20000Vは地下二階にあるんだけどさ、昔は地下一階部分がゲームセンターで、そのゲーセンにライブの客とかバンドの人がいるわけよ。だから「ライブ始まるまで時間でも潰すか」なんて軽い気持ちでゲーセンに入ろうもんなら、ライオンだらけのサファリパーク全裸で走り抜けるぐらい危ない!(現在は地下一階はギアとゆうライブハウス)でも俺は昔も今も20000V大好き。壁やステッカー見ると思い出がいっぱいあんだよね。

 そんなことを繰り返してるある日、友達に「ジャンケン負けたらバンドやれよ」と言われてジャンケンに負けた。見るのは好きだけどやるのはなーと思ったけど、とりあえずみんなが飽きるまで付き合うかと思ってしばらくやってみた。

「とりあえず棒買ってくりゃいいの?」と仲間に聞いて、初めて買ったスティックはなぜか「X」のヨシキを意識して黒のスティック。初練習は、ゲタはいて池袋ペンタというスタジオへ行って「ドラムってゲタじゃできねえじゃん」と、バスドラムの意味も解ってないのに、とりあえずゲタで踏んでみたけど「カランっとしかいわないぞ、こりゃ無理だ!」(みなさんゲタでドラムはおすすめしません)。友達が「とりあえず棒でバンバンやってよ」と言うので、どこで叩けばいいのかぜんぜん解んないのに片手でバンバン叩いてた。そしてバンドは解散!理由は音楽性の違い(笑)。

 そのあとは特にやる事の決まってなかった俺は、人の紹介で銀座の日本料理の道へ入った。料理の世界は想像以上に厳しくて、「熱い、痛い、疲れた」なんて言おうもんならとんでもないお仕置きがまってる!「なんてとこに来ちまったんだ。料理マンガで書いてある事ってマジだったんだ」といきなり後悔。熱湯の中に手突っ込むとか、真冬に氷の中に2時間手突っ込みっぱなしとか。

今思うと、「魁・男塾」っていうマンガでこういう修行してる拳法の達人いたっけなー。その時代の俺なら、あの有名な「とんかつを素手で油から揚げるおじさん」にも負けなかったと思うぜ。さすがに包丁で指切断する位切ったときは心配してくれるのかな?と思ったら「魚に血が付くだろ!」といきなり包丁チョップ(解説・包丁チョップとは、刃じゃないほうで引っぱたかれる事)指痛いのに昭和のクイズダービー風に言えば、「痛み倍!さらに倍!のドン」それはまさに漢の仕事だった。

そんなことがありつつも、「白か黒しかねえんだ!」みたいな所が俺にはすごい向いてて、大好きになったね料理の仕事(親方はヤクザみたいだったけどすげーいいひとだったし)。

 そして、料理の仕事を5年ぐらい続けたときに出会ったのがハイスタで、スゲー衝撃だったな。どんな音楽かはその当時の俺にはよくわかんなかったけど速くてかっこよかった。横山さん、難波くん、恒ちゃん、みんなとても輝いて見えて俺もバンド真剣にやってみたいなと思ったし、今やらなきゃ後悔するんじゃないかとだんだん強く思うようになったんだよな。

それから2年ぐらいハイスタのライブ見たり、時には物販手伝ったりしてるうちに、料理の世界と別れることを決めた。辞める時は料理の仕事を始めて約8年経っていて、最後の仕事の日は親方と、昔俺が犯されそうになったおばちゃん達と、中華料理屋で紹興酒飲みまくって悲しくて泣きながら家に帰ったのを今でもよく覚えてるな。(これ読んでるみんな、バンドもいいけど料理もいいぞ!けど終電がなくなった後のおばちゃんはこわいぞ!)

 そんでその時にはすでに、今のHAWAIIAN6のギターのゆうたと出会っていたから、ゆうたに高校を辞めていただいて(笑)俺も初代HAWAIIAN6のベースをやることになる長谷川と少しの間やっていたバンドもやめて、長谷川とゆうたと3人でHAWAIIAN6を始めていったんだ。

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