2005年9月9日、午前8時21分、横山家待望の長男が産まれた。
体重は3,238グラム、予定日よりかなり早く出てきたので、こんなに大きく産まれてくれて嬉しかった。
名前は「横山 楓太」。「ふうた」と読む。オレと妻で名付けた。
幸運なコトに、出産に立ち会えた。ズーッとこの瞬間のコトを想像してきた。「オレ、血を見るの苦手だから、ブッ倒れちゃうかなぁ?」、「感激して泣いちゃうかなぁ?」。
しかし楓太の頭が見えた瞬間、オレは妻の手を握りながら、「よし、もうちょっとだ!おいで!」と心のなかで叫んでいた。実際に叫んでいたかも知れない。倒れるだの泣くだの、そんなのをとっくに飛び越えた不思議な、今まで感じたコトがない新しい感情だった。恐らくその瞬間に、オレは「親」になったのだろう。
そして産声をあげている楓太に鼻をくっつけて、「よく来たね」と話しかけた。この時ばかりはグッと来た。
楓太が産まれたコトで、オレの生活のペースは劇的に変化した。可愛いのは当り前だが、もちろんそれだけではない。夜中に泣けばオレも起きるし、眠くても「次のミルクまでの時間までは…」と寝ない時もある。全ての親達が経験し語るコトを、オレも想う。
「とても大変」だ。
しかし、彼がオレに与えてくれた感動…感激…感情…何と表現するべきか分からないが、彼がオレの人生に運んできてくれた「新しい微笑み」に比べたら、そんなモノ「屁」としか言えない。
オレは今までの35年間の人生でいろんな感動の場面に出会ってきたが、そのどれとも全く違う喜びなのだ。「人間にはまだこんな感情があったのか」と思わされる程、何とも似ていない。
そしてオレは毎日ギターを弾くコトと同じようにオムツを変え、風呂に入れ、ゲロの始末をしている。
幸せだ。
オレは10代の頃からミュージシャンとしての自分を確立すべく、自分の情熱、時間、金、持てるモノ全てを注いで生きてきた。バイトをしながら音楽をしていた頃、オレが家庭を持つコト、ましてや子供を儲けるなど、夢のまた夢だった。一生無理だと思って諦めていた。そういった普通の幸せを「放棄」したに等しい。そんなオレに子供ができるなんて…嬉しい以外の言葉が見つからない。一度放棄した幸せを、普通より少し遅かったけど、手に入れるコトができたのだから。
楓太に、「将来何になってもらいたい」とか、「こんな人になって欲しい」とか、具体的な希望は何も持っていない。音楽をやりたきゃやればいい。絵を描きたきゃ描けばいい。やるコトがみつからなくて悩むのも、時にはいいだろう。何だっていい。
ただ、優しい人間になってくれれば、それで良い。オレより早く死ななければ、それで良い。
親としての責任感は、潜在的に人並みに持ってるつもりだ。でも「育てよう」なんて気持ちは持っていない。むしろ、オレがこれからいろいろと教わるんだ。
オレはこの先、楓太と共に行く。
それから妻に、「オレの子を産んでくれて、ありがとう」。