「楓太通信」
すっかり2歳児の楓太。だいぶ言葉も話すようになり、これがまたおもしろくて可愛い。
楓太は「ミッキーマウス」のコトを何故だか「バッキー」と呼ぶ。もちろん、オレ達夫婦は修正などしない。好きに呼びゃーイイのだ。
随分前に検診か何かで保健センターに行った時、妻が発育状況のアンケートを書いたコトがキッカケで、職員の方が気に掛けて下さる様になった。そして、専門の指導員が楓太の言語の発育状態を見てくれるようになった。
オレ達が住んでいる地域の保健センターは、「あ、そんなコトまでしてくれるんだ…」と、こちらがビックリするほど、良くやってくれる。他の自治体の事情は全く知らないが、「子育て支援券」なるものもあり、自治体の育児支援対策の奮闘振りが垣間見えて心強い。税金はこういった場面にもっと投入されるべきであり、その様なケアをしてくれるのならば、税金の払い甲斐も少しは、ほんの少しは感じるコトができる。
しかし非常に腹立たしい出来事があった。オレの考えをハッキリさせるためにも、書き残しておきたい。
2歳児…物を覚え始める時期だ。大事な時期だというコトは、重々承知している。躾などは今が肝心だと思ってる。
仮に、よそ様の子供を殴ったり叩いたりしたら、それは道徳の観点で、もちろん叱る。ご飯の好き嫌いをしたら、食べ物の大切さや有難味を教えたいから、もちろん叱る。叱ったってまだ理解出来ないのだが、オレも親としての在り方を確立させたいから、理解しようがしまいが、とにかく叱る。
しかし、先に例を挙げた様に、ミッキーを「バッキー」と呼ぶコトを、オレは修正や矯正しようとは思わない。やっと言葉を話し始めたばかりの子供に、ただの固有名詞の間違えを躍起になって直す意味が、オレにはさっぱり分からない。
これがどうやら、保健センターの言語指導担当の方には、おもしろくないらしい。
楓太は「バッキー」以外にも、独特の覚え方、呼び方をしているモノがいっぱいある。例えばいちごは「いっちゃん」と呼ぶし、虎は「ティガー」、クッキー・モンスターは「ダッチュー」、水鳥を見ると「アフラック」と呼ぶ。
しかし、指導員の方にとっては、いちごはいちご、虎はとらさんでなければいけないらしい。その方は恐らくオレの親と同じ年代…60歳前後ではなかろうか。人生経験も指導員としてのキャリアがあるのも、分かる。
しかし、その言い草に腹が立つ。
「楓太クンも『大変』ねぇ、ご両親がユニークで…」、つまり、皮肉たっぷりにオレの子を「親にまともな言葉を教えてもらえないなんて不憫だ」と言ってるワケだ。
まぁ正直どうでも良い。「ユニーク」とでも「まともじゃない」とでも、何でも好きに言いたきゃ言えばいい。しかしオレは自分の価値観を持って子供と接するコトは止めない。喩え「押し付け」になろうが、そんなコトにびびっちゃいない。楓太の親は横山健と梨津子なのだ。逆に楓太にとってオレ達の子である意味は、そんな部分なんじゃないだろうか。楓太、お前の親はちょっとおかしいらしいぞ!
しかし彼ら指導員は、幼児だけではなく、むしろ「キャリアの浅い親達」を指導しているワケだ。本人の常識のみを当てはめて、若い親の自信を喪失させる様なコトや、不安を感じさせる様なコトを言って、一体何になるというのだ?必要以上の「上から目線」なのか、安っぽい儒教の精神なのか?
しかし、この出来事を時間をかけて、よく考えてみた。そうしたら、もっと怖い問題の存在に気付いた。
実は日本では、こんな時点から「全員80点を取る指導」が始まっているのではないか、と思うのだ。日本の国民性の悪い部分の一つでもある「他人と違っちゃいけない」という感情の刷り込みだ。「弱体化した日本」の「闇の根源」はこんなにも身近に潜んでいる、と考えざるを得ない。大袈裟かもしれないが、オレはそう確信する。
こんなちょっとしたコトから、学校や社会でのイジメの構造、モノが「流行」しやすい風土、蔓延する「ことなかれ主義」の温床、「稚拙」と揶揄される貧弱な外交手腕…現代の日本のいろんな病理が、オレには見えてくる。
これでは日本人の「没・個性」など、当然の行く末ではないか。
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