みなさんどうもHAWAIIAN6畑野です。原爆TAYLOW先輩よりパスされたリレーコラムを「そろそろ書けました?」とピザからの熱いオファー(催促)を10回位うけ、重い腰をついに上げました!まあぜんぜんえらくないね、むしろだめ男だね(笑)。
今回は何を書こうかさんざん迷ったけど、題して
『遅咲きのパンクロッカー・俺はこうして漢になった』
でいきますかね。歳をとってからでもパンクロックしてみたいと思ってる人達!これを読んで少しでも勇気がでたならうれしいかぎりです。
まず俺とバンドの出会いは、15歳の時に兄貴がバイトしてた渋谷のうどん屋に騙されて連れて行かれたところから始まった。ある日いきなり兄貴に「お前バイトする気あるか?」と聞かれてその時は何もしてなかったのでまあいいかと思い、とりあえず面接に行ったら即採用!確かその日からいきなり働かされたんだよな(あとでわかったことだが、誰かを紹介することが兄貴がバイトを辞めるための条件だったらしい。完全にはめられた当時短ラン着用中の15歳の俺)。
そんでもって働き始めてびっくりしたのが、そのうどん屋のバイトのみなさん!なんとパンクと暴走族の人しかいなくて、客商売をしてる感じがまったくない。面白い人ばかりだったけどむちゃくちゃ。連れてってくれたのがスナックとか族の集会でさ。家まで車で送ってくれる時とかは走ってる車のドア開けられて「ここらへんだろ、降りろ!」と笑顔で突き飛ばされたりでさ。やさしいんだか厳しいんだかわけわかんなかった。でも、よく飯食わせてくれたり、ドライブ連れてってくれたりいい先輩ばっかだった。
そして、その店に俺より後からバイトで入ってきたのが、横山さん(現・POD社長)!今も昔もワンパクな人というのが第一印象で、俺がうどん屋に入る前からいた牛久保さん(パンクロッカー)という人とバンドをやってたんだよね。(余談だけど、当時のI.S.Oはデパ地下で食材に、待ち針を入れて歩くのが趣味だった)。
その牛久保さんに「家に遊びに来いよ、スゲーの聴かせてやるぜ」と言われて家に行ったら、原爆オナニーズ・リップクリーム・スターリンなどのレコードを聴かせてもらった。その時俺は、「すげえかっこいい!」と純粋に感動したよ。それまでバンドの事など何も知らなかったけど、夢中になって牛久保さんに質問しまくったのが俺の始まりだ。その時、何を質問したかはよく覚えてないんだけど、強烈に覚えてる返事が「足立区はパンクと族の街なんだぜ」の一言だ。今思えばこの言葉とバンドの事ぜんぜん関係ないな。
まぁそれから俺は、ライブハウスに行く事になったんだけどね。始めは横山さん達のライブに行き、金と時間があれば誰がやってるかわかんなくても、高円寺20000Vや新宿アンチノックに行ってみたりして。しかし、昔のライブハウスは女なんてぜんぜんいないし、かなり高い確率で「漢祭り」(まぁ早い話ケンカ)にまきこまれたな。とくに20000V・アンチノックには心臓鍛えてもらいました。