このサイトはJavaScriptがオンになっていないと正常に表示されません

« インタビュー Part.01

インタビュー Part.03 »

-- 『AIR JAM 2012』 の現場で特に印象的だったのは、参加者に子連れのファミリーがすごく多かったことで。要するにそれは子どもたちにこの音楽とカルチャーを受け継いでほしいってことだと思うんですよ。

難波 そうだね。いっぱい来てくれたね。

横山 その気持ち考えると、鳥肌立っちゃうくらい嬉しいよね。

難波 自分たちも親になってるから気持ちわかるもんね。ハイスタのファンたちが大人になって子ども生んだからって言っても、俺たちは絶対置いていかないよ。一緒にお出でよっていう。そういう空間づくりはしたいよね。

横山 俺がお母さんと出会う前、お前が生まれる前にこれを聴いて青春すごしたんだぜっていうね、それを子どもに見せてくれるなんて最高じゃない? 俺もレザーフェイスが日本に来た時、それやったから。絶対興味ないだろうな と思ったけど、楓太を抱きしめながら観てたから。当時4歳とかそこらだったら、あまり記憶にもないだろうけど一緒に観たかったの。それを俺たちに対してしてくれてると思うと、鳥肌だなあ。

難波 ホントだね。だから小学生のファンが多いんだよ、最近。似顔絵描いてきてくれたりとか、たまんないよね。

-- それに「東北ライブハウス大作戦」ステージの設置ということも大きなメッセージになってましたよね。

難波 そうだね。いろんな出演者、スタッフが頑張ってくれて。

-- ツネさんは、当日を振り返っていかがですか?

恒岡 そうですね。あの時期は、脳と身体のバランスがすごく崩れていて。

-- えっ、『AIR JAM 2012』 の当日も、ですか?

恒岡 はい。もう遡れば5〜6年くらい前からなんですけど、東北『AIR JAM』の前後とかは特にヒドくて。正直、演奏するのが精一杯で、覚えてる部分もあるけど、思い出したくない記憶もあって。演奏に関しては、観てくれた人がジャッジしてくれればいいんですけど。

-- ライブシーンを観る限り、そこまで不調だったことが信じられないくらいですが。

恒岡 今は状態がいいというか、ちゃんと安定しているからこうやって取材受けさせてもらってるんですけど。

-- でも、確かライブ中に難波さんと横山さんが何度も後ろを振り返って、ツネさんと アイコンタクトを交わしていて。それはツネさんを気遣ってのことで?

恒岡 すごい気遣ってくれてましたね。

難波 よくやったよね! ホントすごいよ。

横山 そうだね。特に当日近辺は心の調子は絶不調だったから。

恒岡 1日目に関しては、僕は会場 に行って、全然落ち着かなくて。控え室としてログハウスが用意してあったので、「ツネさんそっちで休んでてください」って連れて行ってもらって、ずっとそこで休んでましたね。それまでずっと不眠が続いて……(その時の様子は割愛)。2日目も、やっぱり(ステージに上がるのが)ものすごい怖くて。で、楽屋の裏に川があったんですよ。その川に、もうどうしていいかわからなくなって、暗くなってきた本番の30分くらい前に、一人で全裸になって、川にずっと浮いてたんです。

難波 マジっ!?

-- 難波さんもそのことは知らなかった?

難波 ずっとログハウスにいたのは知ってたけど……。

-- そうでもしないと正気を保っていられなかったというか。

恒岡 ホントに、それくらい頭の中がどうしたらいいかわからないことになってて。

難波 本番の1週間前くらいとかも、ずっと不安定だったもんね。

-- じゃあ、バンド練習も満足にできなかったんですか?

横山 やったはやったけど、普通のバンドがやってるようなシビアなところまでは達してなかったかな。

-- その状態であんな絶頂的なライヴを演ってしまうのは、ちょっとすごいなあ。

難波 そうだよね、がんばったよね!

恒岡 それこそナンちゃんも健くんも、ステージ上がる時もそうだし、ライヴ中もすごい気遣ってくれて。それが伝わってきたんで、すごく申し訳ないという気持ちもあれば、優しさを感じたりだとか……。

難波 正直、1週間前くらいとか「もうできない」ってなったもんね?

-- ハイスタの練習が、ですか?

難波 いや、『AIR JAM』自体が。

-- えええっ!?

横山 うん。ちょっと様子見だねってなったよね。

難波 ツネちゃんの体調を考えて、これ以上プレッシャーを与えないほうがいいだろうと。

横山 ハイスタがライヴやらないのに、他のバンドだけ『AIR JAM』でライブさせるわけにはいかないから、やっぱり中止なんじゃないかって。オーガナイザーとしてナンちゃんはそこまで考えちゃうわけ。だからオレが、とりあえず様子見よう、明日を待ってみようって。

難波 ぶっちゃけ、保険かけてんのか?とか聞いたりね(笑)。中止になっちゃったら、どうなるんだろう??って。

横山 公演中止の払い戻しとかね。あれはなかなかシビアだったよ。

-- そこまで事態は深刻だったんですか……。

難波 もう、ホント大変だった。もしかしたら、俺はここにいなかったかもしれない。破産宣告してどっか行ってたかもしれないよ、ホントに。

横山 この夜を乗り越えたらなんとかなるっていう時があって、その時ね、俺とハイスタの ローディーのヤツで、ツネのマンションの前でずーっとパトロールしてたからね。

恒岡 えっ、OKBと? それ今初めて知った……。

横山 むちゃくちゃ蚊に刺されたけどね!(笑) でも、今のHi-STANDARDっていうのは、そこも含めて一緒にやっていこうじゃないかってことだから。共同体みたいな。

-- その事実を知った上でDVDの 映像を観ると、 また違った感動がありますね。

難波 そうだね。それがまた困難な状況にある人に勇気を持ってもらえたりしたらいいよね。 だって、すごいよ。そんな状態であんなライブやっちゃうんだもん。

横山 これ言っていい? 『AIR JAM 2012』直後の、胆嚢のやつ。

恒岡 そう、風邪を引いたと思って病院に行ったら検査で胆嚢がちょっとおかしいですって言われて、大きい総合病院にすぐ行ってください!ってなって。結局、破裂はしてなかったんだけど、胆嚢がそれに近い状態で。あと、心臓 の機能が1/3まで低下してますって。

-- えええっっ!?

横山 はっはははは。半端ねえ!

恒岡 すぐ入院してくださいってなって(笑)。検査で行ったのにそのまま入院になってしまって。 

難波 そっからまた始まるのよ。だから、『AIR JAM 2012』が終わって「良かった、良かった」じゃなくて、またツネちゃんをみんなで守らないとって。

横山 『AIR JAM』当日にねえ、心臓の機能が1/3だったらどうなったことか……。

-- ツネさんとしては、もう気力だけで仲間や東北のために死力を尽くしたというか。

難波 うん、気力だよね。みんなのためにやったんだよ、ツネちゃんは。

恒岡 ホント、それこそ記憶にはないんですけど、ナンちゃんだったり健くんだったり、PIZZA OF DEATHだったり、『AIR JAM』主催のHSだったり、もうみんなの支えがあったから。終わったあともぐちゃぐちゃしてたんですけど、それこそ去年の12月くらいからいろいろ安定してきて、こうして3人で取材を受けられるようになって。 むしろ僕は、この4月から3人でバンド練習に入ってるんですけど、いまは早くまたライブやりたいなって気持ちで。

Part.03に続く...
INTERVIEW BY 奥村明裕

« インタビュー Part.01

インタビュー Part.03 »

PIZZ OF DEATH RECORDS