Vol.96

「いしがきミュージックフェスティバル」

  9月、Ken Band は今年も盛岡市で開催されている「いしがきミュージックフェスティバル」に参加させてもらった。
  このフェスは盛岡城の旧跡である「盛岡城跡公園」で開催されていて、見事に残る石垣がランドマーク的なニュアンスから「いしがきミュージックフェス」の名前で親しまれている。今回で10回目の節目で、Ken Band は7年連続7回目の参加となった。
  なんと「フリーフェス」なのである。無料で観れるフェスなのだ。運営の中心となっているのは、盛岡のライブハウス「Club Change」のオーナーである黒沼くん、通称黒ちゃん。彼が行政と一体になって、毎年このフリーフェスを実現させているのだ。

  最初に参加した7年前から、このフェスには感じるものがあった。当日になると街のあちこちにステージが置かれ、ライブハウスで演ってるようなバンドだけではなく、高校生バンド達のためのステージがあったり、太鼓の催し物や舞踊のための舞台になったり、様々な音楽が一日中街中に響き渡る。そして来場者はパンフレット片手に、街のあちこちに音楽を浴びに行くのだ。街中が音楽で輝いているのだ。その光景がとても素敵なものにオレの目には映った。
  「こんな素敵な光景が見れる盛岡、これが音楽の街じゃなかったらウソだぜ!」って思った。
  それから毎年、頼まれてもないのに黒ちゃんに「来年も来るから」と言って、本当に毎年来ていた。

  毎年前夜から、盛岡の街は様々な地方から遠征してきた人たちで溢れ、ちょっと外を歩くといろんなバンドTシャツを着た人とすれ違うし、オレもあちこちで「明日楽しみにしてます!」と声をかけられる。これもこのフェス独特の感じなのだ。
  今年なんか、前日に Crossfaith が来てて、一緒に SHANK そして NAMBA69 も来てたから、完全に雰囲気が出来上がってた。オレもちょこっとだけナンちゃんに会いに行ったのだが、街角に難波と横山が一緒にいるなんて、盛岡はなんてお得な街なんだ(猛爆)こっちも居心地が良いので「お前明らかにオレ達のことなんか知らないだろー!オレ達が人に囲まれてるからノリで言ってるだろー!」っていう人とも写真を撮ってあげた(猛爆)

  ちなみに2011年、震災があった年もこのフェスは開催された。盛岡は被災地でもあった。その年のステージはオレにとっては大きなものだった。
  皆さん、オレがいつも日の丸を手にステージに上がるのはご存知のことだろう。そのきっかけになったのは、震災の年のこのフェスで、後方で振られていた大きな日の丸を見たことだった。その日の丸が語っていたものは愛国心というより「強烈な郷土愛」だった。「被災した人、怖い思いをした人の心の中にあるのは、拠り所にしたのは、これなのか!」と思った。そして「それならオレの心の中にもあるぜ!」って思い、以降自分でも掲げ始めた。

  このフェスはそんな具合に、オレにいろんなものをくれた。他方、フリーフェスであるが故の運営の難しさも聞いていたし、資金繰りも毎年芳しいとは言えなかった。昨年はクラウドファウンディング、つまり一般からの資金提供も募った。綱渡りの開催である。
  「今年で最後かも」なんて声も聞こえてきた。オレもオレで...「毎年オレみたいなのが押しかけてくるからやらざるを得ない感じも無きにしも非ず...」もしかしたら自分から区切りをつけなくてはいけない時期にきたのかなぁ?とか感じ始めた。

  そんな折に今年はトリを依頼された。10周年の記念の年でもあるし、もちろん快諾した。ところが黒ちゃんが妙なことを口走るのである。
  「The Birthday もいるし...なんか特別なことして」
  「特別なこと...?」
  「あと Slang の KO さんと一緒になんかやって」
  「なんか...?」
  しばらく聞かなかったふりをした(猛爆)黒ちゃんっていうのは大体からしてハードコアシーンの人間で、今や仕事もちゃんとする立場にはなったが、無茶振りする姿勢も決して忘れてないのである。それに...良く考えてみたら Slang 今年出ねぇじゃねえかwww 何言ってんだ黒ちゃん?って思ってるふりをしておいた。

  当日を迎える数日前に、ピザオブデスの ISO に黒ちゃんから正式な相談があった。「Ken Band で The Birthday のチバくんと『Pressure Drop』を一緒にやってもらいたいんだけど...自分は後輩だから、直接やって欲しいって頼むのは難しい。どうにかならないだろうか」的な感じだったと思う。全然正式ではない(猛爆)むしろ遠回しに...オレにチバくんを口説けってことじゃねぇかw 都合の良いときだけ後輩になりやがって、黒ちゃん(猛爆)

  「Pressure Drop」は Ken Band の現時点での最新アルバム「Sentimental Trash」のクロージングナンバーで、ライブでも一番最後に演ることが多い。Toots & The Maytals のカバーで、パンクスの間では The Clash のカバーバージョンが有名。ちなみにオレは The Specials のバージョンが好きだ。そうやってパンクスやルーツロッカーに大切にされ、愛された曲なので...チバくんならもちろん Pressure Drop は好きだろうが、果たして一緒にステージに立ってくれるのかどうか...。
  ダメ元で連絡してみると...「おもしろそう!やるやる!」との返事が!思ってもみなかったチバくんの快諾っぷりだった。

  あと黒ちゃんに頼まれた事といえば...KO ちゃん。でも Slang 出ないんだし、居ないんじゃしょうがない。ところが...別件で KO ちゃんと連絡を取ってたら「そういえばいしがき、黒沼がどうしても来てっていうから行くよ」みたいなことを言うではないか(猛爆)黒ちゃん...オレにも直接 KO ちゃん来るよって言っといてくれよ...。
  KO ちゃんとは今年の5月の北海道ツアーの旭川でも演った「If The Kids Are United」を一緒にやろうと決めた。

  本番当日、The Birthday の出番前にチバくんと打ち合わせする約束をしたので、珍しく早めに会場入りした。多少前もって相談していたので、打ち合わせは簡単に済んだ。なぜならチバくんの考えてくれたアイデア通りに歌を割り振ったから。それから印象的だったのは...その後 The Birthday の出番を迎えるわけだが、ずーっと Pressure Drop の歌詞カードに視線を落とすチバくんの姿だった。
  チバくんって、どこか「テキトウにやってたらなんとかなるんじゃない?」的な感じの人だとオレは勝手に思ってたのだが、違った。逆とまではいかないけれども...ビチビチに決め込むわけではないけど、しっかり自分に課す人だった。もちろんロックンロールなのだから、鳴らすその瞬間に全てが決まるのだし、それは当然チバくんのスタイルとして漂ってくるのだけれど、...なんかその姿を見て「あそこまで上り詰めた人」なのが、すごく腑に落ちた。
  「もしかしたらボーッと見てるだけで、別に歌詞覚えてたわけじゃないんじゃない?」と思われる方もいよう。もう一つエピソードがある。オレが「ギターソロの部分をちょっと長く伸ばして、チバくん8小節だけでいいからハーモニカソロ吹いてくれない?」と頼んだ。そんな当日の無茶振りにも快諾してくれて、「キーなんだっけ?どのキー持ってきてるっけなぁ?」と言いながら、ソッコーで準備に取り掛かった。歌詞カードに目を落とすのと同じように、しばらくハーモニカの練習フレーズが楽屋裏で鳴り響いてた。
  このチバくんの光景、こうやって文字にして皆さんとシェアするが、本当の光景だけはちょっとしたオレの宝物だ。

  対照的に KO ちゃんは全く楽屋に現れない(猛爆)先述した通り一度旭川で演ってるからなんにも打ち合わせすることもないんだけど、ちょっとくらい打ち合わせ...打ち合わせとまでいかなくても、顔くらい見せてくれてもいいじゃねぇかと思った(猛爆)

  The Birthday のライブがスタートする前、反対側のステージで The BONEZ が演ってた。最近の Jesse は男くさくて骨太な感じがしてカッコ良い。
  The Birthday はもちろんカッコ良かった。終わった後チバくんに「男前すぎだよ」って言ったら、ちょっと照れくさそうにしていた。
  今度は反対側のステージで locofrank が演奏スタート。矢継ぎ早だ。お客さんは盛り上がってるし、マサユキのビブラートも「いつもより多くかけています!」という感じで気持ち良さそうだった。これがフリーフェスなんて...改めて考えても凄い。豪華だ。
  そんな locofrank の演奏中にやっと楽屋に現れた KO ちゃん。あらためて曲の構成の確認をすると KO ちゃんが間違った回数を覚えてることが判明(猛爆)やっぱ少しくらいは打ち合わせしないとね、KO ちゃんw

  Ken Band の出番が来て...さあステージに出て行くぞ!と思った時に、スタッフに「...こっちにこんなのがあるんですけど」と言われ、誘われた先には、なんとハンドルをヤンキー仕様に絞ったママチャリが(猛爆)うちのスタッフとイベンターが内緒で、オレが中学生の時に乗ってた自転車を一晩で再現したらしい。つまり...それでステージに出て行けということなのだ(猛爆)なんかこういうところも実にこのフェスらしい。もちろん何の躊躇もせず、そのチャリでステージを2周くらいして、最終的には客席に放り投げてやった。ちなみにこのチャリはしっかり回収され、盛岡の「このチャリを受け継ぐ自信のある中学生」を募集し、プレゼントされたらしい。

  Ken Band のライブは、スタート直後から異様な雰囲気に支配された。7年連続で出ているからか、それともいしがき10周年ということもあってか、今までで一番の噛み合い方をした。オーディエンスの興奮があんなにステージ上まで伝わってくるのも滅多にないっていうくらい...形容しがたいくらいの雰囲気だった。形容しがたいとはいえ、この「形容しがたい」のが「ロックのライブ」なのだ。

  そして Ken Band で3曲やったところで、KO ちゃんがステージに登場。「If The Kids Are United」をプレイ。この時期に KO ちゃんと演る「If The Kids Are United」には大きな意味が隠されていた。オレのツイッターのアイコン(コマさんとオレの絵です)を描いてくれた「きたのさん」という人が、オレと KO ちゃんとくまモンで絵を描いてくれた。それは今年4月に起こった「熊本地震」を想っての絵だった。それを KO ちゃんが、自身が東日本大震災を機に立ち上げた「自立支援プロジェクト」で「熊本支援チャリティー Tシャツ」として限定販売し、ちょうどそれが購入してくれた方々の手元に届いた頃だったのだ。盛岡の地で、東北のことを想い、東北支援を機に立ち上げた「自立支援プロジェクト」を通じて、今度は熊本のことを支援し、想う。素晴らしいじゃないか!そしてそのTシャツには「If The Kids Are United」と書かれている。とても意味のあるタイミング、そして場所での、意味ある義兄弟との、意味ある選曲での共演だった。
  ちなみにこの曲を一緒に歌う時の KO ちゃんは「マブい」という他ない。もしかしたらこの曲を一番歌うべきなのは KO ちゃんかもしれない。あんな見かけをしてるけど、あんな優しいやついない(人は殴りますけどねwww)
  曲が終わり KO ちゃんにオレの日の丸を渡すと、大きく掲げて見せた。そしてハグをして KO ちゃんは去っていった。

  また Ken Band で2曲演って、最後の曲でチバくんを呼び込んだ。遂にチバくんとのセッションが実現するのだ!
  チバくんもオレも90年代からそれぞれのロックンロール、それぞれの美学、それぞれの正義を追い求めて走り続けてきた。そしてそれは、当時は交わることはなかった2つの線だった。それが時間が経って、丸くなったのか熟したのか...いや、お互いの存在のありがたみがやっとわかったってことなのかもしれない(猛爆)スカパラ兄つぁんのステージ上で一緒に立ったことはあるが、どちらかのステージでゲストとして出演するのはこれが初めてだ。
  とにかくチバと健が同じステージで一緒に演奏するのだ。
  オレもステージ上から言ったのだが、「これは事件」だ。

  オレは嬉しくって「チバくーん!」と叫んでニコニコしてしまうのだが、チバくんはあまりオレを見てくれない(猛爆)
  曲が始まり...Pressure Drop の最初のコーラス、「アーアアアー」を一緒に歌うのだが、聴こえてくる声がもう紛れもなくチバくんの声なのだ。当たり前のことなのだが...アガる。ギターソロを半分弾いたところで、例のチバくんのハーモニカソロが入る。吹き始めると...オーディエンスから「オォーッ!!」という怒号のような歓声が湧いた。今まで7回もこのステージに立ったが、あんな大きな歓声は聞いたことない。これは...今書きながら思い出しても鳥肌が立つくらいすごい瞬間だった。
  チバくんのソロを受けてまたオレがギターソロを弾くのだが...その時にオレはチバくんを見ながら「最高ずらねー!」みたいな感じでソロに入ったのだが、やっぱりチバくんはこっちを見ていないので目線は合わない(猛爆)
  曲が終わりあらためて「チバくーん!」と紹介すると、チバくんも「ケンバンドー!」と返してくれた。そしてチバくんとハグしようと近づくと、チバくんはスーッとステージを降りて行ってしまった(猛爆)

  ...なんだか実況みたいになってしまったが(汗)そんなことが起こってしまうくらい、このフェスは凄いのだ。KO ちゃんがわざわざ札幌から来たことも、オレがチバくんに声をかけようと思ったことも、チバくんがそれを受けてくれたことも、きっとこのフェスだから起こったことなのだと思う。
  黒ちゃんが中心になってやっているフェスであること、10年間も続いていること、フリーフェスであること、そして盛岡であること。何か一つでも欠けていたら何も起こり得なかったと思う。

  ...来年以降この体制でフェスを続けるのかは現状では見えない。終わってしまうのか、フリーではなくなるのか...わからないのだが、実際黒ちゃんに「これ続くの?」と訊くと、「続けたいけど、続けるには2つくらい大きなのを越えないと...」と言うのだ。2つっていうくらいだから、今までにもぶち当たった経験のあるかなり具体的な壁なのだろう。

  先述した通り、オレも今年で区切りをつけなきゃなとは思っていた。ぶっちゃけて言うと「もう今年で最後」だと思ってた。このフェスが続いていこうがいくまいが、Ken Band は今年で最後にしようと思ってた。
  でも今年ステージに立って、やっぱり来年以降も続くなら来たい。だってあんな風景見て、肌で感じて、やめられっか?という気持ちになった。

  もちろんフェスの運営の「越えなきゃいけない大きなもの」を越えて開催できての話だし、開催できたとしても今度こそ Ken Band は誘われないかもしれない。そういった意味ではもう押しかけるのは止めてw黒ちゃんが「Ken Band 出てよ」というのなら喜んで、というニュアンスになるのだが...。
  オレも大人だから冷静に考えると、人、体制、場所、何かが変わるのなら自分もリセットしなければならないって分かってる。
  そしてこのフェスはなにかを変えざるを得ないような、大きな問題に直面してる。
  わかってる、わかってる。

  でもこのフェス、続けなきゃダメだ。
  こういう場所がなきゃダメだ。
  なくたって困りゃしない。
  日本中にこれだけフェスがあるんだし、誰も困りゃしない。
  でも寂しいじゃない?
  ここにしかない空気が間違いなくあるのに、この場所に行かないと吸えない空気があるのに、なくなっちゃったら寂しいじゃない?
  なにかを続ける大変さは、よーくわかっちゃいる。
  音楽が鳴らされる場所だって、他にいくらでもあるのもわかっちゃいる。
  これは他じゃ代えが効かないよ。

  仮になくなったとして...数年経ちゃみんな自然に忘れてるか、なくなったことを受け入れる。

  でもオレは忘れないし、来年以降の開催も願ってる。


ライブ後にチバくんと。

「ライブ後にチバくんと。」



「Wild Penguin」

  正式に発売が発表になった Gretsch の「Kenny Wild Penguin」。Gretsch での横山健シグネイチャーモデル、第3弾ということになる。
  http://www.kandashokai.co.jp/flos/gretsch/kenny_wild_penguin/
  開発段階のストーリーは上記の特設サイトに記してあるのでそちらに譲るとして、そちらで触れられていない話をこちらでフォローできたらと思う。

  まず「なぜこんなハイペースでシグネイチャーモデルをリリースするのか?」という点。Gretsch 初の横山健シグネイチャーモデル Kenny Falcon をリリースしたのが2015年9月、たった1年ちょっと前の話だ。その後今年に入って第2弾の Kenny Falcon Jr. もリリース、そして今回の Kenny Wild Penguin...もちろん「ペースが速くて追いつかない」との声もチラホラ聞こえて来る(汗)でもそのハイペースの理由は簡単、「たまたま」なのだ。そして「現在、第3弾まで来ている」のである。
  「売れる、売れない」の話をするならば、そりゃ自分の名前を冠したモデルをリリースするからには売れて欲しいという願いはある。しかし純粋に物作りを楽しんでいる自分の方が大きい。純粋に楽しむためには、当然数字での結果が必要になってくるわけで、そういう環境が欲しいのなら数字での結果も必要...「鶏が先か、卵が先か」のような哲学的な話にもなってくるが、つまり数字は「そのための道具」だ。
  これはオレの気性なのだろうが、自分のシグネイチャーモデルをやらせてもらえるチャンスがあるなら、すごくやりたい人間だ。別に日常の生活の中で、常に特別なものに囲まれて暮らしたい願望などない。ただギターに関しては...ギターを弾き始める前から「誰々モデル」というのを目にして育ってきた。例えば「ランディーローズモデル」や「高崎晃モデル」や...自分で手にするかしないかは別として、ガキの頃からの「いつかそんなのが自分でも作れたらいいなぁ」っていう憧れが刷り込まれている。だからシグネイチャーモデルが作れるチャンスがあるなら、当たり前のようにやらせてもらうのだ。その姿が誰かの...子ども達であったり若者達であったり、将来のギタリスト達の夢や憧れ、そんな風に思ってもらえるようにやるのだ。

  併せて「次は廉価版...安いギターを作るって言ってなかったっけ?」との声にもお答えしよう。
  もちろん開発中だ。今でもいろいろと神田商会の人達とアイデアを考え、アメリカの Gretsch 本隊にぶつける作業はしている。ただ「安く作ること」にプライオリティーを置くと、どうしても出来ないことが出てきてしまう。今はまだそれを解消中の段階なのだ。
  逆に...とても興味深いストーリーなのだが、実は今回の Kenny Wild Penguin はそういった廉価版のアイデアをひねり出している途中で出てきた、いわば副産物でもあるのだ。つまり「たまたま」なのだ。とはいえ腰掛けのつもりはなく、こうしてハイスペックなギターを作るというアイデアが出てからは、それに対して100%の向き合い方をした。「たまたま」ではあるが、「なんとなく」ではない。
  廉価版は進行中だ。実現可能かどうかはまだ見えないが、間違いなく進行中だ。将来のギタリスト達のために、めちゃめちゃ進行中だ。少し時間はかかるかもしれないが、必ず作り出してみせるので待ってて欲しい。

  「なんで Grestch って健のモデルばかり出すの?」...これはアメリカの Gretsch や日本の代理店である神田商会に聞いてもらわないとわからないが、確かにオレ個人的にも「この人のモデル、Gretsch で出せばいいのに...」と思う人はいる。しかしオレは、ギタリストでシグネイチャーモデルを出すことに抵抗がある、あるいは臆病になってる人って多数いるんじゃないか?と推測している。意外かもしれないが、シグネイチャーモデルを作ることが全てのギタリストの夢、というわけではないようだ(全然意外じゃないかもしれませんがw)。
  Gretsch にも「オレだけを出して!」とは頼んでいるわけじゃないし、むしろいろんなギタリストのモデルが Gretsch で出ればいいのになぁと思ってる。そしたらオレだって、もしストライクゾーンに入るモデルが出たら1本買って弾くのになぁ、きっとそれってものすごく楽しいだろうなぁって想像してしまうくらいだ。
  ただ...Gretsch はアメリカのメーカーで、日本人がシグネイチャーモデルをリリースすることは、コミュニケーション面も含めて、決して低いハードルではない。そこで肝になってくることなのだが...オレの「吠え方」はかなり強烈だ。ちょっとの可能性を掴んだら、興味があるものなら絶対に離さない。座ってたら話が転がり込んでくる、なんて美しい話ではないのだ。やりたい気持ちも必要以上に伝えるし、やると決まったらものすごく一生懸命やる。
  結局オレのモデルばかりリリースされる理由は...知らん。ただ大切なことだからもう一度言うが、オレの「吠え方」はかなり強烈だ(猛爆)それだけのことなのかもしれない。

  さて...「Gretsch のファルコンなら知ってるけど...ペンギンって何?」...そうなのだ、ペンギンってオレの知っているギタリストの中でも使っているのはほんの数人で、全く有名じゃないのだ。めっちゃカッコいいフォルムを持ち、独特の存在感のあるギターなのに、知名度はとても低い。
  ちなみに Gretsch のギターにもシグネイチャーモデルは数あれど、Penguin でシグネイチャーを作ったのはどうやらオレが世界初らしい!それもめっちゃイケてると思うのだ(猛爆)
  代官山にあるお宝 Gretsch 専門店「Thrill On The String (スリルオンザストリングと読みます)」のオーナー豊福さんの話によりますと...「ホワイトファルコンは55年のカタログに掲載されていますが、発表は54年というのが通説です。が、私自身その根拠となる原資料に出会ったことがありません。ましてや、ペンギンの起源となると...。55年には個体が存在しているので間違いないです。54年製というのは噂にも聞いたことはありませんね。当時のお客さんはその存在を知る由も無かったんだと思います。知る人ぞ知る、裏メニュー的な、賄い料理的な?根拠のハッキリしない話ですが、総生産本数は十数本と言われてますね。私も現物を見たのは3本くらいしかありません。そして、デュオジェット等を元にコンバージョンをした贋作も何本か見ています。」ということらしい...。こんな背景もあり、ペンギンは「幻のギター」として扱われてきた。現在では現行品がラインナップされているのでとても入手しやすい状況なのだが、「幻のギター」のイメージが強いためか、なんだかとてもミステリアスな印象だ。

  「幻のギター」...とてもいいじゃないか(猛爆)「伝説の名刀」みたいでカッコいい。
  そして Kenny Wild Penguin を開発する際には、この「幻のギター」感が味方をもしてくれた。ペンギンは幻であるが故に「Gretsch のペンギンってこういう音がするよね」っていう先入観が全くないのだ!例えば...ファルコンを使ってオレのようなすごく歪んだ音を出すと、「こういう音出すならファルコンじゃなくても良くね?」という光景、そうなる人がいることの予想がつくのである。オレにはオレでファルコンである必要性があるのだが、それがどこまで伝わるか...案外「先入観との戦い」であったりもするのだ。ペンギンにはそれがないので、思い切ったチャレンジをたくさん放り込むことができた。ブリッジであったり、ビグスビーであったり、回路系であったり、このギターならではのチャレンジがたくさん詰まってる。
  つまり、Gretsch のギターである固定観念を、ある程度良い意味で捨てて、歪んだサウンドへの対応に特化した仕様になっているのだ。サイズ感や操作性は Gretsch のギターでいえば Duo Jet なので、例えばレスポールタイプを弾いてるギタリストにも何の違和感もなく抱えてもらえると思う。


オレのところにやってきた日に撮った写真。ツートーンがわかるように撮ろうかと思ったら...かなり謎な写真になってしまいました(猛爆)

「オレのところにやってきた日に撮った写真。ツートーンがわかるように撮ろうかと思ったら...かなり謎な写真になってしまいました(猛爆)」


  あとは...色!ここは Gretsch 伝統の「ツートーン」を思いっきり採用した。近年海外の1点モノでツートーンカラーのペンギンをよく見かけるのだが、日本に入ってこないので、指をくわえて見てるしかなかった。その想いを今回ぶつけさせてもらった。ボディーのトップをブルー、サイドとバックをブラックにした。これは...イラストレーターかなにかで画像サンプルを見せてもらった瞬間から勝ちの予感しかしなかった。「間違いなく美しいギターになる!」という確信を得た。
  トップのブルーはオリジナルカラーにしたかったので、工場にいろいろリクエストしてサンプルをたくさん出してもらい、一番気に入ったカラーを選んだ。基本になっているのはフェンダー系のギターに多く見られる「レイクプラシッドブルー」と呼ばれる青。その青を濃くしてメタリックを入れてもらった感じだ。
  オリジナルカラーなので、また名称を考えなければいけない...レイクプラシッドブルーの語源は「レイクプラシッド湖」という湖の湖面の青をイメージして名付けられたらしい。それならばオレは...ハワイの青空をイメージしたので、ハワイ語で名付けたいと思った。そこで発見したのが、ハワイ語で「青空」を意味する「ポルカラニ」という言葉。まぁハワイの青空にメタリックな要素はありませんけどね(猛爆)そこはいいじゃないかと思い、「ポルカラニブルー」と口に出して言ってみた。おぉ...響きが素敵じゃないか(猛爆)しかもオレ個人のブランド観ではあるが、Gretsch ってハワイカルチャーとの親和性が高い印象があるのだ。なので...ハワイ語から色を命名することは、自分の中で辻褄が合っている。
  こんな経緯で「ポルカラニブルー」は名付けた。これはこのギターの一推しのポイントだ。

  とても信頼出来るギターだ。Fuji Rock に出演した際、オレは謎のアンプトラブルに見舞われた。原因不明の、聞いたこともないようなノイズが出るのだ。これは実は武道館の時にもあったのだが、武道館の時はリハで発生し、本番はなぜか発生しなかった。しかしFuji Rock ではサウンドチェックでは大丈夫だったものの、1曲目の演奏後に突然出始め、ステージ上でアンプ交換せざるを得なくなった。正直テンパった。その時救ってくれたのが、出来上がったばかりのこいつだった。音の食いつきも良く、安心して弾けた。ライブの後半でギターを交換する予定だったが、「もうこいつで行けるところまで行きたい」と言って、手放したくなくなった。出来上がったばかりなのにそんな安心感をくれるなんて、頼もしいギターだ。
  特設サイトにある「めっちゃ綺麗で頼れる!」という文言は、そんなバックグラウンドから来ている。

  めっちゃ綺麗で頼れるなんて...まるでスーパーいい女みたいじゃないか。でもこいつは相棒...つまり男なんだと思う。

  でもまぁそういった討論は、また公の場所でバカリズムさんとしたいと思う(猛爆)




「Another Starting Line」

  このコラムを始めて14年、96回目を数える。こんな話ができる日が来るなんて想像もしてなかった。

  Hi-Standard は10月5日に、16年振りの音源となるシングル「Another Starting Line」を発売した。


Another Starting Line ジャケ写

「Another Starting Line」


  その事実だけで十分なのだが...言葉にすると野暮なことまで言葉にしてきたこのコラムなので、今回も無粋なのは承知でいろいろ書いていきたいと思う。

  2011年の横浜、そして2012年の東北での AIR JAM をやり終えた。その後ライブはしなかったものの、オレ達3人は月1回や2ヶ月に1回程度スタジオに集まっちゃ練習してた。練習なんて言えるもんじゃなかった時もあった。というかそういう日がほとんどだった。
  「最近うちの子がさ...」「ああ、うちもそういう時期あったよ。」なんて話し始めると、練習どころではない。昔話に花が咲いた時もあった。「あのツアーであんなことがあったよね」「いや、実はアレはオレがあいつにああ言ったらああなっちゃって」「そうなんだ!知らなかったwww」とか...練習どころではない。そうして4時間や6時間のスタジオで、終了間際に「Dear My Friend」1曲だけやって「今日は何もしなかったね」と言って帰るのだ。新曲にトライしたこともあったが、次回までの間に忘れてしまうのだ。
  2014年など、ほぼ集まることはできなかった。でもそれは3人それぞれのやるべきことを尊重し合った結果なので、ハイスタの今後についての気持ちは途切れなかった。
  今思えば、オレ達3人は音を出すことよりも、集まってバカ話をしたりしながら、同じ時間を同じ空間で過ごすことで、「ひとつのバンド」に戻って行ったんだと思う。

  3人とも良く分かっていた。「90年代のハイスタには戻れない」、音の面でも精神的な面でも、なによりもバンドの構造的にもあの頃には戻れないって分かってた。
  だからそういった時間は、「新しい『今のハイスタ』を作ろうよ。というか、新しいハイスタになろうよ」という共通認識を持つための時間だったとも言える。ライブだとか新曲だとか、そういう成果は特別なかったが、そういった「ひとつのバンドに戻る作業」が、ハッキリとした成果よりも大切だった。

  2015年に「尽未来際」「Fat Wreck Chords 25周年」「札幌 POWERSTOCK」と3つのライブにハイスタとして参加した。これらのライブは2014年末から2015年初頭くらいに一気にブッキングが決まったものだった。ハイスタとしては2012年の AIR JAM 以来3年振りの公の場だ。
  オレはまたハイスタとしてライブできるのは嬉しかった。しかしやるのはいいけど...やった後のことが不安になった。「このままなんとなくたまに誘われるライブに出て...たまに AIR JAM やるバンドになるのかなぁ?それだけだとただの懐メロバンドになっちゃうんじゃないかなぁ?」それはもちろんイヤなわけだ。
  そこでグッと新曲に対する気持ちのギアが入った。「アルバムかシングルかわからないけど、なにか作品を作ろう」それをまた3人の共通認識で持ち、相変わらずのスローペースながらも、少しづつ新曲を作っていった。
  久しぶりの本気の新曲作りは難しかった。10数年のブランクがあるのでハイスタの新曲像の認識の違いもあったし、お互いの出方を探ってしまうところもあった。もちろん3人とも、演奏のスタイルにも変化だってある。結構な数のネタにトライして、結構な数をボツにした。そんな中でもいくつか「これは曲になるんじゃないか!?」っていう、「曲の苗木」みたいなものが手元に残り始めた。
  これが2015年の3本のライブの場では威力を発揮した。別に「曲の苗木」を披露できるわけじゃない。皆さんが知っているのは2000年までのハイスタだが「新しいハイスタがオレ達の手元にはあるんだぜ!」、威力を発揮したのはこの意識だった。これさえ持っていられれば、全曲90年代の曲を演奏したって、「ただの懐かしいバンドじゃん」と思われても、胸を張っていられる。
  3本のライブをとても楽しく、気持ちも晴れやかにやることができて、オレ達は AIR JAM 2016の開催を決めた。決めたので、それまでに「新譜を作ろう」とも決めた。

  もっと言うと、今年の AIR JAM を新譜を出してやることは、「ハイスタンダードはスローペースながらも、今後もやっていきます」っていう意思表示、説得力を持ったアナウンスになるのではと思った。
  それは是が非でもやりたい。

  逆算すると...2016年の夏には録り終えていないと、AIR JAM までに作品は出ない。7月にレコーディングをセッティングした。セッティングした段階で、レコーディングまでもう半年とかいう具合だった。曲作り間に合うのか?でもオレ達には「曲の苗木」達があるじゃないか。3曲をその中からセレクトして練り直し、新たに別で1曲作った。
  カバーソングも2曲、合わせて録ることにした。それを古いカバーソング...それこそ7インチのシングルにしか収録されていない、今や入手困難と思われる曲を一緒に収録してリリースすれば喜ばれるんじゃないかと考えた。ちなみにこれは12月に「Vintage & New, Gift Shits」というタイトルでリリースされる。

  曲作りをしながら、みんなでプロモーションのアイデアを話し合った。16年振りの音源なので派手に行くことも考えたが...せっかく16年振りの音源なのだから、そのタイミングでしかできないことをやりたいと考えるようになった。
  なぜそういう思考回路になるのか...?それはオレ達がパンクだからだ。

  結局...「ノンプロモーションがシブいんじゃないか?」と着地した。ノンプロモーション...実際に CD ショップに偶然来た人のみがハイスタの16年振りの新譜を目にするわけだ。90年代にオレ達は2度ほど、これをやっている。しかしそれは限定の7インチシングル盤だった。今回のシングルは売り続けたい。
  かなりリスキーに思えた。事実 CD 購入の5割強はネットで行われている。もはやネットでの販売は欠かせないのだ。単純に考えると...オレ達の新しいシングルも、本来売れるであろう数の5割弱しか売れない...そういう予想が成り立つ。しかしそれもいいじゃないか。ワクワクの方が上回ってしまった。数や金じゃないのだ。いや、それも大事だが、今のハイスタが求めているのは、このワクワク感だ。

  ピザオブデスの宣伝担当と制作担当が頭をフル回転させて、各方面と折り合いをつけて導き出した答えが「3週間だけは店頭販売、その後はネット販売と配信も開始」だった。
  なるほど...いずれはネット販売も始まるわけだ。それはもちろん良い。ネットでの買い物は今さら否定はしないし、オレ達だって利用している(めっちゃ便利ですよねw)。それに、かつてハイスタに熱狂した世代はいまはもう立派に社会人として世に出て、欲しくてもCD ショップにすら立ち寄るチャンスがない人だっているだろう。仕事、育児や家事に追われて、しかも一番近い CD ショップまで往復2時間かかる、というような環境の人もいるだろう。わかっている...申し訳ないが、彼らには少し我慢をしてもらうしかない。

  オレ達はせっかくのこの機会を「一番ハイスタらしいやり方でやる」ことを選んだ。

  レコーディングのエンジニアには、ハイスタの全てのフルアルバムを手がけているライアン・グリーンを呼んだ(Making The Road はミックスのみ)。場所は渋谷の Redbull Studio。このチームでのレコーディングは1999年以来17年振りだ。それだけでアツいとか思ってたら、アツいとか浮かれたこと言ってる場合じゃなく、ライアンにみっちりとシゴかれた(汗)ギターもコーラスも、なかなかオッケーが出ない。それはツネちゃんもそうだったし、ナンちゃんの歌なんかもっとそうだった。みんなそれだけ高いレベルのものを要求された。その現場にいて「あー、ライアンとのレコーディングってこんな感じだったなぁ」と思い出した。でもその感覚...実はめっちゃめちゃ自信はなくすしテンパるし、イライラするのだが、そんな感覚さえも懐かしかった。
  曲は良い感じで録れたと思う。新体制のハイスタの再出発を飾るに相応しい作品が作れたと思う。曲や演奏に関しては、聴く人それぞれ想いや意見があるだろう。喜んでくれた人は「これこれ!」と思ってくれただろうし、しかし皆さんが全員「イエス!」と思ってくれるものではなかったかもしれない。でもまぁそれはそれでいいのだ。むしろそれが普通というか、健康的というか...それは当たり前のことだとオレ個人的には捉えている。

  ちなみに、ノンプロモーションでやると決めたので、練習スタジオで曲を煮詰めている時も、レコーディングに突入しても、誰にも言えなかった。言いたかった。ナンちゃんもツネちゃんもそうだっただろう。でも言えなかった。ワクワクもしたけど、言えなかったのは口がムズムズしてツラかった。

  オレ達の頭の中にあったのは、当日まで CD ショップの店員さんですら知らない状況。入荷されてきた謎の箱を開けてみると、ハイスタの新譜が入ってるという状況。そこからは口コミでどこまで広がってくれるのか、信じてたし、確かめたかったし、全てを託したし、ワクワクした。
  その状況を作るためには協力者が必要になってくる。CD ショップの中でも、その趣旨を理解して受け入れてくれるとこにしか卸せないことになった。チェーンや店舗によって統括のシステムが違うので、対応できるところとできないところがあるのだ。その点はピザオブデスの流通を担当してくれている会社が、オレ達の代わりに「アーチストの意向を反映させたい」と親身になってやってくれた。
  そしてたくさんの店舗がオレ達の趣旨に賛同してくれて、発売日(厳密に言うと発売前日の店着日)まで「ハイスタのシングルが店頭に並ぶ」ことを、一切口外せずにいてくれた。

  ちなみに...今回はこの販売方法がものすごい話題になったわけだが、正直言ってここまで話題になるとは、オレ達の誰も想像していなかった。
  過去に2度ほどハイスタはノンプロモーションで作品を発表している。しかしそれは2度とも限定の7インチのアナログレコードだった。今回の CD シングルはズーッと販売され続ける。なので「店頭だけで売っても最終的には『3週間待てばネットで買えるから待とう』っていう人が多いんじゃないか?」とか「そもそもハイスタにもう興味持たれてなかったらどうする?」「話題になるには少々パンチが弱いかもね」なんていう会話が実際に持たれていたくらいだった。
  発売前日、スタッフの「AIR JAM 2011 の発表の時くらいリアクションありますかねぇ?」という問いに、オレは食い気味に「あんなの2度と起こるわけないじゃん!超えるわけないじゃん!」と答えた。
  現状すでに5割以上のお客さんがネットでの購入に流れている。オレはよく CD の路面店のサポートを呼びかけているが、今回のオレ達のシングルが猛烈な店舗のサポートになるとも想像していなかった。 

  だから今回これだけ話題になったことは、結局こういうことなのだ。もちろんハイスタに力がなかったとは言わない。それよりも店舗の方々の情熱、やる気が、この話題を作ってくれたのだ。
  彼らの愛のある打ち出し、ハイスタに対する扱いがなければ、絶対にこれは起こり得なかった。全く売れないとここ数年不況が伝えられていた CD ショップが、このうねりを作り出したのだ。
  「オレ達がこれ売らないでどうすんだー!ハイスタがここまでしてくれてんだぞー!応えるしかないだろー!」という姿が目に浮かぶし、気持ちも伝わってくるのだ。
  やっぱり物事は人間がやることだ。人の力を、人の気持ちを甘く見てはいけない。
  彼らにはまだ十分に力はあるのだ。ただ数年発揮できてなかっただけ、若干発揮しづらい世の中の状況になってきただけなのだ。
  今後90年代の CD が店舗でよく売れた時代に戻るとは考え難い。でもきっと彼らは今回のハイスタのシングルをこれだけ話題にして売ってくれたという出来事から何かを得て、きっと新しい道を拓いてくれるに違いない。
  それのサポートをできたんじゃないかと思うと、それだけで嬉しい。

  ロックンロールっていうもんは、難しそうなことを簡単に飛び越えてってしまうもんだ。今回の出来事って、めっちゃロックンロールじゃないか。

  ハイスタはツアーも、そして12月にはカバーシングル「Vintage & New, Gift Shits」のリリースも発表された。もちろん福岡での AIR JAM 2016 もある。
  繰り返しになるが、オレ達ハイスタはスローペースながらも、今後もやっていく。もちろん NAMBA69 も Ken Band も手を抜くことはない。

  ハイスタはこれで終わりではない。もう今年の AIR JAM 以降のことも考えている。
  これも繰り返しになるが、音や楽曲は変わっていくもんだ。皆さん全員を納得させられるものを作れるとは限らない。ナンちゃんとツネちゃんは全員をブッ飛ばしたいと思っているようだがwwwオレはそうは考えていない。オレ達らしく、しかも「今のオレ達」に正直にやって、その結果が皆さんに喜ばれようがボロクソに言われようが、それは全く構わない。

  今回のリリースに関して親身になって考え、ご協力いただいた方々、ありがとうございます。
  手に取って聴いてくれた方々、待たせてごめんなさい、ありがとうございます。喜んでくれてたら幸いです。
  いろんな事情で手に取りたかったけどまだ取れてない方々、ご不便をおかけして申し訳ありません。もう少しで通販も始まりますし、しばしお待ちを!
  冷ややかな目で見ている方々、なんだか申し訳ありません。でもまだまだ続くぜ、悪いな。
  今回のリリースでハイスタを知った方々、こんなベテランバンドもいるんだよー!今後もスローペースではあるけどやってくのでたまに情報を探ったりしてみてください!
  それから...同じ世代を生きて来たバンドマン、後輩のバンドマン、「もっともっと行こうぜ!年取った気分になってんじゃねぇぞ!(実際みんな年取ってきたけどねwww)ハイスタだからやれるんじゃなくて、やるからハイスタなんだよ。君達にもできる!」

  最後にオレの気持ちを一言、「めちゃめちゃ燃えたぜ!」


久しぶりに一緒にロックしたライアンと。Good Job! Ryan!!

「久しぶりに一緒にロックしたライアンと。Good Job! Ryan!!」

2016. 10. 18

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