Vol.99

  2018年3月3日、オレは幼馴染みの仁科晴雄(ハルヲ)と2人で新しいブランドを立ち上げる。「ギターとスケートボード」のブランドだ。ブランド名は Woodstics(ウッドスティックス)という。




「右がハルヲ」


  「Woodstics」はハルヲが考えた造語だ。Wood(木)と Stick(棒)でまさしくスケートボード。ギターも同じく。両方とも「棒」と形容するには若干無理があるが……まぁでも言ってみりゃスケートボードもギターも、木の棒だ。本来は c の後に k が入るのだが入らない。「Woodsticks」ではなく「Woodstics」。それには「木」と「棒」に留まらず、 Fantastic(素晴らしい)なプロダクツを生み出したい、というハルヲの想いがある。

  なので「Woodstics」なのだ。

  さて、ギターもスケートボードもブランドは数あれど、同じブランド名の下にその2つを製作していくところは、広い世の中を見渡してもまずないと思う。
  ギターのブランドがスケートボードを実験的に作ることはあるかもしれない。その逆も然り。しかし最初から「両方を同じ名前の下でやる」という大前提でやっているブランドはないはずだ。

  そこに大きな興奮を覚える。

  誰もトライしたことないことにトライするのはこの上なく楽しいことだ。

  ただオレ達のやる Woodstics、方法というか在り方というか、一体どういうことなのかを理解してもらうのが若干難しいと思う。ギターを作るとはいえ、オレが工場を建てて一からギター作りをするわけではない。
   全くの2つの違うこと、関わる人も成り立ちも違う2つのことを1つのブランド名の下で展開していくということなのだが、簡単に説明するのも難しいし、理解してもらうのもなかなか難しいと思う。

  今回は、一体これがどういうことなのか、スケートとギターの両面から、またハルヲへのインタビューを通じてなるべく丁寧に説明するので、少しでも理解してもらえたらとても嬉しい。




「Woodstics / スケートボード部門」

  まずスケートボードの話からしよう。
  東北沢に「ZAP」というサーフショップがある。店主は先述のオレの幼馴染み、ハルヲ。ちなみに Ken Band が5枚目のアルバム「Best Wishes」をリリースした時、プロモーション用の写真撮影をしたのは、このお店 ZAP だ。
  どのくらいの幼馴染みかというと……1ヶ月違いで同じブロックで生まれたというくらいのディープな幼馴染みだ。同じ小・中学校に通い、学校を出てからもいろいろと一緒につるんで遊んでいた。一時期は仕事だの家庭だのでつるむ機会も減ったが、いろいろと落ち着いてきた40代半ばにしてまた毎日のようにつるんでいる。
  こういった友達は、なかなか社会に出てからでは作りようがない。どんなに仲良くなっても「幼馴染み」という存在には敵わない。

  オレもスケートは大好きだ。10代の時に当時聴いていたスラッシュメタルやハードコアパンクバンドの影響をもろに受け、スケートボードを始めた。しかし上手くなろうという気持ちがなかったのか、ギターほどハマれなかったのか、技やトリックといったことは何もできないまま今日に至る(オーリーすらできない)。しかし「それがなんか関係あるの?」と言わんばかりにスケートボード自体は好きだし、スケートカルチャーも大好きだ。いつでも自分の視界の端っこにある。
  結局クルーズ……自転車代わりにプッシュだけしている。ちなみに何年か前に明け方一人でクルーズしていて転倒し、ギターを弾くのにも支障をきたすほど手を怪我したりしてることを、今ここで告白する。

  なかなかおもしろいもので、ただのクルーズだけでも、感覚はステージに出てって最初のコードを「ガーン」と鳴らす時の感覚に近い。スリルがあるし、自分がちょっとカッコ良く感じられるといえば近いだろうか。お気に入りの革ジャンを着て出かける瞬間とか、大好きな車を転がしてる時も同じようなことが言える。男にとってそういう瞬間は特別なのだ。

  昨年、ZAP オリジナルモデルの板で、クルーズ用デッキを一つ買って組んでもらった。これが調子良くてすごく気に入って乗っている。
  そして昨年のある夜、ハルヲとクルーズの良さについて話していたら、「こんなのも作れるよ」と言って、1枚の写真を見せてくれた。その板にはなんと F ホールがついていた。まるでオレの好きな Gretsch のギターとスケートが1つになっているような感じだった。オレは即座に「これで横山モデル作ってよ!」と頼んだ。

  ハルヲはもともと Woodstics という名前で、少量ではあるがクルーズ用デッキを製作していた。しかし今後 Woodstics をどう展開していこうか、次の手を打ちあぐねていた。それなら横山モデルを Woodstics で作って販売してみないか?ということになった。そしてせっかくやるからには、今までの「今後どうやって展開していこうかな」というとこにオレも混ぜてもらって、2人でやっていこう、Tシャツとかも作って……とか話が膨らみ始めた。
  ハルヲはブランドホルダー兼制作者、オレはアドバイザー兼営業、といったところだ。

  ここがハルヲとオレの Woodstics の出発点だ。

  横山モデルのクルーズ用スケートボードは3月3日、東北沢の ZAP にて販売を始める。今回は30枚限定。なにしろハルヲが一から十まで手作りするので、この数が限界なのだ。
  しかしせっかくやるからには……と先ほど話した通り、手作りではなく量産型のボードの販売も計画している。そうすればもっと多くの人が楽しめるし、お財布にも優しいし、入り込みやすいだろう。
  ちなみに、個人的観点……ハルヲと一致している観点ではあるが、量産型よりも手作りの方が絶対に物の温もりが伝わる良い物になると考えている。なので反響によっては手作りのボードの第二弾、第三弾とやっていくつもりだ。
  もしハルヲが横山モデルだけではなく他のモデルを作りたくなったら、それも販売されるだろう。Woodstics の可能性として様々なことが考えられる。そんな感じで先のことは考えながら少しずつやっていく感じではあるが、猛烈にワクワクする。








「30枚限定で販売される Woodstics 横山健モデル クルーザーデッキ」


  3月3日には横山モデルのクルーズボードの他にもTシャツやロングスリーブ、小物もリリースされるようだ。当面通販は行わず、店頭での販売のみになる。
  詳しくは Woodstics のホームページのリンクを貼っておくので、店の場所、営業時間、商品情報などはそこで仕入れて欲しい。

Woodstics ホームページ



「Woodstics / ギター部門」

  続いてギターの話、こちらはオレが担当だ。
  Woodstics のギターは、ESP 内に新しいラインとして発足する形を取らせてもらうことになった。

  オレが使っているギターを興味を持って追ってくれている方々は、最近オレが赤いメタリックの「Candy」と呼んでいるレスポールタイプを弾いているのをご存知だろう。ハイスタの「The Gift」のレコーディングでも活躍し、「The Gift ツアー」でもかなり頻繁にステージに登場したので目にした方も多いはずだ。あいつが Woodstics のギター、初号機だ。




「Woodstics の Candy を振り回すオレ photo by Teppei Kishida」


  経緯を話そう。ハイスタの The Gift の曲作りをしていた昨年の春頃の話だ。ハイスタにはレスポールタイプのサウンドが欠かせないので、曲作りのスタジオにはご存知「ハニー」や「スケート」を持って行ってた。しかし……なにか物足りない。近年 Gretsch のギターに触り慣れているので、Bigsby が付いていないのが物足りなかったのだ。オレは Bigsby 付きのレスポールタイプは持っていなかったので ESP にお願いして、1本用意してもらった。そしてオレの手元に来たのが Candy だった。用意してもらった時は Candy は Navigator のギターだった。

  そのサウンドや操作性を気に入り、先述の通りレコーディングでも大活躍した。ルックスもめっちゃ好みだ。そのレコーディング中に ESP の担当者に「あのギターすごく良いからさ……あれで横山モデルできないかなぁ?」と何気なく話をしてみた。もちろんできるとのことだったが、そこで問題になったのは値段だった。 Navigator で作るとなると、やはりそれなりに高価になってしまう。オレはなるべく安く売りたかった。本気でバンドをやるからしっかりとした2本目のギターが欲しい、そういったあたりの若い人達でも手が届く価格帯でやりたいと思ってた。
  それで数日考えて唸っていると、ESP の担当者が「じゃあ健くんのラインを作ればいいんじゃない?」とこれまた何気なく言ってくれた。どこまで本気かは正直わからなかったが……その瞬間、ハルヲと話を始めていた Woodstics のことが頭に浮かんだ。

  自分のラインをやらせてもらえるなら、名前を Woodstics でできないだろうか?
  ギターとスケートのブランド名を同じものにして、共通のロゴを使い、まとめてしまうのだ。

  ハルヲにも当然話をした。Woodstics はハルヲのブランドだから当然相談する。ハルヲはオレの突拍子もないアイデアにびっくりしながらも、興奮してギター方面はオレに任せてくれると言ってくれた。

  思いついたらもう止まらない。レコーディングが終わるとすぐに ESP の社長に直談判しに行った。普通自分の会社のブランドに、他の商品と共通のブランド名をつけることなど抵抗あるはずだ。オレはハルヲが組んだスケートボードと Candy を手に社長に会いに行き、「これとこれが同じブランド名で展開されていくことがいかにエキサイティングなことか!」と情熱を伝えた。社長は「健ちゃんがおもしろいと思うことならやってよ!」と快諾してくれた。
ESP 内に Woodstics が生まれた瞬間だ。

  近年一緒に様々なギターを開発している Gretsch の輸入元である神田商会にも当然説明しに行った。とても温かく理解してくれて、今後も変わらず、一緒に新しいギターを開発していく約束をしてくれた。

  オレは Woodstics のロゴを手書きでデザインし、ハルヲに修正を加えてもらった。
  Candy を ESP に預けて、Navigator のロゴを自分達でデザインした Woodstics ロゴに変えてもらい、The Gift ツアーに持って出た。




「Candy のヘッドにつけられた Woodstics ロゴ」


  現状を言葉にするなら、Woodstics のギターは ESP 内にできる「横山健プロデュース/監修」のラインだ。
  現在オレ用に Candy の色違いを製作してもらっている。春前にはプロトタイプが上がる予定で、出来が良ければそっちを販売する予定だ。順調に進んでも夏前、といった感じになるだろうか(ちなみにギターは ZAP では扱っていない、ESP を始めとした楽器店での販売になる)。
  他にもミニギターを作るし、なんと Ken Band のギタリストのミナミモデルも製作中だ。ミナミモデルも出来が良く需要があれば販売したいと考えている。

  行く行くは誰か別のバンドのギタリストのシグネイチャーモデルも手がけてみたい。これを読んで「我こそは!」と思ったギタリスト、ぜひオレに声をかけてみて欲しい。



「スケートへの憧れ」

  オレの中のスケートボードへの憧れ……なぜだかわからないが、ガキの頃からそれは消えない。

  80年代後半にスケートボードはハードな音楽とリンクして日本に上陸し、オレはその衝撃をもろに喰らった。海外のスラッシュメタルバンド達はみんなスケーターだった。 Anthrax を始め、Metallica もそうだった。そして Suicidal Tendencies と Dog Town のコンボの上陸が決定的だった。とにかくカルチャーがリンクしている感じが異様にカッコ良かった。

  スラッシュメタルバンドの Metallica は U.S. ハードコアパンクの Misfits のTシャツを着てスケートし、U.S. ハードコアパンクの Minor Threat の写真にはスケートボードが写り込む。Anthrax のTシャツにもスケートが描かれ、あの Beastie Boys もヒップホップを始める前夜にはハードコアパンクを鳴らしてスケートをしていた。そういうカルチャーというか、シーンというか、そういったものが分け隔てなく渾然一体と化してとんでもない輝きを放っていた。そういう時代だった。

  オレは1987年の Anthrax の初来日公演を中野サンプラザに観に行った。その時のサンプラザ前の光景がすごかった。ネルシャツを着てバンダナを巻いた、Suicidal Tendencies の影響をもろに受けたような連中がこぞってスケートしてたのだ。新しいカルチャーの波を感じてはいたが、それが現実に目の前に広がっているのを見て身震いしたのを覚えている。

  オレも高校の中頃にはどこで調達してきたかは忘れたがスケートを手に入れ、夜な夜な高井戸の公園で友達と練習するようになっていた。
  部屋には何の雑誌の付録で付いてきたか忘れたが、何百枚もスケートボードが載ってるポスターを貼って、友達と「オレはあれを買うから、お前はあれな」とやっていた。
  そうしてオレの周りのバンド仲間、バンドをやってない地元の仲間もこぞってスケートボードを練習したもんだ。BGM はもちろんスラッシュメタルと U.S. ハードコアパンクだった。いま考えると怒られそうだが……GAUZE や Lip Cream、Systematic Death もオレ達にとってはスケートロックだった。

  その後高校を出て、バンドに完全に熱を奪われたオレはスケートから少しずつ遠ざかって行ったが、時々思い出しちゃクルーズしたりして、決して忘れることはなかった。
  ハイスタでサンフランシスコにレコーディングに行った時には、ヘイトストリートの一番上にある F.T.C. でコンプリートを買って、そのへんをうろちょろと滑った。

  90年代後半は渋谷にある STORMY を中心にたくさんのスケーター、スノーボーダー、サーファーの友達ができて、一緒にスケートをしたりして遊んだ。しかしみんな、日に日に新しくなるトリックに夢中で、オーリーすらできないオレはなんとなく馴染めなかった。
  しかし STORMY の店員さんに私物のロングスケートボードをもらい、その後ロングボードやカーヴィング用のスケートなどにハマっていく。ホントに自転車代わりだ。トリックなどやる必要がない。オレにはそれで充分だった。

  オレはギタリストなので、木でできているものが好きだ。スケートボードも木でできている。組みもしないのに思わず買ってしまった板もいっぱいあり、理由を考えると「木でできているから」ということも大きかったりする。
  ちなみに Woodstics という名前も「木でつくるプロダクツだから」という理由で Wood が入ってたりするようだ。Woodstics、木の棒。考えてみればスケートもギターも木の棒なのだ。良い名前じゃないか。それにハルヲが個人的に憧憬を持っている「ウッドストック69」も要素として、ネーミングする際の精神として入り込んでいる。

  スケートは気軽にできる、手に取れるというのも大きな魅力のうちの一つだ。
  サーフィンも好きだが、東京からでは海はちょっとばかり遠い。一時期やってみたのだが、早起きが苦手なオレが続くわけなかった。しかも水泳は得意なのだが、ボードを持って海に入ったらめちゃめちゃ怖かったのだ。今でもカルチャーや風景として好きだし憧れもあるので、いつかまた挑戦することにして、後の楽しみに取っておく。
  スノーボードは……もともと寒いのが苦手だから全然好きになれなかった。動けば温かくなるとは言え、寒い場所に行くというだけでめんどくさくなった。オレには合わない。
  その点スケートボードは玄関から持って出ればもうできてしまう。まさにストリートのものなのだ。

  自分が育った時代背景からイメージ付けられたものだが、オレはボードスポーツの中でもスケートボードが本来一番「やんちゃ」なものだと信じている。サーフィンは一番危険なもの、そして自然との関わりという点で多少のスピリチュアルな雰囲気がある。スノーボードは……良くわからない。
  スケートはそれこそ繰り返し述べている通り、80年代後半にはエクストリームな音楽と一つのカルチャーを形成するほど密着していた。オレはスケートに反骨精神を感じ取って、スケートカルチャーを通じて地獄を見ていた(オレは全てのカッコいいボーイズカルチャーは地獄から来ているという説を唱えている)。
  90年代中頃、アメリカの Thrasher のスケートビデオにハイスタの「California Dreamin’」が使われた。めちゃめちゃ嬉しかった。それが90年代後半になると、スケートビデオからパンクやハードコアが消え去って、オシャレなジャズだったりチルアウト系の音楽が入り込み始めた。まぁ流行に敏感なスケーターのやることなのでそりゃカッコいいんだろうが、そうじゃねぇとオレは思っていた。別にオレはずーっとスケートしていたスケーターじゃないし、スケート業界の人間ではないので何も言えなかったが……洒落たスケーター達に抵抗感があった。全然地獄を感じなかった。
  そしてスケートは玄関に置きっ放し、組んでない板は納戸の奥へと消えていった。

  しかし、スケートカルチャーから教わったとても大きなことがある。これは長年オレの体に染み付いて、もはや自分の理念ともなっていることだ。それは「Support Your Local(キミの地元を支えよう)」ということ。
  これはなにもスケートカルチャーだけでなく、アメリカのいろいろな産業やカルチャーがスローガンとして掲げていることで、もはや当たり前の常套句なのだが……しかしオレはスケートショップが発信する「Support Your Local」をすごくリアルに感じ、自分でも実践し始めた。スケートカルチャーは「Support Your Local Skateshop」、つまり「地元のスケートショップをサポートしよう」ということを叫んだ。オレは90年代のアメリカツアー中に様々な地域のスケートショップに買い物に出向いて目にしたので、それをリアルに感じて当然だ。オレはその観念をスケートカルチャーから学んだと思っている。

  そこでオレは思った。なぜ日本はこういう感覚や発信が希薄で、また発信することを恐れるのか?日本には「地産地消」という言葉はあるし「ふるさと納税」なるシステムもあるが、これはちょっとばかりニュアンスが違う。もっともっと直接的な、わかりやすい言葉で訴える必要があると思う。
  例えば CD ショップ。なぜ「地元の CDショップをサポートして欲しい!」、「CD は地元の CD ショップで買って欲しい!」と声高に叫ばないのか?「サポート・ユア・ローカル・CDショップ」と言わないのか?
  まぁ恐らくこういった発信は日本の風土、美徳には合わないのだろう。それも感じていたため、オレはミュージシャンとして、レーベルオーナーとして、CD ショップでなるべく買ってもらえるように援護射撃してきたつもりだ。
  しかしネット販売にこれだけシェアを奪われ、自分達の商売が成り立たなくなる時代になってきたからこそ、そろそろ発信しても良いのではないか?これは恐らく、ネット販売に押される小売業全般に言えることだと思う。
  それから自分の身近なところでいうと、ライブハウス。「サポート・ユア・ローカル・ライブハウス」をもっと叫べばいいのだ。自分達で地域のバンドを育て上げる気持ちはどこのライブハウスにもあると思う。しかしサポートを大きく呼びかける行為が抜け落ちている。「サポート・ユア・ローカル・バンド」とライブハウスが叫んであげればいいのだ。

  今の日本は「お互いをサポートする」という観念が薄い。昔はそうではなかった、人々は地域でお互い助け合って生活していたのかもしれない。今の日本の経済状況では「お互いをサポートする」どころか「自分のことで必死」な現状があることも理解できる。
  しかしこれは余裕のあるものの戯言ではないのだ。「情けは人の為ならず」という言葉がある通り、人にかけた情(サポート)は自分に返ってくる、つまり自分のためなのだ。自分をサポートしてもらうために他人をサポートするのだ。逆を言うと、他人をサポートしない人には他者からのサポートなど受けられるわけがないのだ。
  アメリカのスローガンが正しいかどうかはわかんない。日本の風土や美徳が間違っているとも思わない。ただ今の閉塞した日本の様々なシーンの状況を打破するためのヒントにはなろう。少なくともオレは様々な局面でヒントに、そして理念にしている。

  ずいぶん大袈裟だなと思われるかもしれないが、オレはこんなようなことをスケートカルチャーから学んだ。

  話を戻そう。そうして長いこと自分がスケートに乗ることから離れていたが、去年ハルヲの組んでくれたクルーズデッキに乗って、またまた熱が戻ってきた。もう最近のスケーターがどうだの考えなくなってた。自分が楽しきゃなんだっていいのだ。むしろそれを提案できるチャンスがきたのだ。

  そのチャンスが Woodstics だ。

  オジさんになったってスケート乗ったっていいじゃないか。年相応なんて考えはクソのようなもんだ。自転車の代わりに、運動感覚で子どもと一緒に楽しんでくれればいいのだ(まぁでも事故や怪我には気をつけて……)。

  なので Woodstics ではトリック用の板は作らず、あくまでも「クルーズの良さ、楽しさ」を提案できたらな、と考えている。まぁこれはオレの勝手な想いで、ハルヲの方が強烈な意志決定権を持つのだが。今のところ考えはしっかりと合致している。

  そしてどちらの方面から入ってくるにせよ Woodstics に興味を持った子達に、ギターから入った子にはスケートを、スケートから入った子にはギターを、と Woodstics を通じてオレがガキの頃感じたカルチャーを今風にアレンジして提案できれば、こんな素敵なことはないのである。もちろんギター止まりでもスケート止まりでも構いはしない。ただオレ達にはここ最近だいぶ離れてしまった2つのカルチャーを近づける力があると信じている。
  昔の焼き直しでは意味ない。ハルヲとオレなりの新しいやり方、新しいカルチャーだ。

  昨年夏の間にハルヲと毎晩のように話し合ってきたこと、カルチャーってもんは大ブランドや大企業達がミーティングを開いて「今年はこれを仕掛けます」ってできるようなもんじゃない。それもある意味カルチャーではあるが……オレは認めたくない。
  夜な夜な夏のキッチンでタバコ吸いながら、2人のいい歳ブッこいた幼馴染みのおっさんが、ワクワクしながら今の若い子にこんなことを提供しようって話し合う、これが上手く行けば小さいながらも確かなカルチャーになるんじゃないかと思っている。

  そうそう、別にビッグビジネスにしたいわけではない。ただワクワクしたいだけなのだ。
  「これを新しいカルチャーとして大きく提示を!」とか意気込んでるわけでもない。ただワクワクしたいだけなのだ。

  オレの中でイケてるもの……「ギターとスケートボード」を自分達が生み出す一つのブランドの名の下に展開していく、そんなのワクワクするに決まってる。
  去年からずっと皆さんに話したくてワクワク、うずうずしていた。やっと話せてスッキリしている。

  しかし今回の文章だけでは説明しきれないところも多々あるし、なにしろ物が皆さんの手元にはまるでないわけで、「…はっ?」と思われる方も多いとは思う。
  そういった方々にも「あー、あの時健が話してたのってこれだったんだね」「こういうことだったんだね」って納得してもらえるように、10年、20年かけてじっくりと Woodstics を展開していきたいと考えている。



「仁科晴雄(ハルヲ)インタビュー」

  最後に Woodstics のブランドホルダー、拠点となる「ZAP」のオーナー、オレの相棒である幼馴染みの仁科晴雄(ハルヲ)へのインタビューを掲載する。
  繰り返しになるが、オレ達は夜な夜なこんなことばかり話していた。なのでオレはハルヲの気持ちもわかっているし、訊いたことのほとんどの事柄を知っている。
  しかしインタビュー形式で自分の口から語ってもらうことが皆さんに一番ダイレクトに伝わるのではないかと考えたので、ほとんど予備知識のない人のつもりになっていろいろと訊いてみた。

健(以下 K): 生まれは?

ハルヲ(以下 H): 杉並だね。高井戸東3丁目。横ちゃんと同じブロックでね(横山は地元では横ちゃんと呼ばれています)。

K: オレ達の世代って……第二次スケートブームの後になんの?

H: えっとねぇ……ミッド80’s だから第二次のちょい後、第三次じゃないかな?ストリートスケートが流行りだした時代だから。「The Search For Animal Chin (1987年に発表された Bones Brigade のスケート映画)」の頃だもんね。60年代から70年代にかけては「陸上でのサーフィン」としてのスケートボードで、80年代に入ってからはまだフリースタイルがあったりして。その後でストリートランプとかも出てきて。オレはストリートスケートが一番カッコよくて好きだったね。プッシュ移動しながらその場所に合わせてトリックして…まだサーフィンぽい所あるよね。

K: ハルヲちゃんはどうやってスケートボードやサーフィンにのめり込んでいったの?

H: 何歳だったか覚えてないんだけど、誕生日プレゼントかなにかで青いビニール製の、今で言うペニーみたいなもっとオモチャ的なのを子どもの頃に手に入れたのね。それが出会い。でもすぐにそれに夢中になるわけではなかったんだけどね。それで中学に入ってから、西海岸とかのキラキラした感じに憧れて……スポーツも含めたカルチャーというかね。それで Fine とかをよく読んでて、そこからサーフィンをやりたい気持ちが芽生えたのね。だから15歳くらいかなぁ?サーフィンを始めて、それでスケートボードも一緒に始めた感じかな。それで数軒隣に外国人の友達がいて……。

K: ブランドンね!

H: そう、ブランドン!ブランドンもスケートをやってて、近所ではオレくらいしかやってるヤツがいなかったのかな?「ハルヲ、スケートボード、シヨーヨ」って夕飯終わる頃に必ず迎えに来て(笑)それで毎日スケートしてたね。高井戸の清掃工場の駐車場で、車止めを使ってロックンロールスライドとか50/50とかしてたね。

K: そうだよね、高井戸の清掃工場でみんな練習してたよね(笑)オレもあそこでチクタクから練習してたよ(笑)すっ転んで怪我してね。ハルヲちゃんはオレなんかよりも早くスケート始めてたから、オレが始めた頃にはもう上手かったよね。プッシュで置いて行かれた記憶もあるし(笑)

H: そうそう、オレはちょっと早く始めてたね。ファーストサーフボードは親戚のツテをたどってCHPで、その後は車ないと頻繁に海行けないから大宮八幡のサミーズで板作ってさ。電車でも千葉行ってたな最終電車で。高校になると仲良くなった友達の地元のサーフショップ Teddy (TED姉妹店)阿佐ヶ谷の連中とつるんでね。みんなサーフィンもやってたからさ。

K: サミーサーフ!!(笑)

H: そうそう(笑)当時一緒にやり始めたヤツはいまだにプロなんだけどね。

K: 小鉄ね(笑)

H: そうそう、小鉄(笑)それで阿佐ヶ谷の連中とジャンプランプ作ってスケートしたりして。サーフィンもスケートも一緒にやってたね。




「ストリートランプ作って、落書きしまくって、台車代わりにスケートボードで運んで。(ハルヲ談)」


K: オレがスケートを始めたのはスラッシュメタルバンド達の影響を受けてでさ、高校の中頃だったのね。ハルヲちゃんはぶっちぎり早かったよね。……お洒落でもあったしね(笑)Tシャツなんかもカッコいいの着てたしなぁ。だからカルチャーってことに一早くのめりこんでいってたよね?

H: そうだね、好きだったね(笑)Tシャツなんかはロゴが好きだったりとかさ。あとはプロダクツ(物)が好きだったしね。

K: なるほど。話は飛ぶけど、東北沢にハルヲちゃんのお店「ZAP」を出したじゃない?あれはいくつの時?

H: 店を出したのは2009年。その前に10年間くらい、カリフォルニアのガレージシェイパーから始まったハンドシェイプサーフボード……時間とか効率を考えるとマシンシェイプが主流というか、大きなブランドになっちゃうとみんなそっちに行っちゃうんだけど。カリフォリニアでファイアーマン(消防士)をしながら二足のわらじでハンドシェイプのボードを作っている人がいて。もうアートなのよ。当時、そこまでこだわるかっていうようなものを作っているシェイパーさんは他に知らなくて。それにすごく惚れちゃって。COOPERFISH っていうブランド名なんだけど。二足のわらじだからこそ、そこまでこだわれるんだとも思ったね。日本でいうとなんとなく二足のわらじってネガティブな印象があるじゃない?

K: 片手間っぽいというかね。

H: そうそう。でもその人は「本当に好きで作ってんだな」っていうのがプロダクトを通じて感じられて、すごく感激したのよ。

K: 消防士をしながら、好きで自分でサーフボードを作るっていう、二足のわらじなわけね。

H: まぁ彼らは親父の代やまたその上の代からカリフォリニアのカルチャーの中でずっと繋がってるから、そういうことが根付いてるからかもしれないけど、オレはそれにいろんな気持ちを覚えたんだよなぁ。「あぁ、こうやって好きで、愛でやるのでいいんだな、成立するんだな」って思えた瞬間でもあったんだよね。今までは二足のわらじって片手間な感じしかしなくて良くねぇんじゃねぇか?って勝手に思ってたんだけど。

K: つまり、熱量があればなにやってもいいじゃねぇか、ってことだよね?

H: そうそう。だから「なになにだから」とかは関係ないんだなって。でもね、子どもの頃からなんかあった感覚というか。

K: 「ここに属さないとこれはしちゃいけない」とか、そういったなんとなくの縛りというか、そういうのが好きじゃなかった?そういった画一的な考えというか生き方というか……。

H: うん、昔っからそういうのは好きじゃなかったかな。だから人と違う物が好きだったし、そういうのが多少なりともベースにはあったのかな。それでそのシェイパーさんのサーフボードのライダーさんがいたんだけどさ。その人達の生き方にもすごく惚れ込んでね。カップルなんだけど、例えば彼女の方がシェイプをして、彼がアートワークを施したりね。2人で1つみたいな……ライフスタイルそのものというか。職業とかそういう観念じゃないのよ。その人達の考え方や生き方にもすごく憧れを持って。彼らは絵も描いていたりとか、ムービーを作ってたりして。アーティストなんだよね。

K: そういう人達とはどこで知り合ったの?

H: 90年代終わり頃にサーフィンのビデオかなにかで知って、そこから掘ってってさ。ライダーは誰なんだとか、板はなに乗ってんだとか掘ってったら、COOPERFISH っていうサーフボードのブランドが見つかって。メールでラヴレターを書いたのよ。「クラフトマンシップに感銘を受けた、ぜひ会いたい」って。それでカリフォルニアまで会いに行って。「ぜひ日本での卸しをやらせて欲しい」って言ったら気に入ってもらえて。

K: お店を開く前に、10年くらい個人でディストリビューターをやっていたわけね。

H: オレはその頃はまだ別の仕事をしていたんだけど、デザインとかの仕事も引き受けてたりして、他の仕事もしてたのね。それで「シングルマニア」っていう名前で、個人で10年間くらいサーフボードのディストリビューターをしてた。

K: 個人で輸入して日本のサーフショップに卸す、という仕事だよね。

H: それをやって彼らと触れ合うなかで、「もっと自由でいいんだな」って思うようになって。彼らは10フィートくらいのデッカい重いロングボードに乗ってて、ものすごいデッカい波でもそれでスタイリッシュに乗りこなしちゃうっていうね。そんな彼らの生き方やスタイルに憧れて、ドンドンのめり込んでったんだと思う。自分も重たいシングルフィンの板に乗りたいなと思ってさ。それで年に1~2回は必ずカリフォリニアに行って打ち合わせしたりサーフィンしたり。

K: ハルヲちゃんはプロサーファーではないけど、サーフボードやサーフカルチャーへの愛情で、個人的にそうやって動いてたわけだね?

H: そうだね。それでよく思ったのが、カリフォルニアから海を渡って日本に到達すると、なんとなく変わってきちゃう部分ってあるじゃない?日本で説明しやすいが故にカテゴライズというものがされたりとかさ。例えばジャックジョンソンなんかも、オレはあんまりサーフィンミュージックだとは思っていないのね。確かに元プロサーファーだからそれっぽい曲もあるんだけど、日本だとわかりやすくさせるためにサーフィンミュージックってカテゴライズしちゃう。なんかそういうのも好きじゃなかったしさ。サーフファッションもね。

K: 日本って、いろんな海外のカルチャーを取り入れようとする時、どうしても説明が必要になるもんね。その説明が結構ポイントだったりするじゃない?説明の時に何気なくつけたワードに引っ張られて全体がそっちへ向かってしまう、っていう現象はよくあるよね。それはオレも音楽をやってて良くわかる話でさ。例えば「パンクしか聴かない」っていう人がいてさ、そしたらパンクと謳ってる、紹介文がついてるものしか受け付けなくなるのよ。でもさ、自分の足で探したり、自分の感性を持っていると、「これはパンクとは言われていないけれど、自分にとってはパンクだ」っていうジャッジができる。でも大多数の人は「これはあそこのお店や雑誌でパンクとは書いていなかったからパンクじゃない」っていうジャッジしかできなくなってくるんだよね。だから自分の肌感覚で探してジャッジして、自分の生活や人生に取り入れていきたいってことだよね?

H: 高校卒業してアメリカにホームステイしたんだけどさ、すごくカルチャーショックだったよ(笑)日本の「アメカジ」とアメリカでのリアルな「アメリカンカジュアル」の違いを目の当たりにして。

K: なんで日本ではカテゴライズされるとこうなってしまう、っていう感じね(笑)

H: (笑)子どもの時はいろんな雑誌なんかの情報をまっさらな気持ちで鵜呑みにしちゃってたけど。「これがアメリカかぁ」っつって(笑)それが染み付いてたからさ……ショックだったね(笑)

K: どうしてもね、距離もあるし、言語も違うしね。日本で商売として成立させるためにはちょっと必要なことでもあったりはするけどね(笑)でも自分で体験することは……良し悪しは別として、月とスッポンの差だよね。

H: そうだよね。

K: それでそういう想いがどうやって ZAP の開店に繋がっていったの?

H: そうだなぁ……やっぱり日本人だからか、途中スケートボード乗るのも「いい歳こいてスケートボード乗ってんのかよ」っていう部分も間違いなく自分の中にあったし、仕事柄しばらくスケートやサーフィンからも離れてた時期があったんだ。でも90年代にサーフィンのロングボードのリバイバルが起こった時、「あ、これなら楽しそう!」って思ってまたサーフィンやり出して、ロングボードで波の事をよく知れるようになってめちゃくちゃハマっちゃって。単なるブランドではない、アートとも言える COOPERFISH SURFBOARDS のディストリビューターも始めたのね。それで結局好きなものって子どもの頃から変わんないし、現代社会で生活している中では味わえない感覚で、必要だなと。今まで感じた、いわゆる日本におけるサーファー像やサーフショップに疑問を覚えてるのもあったし。

K: なるほど。




「2014 ロングボード(ハルヲ談)」


H: もともと洋服屋や飲食店もそうなんだけど、あんまりデパートとか大型チェーン店とか好きじゃなかったというのもあるんだけど。昔の洋服屋とかって、お金より好きや情熱でやってる人が多く個性的だったじゃない?めっちゃ怖い店員さんとかがいたりとか(笑)そういうのがどんどんなくなってっちゃって、時代の流れだからしょうがないんだけど……新しいアプローチのスポーツではないフリーでクリエイティブなサーフィンとスケートボード、カルチャー、コミュニティ、”サポートユアローカル”だよね。それにまつわる量産ではない物、ストリートアートなどをセレクトしたお店をマイペースにやりたいなっと思っていた2005年に、サンフランシスコの Mollusk Surf Shop を知って。あ!オレがやりたい事だ!表現したい事だっ!てなって、オーナーに Mollusk TOKYOをやらないか?って提案してすぐサンフランシスコ行ったよね(笑)向こうも乗り気で一緒にビルドアップしていこう!ってなってね。でもリーマンショックがあって、フィナンシャルプランナーが出てきたり……お金ファーストじゃなかったのに……。渋谷のファイヤー通りのはずれに物件も抑えて99%決まってて雑誌に広告まで出したんだけどね……そこでどうしようかなと。ボードもアパレルもかなりの数オーダーしてたしね。でも買わなくてもいいよって感じだったんだけどさ。「いや、買う」って(笑)それでそこのアーチストでもあるオーナーに、お店の名前とロゴデザインとか色々してもらって。

K: それからはどういうお店として続いてったの?

H: Mollusk TOKYO がダメになってウェアハウスとして借りてた物件が今の所。地元にも近くよく通ってた馴染みのエリアで、ストリートアートとフリーサーフィンを提案してる所は当時なかったし初めて海から渡ってきた物ばかりだったし、徐々にウェアハウスに来てくれたりする人が多くなって、来てくれる人に倉庫じゃ色気ないなと思って、店っぽくしたんだよね。お金があれば誰でもできる、まあある程度はお金がないとできないんだけど、オレが好きで大事にしたい物事は、お金ファーストな物はないんだよね。だから大きいからとか小さいからとかじゃないなって。小さいへんぴなとこでも表現はできるよなって。小さいからできる事もあるよなって。販売してたのはMollsuk Surf Shop アパレル、ハンドシェイプのサーフボードの直販と卸。サーフボードやそれにまつわる物。ガレージシェイパーだろうが、単なるブランドじゃない好きでいい物を創ってる人達をサポートできるしね。数あるわけでもないから大事にもするし。オレはそういうお金の使い方をしたいよねって。あとは物を作ってる人のストーリー、ライフスタイル、リアルにサーフィン、スケートボードをやってる人が好きで創る物を少しずつセレクトして。一応サーフショップって名前がついてるけど、自分の意識としては実はあんまりそういうのはなくて。

K: 完全にセレクトショップだね。「仁科晴雄」っていう人間がやってるセレクトショップだね。じゃあもう始めて9年になるわけだ。その間、お店は順調だった?

H: 他で手に入る物を置くのは好きじゃないから、敢えて自分の周りの人が作った物だったり、作り手のストーリーやライフスタイルがちゃんと見える物や、ちょっと遊び心のある物を集めて置いてたんだけどさ。初めの何年かは良かったけど、なんか興味が薄れたというか……。80年代は丸井でサーフボード売っててね。そんな風にサーフィンもなってるんだよね、今。ちょっと嫌気がさしてさ、それで自分の中での第2章が始まってる(笑)

K: うんうん。

H: 自分自身にカウンタースピリッツがあって、でもそれが多すぎちゃってというかね(笑)ちょっとわかりにくいお店になってっちゃったかもね。でもまぁ好きでいてくれる人もいるんだけどね。

K: 日本のサーファー?

H: そうだね。敏感な人が多いかな。あと海外の人もよく来てくれるけど、みんな褒めてくれるんだよね(笑)

K: 変わったお店だからね(笑)

H: (笑)「こんなお店あんのかー!」って喜んでくれる(笑)

K: 他行って買える物を置いといたって意味ない、ってこと?

H: そう、意味ないんだよ……。小さいからできる事、オレだからできる事を追求していくとね。

K: だから東北沢っていうへんぴなところにお店をだしたわけね?(猛爆)あれは幼馴染みのオレから見ても非常にわかりづらい(笑)

H: お店って意識もあんまりなかったんだけど(笑)お店っぽくやっていこうと(笑)でもなんかコッソリしたことも好きだったりすんだよね(笑)「こんなとこにあったのかよ」みたいな。なんかこう、見つける楽しさっていうのかな?出会い的な、ね。そういうのも考えてだったんだけどね。あと「リアルな東京らしいな」って気もするんだよね。ああいう場所でちっちゃなところでもやってるっていうのが。

K: 目抜き通りで大きくやるなら「経営」とか「商売」とかをしなきゃいけなくなる。

H: ホントにそっちばっかになっちゃうから。オレはお客さんと話したいのよ。話して、良い時間を過ごして、お客さんにとって良い物が見つかってくれれば、っていうのもなんとなくあったね。……昭和の商売の仕方なのかなぁ?(笑)でも今だからこそ特に大事だと思うんだよね。誰かフラッと来て下らない話をして、っていうのが好きなんだよな。

K: 世の中の流れでみたらさ、買い物はネットで済んでしまうし、大型のショッピングモールがボンボンできてくるし、その煽りで小さな小売店はどんどん潰れていくじゃない?そういうのをどう感じてた?

H: すごく寂しいよね……。

K: ZAP の店主としてはその状況をどう見てた?当然自分のお店もさ、こだわり持ってやってるとはいえ、なかなかお客さんもマニアックなところに来てくれない。そうやって絶対数が少なくなると商売にもなりづらいし、自分の理想の空間も維持しづらいよね?どういう対応をしていった?

H: これは大きな流れだからもう逆らうことはできないし、自問自答の繰り返しになるよね。だけどまだできることはあると思う。オレが喰らいついてマイペースでも小さくても表現して生きていければ。でも、そもそも賢ければお店なんか出していないと思うよ。それよりも自分がやりたいっていう方が勝ってしまってて。

K: あぁ、それはオレもあるよ。オレがホントのビジネスマンだったらレコード会社なんてやってないもん(笑)だって売れないんだもん。ただ「やりたい」っていうパッションの方が強いだけだよね。

H: ……そうかぁ。

K: ホントにビジネスしたかったら、もっと金の方に行くよ。いまの世の中なにをしたら金になるか、を追うと思う。でも……そうじゃないわけよね。生きてかなきゃいけないから金は必要だけどさ。

H: そこの両立というか、バランスというのは難しいよね。だからその都度「じゃああれやってみよう」とか表現して、なんとかやってきたね。日本の人が作る洋服をセレクトして入れてみたりとかさ。

K: ハルヲちゃんのセレクトするもんは、いい物がすごく多いよね。最近オレが履いてるズボンもハルヲちゃんセレクトの物だし(笑)

H: (笑)

K: そしてそんな中!去年の春くらいからオレと Woodstics をやろうっていう話になったよね。じゃあハルヲちゃんの言葉で、もともとの Woodstics の成り立ちやコンセプトを話してくれる?

H: もともとスケートボードが好きだというのがあるじゃない?あらためて乗るとさ、純粋に楽しいなっていうのを感じるのね。サーフィンもそうなんだけどさ、プロサーファーでもなんでもないけど、純粋に楽しい。でもサーフィンは、波がいいってわかってても仕事で行けなかったりするじゃない?(笑)

K: 東京には海ないしね(笑)

H: やっぱそういう時にはスケートボードなのよ。クルーズのスケートボードがその欲求を満たしてくれるのね。車で移動しててもスケートボードは積んでて、ちょっとした距離でも、コンビニ行くのでも、なんかちょっと楽しくなるんだよね。サーフボードは基本的にカリフォルニアのシェイパーさんのを仕入れてるんだけど、スケートボードは自分のお店のオリジナルを作り始めたのね。最初はよその工場にお願いしてて。やっぱり自分でも作りたいなってなってきて。じゃあ自分で、遊び心もプラスされた、いわゆる今までのスケートボードじゃないようなものを作りたいなって思って、Woodstics っていうブランド名で何本か作ったの。少子化で廃校になって取り壊された体育館のフローリングをリサイクルして作ったりとか、友達の店のスケートボードをちょっと作ったりとかね。

K: その作るっていうのは、全部自分の手作業で、一から作るっていうこと?

H: そうそう。作る物にもよるけど、コンケーブ付きは海外からブランク(スケートボード用のメイプルの合板7PLY)を仕入れて、それをアウトラインを引いてカットしてっていう、全部手作業だね。

K: それは作業はどこでやってんの?

H: 始めはちっさいお店の中にアトリエ作ったんだけどw、数多く削れないし掃除大変だから(笑)自分ちのガレージ(猛爆)

K: 自宅のガレージだよね(猛爆)

H: ガレージも木の粉だらけだよ(笑)




「当初店内に作られた小さなアトリエ、通称「Tiny アトリエ」」


K: それに Woodstics っていうブランド名をつけて売り始めた、と。

H: そういうのを始めた矢先、だよね。

K: その矢先に、オレがハルヲちゃんのお店で1枚組んでもらった ZAP オリジナルの板をすごく気に入って、「これで横山健モデル作ってよ!」ってなってね。それがここから始まる新しい Woodstics のスタートだよね。

H: オレねぇ、横ちゃんが Gretsch の工場見学しに行く YouTube の動画あるじゃない?すげぇなんか感動しちゃって(笑)それで横ちゃんもクルーズしてるわけじゃない?そんで「なんか……横ちゃんに作りてぇなぁ」って思ってたんだけど、なかなか自分からは言い出せなかったんだよね(笑)だからオレからは横山モデルやろうって言ってないからね(猛爆)

K: (猛爆)

H: オレは Woodstics であれどうあれ、自分で作ったものを横ちゃんに乗ってもらいたいっていう気持ちがあったのよ。

K: そんでオレが、せっかく Woodstics っていうブランドを持っているんなら、もっともっと人にわかりやすい形でブランド化するために、まずは横山健モデルを作ろうよっていうのがスタートだよね。

H: そうそう。

K: そんでさぁ、そこでオレがギターの方と絡め始めたじゃない?(猛爆)どう思った?

H: ……いやぁ……言葉が出なかったね(笑)「マジかよ!それすごくない!?」って感じだったなぁ。ギターとスケートに同じブランド名をつけるなんて考えてもいなかったからさ。ただただビックリしたよ。でも、オレはギターに関してはあまり詳しくはないけど、素材にメイプルを使ったりとかマホガニーを使ったりとか、物としてスケートとの共通項はすごくあるなって思ってたよ。ギターの要素をスケートボードに落とし込んだら、よりおもしろいなって。「あーしたい、こうしたい」っていうアイデアがブワーッと頭の中に湧き出てきたね。

K: うんうん。

H: 横ちゃんももともとプロダクトがすごい好きなんだなっていうのは知ってたし。横ちゃんが手掛けてるギターも、やっぱ「自分仕様」というかさ、自分用にカスタマイズしてあるわけじゃない?Gretsch の横山モデルにしろさ。オレもスケートボードに関しては、本来はカスタムでやりたいのね。そうなると「自分のパーソナルな一台」になるじゃん。カラーリングにしても穴開けることひとつにしても。そういう自由度のある楽しみもお客さんに味わってもらいたいのね。もちろん値段は、手作りで一本一本手間がかかるから割高にはなっちゃうんだけど、やっぱ物の価値を感じてもらいたいし、思い入れも持って欲しいよね。そうなると、ギターにしろスケートボードにしろ、物を大切に扱っていくっていうところも表現できるというかね。だから作るっていうのも大変なんだけど、楽しいよね。流行り廃りじゃないし。

K: Woodstics のギター部門は ESP の中でやらせてもらうことになったじゃない?ESP というメーカーもオーダーメイドから始まってるわけだしね。お客さんの要望に一本一本応えてさ。オーダーシート書いて見積もりを取って、スペシャルな1本を作るっていうね。今でもそれはやってるし。思わぬ木材で、思わぬ形で、その人だけのギターを作るっていうのをやっててさ。アティチュードとして、そういうところを大事にしたいっていうのは共通してるよね。そりゃ量産品ももちろん結構だし、みんなそこから入ってくるわけだし。でも行き着くところは「自分だけの1本」であって欲しいな。例えそれが量産品だろうと、自分だけの1本にカスタマイズしていって欲しいっていう気持ちだったりね。それは「物を大事にする」ってことに繋がっていくわけでさ、もっと言うと「自分自身を大事にする」「人生を楽しむ」ってことだったりすると思うんだよね、オレは。

H: そこまで行くよね!

K: 大袈裟かもしれないけどさ、オレ達は物を通して、ギターやスケートボードを通して、意外とそういうところをみてるんじゃないか?って思うよ。

H: 道具だけに留まらない、遊びのあるギアを作っていきたいね。80年代のパンスクスケーターのように音楽好きの人たちにも、スケートボード、サーフィンに興味を持ってもらいたいね。ギター関連の小物だったり。基本はスケートボードでね、でもそういったいろんな物を作りたい。

K: 「木」でね!

H: そうそう、「木のプロダクト」だよね。

K: オレは……ダメになったスケートボードの板でギターを作りたいな。その逆もね、ギターを作る工程で出た端材を使って作るスケートボード、とかね。

H: スケートデッキからギターは結構あるけど、その逆はないしね。それはぜひやりたいねぇ。あとソリッドもね。

K: いろんな可能性があるよね。もちろん量産品のスケートボードだって作りたいしさ。せっかくブランドとしてしっかりやっていくんだったら、そういう手軽なのもあってもいいと思うし。

H: 量産品には量産品の良さがあるからね。

K: そうそう!

H: 価格だってきっとお財布に優しいだろうし(笑)おもしろいことができるよ。

K: まず……お店にも来てもらって、ウェブも見てもらって、オレ達の動きをチェックしてもらえたら嬉しいよね。

H: そうだね。

K: オレもハルヲちゃんも、これをビッグビジネスにしようなんて考えてないもんね。ただ Woodstics を通じて「こういった楽しみ方があるよ」っていうのを、注目してくれている人達に提供できれば、こんな嬉しいことはないよね。

H: そうだよ。サーフィンもスケートボードも上手い下手じゃないからさ。純粋に「楽しい」とか「気持ちいい」とか、そういうところを感じてもらえれば。

K: ギターもそうだよ!持った以上は上手くなんなきゃって思うんだろうけど、ジャーンってコード一発鳴らして自分がカッコよく思えれば、そのためだけに持ってればいいわけ(笑)

H:(猛爆)いやでも上手くなりたいっしょ(笑)

K: オレだってさ、スケートでトリックの一つくらいできるようになりたいなとは思うけどさ(笑)まぁでもそんなに多くは望まない(笑)近所を走り回るだけでいいわけ。それでふくらはぎをパンパンにして、やった気になれれば(笑)

H: (猛爆)

K: もしかしたらさ、オレ達の提案しようとしてることは世の中の流れと逆行してるのかもしれないけどさ、たぶんこの会話を読んで「ハッ」って思う人は必ずいると思う。今までの暮らしの中にちょっと取り入れてみようって思う人とかさ、あんまり外に出なかったけどお店に行ってみよっかなっていう人が出てきてくれたらおもしろいよね。

H: 最高だよね。

K: だからオレ達は、東北沢の ZAP を拠点にしてさ、想いを持って来てくれた人達にポンと世界を提供できるような……入ってくるかどうかはわかんないけど「こういうものあるよ」って提供できる体制を作っておきたいよね。なにしろこれを読んでる皆さんからしたら「まだ始まってないこと」だからなんのこっちゃわからない部分も大きいだろうからさ。オレ達がしっかりいろんな物を提供して、刺激的な存在でいてさ、皆さんにそれをチェックしてもらって。それが実現し始めたら、小さいながらも「確かなカルチャー」になるって思うんだよね。それを期待してやっていきたいね。

H: コツコツとね。

K: それでオレ達も一緒になって楽しめればね。

H: 結局そこだよね。自分達が楽しめないと。ちなみに「ZAP」って60年代のアメリカのアンダーグラウンドのコミックのタイトルで、刺激をもらう時とかに出る言葉なんだよね。

K: 「もんげー」みたいなもんだ?(猛爆)

H: そうそう!!(猛爆)だから常に店のモットーとしてやってるのは、「こんなのあるよ」とか「こんなことできるよ」っていうのを提案して、一緒になって楽しみたいってことなんだ。

  後書き……「ZAP」のヒントとして「後書き」ならぬ「後写真」を載せておく。2012年に Ken Band 5枚目のアルバム「Best Wishes」の宣伝用写真を撮影したのが「ZAP」だ。あのアルバムのブックレットや当時の写真を探してみてもらえば「ああ、このお店か!」と気がつく方も多いはずだ。




「2012年の Best Wishes の頃のハルヲとオレ」


2018. 02. 23

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