、意外とみんながみんな、そっちに向かってる気がするな。知ってる子がそれをやってると『うーん……わかるけどさぁ』って言いたくなるし、知らない人だと『それのどこがパンクロックなんだバカタレが!』って言いたくなるわけ(笑)。もちろんね、みんな可愛い後輩だし、すごくピュアだし、それぞれのバンドを聴けば格好いいなぁと思うんだけど。でも美メロ勝負の流れそのものに対しては全然納得できない。そればっかりでいいの? 他になんかないの? って感じることが多いから」

--であれば、メロディック・パンクをいち早く鳴らしてきた自分はどうするのか、そこを見せたくなった。

「……っていうのは後付けかなぁ(爆笑)。それよりも、ほんとにやりたくなっちゃったの、ロックンロールが」

INTERVIEW BY 石井恵梨子
Vol.02 へ続く